相容れぬ運命なのか、魔王と勇者
文字数 5,087文字
仲間達から遠ざかり、気配が感じられなくなった事を確認したハイは、一息つくと笑みをこぼした。冷酷な表情が、一変して柔らかくなった。
「少し待っていてくれないか? 今、私の部屋への転送陣を創るから」
ハイは上機嫌で抱きしめたままだったアサギを、手頃な岩の上に下ろし座らせた。微動出せず俯いているその小さな頭にそっと手を伸ばし、躊躇いがちに撫でる。
アサギは一瞬引き攣ったものの、大人しくしていた。
撫でた、といっても風が吹いた程度のものであり、髪が緩く揺れただけだ。それは、壊れ物を扱うような仕草であった。
ハイは、懐から取り出した小瓶や薬草らを地面に並べる。小瓶の中身は粘着のある液体で、それを垂らし地面に円を描く。一定間隔で薬草を置き、陣を作っていく。アーサーが描いたものと、ほぼ同じだ。
アサギは一人、岩の上で朦朧としている。連れ去られた際、圧迫するほどに身体が押さえつけられ、意識が飛ぶかと思った。ようやく、意識が鮮明になる。
……この人は”魔王ハイ”らしい、そうは見えないけれど。
魔王が勇者を攫う理由が、全く見い出せない。力の差は歴然としているのだから安易に殺せるだろうに、殺さない。この人は、本当に魔王なのか、実は違うのでは。脳をフル活動しても、答えは見つからない。アサギが分かる筈もない、一目惚れされているなど、誰が思うだろう。
自分だけを連れ去って仲間達に魔法を放っていたのは、事実だ。とすると、敵で間違いないだろうというところまでは考えをまとめた。
……ここは、何処だろう?
森を軽く見渡す、そう長く走ったわけではない。路に出る事さえ出来れば、仲間達と合流できる筈である。幸いにも、先日の戦闘が原因でトビィに「武器を常に所持しておくように」と言われていた。故に、今こうして左の腰には剣が装着されている。
……いざとなれば、戦える。
「ふんふーん、ふんふふふーん」
アサギは、暢気に鼻歌を歌いながら陣を創っているハイを軽く睨みつけ、その場をゆっくりと離れた。足音を立てないように、こっそり、ひっそりと。
「ゆ、勇者が攫われた、なんて聞いたことがないよ! 冗談じゃない、早く逃げないとっ」
森の中は昼間だというのに薄暗く、木漏れ日を頼りに走るしかない。地面には剥き出しになった木の根が多数はびこっており、何度もそれに躓いた。その都度焦って唇を噛み締める、全身から嫌な汗が流れ落ちていく。だが、一人で仮と言えども魔王ハイに戦いを挑むほど、無謀ではない。自身の力量を弁えている。勝ち目など、有るわけがない。
「早く、合流しなきゃ」
口の中に鉄分の味が広がる、乾いた口内が、妙な咳を吐き出させる、涙が軽く瞳に滲む。それでも、懸命に走り続ける。合流できれば戦える、一人では無理でも仲間がいれば戦える。大好きな仲間の笑顔を思い浮かべると、アサギは棒のようになった足で、跳ね上がる心臓を堪えて、森の中を疾走した。
暫くして、ハイは茫然としアサギが居た筈の場所を見つめた。
「い、一体何処へ!?」
夢中で転送陣を創っていた為、逃げ出した事に全く気づかなかった。例えようのない虚脱感に襲われ、小瓶を手から落とした。顔面蒼白で悲鳴を上げる。
「そ、そんな」
愕然として立ち尽くしていたハイだが、弾かれて走り始めた。焦燥感が身体中を支配する、ようやく先程の自分の行動は、誤解を招くものでしかなかったと気づいた。
……怯えられて、当然か。恐らく、誤解もされている。
自身の名が暴露されたおかげで、平和に話し合いに持ち込む事が困難となった。
「あの青二才めがっ! 奴さえいなければ」
激怒していたトビィを思い浮かべると、歯軋りをする。そもそもが魔王と勇者なので、そう簡単に親しくなれるわけがないのだが、気が動転しているハイは発狂しそうな勢いで走り出す。
「ま、待ってくれ、逃げないでくれ! 何もしないから」
台詞自体がすでに怪しいが、ハイは必死だ。
アサギとて、ハイが追って来ていることなど百も承知である。振り返るのは時間ロスであり、恐怖心を煽られるだけの愚行。ひたすらに、前を見続ける。荒い呼吸が森林に響き渡る、苦しいが走るのは止めない。
と、目の前に何かが飛び出してきた。
危うくそれを踏み潰しそうになり、アサギは慌てて足を止めたがその拍子で後方へ転倒する。尻を擦りながら起き上がれば、綺麗な純白のウサギが一羽、目の前で不思議そうにこちらを見ていた。
「わ、わぁ!」
逃げないそのウサギのあまりの可愛らしさに、ハイから逃げねばと思いつつも、堪え切れずに手を差し伸べる。ふわふわの毛とルビーの様な瞳は、胸がきゅーん、となる可愛らしさだ。
が、その宝石のような瞳が鋭く光ったかと思えば、差し伸べた右手に激痛が走る。ウサギは、隠し持っていた鋭利な歯をアサギの甲に突き立てた。
「っ、あ、あの、怖がらなくてもいいんだよ」
宥める様にそう言って、左手で撫でようとした時。今度は左手に激痛が走った。相当深く噛み付かれたらしく、反射的にアサギは左手を振ってウサギを跳ね飛ばした。
白い身体がぽん、と弾んで地に落ちる。体勢を立て直したウサギは、喉の奥で不気味な低い唸り声を上げながら、アサギへと近寄った。
それは、獲物を狙う野生の獣の瞳だ。
アサギは、剣を引き抜こうと思った。だが、躊躇する。ウサギに剣を向けることなど、出来ない。
そうしている間にもウサギはグルルルル、と唸り声を上げてそのまま一気に駆けてくるとアサギの左腕に凶悪な爪と歯を突き立てた。
「アアーッ!」
激痛に耐え切れず、アサギは叫び声を上げる。声を出せば、居場所をハイに知られる恐れがあった、故に堪えてきたのだが、限界だった。
見た目に騙された。それはウサギではない、ウサギによく似た魔物である。
悲痛なアサギの叫び声は、当然ハイの耳に届いた。
「アサギ!?」
ハイは聞こえた悲鳴を頼りに、死に物狂いで駆け出した。
「私が目を離したばっかりに……」
非常事態である、ハイは自身を責めた。微かに鼻につく血液の香りに、血相変えて懸命に走った。近い筈なのに、森の木々が邪魔をして姿の確認が出来ない。それもそのはずだ、地面に座り込んでいるアサギは、背丈の高い草に隠されており、容易く発見出来ない。
やがて瞳に飛び込んできたのは、血を流しているアサギと、その周りを飛び交う白の物体。
瞬時に敵だと悟ったハイは、凄まじい形相で魔物を睨みつけると込み上げてきた怒りに身体を震わし、右手から衝撃波を放った。流石魔王だ、何者も寄せ付けない邪悪なオーラを纏って歩み寄る。
魔物が直撃を受け、弱々しくキュウン、と鳴くとその勢いで地面へと叩きつけられる。
唖然と、アサギは魔物を見つめた。
「アサギを、傷つけたな!」
地面でキュウキュウと鳴き続ける魔物にアサギは慌てて駆け寄ると、助け起こそうとする。未だにそれが魔物だと分からなかった、明らかに動きがウサギのそれではないのだが。アサギは、小動物にすこぶる弱い。
しかし、大きく跳ね上がった魔物は、アサギの腕を擦り抜けて数メートル先に吹き飛ばされた。何時の間にやらハイが隣に立っていた、冷徹な表情から繰り出された攻撃魔法を目の当たりにし、アサギの背筋を冷ややかなものが伝う。
「あれは危険だ、今始末する」
そう言い放つとハイは再び手を魔物へと向け、詠唱を始めた。
アサギは咄嗟に剣を勢いよく引き抜き、ハイへと斬りかかる。魔物を護るために、動いた。
驚いたのはハイだ、何故攻撃されたのか理解できない。剣を紙一重で避けると、両腕をアサギへと向って広げて必死に叫ぶ。
「ま、待ってくれ。何故だ、何故私に斬りかかる!? 私はそなたを……アサギを傷つける気など全くない。寧ろ護りたい!」
「あなたが、あのウサギさんを攻撃したからですっ。それに、あなたは敵なんでしょう!? 魔王ハイなんでしょう!?」
「魔王ハイは間違っていない、だがアサギの敵ではないんだ! それに、あれはウサギではなくて魔物で」
何を言っているのか理解不能、アサギはハイを睨みつけ、重心を低くし剣を構える。勝てないのは十分承知、だが、ウサギを護る為に戦いを挑む決意をした。深い呼吸を繰り返し、好機を見極める。腕が痛むが、気合で乗り切ろうとした。トビィが、剣を教えてくれた。間合いの取り方を習った。
「トビィお兄様、力を貸して」
小さく、アサギは呟く。汗が額から地面に落ち、幾つもしみをつくっていた。
しかし、どうにも吹っ切れない、何故か脳内で「この人は敵じゃないよ」と言っている自分がいる。故に、両腕を広げられては躊躇してしまう、言葉を聞いたら信じたくなってしまう。けれども、敵でないのなら、一体なんだというのだろう?
というより、魔王が敵ではないとするならば、誰が敵なのか。自分達が召喚された意味が、消えてしまう。
「それはウサギではない、愛らしい姿で狡猾に敵を騙す森の魔物なのだ。私はアサギの敵ではない、どうか、どうかっ。嘘は言っていない!」
再度懇願するハイを見つめ、挑むような視線を送っていたアサギは思わず剣を下げかけた。考え始めるが、答えが見つからない。頭がぼぅ、と霧がかる。意識が薄れて、目の前が真っ暗になっていく。
力なく、アサギはハイの目の前で地面に倒れこんだ。
「あいつの毒か!?」
慌てて駆け寄ったハイはアサギを丁重に抱き起こし、傷口に回復の魔法を施し始める。そのお陰で傷口の出血は止まり、顔色も若干赤みがかり、軽く笑みを浮かべているような気がした。ハイは肩の荷を下ろした様に安堵の溜息を吐き、そっと髪を撫でる。
しかし、ハイは油断していた。
ハイの強力な魔力を身体で受け止め、本来ならば死に絶えている筈の脆弱な魔物だ。しかし、身体を大きく震わせながら魔物は立ち上がった。身体が数倍に膨れ上がり、先程の姿からは想像できないほどに変貌した。白い身体は金色へと変化し、牙は長く剥き出し、耳の長いタイガーの様に変貌している。
異変に気づくことなく懸命にアサギに治癒を施していたハイは、頭上から妙な雄叫びが降り注がれた時、来襲に気付いた。不愉快な低い唸り声を聞き、空を仰ぎ見れば木々の間から金色の物体が飛び掛ってきた。
間一髪でアサギと共にそれを避ける、辺りの状況を伺い、得体の知れない魔物を見据えて簡易な魔法を詠唱した。
「廻る宵闇、覆い隠すは冷たき霧。視界は永久に消え行く定め、光の入る隙もなく」
先程逃亡用に使用した、霧で辺りを覆い隠す呪文である。その隙に態勢を整え攻撃準備を進めるハイは、傍らにアサギを優しく抱きとめている。
空気が揺らぎ、唸り声と共に幾つかの液体が飛んで来た、妙な音に視線を地面に落とすと、煙を上げて石が溶けている。
……酸か?
地面から視線を外し、僅かな空気の振動を読む。飛び交う生命の反応を捕らえ、ハイは迷わず呪文を発動した。溜め込んでいた魔力を、一気に放出する。
「我に集いし、異界の死霊達よ、そなたらに血肉を与えよう。目先の生命、喰い散らかせ!」
躊躇せずに叩き込んだ呪文により、死霊達が一丸となってハイの指し示した方向へ突進していく。
すぐに断末魔が聞こえた、魔物が死霊に喰われているのだろう。ハイは憮然とそれを聴きながらアサギの傷の具合を見つめていた、死にいく魔物に興味はない。アサギの体調が優先だ。
やがて霧が晴れ、死霊に喰われた成れの果ての魔物を見てハイは低く呻く。何故か巨大な邪悪な魔力を死骸から感知し、軽く頭を押さえた。
後程ゆっくり調査してやろうと、その姿を脳内に焼き付け、気を失ったアサギを丁重に抱えて陣へと戻った。一旦踏み止まったものの、陣へと進み、深い溜息と共に詠唱を始める。
「すまないな……」
腕の中に居るアサギは、何処となくしかめっ面だった。
……嫌がっているのだろうか?
本当に魔界へ連れて行っても良いのか、不安で仕方がないが、それでも。唇を噛締め、決断する。今更後には引けない、決めたのだ。
「すまないな……どうしても、どうしても」
一緒に居たいと願う。魔王と勇者でも、共に居たいと思う。
二人の身体が徐々に透けていく、完全に姿が消えても、陣の中では青白い光が揺らめいていた。
やがてそれも消えゆき、森林は静寂に包まれる。
★2020.11.05 上野伊織様から頂いたトビィのイラストを挿入しました。
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