友達の輪
文字数 4,578文字
アサギは、なるべく不自然にならぬよう努めた。しかし、笑顔を作っていたつもりでも、洞察力に長けているトビィの前では意味がなかった。
沈んだ様子に気づき、怪訝に眉を顰める。けれども、すぐには何も言わず、いつものように世話をしてくれる姿を見つめる。
「とろとろで、美味しいスープですよ」
「ありがとう」
並べられた食事を綺麗に平らげたトビィは、一息つく。そして、薄く微笑み大人しく座っていたアサギに声をかけた。
「何があった。泣いただろ」
訊けば悲しませることになるかもしれないとは思ったが、見て見ぬふりをすることは出来ない。彼女は弱々しく、今にも消えてしまうように見えた。
アサギは動揺し、震える手を力いっぱい握り締める。しかし、気丈に顔を横に振った。
「……悲しいことが、ありました。けど、もうへっきです」
泣いているように笑ったアサギに、トビィの胸はジクジクと痛む。
「それのどこが平気だ。無理して笑うな、余計辛いだろう?」
アサギの頭部を撫で、そっと引き寄せ軽く抱き締める。
伝わる体温は温かく、ずっと傍にあるその温もりと香りに安心感を抱き、若干アサギは俯いた。鼻を啜り、緩む涙腺を必死に堪える。顔を上げ、肩を竦めて微笑んだが、涙は隠せなかった。
「いつでも、優しいですね。でも、ホントにへっきです。……あの、回復されたようなので、そろそろお別れの時間となりました」
心からの笑顔でトビィを過去へ送り届けたかったが、まさか日中あのようなことが起こるとは。しかし、先延ばししても仕方がない。彼はもう、
「まだ治っていない、足首が」
悪びれた様子もなく真顔で切り返したトビィだが、それは離れたくないゆえの嘘。彼にとって離れることは、死活問題である。
堂々とした態度に吹き出したアサギは、心が解れていくのを感じた。
「大丈夫、すぐに逢えますから」
「本当だろうな?」
「はい、大丈夫です。“クリストヴァル”へ向かってください、そうすれば」
「ほぉ。アサギは巫女か修道女か?」
「いえ、違います。ゆ……ゆ、ゆるゆると旅をしています」
危うく“勇者”と言いそうになったが、色々と詮索されても困るので、どうにか誤魔化した。
「ゆるゆると旅?」
訝ったものの、ただの気休めでないと悟ったトビィは、渋々ベッドから下りた。痛みを感じる箇所はなく、以前よりも身体は軽い。肩を竦め、アサギに苦笑する。
「オレがここまで丈夫ではなかったら、アサギと共に居られる時間が僅かでも延びただろうに。惜しい事をした」
「ふふ。長い間、居られるようになりますよ」
「……その言葉、信じよう」
二人は視線を絡ませた。
アサギは、次の再会を知っている。
トビィは、次の再会を待ち望んでいる。
二人は必然で出逢う。
アサギは背伸びをすると、そっとトビィの頬に触れた。
「では、また」
途端、急に眩暈がしたトビィはその場に崩れ落ちる。
その身体を支えたアサギは、外で待機していたクレロらに声をかけた。
「御苦労だったな、アサギ」
「いえ、ここからです」
トビィの意識があるままでは、過去へ返し辛い。申し訳ないが、今は眠ってもらった。連れてきてしまったアサギが、責任を持って返さねばならない。どうすれば戻せるのか考えても仕方がないが、過去の自分はやってのけたはずだ。
だから、アサギとトビィは洞窟で出逢った。
「きっと、出来る」
トビィを丁重に運び、連れてきた時と同じように球体の前に立つ。意を決し、念じながら“神にしか起動出来ない球体”に触れる。
クレロと天界人が固唾を飲んで見守る中、球体はおぼろげに発光した。周囲は声にならない感嘆を漏らし、喉を大きく鳴らす。これで、勇者アサギは神でもないのに球体を作動出来ることが認知された。
偶然ではなかった。
「また、後で。トビィお兄様」
アサギは呟き、瞳を閉じているトビィの身体に触れる。過去の正しい場所へ戻るように、願う。
トビィに触れていたアサギの手が、ぽとん、と床に落ちた。
忽然と姿を消したトビィに、その場に居た者達は慌てて球体を食い入るように見つめる。すると彼は、何事もなかったかのように木の根元で眠っていた。
「ふぅ……。どうにか出来ました」
トビィが
トビィがいる場所は、ジェノヴァから離れた森の中。手には、愛剣ブリュンヒルデを握っている。このままジェノヴァを通過してクリストヴァルを目指し、洞窟へ足を踏み入れるだろう。
そして、惑星クレオへ来たばかりのアサギと出逢う。
アサギはクレロに会釈をし、その場を去った。険しい表情の天界人と、何処か誇らしげな様子のクレロに首を傾げながら。
「アサギ!」
地球へ帰ろうとしたところで、呼び止められる。振り返ると、トビィがこちらへ大股で向かってきた。
「……トビィお兄様!」
目の前にいるのは、現在のトビィ。先程まで共に居た過去のトビィと比較すると、何処となく逞しく、肌が日焼けで多少黒い気がした。
「ようやく逢えたな、アサギ。ところで……何があった。泣いただろ」
「……悲しいことが、ありました。けど、もうへっきです」
「それのどこが平気だ。無理して笑うな、余計辛いだろう? ……って、この台詞、以前もアサギに言ったような」
先程と全く同じ言葉をかけられ、アサギは吹き出した。
涙を浮かべ笑っているアサギに頭をかきながら、トビィはそっと髪を撫でる。
「そんなに笑わずとも」
トビィに触れられると、安心する。うっとりとその指を確かめる様にアサギは瞳を閉じ、大人しくしていた。彼氏でも、好きな人でもない、“兄”と呼んでいる男。彼には、恋愛感情ではない特別なものを感じている。
「本当に……優しい、人です」
「言っただろう、アサギには優しいと。ところでこれからどうする?」
「今日はもう、地球に帰ります。近いうちに遊んでください! そうだ、一緒にハイ様のところへ行きませんか? リュウ様も誘って」
「出来れば二人きりが好ましいが……アサギが言うなら共に行こう」
和気藹々と談笑していたが、後方に気配を感じたトビィは皮肉めいて視線を流す。クレロが立っている。二人の会話を何処からか聴いていたのだろう、苦笑しつつも一つ返事で頷いた。
明けきらない朝の青い光と清々しい空気に、アサギは小さく呻く。結局寝付けず、朝方になってしまった。学校を休む事も考えたが、それは甘えだと叱咤し、憂鬱なまま登校する。
「おはよう!」
「アサギちゃん、おはよう!」
この学校に、ミノルがいる。
遭遇するのは怖いが、教室が違っていてよかったと安堵した。泰然自若を装い、どうにか一日を乗り切った。
休憩時間のたびに、トモハルはアサギを心配して遠くから見守った。
当のミノルは、気にした様子もなく普段通り過ごしている。
誰も、この三人に渦巻く微妙な空気に気づけない。
「なぁ、ダイキ」
「ん?」
トモハルは、授業中にダイキにメモ用紙を投げた。
『今週の土曜日、空いてたら遊びに行かない? メンバーはダイキ、ケンイチ、ユキ、アサギ、俺』
メモに眼を落したダイキは、疑問がひらっと舞った。何故ミノルがいないのか気になったが、隣同士の二人だから用事がある事を知っているのだろうと思い込んだ。
ミノルが正直に話してくれたら誘うつもりでいたトモハルだが、どうせまた憂美と遊んでいるに違いないので最初から外した。
『行く。何する? またプールに行きたい』
『屋内だけらしいけど』
『それでもいい、まだ暑いし。夏らしい事、もっとしたい』
トモハルは先生に見つからぬようにダイキをメモの交換をしつつ、不安になった。アサギは、プールに行きたくないだろう。最初から行先を指定すればよかったと、項垂れる。
放課後、他の三人に計画を話すと、案の定アサギ以外は大賛成だった。
「この間、楽しかったもんね」
ケンイチも嬉しそうに言うので、行先を覆すことは出来ない。
「ごめんなさい、私は用事があるから。みんなで楽しんで来てね! 行きたいけど、また別の日に」
申し訳なさそうに瞳を伏せたトモハルに、アサギは笑顔を向ける。その心遣いが嬉しかった。
トモハルは、ユキはアサギが行かないのならば参加しないと思っていたが、ケンイチがいるからなのか率先して待ち合わせ時間を仕切り出した。意外だな、と思った。
「ごめんな、アサギ」
「どうしてトモハルが謝るの? 次に遊ぶ時は、私も参加するね! 秋になったら、フルーツ狩りも楽しそう」
「それいいね」
「でしょ、
辛いだろうに気を利かせてくれるアサギに申し訳ないと思いつつも、感謝したトモハルは頭を下げた。
「辛い事があれば、連絡して」
「うん、ありがとう。今のところ大丈夫だし、ユキに話すから」
「そうだね、それがいい」
ユキ達が談笑している傍で、二人は密談した。
下校中、ユキに家に行ってもよいか確認をとり、一旦帰宅してからアサギは御菓子を持って出掛ける。そうして、何度も遊んだことのある部屋で、全てを話した。
話しながら泣き出したアサギに、ユキも一緒に涙を零す。
「そんな……酷い! 一体どういうことなの? 憂美って、誰!?」
「私は全然知らない子だった。でもね、
「そんなのおかしいよ! きちんと追及するべきだよ、そして謝ってもらおう。私、絶対に許せない! 前からいい加減だと思っていたけど、本当に嫌い! そもそも、アサギちゃんをこんなに苦しめるなんてっ。よくもまぁあの程度の顔で浮気が出来るよねっ、女の敵だよっ」
「ま、待ってユキ。ミノルの顔は結構かっこいいと思うけど……」
「そんな甘いことを言っているから、浮気されるんだよっ! 浮気は、超絶イケメンの特権だよっ」
「え、えぇ……。いくらかっこよくても浮気は」
アサギがたじろぐほどに、ユキが怒り狂っている。その為、なんとなく胸がすっとした。しんみりと、本音を吐露する。
「ミノルにしたら、私が悪いって思ってるよ」
「そんなことないよ、アサギちゃんは何も悪い事してないでしょっ」
懸命に励ましてくれるユキに感謝し、話したことで胸の奥底にこびりついていた鬱憤を吐き出せた気がした。部屋の窓から、垂れ込めた雲の隙間から夕焼けが滲んで見えた。
「ユキ、本当にありがとう」
「ううん、気にしないで。私達、“親友”でしょう? 私の大事なアサギちゃんを傷つけたミノル君は、同じ勇者だとしても関わりたくないな」
手を振って去っていくアサギを姿が見えなくなるまで見送っていたユキは、夜の帳が降り始めた周囲の暗さに紛れ口角を上げる。低く笑いながら家に戻ると、自室で声を抑えて嗤った。
「え、マジ!? ちょっ、めっちゃ面白いっ! フラれたんだ! アサギちゃん、めっちゃ可哀想! あはは! あー、嗤い堪えるの、必死だったっ。もー、やめてよ、不意打ちっ。あははっ!」
先程流したのは、嬉し涙。
土曜日のプールが、俄然面白くなった。なかなか整った顔立ちの男三人と自分という、逆ハーレム状態に興奮を隠せない。想像するだけで、歓喜で震える。
「私には彼氏がいるけどぉ、アサギちゃんは、フラれたんだってっ!」