彼氏? 幼馴染? 友達?
文字数 4,491文字
軽く唇を舌で濡らし、アサギは苦笑する。
「とりあえず最後まで聞いてくれるかな。笑ってもいいし、信じなくてもいいから」
「聴くよ、お前が嘘ついたことなんて今までなかっただろ。そもそも、友達だし」
心外だとばかりにムスッとして言い放った亮に、アサギは申し訳ないと頭を下げた。
そうだった。出逢ったのが二年前とはいえ、互いに信頼している友達だ。共にいた時間は短いが、本心を曝け出せる相手だとアサギは思っている。それこそ、ユキと同等に。亮も同じ思いを抱いていたのならば、失礼な事を言ってしまった。
アサギにとって同性の親友はユキであり、異性の親友は亮。
「あのね、勇者になってたの。そこは……」
アサギは身振り手振りで説明していたが、埒が明かないとノートを取り出し絵を描いて説明する。
把握しようと亮も必死になり、しかめっ面でノートを食い入る様に見つめる。
「えーっと、つまり。やっぱり……いなかったよな。お前ら」
亮は、全てではないがアサギ達が不在だったことを憶えていた。
アサギは感嘆の溜息を吐く。亮には神の能力が完全に及ばなかったらしい。
「凄いね、みーちゃん。もしかして、学校のみんなは覚えているのかな? 目の前に現れた魔物とか、私達が消えた事を見ているし。神様も不十分だったのかも」
異界へ召喚されたメンバーの名前を見ながら、亮が低く唸る。徐々に、おぼろげだった記憶が甦ってきた。行くのを渋っていたミノルの代わりに、自分が勇者になりたいとあの時確かに願っていた。
「……勇者ってさ、どういう基準で選ばれたんだろ。素質?」
再び、当時の疑問を口にする。
アサギは首を横に振った。
「わかんない。みんな、それぞれ勇者の武器を持ってたよ。置いてきたけど」
「まぁ、今手元にあっても困るよなー。見てみたいけど」
真剣に聴いてくれる亮が嬉しくて、自然と笑みを溢したアサギは死んでしまった魔族の事を口にした。今まで、誰にも本音を話せなかった。堰を切ったように言葉が溢れ出す。
「みんな、凄く優しくて楽しい方達だったの。でも、護る事が出来なかった……」
思い出して大粒の涙を溢し突然泣き出したアサギに一瞬狼狽した亮は、口籠りながらも励まそうとその震えている背を撫でる。不器用ながら、彼に出来る精一杯の事だった。
「泣くなよ、仕方がないだろ。漫画だって、ゲームだって、勇者は登場人物全員を救ってないじゃないか、誰かは絶対死ぬ。幾ら勇者だって、完璧には無理だよ。寧ろ、お前が生きていてくれてよかったよ、ホント」
言葉で救えるとは思えないが、今の亮にはこんなことしか伝えられない。知らず震え出した自分の身体に唇を噛み締め、アサギが泣き止むまでずっと背中を、頭を、撫でていた。
「でも、トビィに逢えてよかった。あの人がいれば、何も心配いらないから」
キィィィ、カトン……トン。
部屋に、不可解な音が響く。
反射的にアサギを引き寄せ抱き締めていた亮は、左手を前に突き出して唇を開いた。何か言葉を発しようとしたが、解らなくなった。ただ、驚いて見上げているアサギの視線に気がつき、顔を赤らめると突き飛ばすようにして手を放す。心臓が跳ね上がる、他人の体温がそこにある気がして戸惑った。
「ご、ごめん」
身体が勝手に動いた。何故抱きしめてしまったのか混乱した亮だが、上手い言い訳は出来なかった。不思議そうに首を傾げているアサギに、慌てて話を促す。
「で、で!? どうやって魔王を倒したの、悪い奴はミラボーなんだろ?」
「ミラボー様が悪いけど、ホントは悪くないんだよ。そこ、誤解しちゃ駄目。アレク様はお亡くなりになられたから、魔王のリュウ様一同に、魔王ハイ様、それから仲間達で倒したよ。みんなで一丸となって、こう、どかーん! って倒したの」
大きく身振り手振りするアサギに、亮は吹き出した。
「人数が多いから、一斉に攻撃出来るよな。あれだ、シュミレーションRPGみたいな感じだろうな。で、トドメは、誰が?」
自分が知っているゲームに重ね話を聞いたほうが解りやすいと判断した亮は、なんとなく理解する。ボスを撃破したのは強いメインキャラだろうと、ある人物を描きながら質問した。
小首傾げて、アサギはこう答えた。
「トドメ? トビィお兄様じゃないかな、多分。ちょっと……よく覚えていないけど、一番強いのはトビィお兄様だと思うから。ハイ様や、リュウ様も強いけど」
「そっかー、やっぱ、トビィかー! 当たった! ゲームとか漫画でいうと、主人公を護る、美形のチート気味なキャラっぽいもんな」
「うん、そうだね」
ノートに描いたアサギのらくがきを見ながら、亮は神妙に頷く。
アサギは小さく、微笑んだ。
話を把握したので、亮は再度不貞腐れる。苦労もあったのだろうが、楽しそうだった。何より、勇者になって共に行っていたら、アサギと離れることはなかった。やはり、自分も行きたかった。
「どうして僕は居残りだったんだろ」
「みーちゃんにも見せたかったな、あの綺麗な世界」
「もう、行けないのかなぁ?」
「異界から召喚された勇者が、世界に平和をもたらしたら……その後はもう」
「用済み、かな」
寂しそうに俯いたアサギの肩を、亮が軽く叩く。再び瞳を潤ませて泣きそうだったので、綺麗な髪をくしゃくしゃと両手で掻き混ぜた。
二人は、顔を見合わせ爆笑した。気が緩む。
自然と、言葉が漏れた。出迎えの温かい言葉を、今、改めて。
「おかえり、アサギ」
「ただいま、みーちゃん。……リョウ」
一階で、アサギの母が二人を呼んでいる。
夕飯が出来たらしい、二人は手を繋いで階段を下りた。
灼熱の太陽が地面をも焦がす勢いの、真夏日。
勇者だった六人は、胸を弾ませて集合した。水着や、膨らます前の浮き輪が詰め込まれた鞄を胸に抱え、蝉の大合唱を聞きながら和気藹々とバスを待つ。厳しい日差しでうだりながら、持参したお茶を飲み干し「あっちー」を連呼しつつも、これからの期待に胸を膨らませているので、顔は笑っている。
ようやく来たバスは、思いの他空いていた。一番後ろの席を陣取ると、満足して笑い合う。目的地まで、他愛のない話をする。
「俺達のこと、誰も世界を救った勇者だなんて思わないだろうなー」
「思うわけがない」
小声で話しながら、周囲を窺う。秘密を共有している六人は、その事実だけで幾らでも愉快になれた。
子供らは、秘密の共有が大好きだ。
数日前の話だが、何年も前のような錯覚を起こしていた。手に入れたものは、友情。そして、かけがえのない絆。
「いやー、魔法が使えた時は嬉しかったよね」
こんな話をしていても、周囲は気にも留めない。ゲームの話だろうと皆思うだろう、もしくは単に聞いていないかもしれない。その為、六人は悠々と思い出に浸っていた。
ふと、ダイキが顔を顰める。
「でも、いいのか? 謎が残ったままだけど。……破壊の姫君って、どうなった?」
「それ、気になってた。事態が悪化して、また召喚されたりして」
ケンイチが何気なくそう言った言葉に、皆が口を閉ざす。不気味なほどに、シンと静まり返る。
「……まぁ、また呼ばれたとしても、武器は最初からあるだろうし。今なら簡単に魔法も使えるし、直様駆けつけて、ちょちょいのちょいとやってやるよ」
「調子がいいなぁ、ミノル。行く前はあんなに嫌がってたのに」
「うるせー」
アサギはおどけるミノルを見つめ、軽く微笑んだ。視線に気づき、照れくさそうに鼻の頭を指でかくその仕草が、可愛いと思った。そうしてまた、穏やかに微笑む。
不意に、外へと視線を移す。今は、街路樹の中を走っている。
人間が、環境保護の為整備した道路の左右に植えた木々。何処か寂しそうに見え、眉を顰める。異界の木々は、このように陳列されていなかった。
「……こうしてみると、地球は自然がやっぱり少ないね。多くは手を加えてあるから、“自然”と言っていいのか迷っちゃう」
小さく、そう漏らした。
――アサギ様、アサギ様。そこまで解っているのならば、何故。
キィン、と耳の奥で金属音が鳴り響く。
瞬間、アサギは小さく悲鳴を上げ、隣のユキに倒れ込んだ。
ミノルとトモハルが、慌てて席を立つ。口元を押さえ顔面蒼白のアサギを、背中を擦ってミノルは励ました。
「っ、ひ、ぁ!」
ひきつけを起こしたようにガタガタと震えるアサギの手をユキが握り、名を呼び続ける。
前の席から、「酔ったのかい?」と大人が心配して声をかけてきた。
そうではない。
アサギの脳の中で、何かが蠢く。頭痛が止まらない、耳鳴りが止まない。吐き気がして、胃の中のものと一緒に、内臓もぶちまけてしまいたいくらいに苦しい。
「アサギ!? 何やってんだよ!」
聞き覚えのある声に、皆が一斉に顔を上げた。そこには、アサギの幼馴染の亮が立っている。ミノルとトモハルを押し退けアサギに近寄ると、躊躇せず抱き締めた。
その行動に、唖然と大口を開いたミノルは、遅れて怒りを露わにする。単に、嫉妬している。
しかしリョウは気にせず、静かに瞳を閉じると囁いた。
「大丈夫だよ、アサギ。ここにいるから。必ず、護るから」
ミノルがカッとなって身を乗り出したが、慌ててトモハルが止める。変な嫉妬はやめろ、と目で訴えられるが、釈然としない。これでは、どちらが彼氏なのか解らない。寄り添う二人は、割り込めない程親密な仲に見えた。ミノルの胸が、チリチリと焦げる。
……なんだよ、アサギの彼氏は俺だろっ。
リョウがアサギの幼馴染ということは、ミノルも承知している。親しい間柄なのも、以前から有名だから解っていた。だが、今は立場が変わっている。勇者という強固な絆で結ばれた恋人の輪を斬ろうとするなど、愚者の極み。嫉妬心が噴煙のように吹き出る。
アサギは、胸を押さえながらゆっくりと顔を上げた。ひどく苦しそうだった、けれども無理に微笑む。
「ご、ごめんね。もう、へっきだから」
「……無理、するなよ」
アサギの頭を撫でるリョウを、ミノルが憎々し気に見つめた。
三人に漂う不穏な空気に、トモハルが戸惑う。傍から見て、ミノルが嫉妬するのも当然だと思った。それ程までに、二人は濃厚な雰囲気を醸し出している。
……大丈夫かな。これだと、冷静ではいられないよな。
起伏の激しいミノルが、今後問題を起こさないか心配になった。彼女に親しい男の友達がいたら、誰でも不安になるだろう。妙な胸騒ぎがして、トモハルは額を抑える。
「気を付けて。僕は、次の駅だから」
「うん、ありがとう。気を付けてね」
リョウは、降りていった友達を見送った。
最後までアサギを見つめていたその視線に気づいたミノルが、歯軋りする。幼馴染で友達だと知っているが、どうしても受け入れられない。悔しくて、堪らない。
――目障りだよね、彼氏はこちらなのに。おかしいよなぁ、おかしいよねぇ。案外、二股かけられてない?
ユキに手を引かれて歩くアサギを後方で見つめながら、ミノルは誰かにそう囁かれた気がした。
振り返るが、誰もいない。