寂れた村
文字数 3,861文字
村の中を鶏が走り回る長閑な場所で、村人らは物珍しそうに二人を見やる。
トビィは、真っ先に視線が交差した男に声をかけた。
「すまない」
「なんだい、旅人かね」
二人を見比べ、関係性が分からぬと首を傾げつつ男は開口した。
孤立した村は、余所者に対して過度に冷たくあしらう傾向がある。だが、疎まれている様子はなかったのでトビィは本題に入った。
「彼女と同じ背格好の女を探している。この村に立ち寄っていないだろうか」
アサギは一歩踏み出し、深く頭を下げた。
男は微かに目を開き、「別嬪さんだなぁ」と感嘆する。しかし、すぐに首を横に振った。
「いや。あんたらが久し振りの旅人だ。村には食堂兼宿が一軒あるが、閑古鳥が鳴いたまま。こんな小さい村なんで、ほぼ家族のようなもの。真新しい事が起これば、瞬時に広まる」
「そうか、邪魔をした」
淡々と告げる男に、トビィは片手を上げ礼を告げた。
陽は大きく傾き、山の向こうに沈もうとしている。見上げた空は赤く染まり、何処か不気味だ。湿気を帯びた風が、頬を撫でる。
「……なんだか、よくない風が」
眉を寄せたアサギは、村の奥にそびえる山が吼えたような気がして瞳を細める。
トビィも殺気を感じ、剣に手を伸ばした。
強風で吹き飛んでしまいそうな家屋から、数人の村人が出てきた。そして、不安げな面持ちで山を見つめる。
男が肩を落とし、頭に巻いていた手拭いで汗を拭った。そして、重苦しい口を開く。
「……最近、妙な音がするんでさぁ。この村に自警団なんてありゃしない、傭兵でも雇うべきではと話が持ち上がっていたところで」
「音?」
トビィが山の方角を睨み付けたまま問う。
「へぇ。姿は見えない、実害もない。だが、地を這う様な音がする。女子供は恐怖に怯え、村の外へ出ないようにしとりやす。おかげで薬草に山菜、木の実が収穫できず。釣りや狩猟をするのも一苦労でして。冬に備え、多くの肉を燻製にしたいのに。これも何かの御縁かねぇ、不躾かもしれんがアンタ方は腕利きで?」
アサギを一瞥した村人は、小さな溜息を零した。美しいだけの華奢な娘は戦えないと思ったのだろう。トビィと違い武器を所持していないので、見た目で判断されても仕方がない。
「腕利き? それは面白い冗談だ」
怪訝な表情を見せた男を鼻で嗤い、トビィはアサギを見やる。
「どうする?」
尋ねたところで、決まっている。アサギがこの事態を放っておく筈がない。何より、今追っている事件と無関係である確証はない。
「調べにいきましょう。おいで、セントラヴァーズ」
言うが早いか杖を出現させ構えたアサギに、男は悲鳴を上げた。突然武器が出て来たら、驚くのも無理はない。魔法すら間近で見たことがないので、化け物でも見るように怯えた視線を向ける。外見と違い、凡人でないことは村人も理解した。腰が抜けたらしく、地面に座り込んで震える声を出す。
「あ、アンタ方は……?」
「おそらく、この世界で一、二を争う
愉快そうに言ったトビィに、いつの間にか集まっていた村人は歓声を上げた。
「し、しかし、報酬は」
「報酬というと、お金のことですか? 必要ないです、これは私たちが勝手に行うこと」
輪の中から心配そうな声がしたので、安心させるようにアサギは告げる。
「行ってくる。念の為、村中に火を焚いて置く事。“音”が何か解らん」
「しょ、承知しました!」
村人らを怯えさせないように離れた上空で待機していたデズデモーナたちを呼び、颯爽と飛び乗る。
案の定間近に迫った竜二体に悲鳴を上げる村人たちだったが、説明している時間が惜しいので山へ向かった。
二人が離れてから、村人らは放心状態からようやく自我を取り戻した。そして、拍手喝采で喜び合う。舞い込んだ幸運に村は沸き立った。竜を使役する戦士など、大金を積んでも呼べないだろう。しかも、無償という。これ以上に嬉しいことはない。
アサギとトビィは武器を構え、麓から山頂へと一気に駆け上がった。
目を細めると何かが移動しているのは見えた。だが、正体が掴めない。
「こちらを警戒しているというよりも……」
困惑するアサギの下で、デズデモーナが威嚇のため吼えた。沈む夕日に、猛々しい黒竜の咆哮がこだまする。
鳥が一斉に羽ばたいた。空を覆い尽くすほどの小さな影が去っていくと、不気味なほど静まり返る。パキン、パキン、と山の中で響く音が滑稽に聞こえる。
再度デズデモーナが咆哮すると、潜んでいるモノは怯えたように右往左往しているようだった。隠れるでもなく、逃げるでもなく、見つけてくれと言わんばかりで目立つ。
「妙だな、普通は気配を押し殺し隠れるだろう。あれは……」
トビィが若干肩の荷を下ろした、手練れの魔物ではないと判断した為だ。迷子の子供が泣き喚きながら逃げ回っているように見えた。ならば、威嚇させては気の毒だ。
敵ではない、と察したアサギはデズデモーナから滑り降りると、声をかけながら木々の上を通過する。怯える相手を宥めるのに適役だ、トビィではこうもいかない。
優雅に空を舞う姿を見て、トビィは感嘆の溜息をこぼす。何度見てもその光景は幻想的で美しい。整った横顔と華奢な手足は、見る者を魅了してやまない。
「主、人間は飛べるものですか? 飛べないのが普通ですよね?」
「アサギだからな」
「さいですか」
クレシダの素朴な疑問に、妙に納得のいく返答をしたトビィは愛おしそうに見つめたままだった。
心に巣食う蟠りに釈然としないクレシダだが、そんな表情を浮かべているトビィにこれ以上何も言えない。『アサギだから』それで全て終わってしまうのは目に見えている。
「
竜に乗らずとも何処へでも行けるであろうアサギを、クレシダは静かに見やった。すると、瞳の端に熱い視線を注いでいるデズデモーナの姿が映る。人間に恋をした竜の話など聞いたことはない。
「その想いが成就することなど、ないだろうに」
もごもごと喋るクレシダの声は、トビィには届かない。
観客をよそに、アサギはようやく動いているモノを捉えた。
初めて見たが、子供の魔物のようである。一つ目のそれは、鬼に例えると分かりやすい。地球だと、サイクロプスと呼ばれる魔物に似ている。青い肌のその魔物は硬直していた。
「こんにちは。敵ではありません、怖がらないで」
あどけない笑顔を浮かべて話しかけてきたアサギに、魔物の子は驚いて大きく震える。そして、一つしかない大きな瞳を何度も瞬きさせた。
「アサギ!?」
「どうしてアサギ様は単独行動に出るのでしょうかね……」
躊躇せず森に入ったアサギに、トビィは狼狽した。木々に阻まれ姿が見えない、危険な相手ではないと解ってはいるものの、いつでも飛び出せるように極力クレシダを下降させ武器を構える。
「やれやれ……」
緊張が走った。
「! ァウ」
目の前に降りて来たアサギに、魔物の子は涙を零した。
泣かせるつもりではなかったので胸が痛んだアサギだが、懸命に話しかけることしか思いつかず、距離を保ったまま口を開く。
「えっと、お父さんとお母さんは?」
「……ダゥ」
「えーっと……」
言葉が通じないのだろう。アサギと魔物の子は、互いを見つめ続ける。
このままでは埒があかないので、アサギは瞳を閉じ心で語りかけた。ワイバーンと対話出来たなら、こちらも可能ではと思ったのだ。
キィィ、カトン。
『こんにちは、私はアサギといいます。一人ぼっちですか?』
『
「え!?」
まさかの返答に、アサギは声を上げた。目の前の魔物の子は自分を知っているという。動揺し口籠っていると、魔物の子が語り出した。
『家族は多分、殺されました。ワィは洞窟の奥に隠されていたので助かりました。喉が渇いてお腹が空いたから、這い出して山を駆けまわっていました。そうしたら、怖い空気がどこからともなく沸くように流れてきて、気が休まらない。だから、安全な場所を探して移動していました』
緊張が解けたのか一気に喋る魔物の子に、アサギは驚きながらも真剣に聞き入った。
『ワィは、安心して暮らせる場所が欲しい。……一人で寂しいけれど』
アサギは徐々に近づき、そっと手を差し伸べる。彼に適した場所を思い出し、開口する。
「魔界イヴァンへ行きませんか。魔王アレク様は亡くなられましたが、次の時代を作るために懸命に動く魔族の皆さんがいます。多分、魔物のお友達もいるし。もしかしたら、同じ種族の子がいるかもしれません」
『海の向こうですね! 行ってみたいです、お願いします! ……でも、みんなで行きたかったなぁ』
悲しそうな笑顔を見せた魔物の子は、嬉しそうにアサギの手を取った。
その爪は鋭いが、罅が入ったり欠けたりと苦労がうかがえる。見れば皮膚も傷だらけで、痛々しくて思わず手を擦った。
「あの、辛いでしょうが訊いてもよいです? 嫌なら答えなくて大丈夫。……お父さんたちは、一体何に殺されたの?」
魔物か、それとも人間か。
眉を顰め真っ直ぐに見つめるアサギに、魔物の子は躊躇せず答える。
『魔物』
アサギは、軽く胸を撫で下ろした。人間でなくてよかった、と思った。人間だと合わせる顔がない。
そんなアサギの気苦労を知らず、魔物の子は語り続ける。
『大きな犬の魔物。あんなもの、何処から来たんだろう』
「犬の……魔物?」
『はい、犬です』