外伝4『月影の晩に』3:四人の王子達 前編
文字数 4,674文字
城内で真しやかに噂されていたのは、他国の王子達だった。噂が広がり、縁談の話は耐える事無く届いていたが、中でも皆の興味を引いていたのは四国。何処も魅力的な王子達が揃っている。しかし、野心家で、強引に火種を投げ込み属国としてしまう危険な国ばかりだった。女王が存命していたことは、彼女の巧みな交渉術で牽制していた。しかし、現在は女王を知らぬ王子らが猛威を振るっている。
光の加護を受けるファンアイク帝国の第一皇子ベルガー・オルトリンデ。黒に近い深緑の艶やかな短髪に、凍りつくほど美しい漆黒の瞳は冷淡な光を宿している。産まれ持っての覇王の器に、畏怖の念を抱きつつも惹かれてしまう美貌の皇子。
水の加護を受けるブリューゲル国の第一王子トライ・ウィーン。紫銀の眩い長髪を後ろで一つに束ねており、切れ長で秋の湖面の様に澄んだ瞳と視線が絡めば嬌声を上げてしまいそうな、これまた美貌の王子だ。また、武術も誉れ高い。
火の加護を受けるネーデルラント国の第一王子トレベレス・ウィーン。トライ王子と全く同じ紫銀の眩い短髪に、悪気のない率直な性格ゆえか瞳は常に煌き何かを追い求める光を燈している。痛めつけられても近寄りたい娘が、後を絶たない王子だ。水国のトライとは同日に生まれた従兄弟同士である、過去は本来一つの大国であったが仲違いし、現在は二国に分かれている特殊な国だった。常に冷戦状態であり、いつ戦争が勃発するか分からない。
風の加護を受けるラスカサス国の第四皇子リュイ・ガレン。漆黒の瞳と髪で、幼さが残るまだ可愛らしい皇子だが、兄弟の中で器量が最も良く、目が離せない天真爛漫の皇子である。
この四人が一斉に来城するという噂に、皆は色めき立った。幾度かは「姫の準備が整っていない」と丁重に断っていたものの、先方が痺れを切らした。これ以上は無駄な争いを起こす発端となると、ついに了承した。元はリュイ皇子のみが来訪予定であったが、何処で聴きつけたのか、遅れて三人も乗り出したことが真実。
自国の姫が如何に才色兼備であるかを見せ付ける為に、連日双子姫に対し猛特訓が課せられた。
とりわけ、アイラは厳しく指導された。最も厄介な国へ“貢物”とすべく、皇子に気に入られる為に、愛想笑いや異性の誘い方など、マローとは違った教育を施された。
そうしてここで、初めてマローと同等のドレスが用意された。
初めて見る高価なドレスに、多少胸を躍らせて袖を通したアイラだが、すぐに脱ぎたくなった。鏡に映る着飾った自分を観て、眉を顰める。自分ではないような気がして、不気味だった。そして窮屈さを痛感する、ドレスは重い鉛の鎖に思えた。化粧も施されたが、どうにも息苦しく、不慣れな香りに眩暈を覚える。
アイラは苦り切った表情で、無意識のうちに唇を尖らせた。その態度に「反抗的だ」と罰せられ、ピシャリと手の甲を叩かれる。
「常に媚びる様な笑顔を向けなさい、愉しめずとも笑っていなさい。王子らの話を親身になって聴き、相槌を入れ続けなさい。控え目な態度で淑やかに、けれども時折情熱的に見つめなさい。そこからパッと視線を外し、恥じた様に俯きなさい」
アイラは頭痛に苛まれながら、口角を持ち上げる練習を繰り返した。
……楽しくないのに、微笑むのは無理。
目の前の鑑の中にいる、陰鬱な自分。落胆し溜息を零していると、再び叱責される。
「全く、不器用で可愛げのない子! 愛嬌がないし、表情が常に暗い。こんなんじゃあ、王子達の目に留まらないよ。壁の萎れた花となるのが道理」
遠慮のない悪態だが、アイラが嘆き悲しむことは無かった。その通りだと認識していたからだ。遠くでダンスの練習をしているマローを見つめると、彼女は朗らかに微笑んでくるくるとまわっている。
……私には、あのような振る舞いが出来ない。きっと、皆が言う通り欠陥なのだわ。姫は一人ということにして、私は裏方で刺繍やお掃除に励みたい。そのほうが、愉しそう。庭いじりも楽しそうね、そのほうが私に合っている。どうして私、姫に産まれてしまったのだろう。きっと、神様が間違えてしまわれたのだわ。
四人の王子らが同日に来城するということで、いよいよ城内は嵐の様に慌しくなった。
双子姫は、毎日同じ部屋で同じ時間を過ごす事が出来るようになった。それが二人にとってはとても幸せで、嬉しい事だった。辛い日々の学習や訓練も、マローの傍に居られることを思えばアイラにはほんの些細な事に思えてきた。
広く柔らかなベッドで、手を繋いで眠りにつく。眠りに就くまで、二人で密かに会話も出来る。
「どうして今まで離れ離れだったのかな、あたし、姉様と一緒にずっと居たかったなぁ」
「きっと、私がマローの様に優秀ではないから、脚を引っ張る存在として遠ざけられていたのよ。私、マローの役に立てるよう、頑張るからね」
「えー? あたしと姉さま、何が違うの? 一緒でしょ?」
「……私は、マローのような愛らしさがないの。愚鈍だし、きっと出来損ないの姫なのよ」
「そうは思わないけれど」
マローは、姉が好きだった。勉強も丁寧に教えてくれたし、物知りで何より傍にいて心が落ち着いた。手の温もりを、離したくなかった。アイラは姉でありがながら、母でもあった。姉が邪険に扱われている事には、薄々気づいていた。非難したこともあった、理由を問い詰めたこともあった、しかし、皆は揃って言葉を濁す。自分が傍に居る事で、不当な姉の立場を変える事が出来るのではないかと思いつき、姉を護ろうと決意した。溺愛されている自分ならば、多少の事には目を瞑ってくれることも理解していた為だ。
正面から抱き締め頭を撫でてくれるアイラに、何度うっとりと笑みを浮かべその胸に顔を押し付けただろう。アイラの香りは暖かな太陽の香り、それでいて爽やかな新緑の香り。「姉様」と甘えた声を出すと、そっと抱き寄せて頬を撫でてくれた。存分に甘え、時に優しく叱咤され、必ず傍に居てくれるアイラに、マローは依存していた。
もしかすると、それは、恋人のような感覚だったのかもしれない。
自分に似て非なる、同等の美しい存在。心を許し曝け出せる、唯一の相手。
その日の朝の青々とした新鮮な空気ですら、緊張感が高まる彼らの心から憂鬱さを追い出すことは出来なかった。顔を強張らせた騎士達が、厳戒態勢を整えていた頃。
ついに、各国の王子達が次々と盛大に入国して来た。張り合っているのだろう、何処も派手な馬車であり、花弁を散らせながら華々しく登場している。財力と権力を見せ付ける為に過剰とも思える部下達の人数、馬車の装飾、演奏曲に、媚を売る様に市民らに菓子を投げる。
それは、最早壮大な祭りだった。国中が、歓声と拍手で揺れる程に溢れ返る。
噂の美男子達を見るべく、年頃の娘達は挙って最前列へと向かった。押し合い引っ張り合いながら、一目でも拝もうと皆は髪を振り乱し、鬼の様な形相で身を乗り出す。
紅い布には贅沢に金の糸で繊細な刺繍が施されている馬車から、一人の王子が顔を覗かせた。明らかに営業用の感じの良い笑顔で、片手を上げる。すると、あちらこちらで黄色い悲鳴が上がった。それは火の加護を受けるトレベレスである。紫銀の髪をかき上げて軽く微笑むと、熱狂的な空気を産む。
トレベレスは愚民共のその様子が滑稽で、嘲笑に近い酷薄は笑みを口元に浮かべ、愉快だとばかりに繰り返した。じっと一人の娘を射抜くように見つめれば、その娘は失神寸前で卒倒する。
「いやぁ、実に面白いな。長旅をしてきた甲斐があったというもの、存外楽しめた」
一瞬口元を歪めたが、直ぐにまた愛想よく笑みを湛える。傍らで家臣が小さく溜息を吐いたが、そ知らぬ振りをする。
傍から見たら華やかな出迎えではあるのだが、国民達とて物珍しさに集まってきたわけではない。心中では、腹黒い思いが蜷局を巻いている。
『呪いの姫を持ち帰ってくれるのは、誰だろう』
彼らの前を、鷲の紋章の国旗が通過する。冷酷非道と名高いファンアイク帝国のベルガーだ、勢力で選ぶならば、ここである。自国にとって最も脅威であり、衰退して欲しい国だ。間違っても、マロー姫を奪われてはならぬ国である。姿を見せぬ皇子に、国民は歓声の中で祈った。「どうか、アイラ姫を押し付けられますように」、と。
すでに全国民にまでも浸透している“繁栄と呪いの双子”の予言。
呪いの子がようやく国から出て行くのであれば、来場を歓迎して当然のこと。四人も揃って来てくれた王子らに、感謝こそすれ。
「全く、あの呪い姫のおかげで、皆がどれだけ苦しめられた事か」
事故で誰かが亡くなれば、それはアイラの呪いゆえに。漁に失敗しても、アイラが原因、怪我をしてもアイラの災い。国内で起こる些細な不幸が、全てアイラが起こした災厄とされていた。
城内へと入っていく王子達に期待をする国民だが、果たして本当に呪いの姫を上手く持ち帰ってくれるだろうか。
「良いですか、お二人とも。粗相のないように、心を引き締めてくださいませね。これからお会いするのは、他国の王子様方に御座います。一国の姫として凛とし、礼儀正しく御挨拶なさい」
耳にタコが出来る程聞かされた言葉に、マローは欠伸をしながらげんなりと頷いた。王子の話を聞かされたのは当日のことだった、流石に朝から幾度も同じことを言われては、誰だって不機嫌になる。
とりわけ、アイラは気に入られる為に積極的に会話するよう指示を受けた。平素他人と接する機会が極端に低く、マローのように社交的ではないと自覚しているアイラは、重苦しい気持ちのまま俯き、王子達が待つ来賓室へと向かう。脚が、地面に根を張ってしまったかのように重い。
身嗜みの最終確認をし、背筋を伸ばし、堂々とする様に叱咤された。腰を叩かれ、唇を噛み締めたアイラは懸命に顎を引いて顔を上げる。それでも、助けを求めるように後方のマローを見つめた。特に気にした様子もなく、女官に飲み物を貰い口にしているマローは、落ち着き払っている。
……私にも、度胸があれば。マローとまではいかなくても、練習通り挨拶出来るのに。
先にアイラが入室し、後からマローが入るという手筈になっている。
震える足先を見つめると、再び腰を叩かれ舌打ちをされた。粗相をしてはならぬと言い聞かせるたびに、身体は緊張を増してしまう。アイラは大きく深呼吸すると、ぎこちなく前を向く。
……王子様方は、何故来城されたのかしら。覚えの悪い私が、説明を受けたにも関わらず、忘れているだけなのかしら。
アイラは、何も聞かされていない。自分達に纏わる予言すら、知らされていない。
ただ、母である女王が亡くなっている以上、この城の主は幼くとも自分とマローであり、他国から客が出向けば持て成すのは必然であると解釈した。勤めを果たさねば、不出来であれども一応は姉なのだから、と。
※2020.7.7 白無地堂安曇様から頂いたトビィ(この時代だと【トライ】です)のイラストを挿入致しました。
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