外伝2『始まりの唄』21:男の名は。
文字数 1,960文字
アリアが目を醒ますと、斬られた右腕はきちんと手当てされていた。あの後、治療を施してくれたのだと解り複雑な心境になる。鞭の時もそうだった、トダシリアの本心が解らない。悪人だと思うのに、時折垣間見せる優しさが気になる。
「痛むか? 悪かったな、流石にやりすぎた」
まさか、隣にいるとは思わなかった。耳元で聞こえた声に慄き、悲鳴を上げ逃げようとした。しかし、呆気なくトダシリアに組み敷かれる。再び狂気めいたことが始まるのだと覚悟を決めたが、優しく抱き締められ狼狽した。
「っ!」
予想外の態度が、余計に恐ろしい。身体を強張らせ身構えたものの、トダシリアは優しく覗き込むばかりで当惑してしまう。
「怖かったか? ……アリアが意地をはるからそうなる、お前が悪い。まだ、痛むか? 傷に良い薬草で粥を作らせた、食べろ」
「ぅ」
春の日差しのように柔らかい声で、瞳は迷子の子犬のようで。腕の温もりは、蕩ける様に安堵出来てしまう。
……何故なの、私、やっぱり知ってる。この肌の香りと居心地を求めてた!
「ほら、口を開けろ」
身体を起こされぎこちなく唇を開くと、ほどよく冷まされた粥が運ばれる。喉が動くのを見計らって、トダシリアは微笑した。その表情から逃れようと、アリアは顔を背けた。幾度も恐ろしい目に遭わされたというのに、どうしてこうもこの男が気になるのか。
何故、気を許してしまうのか。
「美味いか」
「は、はい」
「そうか、よかった。だが、オレはアリアのスープのほうが好きだな」
言って笑うトダシリアに、息を飲む。
「早く右腕を治し、また作ってくれ。今は痛むだろうから、控えろよ」
「は、はい」
誰のせいで怪我をしたというのだろう。しかし、アリアは素直に頷いた。
トダシリアは不自然に俯き、口元を覆う。
「あの?」
不思議そうに小首を傾げたアリアは、急に力強い力で抱き締められ、あっという間に唇を塞がれた。熱い舌が侵入してきたが、思いの外優しい動きで翻弄される。
「んんっ!?」
トダシリアは粥の入っていた器を放り出し、右腕に触れないよう重心をかけアリアを押し倒す。そして困惑し頬を赤らめ、照れながら髪を掻き乱した。
「……参ったな、そんな顔するから」
面映いとばかりに顔を背けるので、アリアはぎこちなく訊ねる。
「ど、どんな顔をしてしました?」
トダシリアは、暫く口を閉じたままだった。しかし、観念したような顔をして再び唇を塞ぐと、優しく舌を入れる。耳を撫で、アリアの身体がピクピクと反応したのを確かめる。
ようやく、本音を吐露した。
「薄っすらと頬を赤く染め、穏やかに微笑んだ。まるで……オレを好きで好きで仕方ないみたいに」
そう囁き、髪を撫でる。
アリアは大きく瞳を開き、弾かれたように叫んだ。
「う、うそっ」
「痛めつけられたのに、それでも構わないと。構って貰えれば、どんな仕打ちでも好いと? 口ではトバエの名を呼んでも、アリア……オレを気にし、求めているな? 違う名を連呼するのは、オレへの想いに歯止めをかけるためか?」
喉の奥で笑い、顔を覗きこんだトダシリアが息を飲む。反抗してくるとばかり思っていたアリアが、赤面し言葉を失っていたからだ。意表をつく反応に、子供のように当惑する。確かにそうだと嬉しいとは思っていた、願っていた、だが違うと思っていた。
図星だったと知り、全身が熱く火照りだす。
「あ、ち、ちが、違うんです、違いますからね!? き、気にしてなんていませんから、からっ」
今更、否定したところでどうなるというのか。涙目で見上げられ、トダシリアの喉が鳴る。
アリアも、嬉しそうに瞳を潤ませ震えている姿を見て胸が高鳴った。素直に喜んでいるようにしか見えない。戯れではなく、本当に自分が求められているのではないかと思わずにはいられない。
トダシリアは、夢中でアリアの唇を奪った。力を篭めないようにと思いつつもそれは無理な話で、アリアの右腕には激痛が走った。低く呻き身を捩る度に力の加減をせねばと言い聞かせるが、どうしても本能が邪魔をする。
愛しくて、愛しくて、仕方がない。
どうしたら、自分の想いを解ってもらえるのか。
どうしたら、想いを通じ合えることが出来るのか。
どうしたら。
「アリア」
名を呼びながら、無我夢中で抱いてくるトダシリアに、アリアは。思わず、その男の名を呼んだ。
「トダシリア様」
頬に指を添え、痛みのせいだと言い訳をしながら、身を任せる。
本心に身体を預け、目の前にいる恐ろしい筈の男の名を切なく呼んだ。
キィィィ、カトン。