外伝4『月影の晩に』11:マロー姫の好物
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何故そのような事を言われたのか、全く検討がつかない。何か粗相をしただろうか、と思案したものの、特にない。強いて言うならば、押し付けた勉強の件くらいだ。
悪びれた様子もなく、大きな瞳をぱちくりさせているマローに、アイラは運命と取り組むような真剣な視線を投げかけている。
『言わなくても、解って』
マローはその凄みすら感じる姉の視線に身動ぎしつつ、眉根を寄せる。ふと、昼間の出来事を思い出した。
廊下で、トモハラから贈り物を見せられた。けれども、話しかけられ動揺してしまった。拒絶したが、それは今、胸で揺れている様な首飾りだったはずだ。
マローは、宝石の金額を知らない。買い物をしたことがないので、金銭感覚がない。そもそも、金銭が発生することも知らない。望めば全て出てきた、仕組みを考えた事などなかった。それゆえに、トモハラが苦労して購入した物だった、ということを解っていない。装飾品はどのような工程を得て完成するものなのか、知らない。
大きい宝石は華やかだから、小さい物など不要。常に傍に居るトモハラならば、自分が煌びやかな宝石を身につけていることを十分知っている筈なのに、小さい物を差し出してきたことが非常に気に入らなかった。
……この男、全然解ってない!
だから、払い除けた。
そこまで思い出すと、マローの胸がチクリと痛む。細い針が胸に刺さって抜けないような、ジワジワとした痛みが広がる。追い打ちをかけるように、悲壮感に包まれていたトモハラの姿が甦ると、苦しくて仕方がない。口元を押さえ、顔を歪める。
「マロー。……人はね、必ず過ちを犯してしまう生き物です。でも、言葉があるから謝る事が出来ます。そして、知恵があるから二度と起こさないよう心がけることが出来るのです。もしね、今後。マローが『ごめんなさい』を言うべきだったと後悔をする時が来たら。その人に、きちんと伝えるのですよ。貴女は、素直で利巧な子です。それが必ず出来ると、私は知っています」
「……うん。悪いと思ったら、謝る」
気落ちした様子で、俯き呟いたマローに、優しくアイラは微笑むとそっと抱き締めた。髪を、背中を撫で続ける。
「マローは、素直な良い子です、だから、とても可愛らしい」
撫でられながら、マローもぎゅ、っとアイラにしがみ付く。息を軽く吸い込み、吐き、瞳を固く瞑りながら唇を噛んだ。トモハラの切ない表情が、脳裏に浮かんだまま消えない。
もし、あの時。礼を告げて受け取っていたら、トモハラはどうしたのだろう。顔をあげて、笑ってくれたのだろうか。
想像したら全身が火照り、激しく心臓が鼓動し始める。
……ごめんね、ありがとう。
唇はそう動かしたが、トモハラに直接『あれがやっぱり欲しい』と言いに行く事など出来そうもない。代わりに、この首飾りを大事にしようと思った。
アイラは真実を告げるつもりはなかった、その為、マローは知らないままだ。まさかすでに、自分の胸元を飾っているなどと。
暖かなベッドの中で、アイラと手を繋ぎながら窓から顔を覗かせている月を見ていた。月に懸かる雲が、影を作る。
月影の晩に、マローは一人溜息を吐き続けた。
気に入らないのは、何故かトモハラを思い出すと憂鬱になるという、この自分自身。トモハラは、今も外で控えているはずだ。安心して眠れるように、一晩中見守っていてくれる。何故、傍にいるだけで心臓が煩く音をたてるのだろう。これでは、安心して眠れない。自分の身体なのに、思うように動いてくれず気味が悪い。
マローは、こっそりとベッドから足を下ろした。強く握っていたアイラの手を静かに解き、ドアへと向かう。月光の微かな灯りを頼りに、ドアを若干開いて様子を窺った。
「いかがなされましたか、マロー様」
騎士がすぐさま、声をかけてきた。
マローは顔を僅かに覗かせてトモハラを捜したが、姿が見えない。
「……眠れないの。眠れるように何か頂戴、お水は飽きたわ」
騎士達は、神妙な顔つきで相談していたが、直ぐに誰かが走り出す音が聞こえた。
暫くすると、ドアの前でピタリと足音が止まる。息を切らせている騎士を見て、マローの胸が高鳴る。跪き、湯気が立っているものが差し出された。
しかし、瞳は交差しない。マローはこちらを向いて、と願いつつ見つめているのに、トモハラは俯いたままだ。
「蜂蜜をたっぷり入れた、温かな山羊の乳です。お口に合えば良いのですが」
それだけ告げ、マローに手渡すとトモハラは深く一礼をして後方に下がる。代わりに、位の高い騎士が目前に控えた。
「……おやすみ」
「おやすみなさいませ、良い夢を」
マローは、ジンと手が痺れる様に温かいカップを手にし、すごすごと部屋に戻る。
……ありが、とう。
唇を動かし、茶色いトモハラの髪を思い出しながらドアを閉めた。窓に寄りかかり、ふーふーと息を吹きかけてから、そっと口に含む。甘くて温かいそれは、胸を打たれるほどに美味しかった。こんなに美味しいものは、久々に口にした気がした。トモハラが作ってくれたのだろうか、甘さ加減が絶妙だ。
「とても、美味しい……」
身体中の力が抜けて、微睡む。飲み干すと小さく欠伸を零し、姉の隣に潜り込む。
月影の晩、マローは至極幸せな夢を観た。
『マロー姫様、こちらをどうぞ』
『ありがとう、トモハラ。貴方を、あたし専属の飲み物屋さんにしてあげる。毎晩欠かさず、運ばなきゃ駄目よ。毎日作ってくれないと、駄目なんだからね。部屋で待っているから、持ってきてね』
『はい、畏まりました。マロー様の為に毎晩作り、逢いに行きます』
夜、皆が寝静まると二人の逢瀬が始まる。トモハラは一人、マローの為に飲み物を作り、部屋に来る。
穏やかな笑みを浮かべたマローは、それを味わいながら時間をかけて飲み干す。飲み終わるまでトモハラは近くに控えているが、二人に会話はない。
それでも、その夢の中で二人は真綿に包まれているような心地良さを感じていた。
大きな丸い月が、そんな二人を微かな音楽を奏でる様に照らしている。祝福の光を注ぎ続ける。
そんな、夢を見た。
目が醒めたマローは、それが夢であったと知ると、頬を叩かれたように気落ちし嘆いた。だから、夢を現実にしてしまおうと思った。
けれども、なんと伝えれば良いのか。姿を見かけて目で追うが、口が糸で縫われたように開いてくれない。
次の夜も、マローは騎士達にまた「眠れないから、何か頂戴」と、同じ言葉を伝えた。トモハラは毎晩、確かに作って届けてくれたが、所詮は事務的な仕事。あの夢のような、甘い暖かな時間は訪れない。一礼し下がっていくトモハラに、無性に苛立ちを感じてしまう。
この気持ちが何か解らず、どうしたら消えてくれるのか解決策もなく、マローは今日も一人、寂しく飲み続ける。
少し、理解出来たことがあった。
トモハラと同等の立ち位置にいる筈の、ミノリという騎士を観察してみた。彼は、アイラと視線を交わし、普通に会話し、笑い合っていた。嫉妬を覚えるほどに、二人は親しい。姉を盗られた様で、憎らしくも思えた。
さらに、マローを焦らせたもの。それは。
騎士トモハラとマローは、そのような関係を築いていないという事実だ。同じ姫と騎士なのに、どうしてこうも違うのか。何故、トモハラは余所余所しい態度をとるのか。
まさか、マローの態度と言葉が壁を作っているとは、夢にも思っていない。
トモハラの性格がミノリよりも生真面目で、出過ぎた真似が出来ないことも手伝っているのも確かだ。けれども、マローの接し方次第で変えることが出来る。アイラとマローでは、決定的に他人への心配りが違う事に、気づいていない。
幼いころから煽てられ甘やかされて育ったマローは、注目を浴びねば気が済まない。絶対的な存在として見て貰いたい欲求が強いので、口調も強くなる。それは、一国の姫として相応しい姿なのかもしれない。権力のある者は、下の者に誇示して良いのかもしれない。
しかし。