間違えられたマビル
文字数 3,663文字
平日はアサギたちが夕方以降にしか手が空かない。その為、一人でイヴァンに出向き指示を出している。アリナの協力も得て、どうにか城の建設に携わってくれる人間を何人かかき集めた。給料を倍額にし、三食寝床つきで募集をかけたらしい。
その費用は、手先が器用な魔族らが作った物品を販売し、まかなっている。
人間界に魔界産の調度品や装飾品の流通は
実際、アリナも品定めをして感服した。これならば、すぐにでも噂は広まるだろうと。
魔族らも、自分たちが丹精込めた品々を褒めてもらえてやる気が出ている。
ナスタチュームにも声をかけ、魔界に顔を出すよう連絡をしたトビィは、忙しなく世界を飛び回った。
「主は人がよいですねぇ」
「喧しい」
微笑ましくそう言ったデズデモーナに、トビィは唇を尖らせた。
「誰が好き好んでこんな面倒な事をするか。アサギのためだ」
不貞腐れ、そっぽを向いたトビィは舌打ちをする。
その、翌日のことだった。
巨人族の子が彷徨っていた山の麓の村で、懸念していた通り事件が起きた。
「アサギ様、早速来てくださるとは! ありがたやー、ありがたやー!」
「流石アサギ様ですなぁ、我らの危機を感じ、駆け付けてくださるとは」
「おぉ、早速やってくださるのですな! 流石はアサギ様」
「今宵も出てくるでしょう、お願いいたします」
食材は地味な色合いで質素。だが、抜群の味付けの田舎料理を出されるがままに食べていたマビルは、『アサギ』と呼ばれ目を吊り上げた。
「は? アサギ?」
人間界を彷徨い、山奥の村に来てしまったマビルは、アサギと間違えられ“おもてなし”を受けていた。待遇の良さに心地よく食事をしていたのだが、ここまで来てようやく様子がおかしいことに気づく。
てっきり、自分の美しさに目が眩んだ田舎者が、神を崇めるように振る舞ってくれているのだと思い込んでいたが違った。
マビルは、柔らかく煮込まれた鴨の肉を口から吐き出しそうになった。
アサギに間違えられたことに腹が立ち、普段ならば魔法を繰り出し、瞬時に廃村にしていただろう。だが、空腹だったことと、食事の味付けが好みだったことが村人にとって幸いだった。
「馬鹿なの? 髪の色が違うじゃん! あっちは変な緑色じゃん! あたしのは、艶めく明媚な黒髪でしょっ。ここの人間共は揃って目ん玉が腐ってんの!?」
せめて出された美味な食事は平らげようと、口を忙しなく動かしながら小声で反論する。
「アサギ様のおかげで、村には入って来られないようで。しかし、外にはおります。恐ろしい」
「今回は、仕留めてくださるのですよね! 期待しておりますぞ!」
下処理し苦みを取り去った野草と猪肉の汁物を啜りながら、マビルは眉間に皺を寄せた。
「……?」
話が飲み込めないが、面倒な事は分かった。一刻も早く村から立ち去ろうと、香ばしい茶を一気に流し込む。
「うんうん、分かった。あたし、問題を解決してくるねー!」
しれっと村から逃げようと、立ち上がる。
「ありがたやー!」
けれども、大勢の男に取り囲まれ、軽々と担ぎ上げられる。
「ちょっ! 勝手にお尻触らないでっ!」
喚いたが、聞き入れてもらえない。小屋から外へと連れ出された。
その日の月は満月から新月になる中間を指す、下弦の月だった。吸い込まれそうに秀麗な月の光に、一瞬だけ視線を奪われたマビルは我に返る。
気づけば、村人たちは笑顔で散り、家屋に身を潜めた。
一人、閑散とした村に取り残されたマビルの全身が震える。ビリリと皮膚が引っ張られ、背筋が凍りそうな程に震えた。
状況が掴めず唖然としていると、耳に不気味な音が轟き始める。ついで、鼻を摘まんでも効果がなさそうな悪臭に顔を顰めた。
「ちょっ、なんなわけー!?」
悲鳴を上げ、唖然とするマビルの目の前には、奇怪な魔物が立ちはだかっていた。
触れたら数日臭いがとれなさそうな涎を垂れ流し、時折覗かせる黄ばんだ歯に悪寒が走る。暗闇を見通せそうな幾つもの光る瞳が、こちらを見ていた。
六つに光る瞳に、最初は三体いるのだと思っていた。確かに顔も三つある、けれども瞳を凝らせば、身体は一つしかない。
三頭を持つ目の前の犬の魔物は、マビルを値踏みしている。
「なっ、何、コイツッ」
小柄なマビルを丸呑み出来そうなその巨体は、餌と認識したのか血走った瞳を向け、低い唸り声を上げた。傷だらけの身体を震わすと、糞尿まみれの毛が舞う。
「クッさ!」
慌てたマビルは間合いをとった。だが、少し離れただけではこの臭いには意味がない。周囲には鼻のもげそうな異臭が充満している。
確認の為、思わず自分の身体を嗅ぐ。臭いが移ったりでもしたら大変だ。屈辱でしかない、そんな自分は有り得ない。いつだって甘い香りを漂わせていたい。
何故か村の中には入って来られず、これ以上魔物が近づいてこられないと気づいたマビルは口角を上げた。逃亡しようと踏んでいたが、腕に自信がある。貧相な村の人間がどうなろうと知ったことではないが、退屈しのぎに目の前の犬を倒すことにした。
汚らしい下卑たものは、この世から消滅してしまえばよいと。世に溢れるのは、美しい物だけでよい。それに囲まれて暮らしたい。
「人間を助けるわけじゃぁないけどっ!」
マビルは、それでも一瞬躊躇した。村の中で魔法を放てば、人間の家も吹き飛ぶ。それはつまり、美味な食事も吹き飛ぶということだ。
舌打ちし、素早く村から飛び出して魔物を飛び越えた。思った通り、魔物は向きを変えマビルを追う。村から離れると不敵に微笑み、両手を掲げ魔力を集注した。一気に、派手な魔法でカタをつけるつもりだった。
周囲に風が舞い、美しい黒髪が怪しく揺れ動く。口元に嫣然とした笑みを浮かべ、大きな瞳を悪戯っぽく光らせると頭上で完成させた禁呪を魔物目掛けて解き放った。光りに照らし出されたマビルは、優越に満ちた表情を浮かべている。
稲妻が迸る、投げつけた魔力の塊が爆発する。避ける事をしなかった魔物は、まともに喰らい吼え喚いた。耳を劈くようなその声と、肉が焦げる臭いが周囲に満ちる。ちっとも食欲が沸かないそれに、マビルは鼻にスカーフをあて眉を顰めた。
「もうっ、信じられないっ! 折角の美味しいご飯が台無しっ」
巨体を地面に横たえ痙攣している魔物を睨み付け、愉快そうに舌を出す。
「マビルちゃんの、勝ちっ!」
ふん、と胸を張って勝気に微笑む。
久し振りに膨大な魔力を消費し、すっきりしたので大きく伸びをした。多少の脱力感はあるが、大物を仕留めた時の快感が勝った。一撃で瞬殺した時の高揚感に身震いする。それは性的快楽にも似ていて、上気した顔は絶頂を迎えた後の様にうっとりと艶めいている。
力を消費し、眠気が来た。
田舎くさい場所だが、寝床が必要なので先程の村へ戻ることにした。アサギと間違えられていることには腹が立つが、折角なので利用しようとほくそ笑む。
盛大にもてなしてくれるであろう村をそのままにしておくのは惜しいので、とことん甘えることにする。
「利用できるものは、なんでも使わないと」
心地良い寝具に包まれて熟睡し、翌朝目を醒ましたら美味しい食事が待っているに違いない。もしかしたら、とんでもない宝を隠していて、献上してくれるかもしれない。
食べ終えたら片っ端から人間を殺し、違う場所に行くのも楽しい。
それとも、アサギのフリをして一人か二人殺して立ち去ろるか。そうしたら、人望が厚いアサギの名も地に落ちるだろう。
マビルは想像し歓喜の声を上げた。思いの外、色々と楽しめそうだと胸を躍らせ踵を返す。
可憐に翻った筈だったが、目の前には泥臭い地面があった。自慢の肌に腐った落ち葉が付着し、悲鳴を上げる。
右足に激痛が走り、もがいて小枝で頬を引っ掻く。肌の上を走る痛みに、魔界イヴァンでの出来事を思い出した。
あの日も、こうして無様に地面でのたうち回っていた。
一人きり、寂しい森で。
恐怖が甦り、痛みを堪え起き上がろうとした時、生温かい風を感じ顔を上げる。
汚れても可愛らしかった顔が引き攣り、どろりとした粘着液が髪に垂れた。
ぶわっ、と鼻がもげそうなおぞましい汚臭が鼻の奥に侵入してくる。粘性が強いそれだが、急に液体に変化して身体中に染み渡っていくようだった。
「っ、あぁっ」
臭いから逃れようとすると、背中を強打された。低く呻き、額に脂汗が浮く。
前足でマビルを転がすように弾き飛ばした犬は、じゃれているのか、いたぶっているのか。
転がされたマビルは、大木に激突した。脳震盪を起こしかけるが、じんわりと肌に広がる激痛がそれを許さない。自慢の白い柔肌には、爪傷が出来ていた。滲み出す血を瞳に入れた瞬間、痛みが増していく。
マビルは混乱に陥った。
死んだと思っていた魔物は、生きていた。