外伝2『始まりの唄』8:忍び寄る影
文字数 4,415文字
仕事が休みだった二人は、朝食後、いつもように街を散策した。軽食を購入すると、公園の芝生で過ごす。しかし、公園にいると歌をせがまれるので転寝は出来ない。それは覚悟の上だ。
公園の前に楽器屋に立ち寄り、進捗を訊ねた。「仕事に没頭しているから」と邪険に扱われたものの、その顔は小難しいながらも口角が上がっている。楽器屋はアリアの歌声の評判は知っていた、早く自分の作った竪琴とその歌声を合わせてみたいのだろう。実は、寝る間を惜しんで作業している。
公園に着くと案の定待ち侘びていた子供達が、一斉にアリアに駆け寄ってきた。中には妊婦もおり、腹を擦りながら頭を下げる。
「貴女の歌声を聴くと、おなかの赤ちゃんも喜ぶのよ」
「わぁ! 嬉しいです」
拍手喝采の中で、アリアは両手を広げると唇をそっと動かした。
「古の 光を
遠き遠き 懐かしき場所から
今 この場所へ
暖かな光を 分け与えたまえ
回帰せよ 命
柔らかで暖かな光は ここに
全身全霊をかけて、召喚するは膨大な光の破片
全ての人の子らに 全ての命あるものたちに
どうか恵みの光を 分け与えたまえ」
いつしか、公園には人だかりが出来ていた。
麗しの歌姫が来た、と噂は瞬く間に広まり、人々が一斉に押しかける。その人数は日を追うごとに増え、歌の後には膨大な拍手が巻き起こる。
「楽器など不要だな」
困惑して恥ずかしそうに身動ぎしている妻を、いつでも護れるように傍に居る。トバエは軽く溜息を吐くと、小さく拍手しながら傍らで子供らに囲まれているアリアをまぶしそうに見つめた。
押し合いになっているその公園を見下ろすことが出来る、高級宿の露台に男が立っている。
「いやぁ、よかった、素晴らしい! あれが噂の歌姫か、美しい娘じゃないか」
「すでに人妻だけどな、あの旦那さんなら誰しも納得だよなぁ。ま、俺らには高嶺の花だ」
昼間から高級な酒を仰ぎ、歌姫について語っている傍らの商人ニ人を一瞬盗み見て、視線をアリアに戻す。鈍く光る漆黒の頭巾を深々と被っているその男は、昼間にしては場違いな空気を醸し出していた。
商人らは、その男の存在に気づきながらも見て見ぬ振りをしていた。苦労して今の地位まで上り詰めたニ人は、この漆黒の男から滲み出ている異様な雰囲気に直感で脅えていた。関わらないほうが身の為だと、本能が叫んでいる。確かに、漆黒の布地からして上客。だが、彼に商談を持ちかける勇気を持ち合わせていない。
この宿に宿泊している時点で、そこらの一般市民ではないことくらい誰にでも解る。だが、この男はただの富豪ではない。
「気になりますか」
低い声と共に、男の付近に数人の男達が集まってきた。暗殺者のように足音も気配もせず集まって来た彼らに商人はいよいよ怯え、肩を揺らす。嫌な予感が膨れ上がり、息詰まる空気が押し迫ってきた。どちらが言うでもなく商人はそそくさと露台から逃げ出すように、酒を手にしたまま引っ込む。
背中に突き刺さる様な視線を感じ、全身の毛穴から汗が吹き出した。第六感が、警告したのだろう。しかし、振り返らずにそのまま駆け足で立ち去る。
もし、商人らが振り返っていたならば、命はなかったろう。この男は、気まぐれで人を殺すことに躊躇がない。
「……懐かしいな」
漆黒の男は嬉しそうに、悔しそうに、哀しそうに、愛おしそうに、複雑な心情を混ぜ込んで小さく呟いた。男は、随分と前から公園で歌い続けているアリアを一心不乱に見つめていた。
時折、隣のトバエに視線が動く。その度に口元が揺れ、空気が震える。
「っ……何故」
やがて、何曲も歌ったアリアは深々と一礼をするとトバエに手を引かれてその場を去った。人々も蜘蛛の子が散るように立ち去って、賑わいを見せていた公園は一気に閑散とした。
漆黒の男は名残惜しそうに踵を返し、露台から立ち去り社交室へ足を踏み入れた。控えていた者が、透き通った琥珀色のワインと豪華な果物の盛り合わせを差し出してきたので、優雅に受け取る。何気なく男は頭巾を外し、乱れた前髪をかき上げる。
途端、その場にいた豪商の娘らが黄色い悲鳴を上げた。
気付いた男が艶やかな視線を送り蠱惑的に微笑むと、再び悲鳴が上がる。
珍しい紫銀の髪に、鋭利な濃紫の瞳。星屑でも纏っているかのような髪は短髪で、憂いを帯びた流し目を送れば、娘らは腰が抜け、その場で官能的な甘い溜息を吐く。口角を持ち上げるが、瞳は全く笑っていないその男。ワインを呑みながら、マスカットを一粒手にし、口に放り込む。
三人の娘らは頬を紅潮させ、まるで身体中を愛撫された後のように座り込んでいる。貴族の娘のようだが、どれも流行の衣装に化粧を施していて大差ない。
男は大股で近寄り、一粒のマスカットを惚けて見上げた娘の口に押し込んだ。
「んっ……」
驚いて顔を歪める娘に、冷たい光を放った瞳のまま、喉の奥で男は笑った。瞳が吊り上がり気味だが、端正な顔立ちのその男は、何をしても様になる。
「麗しきお嬢さん方、よろしければ私の部屋へ如何かな?」
三人を値踏みするように順に見て、男はそう告げた。
娘らは、願ってもないとばかりに即座に勢いよく頷く。
「トダシリア様、御夕食に口にしたい食材はございますか」
娘らに手を伸ばし立ち上がらせている男の耳元で、控えていた者がそう囁いた。やんわりと首を振って顎で娘らを指すと、トダシリアは唇を動かす。
「前菜は、この娘らにする」
「承知致しました」
男の名は、トダシリア。
絶大な権力と武力を持ち、近年隣接する国々に戦争をけしかけ圧倒的に勝利してきた野心家。確実に領土を広げ、横暴な圧政で民を苦しめる狂王。
歩くトダシリアに、全ての者が跪いた。娘らだけが、浮きだった足取りで後に続く。
最上階の一室に足を踏み入れれば、娘らは我先にと自ら身に纏っていた流行のドレスを脱ぎ捨てた。巨大な寝台に無造作に横になったトダシリアに、蟻が菓子にたかるように一斉に群がる。
浅ましい娘らを見て興醒めし、トダシリアは鼻で嗤う。
「……三人、か。先程非常に意地汚い男を見た、オレは気が立っている。精々頑張れよ、売女ら? 満足させられなかったら、仕置きだよ」
言いながら娘の乳房を荒々しく揉むトダシリアは、こんな状況でも心あらずと興味なさそうに窓から外を見た。
空は、憎らしい程に青く澄み渡っている。
「満足させられるわけが無いだろ、お前達ごときが。……でも、ここへ来てよかった。この飢え続ける虚しさを満たしてくれそうな女、見つけたから。まさか、トバエが隣に居るとはなんともまぁ、数奇な運命だろう。おぉ、神よ! なんという仕打ちをするのでしょう!」
いつぞや弟を送り出した時のように、芝居がかった口調でお道化る。
トダシリアは、先程のアリアを思い出した。懐かしい、激情に駆られるあの憎たらしい笑顔を。皆に振りまくやたら偽善ぶって見えるアリアの笑顔を思い出すと、腸が煮え繰り返る。
股間に顔を埋めていた娘の頭を思いっきり押し付け、喉の奥に突き入れた。苦しみもがく声が聞こえるが、お構いなしで続ける。
逞しい胸板に舌を這わせていた娘の太腿に、怒りを籠めて爪を立てる。激痛で娘が悲鳴を上げたが止めることなく、肉を抉るように力を籠める。出血し、血の匂いが部屋に漂い始めると、痛みと恐怖で脅え始めていた娘に白々しい笑みを向けた。そして、身体を引き寄せ出血した箇所を、ゆるりと舌先で嘗め上げる。
それだけで、娘は恐怖から一転し、快楽に堕ちた。
「……あの笑顔は、オレに向けられるべきもの。あんな場所で安っぽく振りまいてよいわけが無い。以前に、どうしてっ! どうしてトバエに手を引かれて歩いているのかっ! 夫婦だと、冗談じゃないっ! そんな馬鹿な事があってたまるかっ」
吼えるように叫んだトダシリアは、一人の娘の首を腹いせに絞めた。
「グギッ、ガッ、ゴッ」
首が折れそうな程力任せに絞められ、たちまち彼女の顔は赤紫色に鬱血し泡を吐く。声すら出せず、眼球が飛び出て、顏が破裂しそうに膨らむ。
しかし、他の娘らは気にも留めず行為に没頭していた。一人の娘は夢中でトダシリアの身体に舌を這わせており、もう一人はトダシリアに秘所を弄られ恍惚の表情を浮かべている。
部屋からは、嬌声が幾重にも外に漏れ始めた。
「夫婦、ねぇ……“お前らが”夫婦、ねぇ?」
偏執狂であるその男は、娘らを“自分の欲望を軽減する道具”として扱った。窒息死した娘を床に投げ捨て、舌を巧みに動かしていた娘を上に乗せると下から突き入れる。娘らなど瞳に入っていないが、トダシリアの脳裏には、一人の女がずっといる。
彼女を思い出すだけで、否応なしに身体が疼いて、反応する。
「駄目だ、こんなんじゃ駄目だ。あの女じゃないと、駄目なんだ……。あれは、オレのだろうがっ」
翌日、街を流れる河から全裸の女三人の死体が上がった。
無残にも腹を引き裂かれ内臓を引っ張り出されたり、歯で肉を食い千切られたり、首の骨が折れていたりと、凄惨な状態だった。
愛する三人の娘達が行方不明になり、捜索願いを出していた豪商が駆けつけると、変わり果てたその姿に嘔吐しながら泣き崩れる。
あの宿で、トダシリアに誘われて部屋に入った娘らを見ていた者達が大勢いた。しかし、誰もその事を告げなかった。宿の関係者も、問い詰める豪商に首を横に振るばかりで真実を話さない。
「不審者が宿に入る事など有り得ません。こちらの警備は強固で万全です」
「で、では、娘らは一体どうしてこんなことになったと!?」
「失礼ですが、揃って宿を出て、悪い男にでも引っかかったのではないかと……」
「そんな不埒な娘に育てた覚えはないっ」
「ですが……」
知らないのは、豪商のみ。あの時間に滞在していた宿泊客のほとんどが、真相を知っている。しかし、我が身可愛さに口止めされるわけでもなく、黙秘している。
何故ならば狂気の殺人鬼は、あの無慈悲なラファシ国の王トダシリアなのだから。
「あぁ。あんな前菜じゃ駄目だった、解っていたけれど全然足りない。早く捕らえに行こう、すぐそこにいる。……さぁ、どうやって調理しようか」
夥しい血が身体中に付着していたので、用意された薔薇の花弁を浮かべた湯船で半裸の女達に身体を洗われながら、トダシリアは天井を見つめる。
「アリア、というのか。アリア、か。アリア、アリア、アリア、アリア、アリア、アリア、アリア。“アース”と間違えて呼ばないようにしないと。 ……そうとも、“思い出した”よ、オレは」
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2020.11.13
上野伊織様より戴いた、トダシリアのイラストを挿入しました(*´▽`*)
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