「好き」の重み
文字数 2,724文字
「んっ」
好き、と言わねばならないのだろうか。
感情は確かにあるのに、恥ずかしくて言う事が出来ない。突き刺さる視線を前に、素直に口にできない。自分の想いを吐露したいのに、脅迫めいている気がして躊躇する。
……私は、貴方に本心を伝えたいのに!
戸惑い口篭っていると、不機嫌そうに眉を顰めたトランシスに再び顎を揺さぶられた。
「嫌いなの? 好きなの?」
このもどかしい想いをどう表現したらよいのか解らず、アサギは弾かれたように叫んだ。
「き、嫌いではないです! た、ただ、その、好き、と言うのに勇気がいりまして」
「いらないだろ、そんなもの。早く好きって言えよ」
しかし、トランシスには伝わらない。呆れたように肩を竦め、射抜くような瞳で見てくる。まるで、身体中が掻き混ぜられるような感覚だ。アサギは、涙目でどうにかならないか訴える。
「あ、ああぁ、え、っと」
半ば強要しているが、それでもアサギは言わない。舌打ちし、トランシスは拘束を解くと立ち上がり背を向ける。面白くなかった、素直に言うことを聞くものだと思っていた。何でも頷かれてはつまらないが、こうも頑なに拒否れると興ざめだ。
厭きられてしまったのかと蒼褪めたアサギは、寄り縋るように腕を夢中で伸ばし衣服を掴む。何故か、そのまま消えてしまう気がした。どうにか震える足で立ち上がる。
「何」
怪訝に振り返ったトランシスは、強く衣服を掴んでいるアサギを見下ろす。そして、何か言っていることに気づいた。耳を傾けなければ、それは聞こえなかった。
「す、好き、好きです……多分、きっと、とても」
か細い声でそう言い続けているアサギの表情は見えないが、耳は血のように赤い。下腹部が熱くなるのを感じたトランシスは、勢いよく身体を反転させるとそのまま強く抱き締めた。潰してしまいそうなほどに、力が篭る。自分の体内に沈めるように、押し付ける。
このまま、欲望の赴くままに貪ってしまいたい。
「可愛いなぁ、アサギ。オレが立ち去ると思った? 大丈夫、消えないから」
他の女だったら、直様衣服を脱がせて身体を重ねるのに。そうしてもよいはずなのに、出来ない。
必死に止めている自分がいる、『
自分を制御する為、アサギを力強く抱き締める。密着している箇所が広ければ広いほど、爆発しそうな感情を抑えこめる気がした。
「あぁ、どうしよう。狂おしいくらいに愛おしくて嬉しいのに、辛い」
うわ言のように呟いて、そのまま立ち尽くす。
苦しさでもがくアサギは、声が出せない。それでも、何故か安心できた。やはり、この強引な温もりを知っている気がする。
「アサギ」
冷静さを幾分か取り戻したトランシスは余裕を見せ、そっとアサギの髪を撫でる。
「ん、ぁ、は、い」
アサギは、肩で大きく息をしながらどうにか返事をした。先程より弱まった力に、ほっと一息つく。
「敬語、止めてくれない?」
トランシスは深呼吸をし、見上げたアサギに無邪気な笑顔を見せる。
「えと、はい。解りました、気をつけます」
「いや、解ってないだろ。既に敬語だよ」
「ご、ごめんなさい、気をつけます」
「いや、だから。……もういい。そのうち、直して。他人行儀な気がして嫌いだ」
「あ、は……うん、がんばり、ま、す。すすす? がんば、るです?」
キィィィ、カトン……。
二人は同時に息を飲んだ。今の会話を、以前もした気がした。
そんなわけがない。だが、記憶の片隅に残っていたものが甦る。
二人して引きつった笑みを浮かべる。しかし、互いに口に出さず、ぎこちなく身体を寄せ合う。
こうしていたら、落ち着いた。
「それで、アサギ。何処から来たのかは気にしないけど、今からどうする? オレと一緒に暮らそうか。そのほうが互いの事を
「い、一緒に暮らすのですか!?」
突拍子もないことを言われ、アサギは再び真っ赤になると腕の中で暴れた。
吹き出したトランシスは、意地悪く耳元で囁いた。
「何を想像したの? 一緒に暮らすことは、そんなにびっくりすること?」
「あ、あの、だって、その、恋人なのに、新婚さんみたいで、その!」
「新婚?」
頬に手を添えて興奮気味に語るアサギに、若干トランシスは肩を落とした。そういう意味ではない、四六時中抱き合えると言いたかったのだが、違う意味で捉えたらしい。
だが、可愛かったので許す。
「新婚かぁ、イイね。そのうち
キィィィ、カトン、トン。
「え、えええええ!? は、はぁうっ! け、けっ」
その言葉により、アサギの思考回路は完全に停止した。顔から火が出る勢いで真っ赤になり、恥ずかしすぎてトランシスのその胸元に顔を埋める。
その行為が、トランシスに火をつけた。
「……ホント可愛いなぁ。どこまでもオレ好みだ」
耳元でそう囁くと、アサギは縮こまってますます密着してくる。面白くて何度も息を吹きかけると、そのたびに華奢な身体が跳ね上がる。
「感度、良好。……少しだけ、少しだけなら」
表情が見えないのが残念だが、髪をかき上げると細く白い綺麗なうなじが露になる。吸い寄せられるようにそこに指を這わせると、小さく悲鳴を上げてアサギが仰け反る。
顔が、見えた。
紅潮した頬と、半開きの唇、きつく瞑った瞳の端には微かに光る涙。
背筋がざわめく、鳥肌が立つ。なんと艶めいた表情だろうか、そのままトランシスは再び唇を重ねた。啄ばむように繰り返すと、アサギは絶頂を迎えたかのように全身を硬直させて飛び跳ねる。
「ん、ひゃあぁ、やぁっ」
「あぁ、解った解った。そんなに可愛い声と表情で誘って、どうされたいわけ?」
荒い呼吸でアサギの首筋に噛み付いたトランシスは、そのまま強く吸いついた。時折歯を柔肌に立て、何度も吸う。
「やっぱり、めっちゃ美味い」
ゆっくりと糸引くその箇所を見つめると、紅い痣になっている。舌で唇を拭うと、トランシスは耳元で愉快そうに囁く。
「オレの証、つけといたから。それで、これからアサギはどうしたい? 自分で決めて、無理強いはしたくないから」
決める権利を与えたようで、実は違う。選択の余地はないと、脅している声だった。
熱に浮かされたような瞳で、アサギはこう呟く。
「まだ、一緒に。一緒にいたい、です」
「そうか。オレも同じこと思ってた」
嬉しそうにトランシスが告げた腕の中で、アサギは安堵したような溜息を漏らす。
二人の遥か上空を、“神”の偵察機が音も立てずに通過していった。