旅立つ勇者に
文字数 3,912文字
アサギが指した場所は、海岸沿いと思われる箇所だ。特になんの印もない。
不思議そうに瞳を細め、神官はその指先を見つめる。様々な思考が渦のように脳内で描かれていたが、顔を上げると唇を動かした。
「お行きなさい、勇者達よ。あなた方の進むべき路は……自ずと見えてくるでしょう」
それは用意されていた、安直な台詞だった。
実は唇を尖らせ「自分達では何も始めないくせに、よくもまぁ俺達にそんな適当なことが言えるもんだな」と捨て台詞を吐く。
その声が小さすぎて、誰にも届くことはなかったが。
実の言う通り、余りにも簡単な旅立ちへの言葉であった。異界からやってきた小さな勇者達に投げかけられたその言葉は、漠然としている。まるで、組み込まれたシナリオのように。
感謝の言葉が欲しいわけではないが、もう少し胸に響く言葉の選択が出来なかったのだろうか。
多少の違和感を感じ、無言で歩く一行だが、それでも不平を口にしなかった。三つの扉を抜けながら直進し、そこから一般客が礼拝する広間へと向かう。絶望の闇に閉ざされつつある世界を憂い集まってきた人々の間を割って、進んでいく。
神に助けを求め縋る人々を横目で見ながら、マダーニは軽く溜息を吐いた。
まさか、この少年と少女達が世界を救うことになる勇者であるとは、誰も思わないだろう。一目でこの子達を勇者、と見破るものが存在したのなら、その者も共に行くべき仲間だろう。伝説の勇者、と呼ばれる容姿には到底思えないし、実力も不明。マダーニとて、本当にこの子等を勇者としてよいのかどうか、時折迷っている。石が指し示したのだから間違いはないのだろうが、あまりにもか弱過ぎた。
それでも護り続けて成長してもらうより、手立てはない。信じるより、他ないのだから。
屋外に出ると、日本を上回る灼熱の日差しに照りつけられ、一向は軽く瞳を細めて空を見上げた。ここから、始まる。もうすぐ、始まる。
アサギは陽の光を浴び、大きく息を吸い込むと親友の友紀に笑いかける。
「来れちゃった、勇者になれちゃった」
そうだね、と微笑んで友紀はアサギの手を握る。そう、いつものように。テーマパークにでも遊びに来たような、そんな感覚でしかない。
ハーブが咲き乱れる庭園を抜け、純白の門を潜ると、ようやく神聖城クリストヴァルの外へと出られた。意気揚々と出発しようとしたところで、後方から二人の巫女に止められ、一向は振り返る。
「こちらをお渡しするようにと、仰せつかっております」
何冊かの本を、巫女はマダーニへと差し出した。
「初歩的な魔導書、ね」
中身も見ずにマダーニはそう巫女へと告げた、深く頷き彼女らは肯定する。比較的扱いが簡単で尚且つ、実用性の高い魔法が数多く掲載されていた。マダーニとてこれを手にした時期があった、ゆえに解った。表紙の色は、赤、青、黄、緑、茶、白の計六色で魔法の系統によって分かれて掲載されている筈である。
「馬車も二台、用意して御座います。どうかお使いください」
楽しそうに「馬車!」と叫んだ友紀に、一行が苦笑いを漏らすのだが、アサギと二人で小走りに外へと駆け、馬車を覗き込んだ。
何処までも続く海原のように、青々と茂る草が風によって波打つ最高の景色の中、純白の馬が引く馬車が二台存在していた。外見は豪華ではないが、耐久性に富んだ造りになっている。馬車自体に興奮している友紀にとって、見た目は特に気にならなかった。
「かっこいいよねっ、馬車だよ、馬車っ」
アサギも嬉しそうに飛び跳ねて友紀とはしゃぎ回る、それを微笑ましく見守る一行の中に。
「馬鹿みてぇ、うるさい」
小さく呟いた者がいた。もちろん、実だった。浮かれている二人の同級生を尻目に、一人冷めた様子でそれを見つめる。アサギには聞こえないだろう、と思った。だから、アサギが大人しくなったのを見ても、自分のせいだとは思わなかった。
届くはずのない実の声を、アサギは彼の表情から、感じ取ってしまった。その為、急に口を閉じると地平線の向こうへ視線を移す。気落ちしたが、実の声が届かなかった為にまだ騒いでいるユキに、優しく微笑んだ。気にしていてはいけない、と励ます。だが、この先やっていけるのかと、漠然な不安も抱いた。
一行も馬車へと近づき、造りやら装備品を確かめる。食料に飲料水、夜露を凌ぐ毛布などが積まれており、それに混じって勇者達への武具も用意されていた。それは何処ででも手に入るような、粗悪な造りの一般的な物であったが、それでも勇者達は自分達の装備出来るものを目にし、喜んだ。そもそも見ただけでは価値が解らない。
「いやー、俺、道とかに落ちてる武器を探すのかと思ってた」
「僕も思ってた」
大樹と健一がそんな会話をしていたので、思わず朋玄は苦笑する。幾らなんでも道端に武器など、落ちていないだろう。ゲームの世界だと拾い集めるが、現実的に考えて落ちているとしたら誰かがそこで死んだのだ。
朋玄は、先程手に入れた自分専用の武器を誇らしげに持っている。
用意されていた物を見つめながら、ブジャタは嘲笑うように神聖城を見つめた。「仮にも命をかけた戦いにこんな幼子らを放り込むのだ、それでこの程度か」と皮肉めいて呟く。もっと全面的に協力をしても良いと思った、確かに人間とは誰かに頼り、極力自分では動きたくない生き物なのかもしれない。言葉を投げかけることが出来ても、態度で示す者はそう多く存在しない。
堅苦しく感じていた場所から解放され、つい本音を吐露してしまった。
「わしとて……同じかもしれんがのぉ」
確かに勇者に同行する、が打倒魔王という厳しく過酷な試練をたかが石に選ばれた、というだけで会って数時間しか経過していない子供達に任せてしまっている。まだ、その力量は定かではない、真の勇者かも分からない、途中で死ぬかもしれない、勇者と呼べるに値しないかもしれない。
「人間とは弱いもんじゃ、何かに縋って生きてしまうからのぉ。滑稽よの」
小さく呟くブジャタの隣で、クラフトが怪訝に眉を顰める。なんのことはない、クラフトも同じことを思っていたからだった、軽く溜息を吐き、同意とばかりに頷く。
しかし、こうするより他ない。それは百も承知だ、勇者に選ばれた子供達を守り抜く、それこそが課せられた使命であると。
二人は目配せし、深く深く……頷いた。互いの決意を確認する為に。
後れを取ったが、不条理さに肩を竦めた二人も馬車へと近づいた。しかし二台の馬車に乗り込む時点で、いきなり問題が発生した事に気がつく。馬車を操ることが出来る人物が、現在ライアン一人しか存在しないという致命的な問題である。
冒険の旅、完。
「いきなりダメじゃん! どーすんの」
朋玄が呆れて叫ぶ前方で、ライアンが馬を撫でつつ苦笑いしている。
「徐々に覚えていくしかないだろうな、簡単そうにみえるかもしれないが、結構難しいから、ゆっくり慣れていこう」
「なら、一台の馬車で行きます?」
アサギの問いに、ライアンは首を横に振った。
「それでは馬車が重さに耐えられないな、上手くできるかどうかやってみないと分からないが、俺に考えが」
ライアンは一人、馴れた手つきで馬車の周囲を探り始める。一台に二頭の馬がいるわけだが、それを四頭にして二台の馬車を連結し、引かせるつもりらしい。
「速度は落ちるが、暫くはこれで進もうか。その間に俺が誰かに教えよう」
「あー、ボクやるよ。こういうの得意だから。乗馬は昔からやってたし」
「私も立候補しておきましょうか」
ライアンが皆を見渡すと、アリナとアーサーが名乗り出た。三人は力強く頷くと、馬車へと乗り込む。
「さ、じゃあ行きましょっか! まずはここ、ジェノヴァ!」
受け取った地図を盛大に宙にはためかせ、マダーニは軽やかに微笑んだ。整った長い指で、神聖城クリストバルからジェノヴァまでの道のりを辿っていく。途中に何かマークがある、山に穴が開いてるそのマークは、勇者達が見ても何かが明確に分かった。
そう、洞窟だ。
始まった冒険に、勇者達は顔を見合わせて興奮気味に頷いた。
それぞれの思いを胸に抱き、ようやく小さな勇者達と守護すべき者は今、一歩を踏み出した。連結させた馬車はマダーニとミシアが、二人掛りでそれぞれの顔を見られるように幌を縛り調節してくれた。
現時点では、まるで観光気分のような勇者達である。まだ危険を感知するほどの心構えが出来ていない。どうにかなるに違いないと、暢気に構えていた。校庭で襲撃してきたネズミが容易く倒されてしまったこともある、サマルトとムーンの腕を過信している。
馬車が徐々に小さくなって、地平線の向こうへと消えていく。見つめていた巫女達は、目視不可となるまでその場に立って見送っていた。そうして、擦れ違う巡拝者と礼を交わしながら、ひたすら奥を目指す。
重たい扉を開き、巫女達は神官とその周りに集まっていた者達に深々と頭を下げた。
「勇者様方、無事旅立たれました」
「ふむ、そうか」
顎の白い長い髭を擦りながら小さく頷く老人に、無表情の巫女が一人躊躇うことなく進み出た。
「何故あのような曖昧な事を。勇者達のすべき事は決まっているでしょうに」
※挿入してある地図は、頂き物です。