魔界で授業

文字数 4,610文字

 朝の青々とした新鮮な空気を肺に吸いこんだアサギは、意を決した。

「あの、ハイ様。お願いがあります」
「何でも言うとよい、そなたの望みは全て叶えよう」

 目に入れても痛くない程可愛がっているハイにとって、アサギの願いを叶えるということは造作もない。欲しい物は、幾らでも与えるつもりだった。
 だが、真面目なアサギが物を要求するわけがない。望めば宝石も洋服も用意してもらえるが、そんなものは必要なかった。

「魔法と剣を教えてください。みんなと一緒に居た時は、勉強していました」
「成程、熱心だ。しかし、アサギは危ない事をしなくてよろしい。ただ笑っていればよいのだよ」
「ぇ?」

 ハイの即答に、アサギは呆気にとられた。にこにこと笑みを浮かべているハイに眉を顰め、唇を尖らせる。

「私、勇者です。笑っているだけでよい、だなんて。そんなの、おかしいです」

 多少の怒気を含め、反論した。そもそも、先程『何でも言うとよい、そなたの望みは全て叶えよう』と言われた。嘘になってしまう。

「うーむ。しかし、剣は危ないから駄目だ。防御と回復の魔法ならば伝授しよう、他ならぬアサギの頼みだからな」
「……とりあえず、一旦はそれでお願いします」

 限りない不満を覚えたものの、アサギは渋々了承した。このまま反発しても、平行線を辿りそうだと察した。何も習えないより、マシである。

「剣、習いたいな……。魔法も大事だけど、私は」

 呟いたアサギだが、ハイの耳には届かなかった。

「剣は、危ないものじゃない。大事な人を護る為に必要な物……」

 アサギは、ぎゅっと拳を握り締める。
 早速、城内の庭で指導が始まった。ホーチミンも立ち合ってくれた為、城にあった魔導書が提供された。クリストヴァルで授かった物の比ではなく、贅沢この上ない授業となる。
 勇者は、魔王と魔族の魔導士を師として励む。

「まずは、アサギの属性から調べていこう。誰にでも得手不得手がある」

 珍しく真髄な面持ちのハイに、アサギも俄然やる気が湧いた。甘やかされたらどうしようかと思っていたが、杞憂だった。
 ホーチミンは、紅茶に茶菓子を用意して優雅に傍観している。立ち合ってはいるものの、直接指導するのはハイだ。

「お手並み拝見ね」

 腹の底から笑いの漣がこみ上げてくる感覚に、唇の端が上がる。ハイの能力を知るまたとない機会だと、ホーチミンは瞳を細めて見やる。
 噂を聞きつけ、アレクとスリザもやって来た。
 魔王が攫ってきた勇者の力量を、まだ誰も知らない。非常に興味深く、緊張した面持ちで見つめる。
 露台から顔を出して、ひっそりとリュウも観覧していた。

「使用可能な魔法を、全て解き放ってもらおうか」
「……解りました!」

 勤勉が好きだったアサギにとって、この時間は非常に有意義なものだった。数日魔法を発動していなかった為微かに不安が過ぎったが、そっと唇を湿らせると両腕を前に突き出す。緊張の為口内が乾いているが、逸る胸を必死に抑えて挑む。

「参ります!」
「うむ」

 ハイが真正面に立った。
 神経を右手に集中させながら、アサギはゆっくりと魔法を繰り出す。子守唄の様に心地良い詠唱を、一言一句間違えることはなかった。

「ふむ、まずは火炎の魔法か」

 ハイは防衛の魔法を身に纏うと、飛んできた火炎の球に両手を突き出し防ぎ、そして掻き消す。巨大な魔法は安易に消去出来ないが、この程度ならば容易い事だ。
 一応、これでも魔王である。
 現時点でアサギが使用可能な魔法は、全て初歩的なものだが火炎、水氷、真空、電雷、爆発、回復……そして。

「闇に打ち勝つ光よ来たれ、慈愛の光を天より降り注ぎ浄化せよっ」

 最も得意な、光の魔法である。それは“邪悪な者”に有効とされていた。極度の集中と連続の魔力消耗で覚束無い足取りながらも、アサギは踏ん張って渾身の魔力をハイに放った。

「ひ、光属性ー!」
「ちょっ」

 詠唱が始まった途端、魔族達は慌てふためいた。
 光属性の魔法を使用出来る魔族は、存在しない。人間の聖職者が扱う魔法であることは、知っていた。しかし、心が邪悪でなくとも、伝わっていない魔法は使用できない。
 最も狼狽したのはハイだ、神官だった頃は扱えたが、闇に身を堕とした今は。

「ま、待てアサギッ! それはまずっ」

 ハイが制止したものの、時すでに遅し。
 アサギは魔界の城の庭で、魔法を発動した。
 カッ!
 眩い膨大な光が周囲を覆い尽くすと、絶叫が響き渡る。

「あ、あれ?」

 右往左往するアサギは、土壇場に追い詰められたかのように瞳を泳がせる。以前、死犬と遭遇した際に使用し、消滅させた光の魔法には、殺傷効果などないと思っていた。
 周囲を見渡せば、皆が顔を押さえて俯いている。
 光は、アサギに無害だ。
 だが、魔族達には激痛を伴う程に眩すぎた。

「あ、あの、ひょっとして使っては駄目でした……か?」
「い、いや、へ、平気、だ」

 血相を変え、アサギはハイに駆け寄った。
 目の焦点が合わず、ハイは低く呻きよろめく。苦し紛れの声には些か震えが混じり、冷や汗が額に浮かぶ。
 誰も負傷こそしなかったが、流石に焦った。めくらまし程度の魔法の筈だが、勇者が放つ光属性の魔法を食らうのは危険だ。
 平然としていたのは、露台に立っていたリュウだけだ。
 リュウは魔族ではない、悪魔でもない。邪悪な、忌み嫌われる存在ではない。アサギと同じ様に光を見つめ、一部始終を眺めていた。

「フンッ」

 項垂れている二人の魔王を、一瞥する。意外な事実が判明した、と微かにリュウは口角を上げた。

「ご、ごめんなさい!」
「い、いや、私が最初に使える魔法を確認しなかったのがいけなかった。気に病むでない」
「そうだ、ハイの言う通り」

 落ち込み俯いたアサギを、ハイとアレクが宥める。

「魔王が勇者に手解きだなんて、信じられない」

 リュウは吐き捨てるように呟き、瞳を細めアサギを睨み付ける。酷く心痛そうな憂いを帯びたその表情が、歪む。露台の手すりを、ギリリと力を込めて握った。

「来て数日だろう? 懐柔されるには早すぎやしないか」

 冷笑って覗き込むと、半泣きのアサギがようやく落ち着いたところだった。

「さて……うむ。力量は大体把握したが、やはり荒削りだ。しかし驚いた、実に多彩な属性を扱っている」
「対極に位置する魔法の習得、出来るものなのね。初めて見た」

 宮廷魔術師であるホーチミンの興味をそそるには、十分だった。先程の光で若干目が眩んだが、辛うじて歩けたようでこちらへ向かってくる。

「勇者だから、かしら? すごいわねぇ」
「これこそ、勇者としての素質なのだろう」

 感嘆の溜息を吐いたホーチミンに、アレクが頷いた。
 意味が解らず、アサギは首を傾げて戸惑う。

「えっと……?」

 ホーチミンは右手を掲げ、左手に持っていた長い杖先に力を込める。すると、先端に火が灯った。

「私は火炎属性が得意よ、相対する水や氷の魔法は使用出来ないの」
「普通、そういうものなのですか……?」
「そうね。少なくとも魔族達の中ではそう、人間は知らないけれど」
「そう、ですか」

 アサギは、虚ろに自身の手を見た。普通に使えたので今まで疑問を抱かなかったが、急に不安を覚えた。
 他の勇者達はどうだったろう、誰か反する魔法を習得していた人物はいなかったか。思い出してみるが、使っていた記憶がない。火炎と雷の魔法を習得していたことは記憶に新しい、つまり、自分以外の誰も、トモハルですら氷の魔法を扱っていなかった。

 ……私。“また”みんなと何か違う! 同じ勇者なのに、違う!

 アサギの中で、何かが音を立てる。瞳に怯えの色を湛え、唇を噛んだ。

「私は火炎属性は、不得手だ。ホーチミンよ、アサギに教えてやってくれ。私は回復と真空が得意でな」
「あら、ハイ様。回復魔法なんて使えたのですね」
「うむ。あとは攻撃補助魔法に暗黒魔法を嗜んでいる」

 流石に暗黒魔法をアサギに伝授するのは気が引けた、勇者が扱う代物ではない。
 苦笑したハイとホーチミンは、顔を見合わせ無言で頷いた。闇の魔法に長けるアサギは、見たくない。先程の様に、光が似合っていると判断した。

「アサギは見たところ全て平均的、飛びぬけている属性がない」

 本格的な指導が始まると、アレクがそっと隣のスリザに告げた。
 しかし、スリザは魔法関連に疎い。片眉を上げ、控え目に告げる。

「申し訳ございません、その件に関して私ではお役に立てず。情けないとは思いますが、魔力に関しては……」
「そなたには、唯一無二の能力があるだろう? 剣技を伝授してくれ、サイゴンも呼ぼうか」
「はっ、畏まりました」

 それならば期待に応えられる、とスリザは胸を撫で下ろし微笑した。
 けれども、地獄耳のハイはその会話を聴き終えると、目くじら立てて金切り声で叫んでいた。

「アレク! アサギに刃物は持たせない! 持たせるなら可愛らしい杖だ、よって剣など必要ないっ」

 一同は唖然とし、ハイを見つめる。
 アレクは絶句し珍しく狼狽したが、反論しようと口を開きかける。だが、般若のような形相で睨まれ勢い余って頷いてしまった。
 頼みの綱が抑え込まれ、アサギは落胆しハイを見上げる。ほとぼりが冷めたら誰かに剣を教えてもらおうと決意し、唇を尖らせた。このままでは、勇者ではなく魔法使いに転職する羽目になりそうだと項垂れる。

 ……勇者は、なんでも使いこなす強い人! でないと、立ち向かえない。

 魔法に特化した勇者でも良いだろうが、武器も使用したい。握り拳に力を籠め、アサギは誓う。

 ……私は、敗けない!

 密かな野望を抱きつつ、アサギはハイとホーチミンから毎日指導を受け、めきめきと能力を開花させていった。最早クリストヴァルで受け取った初歩魔法などお手の物であり、中級から上級者が扱う魔法もほぼ完璧に発動出来る。
 皆は、成長過程が目まぐるしいアサギに感嘆の溜息を零した。
 流石は“勇者”だと、褒め称えた。
 生真面目で実直なアサギは、教えられたことを理解し、努力し、身体に叩き込んだ。

「敵ではなく、心底よかった」

 アレクが穏やかな笑みでアサギを見つめると、隣でスリザが口元を緩め静かに頷く。
 時間が空けば、二人もこうしてアサギを見る為に庭を訪れていた。
 二人に気付いたアサギは、元気良く手を振ってから深くお辞儀をした。
 そんな様子にアレクも片手を上げ、挨拶を交わす。
 眩しそうにスリザはアレクを見つめ、表情豊かになった嬉しさに心を躍らせつつも、一方で戸惑いを覚えていた。
 アサギが来てから、全てが変わった。
 アレクの変貌は大変好ましく、望んでいたことだ。
 だが、いとも容易くアレクの心を突き動かして変えたアサギに、畏怖を抱く。
 しかも、それはアレクだけではない。ハイを筆頭に、突風の様にやってきた新たな風に様々なものが変化した。

「本当に、可愛らしい子」

 スリザは、自分でも驚くほどに意気消沈した暗く重い声を吐き出していた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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