ドラゴンナイトの帰還
文字数 7,130文字
「ドコまで? 奴は奴、私は私。何も進んでいない、変わっていない」
「あらやだ、てっきり身体の関係があるのだとばかり」
「あるわけないだろう」
スリザは不愉快そうにムッとして顔を上げると、唇を尖らせているホーチミンを睨み付けた。
「つまんなーい、せっかくこうしてスリザとニ人でお茶してるのに! 折角の休日が台無しよ、絶対愉しい事が聴けると思ったのになー」
「フン、私達は精神的恋愛中。結婚するまで、手を出さないそうだ。フフ、紳士的だろう?」
不貞腐れそっぽを向いたホーチミンに余裕の笑みを向けると、スリザは表情を緩め珈琲を口にした。そして、頬を若干赤らめる。
「……は?」
ホーチミンが怪訝な瞳を向けるが、お構いなしでスリザは続けた。
「見た目は軽薄に見えるが、意外と芯が通っていて真面目でな。父上に認めてもらう為、作法を習いに行くそうだ、フフ……」
「え、何? 何故突然惚気が始まったの? っていうか、結婚する予定なの?」
届けられた料理に手をつけるのを忘れるくらいには、衝撃だった。うっすらと頬を染め、瞳を伏せながら語るスリザに薄ら寒さを感じる。ホーチミンは、言葉を詰まらせた。
「え、待って、待って? いや、あの、いくらなんでも豹変し過ぎじゃない? スリザ、大丈夫? もしかして、薬の効力が残ってるの? 頭がお花畑よ?」
「腕が、逞しくて。私をがっしりと支えてくれる二の腕の線が、大変好みでな。色香を感じる、フフ」
「……うわぁ、微妙にイラッとくる」
眉を顰め「まぁ、幸せそうでよかった」と零し、目の前の爽やかな果実を口に入れた。酸っぱさと瑞々しい美味さが口内に広がり、心が癒される。
黙々と一人食べ続けるホーチミンと、口内が乾いては珈琲を飲み、延々と話し続けるスリザ。
「また香りが……男らしい。こう……男気を感じる。しかし、太陽の光の様に温かくて」
「えっ、この惚気、何時まで続くわけ? あ、すいませーん、追加注文お願いしまーす! 本日のおすすめ魚料理一つ」
ホーチミンは、つらつらと流れ出るスリザの言葉をほぼ聞かずに料理を食べ続けた。これでは何をしに来たのか解らない。結局一人で食べ終え、「ごちそうさまでした」としかめっ面で呟いた。
しかし、ホーチミンの腹が満腹を訴えてもまだ話し足りないスリザは、身体を小刻みに揺すっている。
そこまで付き合っていられない。ホーチミンは限界だ。
「また今度ね。……陽がかなり傾いてるけど、アサギちゃんに逢ってくる」
スリザにここまで束縛されるとは予想外だった。
「そうか、ならば私も行こう。アサギ様はサイゴンと剣の鍛錬をしているとか?」
「えぇ、そうよ。差し入れを持って行くの」
人参をたっぷり使用した焼き菓子と、紅茶を購入した。
「ふむ、私も何か軽くいただこう。腹が減った」
「それは、スリザが話してばかりで、何も口にしなかったからよ」
スリザは、げんなりとしたホーチミンを不思議そうに見つめ、炙り肉が挟んであるパンを二つ購入した。
「二個も食べるの? 味を変えればよかったのに」
「肉の気分だったから」
中庭を目指した二人は、アサギを見つけると片手を上げた。そこにはアサギにサイゴン、ハイだけではなく、アレクとアイセルもいて、見守っている。
「あらやだ困ったわね。足りるかしら……」
不安そうに呟いたホーチミンを、スリザはちらりと盗み見た。
「はぁい、アサギちゃん! 頑張ってる?」
「ホーチミン様、スリザ様、こんにちは! とっても愉しいです」
アサギは汗を拭いながら笑顔を向け、手を大きく振った。身体を動かすことが好きなので、苦ではないらしい。
「筋がよいので、教え甲斐があります。さぁ、アサギ様、もう一度」
サイゴンの顔も生き生きとしている、ホーチミンは彼の楽しそうな姿を見て顔を綻ばせた。数年前、トビィを教えていた時も同じ様な表情だった。
「アレク様、宜しければこちらを。差し入れですわ」
「有難う、二人共。アサギ、サイゴン! 休憩にしよう」
アレクが声をかけると、ニ人は動きを止めた。皆で円をつくり、座り込んで食べ始める。
スリザは無言でアイセルにパンの片方を差し出した。最初から、こうするつもりで購入したのだ。
「わーい、スリザちゃんとお揃いだー」
「たわけ、冷めないうちに早く食べろ」
言葉は悪いが、スリザは頬を染め嬉しそうに微笑んでいる。実に解りやすい。
「……アイセルがいるって知ってたの?」
「さぁ、どうだろう」
小声で訊ねるホーチミンに、スリザは口元をほころばせた。
アサギらが、和気藹々としていた頃。
魔界イヴァン北側の灯台で、どよめきが起こった。こちらに向かって飛んでくる二体の竜に気づき、次いで海面から顔を出した竜の存在を確認した。竜は三体とも違う種類であり、うち一体の竜の背に誰かが乗っている。
「ドラゴンナイトか……誰だ?」
「今遠征している奴なんて、いたか? 報告しよう」
灯台は慌ただしくなり、滅多に使わない伝令を飛ばす。
『ドラゴンナイトを確認』
司令塔では、灯台から届いた伝令に首を傾げた。
魔界に存在するドラゴンナイト達の状況は、管理されている。行動力と攻撃力が高いので、有事の際に直様出動させる為だ。管理簿が間違っていなければ、全員魔界に揃っている。
だが、忘れられた存在があった。
そのドラゴンナイトは魔界育ちだが、魔族ではない。人間ゆえ特例が適用され、どの部署にも属さない。
『黒竜と、風竜、そして水竜の三体。騎手は一人』
この伝令で、その場にいた全員が同時に名を呼んだ。
美しい外見と溜息が出る剣技、恐ろしく度胸があって、怖いもの知らずの飛びぬけた人間。抱いかれた女は皆虜となり、彼が歩くだけで魔族の女達は黄色い声を一斉に上げていた。
「トビィ! トビィが戻ってきた!」
司令塔から羽根を持った魔族が、魔王アレクに報告する為転がるように飛び出した。執務室へ向かうが、彼は現在アサギと共に中庭にいるので無駄足となる。
トビィは海面スレスレを飛行するクレシダの背の上から、水中から顔を出したオフィーリアに声をかける。
「オフィ、あの海岸で待て。……護衛にデズをつけようか?」
「やだなぁ、主。僕は大丈夫だよ、一人でも戦える」
「……そうか。しかし無理をするな、何かあれば全力で逃げろ」
「はいはい、大丈夫大丈夫。過保護だなぁ」
面倒そうなオフィ―リアの言葉に軽く笑い、クレシダとトビィは上昇する。真顔に戻ると、鬨の声をあげるように力強く告げる。
「クレシダ、デズ。行くぞ」
「御意に」
「畏まりました」
ニ体の竜は速度を上げ、真正面に見える城目掛けて突撃する。
「アサギは美しい黒髪で、大変愛らしい女の子だ。見つけ次第、そこへ」
剣を引き抜いたトビィが、押し殺した声でそう告げる。
デズデモーナは頷いたが、若干緊張感に欠ける声でクレシダが訊ねた。
「私達竜に、人間基準の愛らしさとやらが解りませんゆえ……」
「飛びぬけた美しさだから、絶対に解る。オレが保証する」
「左様でございますか……」
困惑したクレシダはそう告げ、デズデモーナが苦笑する。主であるトビィのことは一目置いているし、他の人間と比較すると相当整っているように思える。けれども、そもそも人間の雄雌の区別が竜達には出来ない。ニ体の竜は、不安を抱かずにはいられない。
「黒髪……愛らしい……」
「迷うなクレシダ。単純に考えろ、魔族ではなくて、人間を探せ」
「おぉ、成程……」
デズデモーナの助言に納得したクレシダは、ようやく瞳を光らせる。
二体の竜は、アレクの居城を周回した。城内にいたら流石に見つける事など出来ないが、今は目を凝らすしかない。
トビィも懸命にアサギを捜す。派手に動きまわると攻撃されそうだが、魔王が出て来たほうが好都合だとも思っていた。瞳を細めると、城の中庭に影が見える。
遠すぎて、見えない。だが、目視出来ずとも、トビィはアサギを感じ取った。
「見つけた、あそこだ! アサギだ!」
「流石主、良い視力をお持ちで」
淡々と告げるクレシダは、急かされて速度を上げた。続いてデズデモーナが咆哮し、寄り添いながら加速する。
トビィがやって来たことなど知る由もないアサギ達は、休憩後鍛錬を再開していた。
「あれ……?」
最初に、サイゴンが気付いた。上空から、怒涛の勢いで“何か”が突進してきたことに。アレクも気付き、瞳を細める。
魔王リュウも、近づいて来た気配に室内を飛び出していた。自分と似たような竜族の波動を感じたので、故郷の同胞と錯覚した。
「トビィ! 戻ったのか」
サイゴンは嬉々として、迷うことなくこちらへ向かってきたトビィに手を振る。
弾かれたように、アサギも上空を見上げた。竜は見えたが、トビィの姿は確認出来ない。
「あの、……ハイ様? どうやってアサギちゃんをここへ連れてきました?」
異様な雰囲気を察したホーチミンは、反射的に杖を構え隣にいたハイに声をかける。
ハイは当惑し、言葉を返した。
「どうやって? 『アサギは貰っていく』と告げたが」
「あの……許可、貰いました? もしかして、アサギちゃんを拉致したことになってます?」
「拉致だと、人聞きの悪い。失礼な、私は礼儀正しく告げてきたぞ」
「だったら、何故敵意むき出しのトビィちゃんが向かってくるんですかーっ!」
トビィから放たれる殺意が尋常ではない、ホーチミンの脚が震え出す。
「アサギ! 無事か! 遅くなった、今助ける!」
「トビィお兄様っ、と、止まってください、ちょっと、止まってっ」
トビィの怒号に、アサギが狼狽する。先日、ハイが信頼している部下のテンザに、仲間宛の手紙を届けるよう依頼したが、届いていないのだろう。つまり、勘違いをしている。
「トビィお兄様、あの、私は無事ですから、剣を仕舞ってーっ!」
アサギは絶叫するが、トビィの剣は鋭利な光を放ったままだ。
「アレク様、お下がりください! トビィが誤解をしておりまして」
「あの様子だと、そうだろうな。単身でアサギを救いに来たのだろう、流石というべきか。敵に回すと彼は厄介だな」
のんびりと告げたアレクの周囲に、スリザらが集う。
「御自分がまいた種です、御身は御自身で御守くださいっ」
「随分だな」
叫んだホーチミンに、瞳の座ったハイがぼそっ、と返答した。
「デズ、オレがアサギを救出するまで時間を稼げ」
「畏まりました、お任せを」
デズデモーナの瞳が、火炎のように光る。咆哮すると、空気が震えた。その風圧でアサギが倒れそうになったため、慌てたハイが支える。
トビィの瞳には、それが連れて行かせまいと束縛したように映った。こめかみを引き攣らせ、唇を噛締める。
「幼女趣味の変態魔王め……」
呟きをクレシダは聞き取ったが、突っ込む余裕はなかった。
「トビィお兄様ー! 話を聴いてください、誤解してますーっ」
「そう、そうだ、トビィ! 落ち着いて話を」
「トビィちゃん、貴方が激怒しているのは理解したわ! 当然よね、ハイ様が悪いわよね! でも、冷静になって、お願いよーっ」
アサギにサイゴン、ホーチミンが代わる代わる叫ぶがトビィの耳には入らず。
デズデモーナは指示通り、ハイ目掛けて突進する。
「チィッ、でかい竜だな」
防護壁を張っても防ぐことが出来ない可能性を瞬時に悟ったハイは、アサギを抱えて地面を転がった。デズデモーナの鋭い爪は、間一髪で地面を抉る。
「デズ! それはやめろ、アサギが危ないだろう! 傷をつけたら許さん」
「ぎょ、御意」
デズデモーナは流石に困惑した。一応頷いたが、ハイが傍らにいる以上攻撃が出来ない。
「魔王ハイ、何処までも卑怯な! アサギを人質にするとは、見下げた奴」
瞳に獣のような怒りを宿し、トビィはクレシダの背から飛び降りた。そして、地面に転がったままのハイを狙い駆け出す。
慌ててアサギを起こし立ち上がったハイは、口に入った砂を吐き出すと両手を前に突き出した。
軽い眩暈で低く呻きながら立ち上がったアサギは、顔面蒼白で状況を瞳に入れた。戦わせてはならない、無意味だ。地面に転がっていた剣を辛うじて拾い上げ、向かってくるトビィに剣を構える。
「アサギっ! 操られているのか!?」
「ち、違いますってばっ。トビィお兄様、話を聴いてください。と、とりあえず剣を収めてくださいーっ」
アサギに剣を向けられたことが余程堪えたのだろう、トビィが一瞬、無防備になる。その隙に、サイゴンが駆け出した。地面に押さえ込み、話を聴いてもらうつもりだった。
けれど、デズデモーナとクレシダがそうはさせない。主に危害を加えるならばと、サイゴンに爪を突き立てる。流石にニ体の竜が相手では、交わすことが精一杯だ。
「相変わらず、強固な信頼関係だなっ。っ、クソッ!」
応戦しているサイゴンに耐えかね、ホーチミンが飛び出した。補助魔法の効果で、若干サイゴンの速度が上がる。この魔法は身体に相当な負担がかかるので、極力詠唱をしない。魔法の効力が切れると、疲労感が半端ない。屈強なものでも、二日ほど寝込んでしまう。しかし、竜に身体を刻まれるよりマシだ。
「トビィお兄様、この通り私は無事です! 魔族の皆さんに、剣と魔法を教わってます。正気ですからっ」
アサギは剣を鞘に仕舞いこむと、大きく両手を広げた。その瞳は以前の様に美しくも切実で、若干潤んでいる。
「……その表情は苦手だ、解った」
これでは反論できない、非難されているように見えて折れた。トビィは軽く溜息を吐くと、剣を仕舞いはしなかったが、攻撃を繰り返しているデズデモーナとクレシダをこちらに呼び寄せた。完全に信用したわけではないが、とりあえず話は聞くつもりらしい。
サイゴンが「助かった」と苦笑し、駆けつけたホーチミンに支えられトビィに近寄る。
「アサギ……怪我は無いか?」
「ここへ来てから、一度も怪我をしていません、とにかく元気です、健康そのものです。優遇していただいて、自分がホントに勇者なのか迷うくらい、謎な生活をしていました」
「安心した。……アサギが無事でよかった、遅くなってすまない」
アサギの頬に手を添え軽く抱き寄せたトビィは、ようやく肩の荷を下ろした。
アサギは手短に状況をトビィに語った。居心地のよい部屋を与えられ、色とりどりの衣装に美味しい食事、選りすぐりの教師達と鍛錬に励みつつも、息抜きに買い物をしたことを。
そして、魔王アレクから人間との共存を打ち明けられた事。その為に、動き始めた事を。
「皆が心配していると思って、ハイ様が信頼しているテンザ様というお方に、お手紙を渡したのです。それが届いて、勇者の誰かが読めば意味が解ると思って」
地球の文字は当然アサギ達勇者にしか解らない、他の者が見ても意味不明な文字の羅列。だが、肝心のその手紙は届けられる前に消された。
「オレは早々に離脱したからな……。届いているかもしれないが」
自分が先程倒してきた男が悪魔テンザだと、トビィは知らなかった。アサギもテンザについて、容姿を話さなかったので仕方がない。
「それにしてもトビィ、元気そうで何より。また腕を上げたようで」
「サイゴン、ホーチミン、久し振りだな。アサギに危害を加えるような奴らじゃないと知ってはいるものの、……こちらとしても、な?」
近づいてきた馴染みの二人に、トビィはうっすらと笑みを浮かべる。
誤解が解けたので、皆はようやく胸を撫で下ろした。
「心強い者が戻られましたね、アレク様」
「あぁ、そうだな。風は上々だ」
アレクはやんわりと微笑み、眩しそうにトビィを見つめ空を仰ぐ。怖いくらいに、良い人材が揃っていく。多くの魔族から信頼を得ている人間のドラゴンナイトが、勇者アサギと親密な関係にあったとは。
トビィは、デズデモーナにオフィーリアの傍にいる様に伝えた。万が一の時、護れるように配慮した。『子供扱いしないでよ!』と怒られるかもしれないが、ジュリエッタの件がある為どうしても不安になる。事が起きてからでは、遅いのだ。
クレシダは、トビィに付き添うことにした。中庭に滞在する許可を得た為、早速丸まって眠りに就く。飛び続けた挙句魔王に挑んだ為、疲労が蓄積されていた。
周囲を気にせず瞬時に熟睡を始めた姿を見て居心地の悪さを感じたデズデモーナは、逃げる様にオフィ―リアが滞在する海岸へ向かった。
「どうしてアイツはいつもすぐに寝るんだ……。もう少し竜としての威厳を」
同じ竜と括られることを、恥じた。
竜がニ体突っ込んで来た為、何事かと野次馬が群がる。さらに、あちらこちらで黄色い声が上がり始めた。駆け付けた女達がトビィの姿を見つけ、騒ぎ出した。その場は、最早蜂の巣を突いた状態。
「トビィお兄様、もの凄い人気ですね……」
「大したことじゃない」
瞳を大きく瞬き、アサギは感嘆の溜息を漏らす。魔族の美女らが勢ぞろいしているようだ、煌びやかでこちらがドキドキしてしまう。
さらりと言い放ったトビィに、サイゴンは目くじらを立てて唇を尖らせた。
「これだけ異性の声援を集めておいて、何を言うか!」
「トビィちゃんが何も変わってなくて安心してるわよ、私は」
ホーチミンは羨望の眼差しでトビィを見つめるサイゴンの脚を、思いっきり踏みつける。
「ところで、オレには“色々と”訊く権利があるだろう?」
アサギを奪われ地面に突っ伏しているハイの存在を無視したトビィは、アレクに向き直った。話が通じる相手だと判断し、挑戦的に視線を投げる。
「歓迎しよう、マドリードが育てた人間の生き残りよ」
「……その件に関して、是非とも詳細を聞きたい」