開かれし過去の記憶

文字数 8,578文字

 呆れ顔のスリザは、地面に唾を吐き捨てた。目の前には、厭らしい笑みを浮かべた魔族の男達が立っている。
 先程、ミラボーからの攻撃によって、皆が引き離されてしまった。
 スリザは心の奥でアイセルを求めながらも直様気持ちを切り替え、アレクを捜した。弾き飛ばされた衝撃で、左足首及び肋骨数本を骨折している。だが、動けるだけで幸いだと思った。よろめきながら歩き続けていたが、気づけば下卑た男達に囲まれていた。それでも怯むことなく、凛とした態度で自慢の双剣を構える。
 目の前の男らの、顏も名前も知っていた。几帳面で真面目なスリザは、部下らの顔と名前を覚えている。

「綺麗になったよなぁ、隊長さんよぉ。少し前まで、男にしか見えなかったのに」
「いやいや、綺麗な男よりか劣ってたな。ひゃあっはっはっはっは! 筋肉質で、胸もない、女らしい仕草も笑みも持ち合わせていない御人だったなぁ」
「だが、よぅ?」

 男達は舐めるような目つきで、スリザを見つめた。まるで、奴隷市場で品定めをしている様に。
 冷ややかな瞳でスリザは睨み返すが、流石にこれらの視線を多方向から浴びせられると気味が悪い。このような状況に陥ったことなど、今までなかった。
 
 ……知らなかった、女は時に面倒なのだな。

 震えそうになるのを耐え、柄を強く握り締める。そして、大袈裟に落胆してみせた。
 
「……いや本当に綺麗になったんだよ、アンタ。いやぁ、よかったよかった!」
「お前達に誉められても、不思議な事に喜びを感じない」

 低音で切り返すスリザに、男達は失笑した。低俗な顔を更に歪め、醜い声で笑う。背筋が薄ら寒くなった、嫌悪感を抱かずにはいられない。

「イイ具合に、色気が出た。さぞかし愉しませてくれるんだろうなぁ、隊長様よ」
「……アイセルに逢ったら、謝罪しなければならないな。今まで悪かった、と。外道極まりない、醜悪で下卑た大馬鹿男というのは、お前達のような者を指すのだろう。よかった、私の愛すべき男は、お前達と天と地の差があるようだ」

 淡々と告げるスリザに、男達が口を噤む。
 小声で何やら相談し始めた男達を見て冷静さを取り戻したスリザは、ゆっくりと足を進めた。手負いであれども、こんな男達に負けるわけがない。
 自信があった。

「茶番はここまでだ、その綺麗な顔が歪むのが愉しみだなぁ、隊長様よ。泣き喚いて謝罪しな、罵った男達に蹂躙される地獄が待ってるよ。……覚悟しな」

 そんな負け犬の捨て台詞を鼻で笑い、右脚で地面を蹴り上げたスリザは、掛け声と共に剣を迅速に振るった。風の刃が数人の男に直撃し、その首を撥ねる。見事に飛んだ頭、そこから血液が噴水の様に勢い良く飛び散った。

「容赦しない。醜悪な部下の始末は私がすべきだろう」

 恨みのこもった眼差しを向けられ、流石に怯んだ男達だったが、狼狽しながらスリザの前に何かを突き出した。
 気にせず再び剣を振るおうとしたスリザだが、地面に投げ捨てられたものに釘付けになる。

「ち、父上!? 母上!?」

 喉の奥から悲鳴を上げたスリザから、気迫が失われた。
 男達は脂汗を拭いながら、ようやく勝ち誇った笑みを浮かべる。震えるスリザを愉快そうに見つめ、口笛を吹きながら近寄る。

「可愛い声じゃないか、隊長さんよ。そういう風に啼いてくれると嬉しいねぇ? アンタが屈辱を浮かべた表情は、さぞかし色っぽいんだろうなぁ。へっへっへっ。胸がないのが、多少つまらんが。まぁ、感度がよけりゃぁ、それでいい」

 爆笑する男達の声が、途切れ途切れに聞こえる。眼球が飛び出ており、鬼のような形相の父と母の変わり果てた姿。隣に、先程飛ばした男らの首が転がっている。
 スリザの思考が、停止した。

「元隊長さんであるアンタの父親もな、俺達を散々愚弄してくれたんだよなぁ。そりゃぁ老体でも、確かに強かったんだけどもなぁ? 娘のアンタを拘束している、なーんて嘘ついたら直様大人しくなってくれたんだよなぁ~。いいねぇ、家族愛」

 魔王を代々護衛してきた、屈強で誇り高い一族。幼い頃から厳しく育てられたスリザは、女としてではなく、男として育てられた。厳格な父が微笑んだ姿など、一度も見た記憶が無い。
 だが、父は当然娘を愛していた。スリザが捕えられたと聞き、動揺した為敗北した。死体をその目で見るまで、言葉を信じなければよかったのだが出来なかった。父の死に顔には、家族を守れなかった自分への憤怒の色が見える。口惜しさを物語るその気迫も、男達には嘲笑の対象だった。

「さぁさ、お楽しみの時間だ!」
「父上、母上!」

 スリザは無造作に転がっている首に手を伸ばしたが、地面に押し倒された。愛剣は蹴られ、手を離れ床を滑って遠くへ転がった。
 興奮し血走った瞳の男達が、我先にと一斉に飛びかかる。手負いの蝶に、蟻が群がるように。

「ふぐっ!」

 両手足を大きく広げられ拘束されると、鳥肌が一気に立つ。逃れようと暴れた為に、骨折した箇所に激痛が走る。それでも無事な右脚で、スリザは気合で男を蹴り上げた。
 情けない声を出してひっくり返った一人の男に呆れた溜息を漏らした男達は、懸命に暴れるスリザの腹部に何度か拳を叩き込んだ。地面に挟まれて威力は増し、意識を手放しそうな程の激痛が身体中を支配した。堪え切れず、口から胃液を大量に吐き出す。

「ゲフッ、ゴホッ!」
「全く、躾がなってねぇなぁ……。面倒だ、片足切り落とせ。なぁに、性器さえ無事ならいいだろ」
「死んだ直後の女のほうが、シマリが良いと聞いたこともあるな」

 悍ましい事を愉快そうに話し、全員でスリザの身体を押さえつけた。それでもまだ決死の覚悟で抵抗する姿を、さも楽しそうに見下ろしながら太腿に剣を宛がう。無事な右脚、その引き締まった太腿に、ぷつり、と刃を突き立てる。薄っすらと、徐々に衣服に血が滲み出した。

「クッ!」

 絵画でも鑑賞しているかのように恍惚とした瞳で見つめながら、男は手に力を篭めた。皆、狂気じみた瞳で、食い入るようにスリザを見つめる。

「ア、アアアアァァァァァァアアアアッ!」
「ひゃぁっはっはっ! 可愛い声で啼けるじゃねーか、隊長さまよぉっ!」

 ゴリゴリ、と骨が削れる。斬るというよりも、砕く。血が噴き出し、周囲に溢れ返るその匂いを、まるで芳醇な花の香りの様に男達は胸いっぱいに吸い込んだ。
 加虐心が増し、苛烈する暴虐な感情が男達を支配する。決して自分達には屈することがなかった、美しく気高い女が目の前にいる。それは、獣じみた狂気。
 男が斬り落とした右脚を放り投げると、偶然にもそれは両親の首の前に転がった。

「ざまぁねぇな、隊長様よ?」

 顎を持ち、頬を舐めながら男は言った。
 スリザは激痛と多量の出血で意識が朦朧としながらも、舐められた頬が毒で侵された気がして身震いする。しかし、ぎこちなくだが口元に笑みを浮かべ、蒼褪めた唇から唾を吐き捨てた。
 男の瞳に、唾液が飛ぶ。

「情けないな、女一人に、多勢で?」
「……許しを請えば、少しは優しくしてやったものを」

 絶対に屈しない、例え四肢を切断されようとも。スリザの瞳が、そう物語っている。
 瞳の光に苛立った男は、思い切り頬を殴りつけた。
 スリザは唇を噛んで叫ばなかった。奥歯が欠けたが、もう何処が痛むのか解らないほどに感覚が麻痺してる。身体を痛めつけられる事よりも、こんな男らに身体を穢されることのほうが耐え難い。舌を噛んで自害しようと思ったのだが、そうは出来なかった。男が口をこじ開け、布を入れてきたのだ。これで、舌を噛めなくなった。吐き出そうとするが、奥まで押し込まれて出来なかった。逆流した胃の中のものが、喉を行ったり来たりする。
 死ねないのならば、生きねばならない。諦めてはならない。 

 ……アレク様、アサギ様……アイセル。 

 大事な者達を思い浮かべ、どうにか心を奮い立たせる。

「さぁて」

 馬乗りになった男を睨みつけるが、効果はない。寧ろ、喜ばせただけだった。
 
 ……アイセル、アイセル。
 
 その名を呼び続けながらスリザは、硬く瞳を閉じた。頼るより前に、自分でどうにかせねばと思うのだが。あの、優しく温かく逞しい腕を欲した。誰かを愛し、頼ったことで弱くなったのかもと自嘲気味に嗤う。

 ……あぁ、アイセル。

 知らず、涙が頬を伝った。

 アサギとアイセルは、懸命に仲間達を捜していた。誰でも構わない、とにかく無事だと、願って城内を駆け抜けていた。
 遠くから聴こえた悲鳴にアイセルが直様反応し、無我夢中でアサギを引き摺りその方向へと向かう。
 
「スリザちゃんの、声だった!」

 耳が、愛しい女の声を捕えた。危機的状況だということが分かる悲壮感溢れる声に、アイセルは身体中がどうにかなりそうな程焦った。
 アサギも必死に駆けるが、アイセルは速すぎる。足がもつれ、足手纏いだと判断した為、声を嗄らしながら叫んだ。

「アイセル様、先に行って下さい! 私、絶対に追いつきますからっ! 急いでっ!」
「ッ、わかりました! 申し訳ありませんっ」

 断腸の思いで手を離し、アイセルは全力で駆け出した。
 アサギは、少しでも離れないようにと力の限り追う。息は上がり、口内に鉄の味が広がる。小さくなっていくアイセルの背中に、手を伸ばす。
 先に行けと言ったものの、今、離れてはいけない気がした。

「スリザちゃんからぁ、離れろ、この大馬鹿野郎共っ!」

 上から聞こえた怒声に、男達は瞬時に青褪めた。
 今にも崩壊しそうな上階に、怒りに震えているアイセルが立っている。
 その声に、スリザは堪えていた涙を一気に流した。気が緩んだ、愛おしい待ち望んだ声に、必死に名を呼びながら瞳を開く。下半身の衣服は剥ぎ取られたが、まだ、何もされていない。
 しかし、露になっている下腹部、切り落とされた右脚、それらが視界に入ったアイセルは逆上する。空気が、怒りで震えた。
 男達が、激高するアイセルに悲鳴を上げる。死を覚悟した。 

「こんっのっ!」

 吼えたアイセルは飛び降り、男の顔面に蹴りを放った。
 ぐしゃりと音を立て、無様に潰れた顔面で一人がのた打ち回る。狼狽しながらも、男達は各自の武器を手にした。だが、怒涛の勢いで暴れるアイセルの勢いに押され、防御が精一杯だった。六人もいるというのに、かすり傷一つつけられない。
 アイセルの尋常ではない尖った声を聞き、アサギは棒の様な足を必死で動かす。限界が来ていた、疲労もあるが、度重なる緊張感で精神と気力が底を尽きそうだ。それでも、勇者だからと。勇者は皆を助けなければならないと。力を振り絞った、恐らく勇者の剣であるそれを御守りの様に握り締めて。
 気力でようやく端まで来たアサギは、下りられる場所を探した。眼下では、手負いのスリザが横たわっている、アイセルが雄たけびを上げて戦っている。早く駆け付け、回復の魔法をスリザに施し、アイセルに加勢せねばならない。
 アサギには、アイセルのように飛び降りることは出来ない。無事ではすまない高さであり、無謀そのもの。駆け付けたところで、自分が痛手を負っていては意味がない。

「せ、せめて魔法をっ」

 焦燥感に駆られたアサギは、身を乗り出し回復魔法の詠唱を始めた。

「あれぇ、何処かで見たガキだな?」
「きゃあ!」

 髪を捕まれ痛みで身を捩ると、臭い息が鼻につく。思わず顔を顰めると、アサギは振り向いて相手を睨みつけた。酔っているのか、顔が赤い髭塗れの男がいた。顔に大きな傷があり、それを除いても、お世辞にも美しいとは言えない顔立ちをしている。
 男はアサギに顔を近づけ、瞳を細めた。泥酔しているのか、視界が虚ろだ。

「あー、勇者か! 勇者のガキだな、お前! おぉお、ついに運がまわってきたぞ、きたぞ! ミラボーに手土産が出来た」
「は、離して!」
「ありがてえなぁ、こんなところに取り残されていただなんて。なんでミラボーはお前を探してるんだろうな? お前を連れて来れば、惑星を一つ貰えるんだってよ! ついに覇王として君臨する時が来たぜぇ! 惑星だぜ、惑星! 魔界じゃないんだぜ~、ひゃっはー!」

 色々と気になる点はあるが、目の前の魔族に嫌悪感を丸出しにする。アサギが接してきた魔族達は、皆、魔王アレクに仕えていた。心から彼を尊敬し、敬い、共に生きていこうとしていた。
 しかし、この男は違う。

「貴方も、惑星クレオの魔族でしょう!? アレク様ではなくて、どうしてミラボー様にっ!?」

 この男が、先程操られていた魔族達と違うことなどすぐに解った。自らの意思で動いている、ミラボーに傅こうとしている。
 髪を掴み上げている魔族の男は、必死の形相のアサギに甲高い声で嗤った。

「アレクはなぁ、平和主義者でなぁ……。それが気に食わない魔族だって、大勢いる。己もその一人よ。つまらない世の中だ、だがな、ミラボーは手を貸してくれるんだとよ、好き放題暴れる事が出来る世界を用意してくれるんだとよ!」

 ミラボーは、混沌を好んでいる。勇者が倒さねばならないのは、惑星チュザーレから来た魔王。アサギは、そう悟った。しかし、心に蟠りがある。「それは違う」と、耳元で誰かが囁いた気がして瞳を泳がせる。

「んで、誘いに乗ったわけだ。ただなぁ、意外とアレクが信頼されててなぁ。仲間の人数がちょーっとばかり不足しているってぇ、受け取った妙な薬をそこら中に撒いたのよ。そしたらすげぇよ、全員じゃねぇが、錯乱状態後、魂が抜けたみたいに一つのことしか出来なくなった。操り人形だな、同じ匂いのしない者に攻撃を食らわすんだ。間近で見たが、その効果は抜群! ミラボー様様だぜ」

 ベラベラと喋ってくれたおかげで、状況の把握が出来た。この男が撒き散らした薬のせいで、一部の魔族達が狂ってしまったのだと。アサギの瞳が、怒りで満ちる。

「なんということを!」
「文句はミラボーに言いな。さぁて、折角だから名乗ってやるよ、俺様はオジロンってーんだ。次期飛行部隊所属ドラゴンナイト隊長になる予定だったんだぜぇ、もう、どうでもいいけどな。ひゃっはー!」

 イチイチ笑い方が癇に障る。
 そんな中、アサギは眉を顰めた。その名前に聞き覚えがある。

「……オジロン?」

 名を、復唱した。
 一気に血が逆流する、そういえば声も顔も、憶えている。
 キィン……脳内で金属音が鳴り響き、激痛が走ってアサギは悲鳴を上げた。

「アサギ様!?」

 その悲鳴に、アイセルとスリザが反応した。スリザから男達を引き離し、口にあてがわれた布を引き抜いたところだった。
 声にオジロンも気がつき、アサギを引き摺ってニ人に見せ付けるように首に手をかけると、身体を宙に浮かせる。いつでも手を離せば、下の階へ放り出せる。まさかの大物ニ人が居合わせたことに、鼻の穴を膨らますと勝ち誇った笑みで見下ろした。

「アイセルっ、行け! アサギ様を護れ!」
 
 スリザは、解放された口ですぐさま声を張り上げた。
 けれども、男達はまだニ人残っている。今、スリザを一人にしたら、殺されるか犯されるのが目に見えていた。しかし、真上では苦痛に喘ぐアサギがいる。アイセルは、躊躇した。

「アイセル、何をしているっ! アサギ様を守護するのだろう!? 早く行けっ」

 予言家の末裔は、次期魔王候補であるアサギを守護する義務がある。それは、重々アイセルとて承知していた。魔界を救うことが出来るであろう唯一の希望が、目の前で苦しんでいる。
 しかし、同時に最愛の人も苦しんでいる。

「アイセル! 早く行けぇっ」
「……ごめん、アサギ様!」

 スリザの絶叫に反し、アイセルはその場に踏み止まると男を蹴り上げた。本能に従った、護るべきはスリザであると。
 護るべきは、愛した、女であると。

「ひゃっはー! お前、見捨てられたぜぇ? 可哀想な、勇者だなぁ、おい!」

 これ以上に愉快な事はないと失笑したオジロンは、アサギを地面に放り捨てた。どのみち、ミラボーに届けねばならないので、ここで棄てることは出来ない。
 地面を転がり、何度も嘔吐しながらアサギは必死に剣を捜す。先程、苦さのあまり剣を手放してしまった。戦う為には、態勢を立て直さねばならない。今こそ、あの剣が必要だ。

「……いえ、これで良いのです」
「あ? なんか言ったか」

 這い蹲って剣を求めるアサギは、腕に力を篭めて立ち上がると、震えながら髪をかき上げた。
 一瞬、膝がカクン、と落ちる。暫し、間。
 深呼吸をして、ゆっくりと姿勢を正した。

「これで良いのだ、あのニ人は運命の恋人同士。アサギを護る必要など、何処にもない」
「運命の恋人ぉ? 狂ったか、頭」

 オジロンは腹を抱えて笑いながら、アサギを見た。
 その笑い声が、ピタリと止まる。瞳を何度か瞬きし、細めて見つめた。酔いが一気に醒めたらしく、顎が音を立てて震える。

「お前……そんな髪だったか?」

 豊かな新緑色の、柔らかく艶やかな髪が揺れている。オジロンは首を傾げ、「黒くなかったか?」と付け加えた。

「『久しいな』と言うべきか。相変わらず、うだつの上がらない魔族であったようで」

 知らず、オジロンが一歩後退した。アサギの声色が変わったからだ、声質は同じだが妙に威圧感がある。背筋が凍り、目の前の小さき存在が異質であると判断した。身をもって、恐怖を痛感した。
 
「憶えていないのか? あれは小さな国だった、戯れ程度の出来事ゆえ、記憶の片隅にもないのだろう。しかし、サーラのことは忘れたくとも忘れまい。そなたの誤算は、あの場に居た魔族が紅蓮の覇者サーラであったこと。ビアンカ、と言ったか。彼女が死に、そなたの記憶を揺さぶるものがなかったのかもしれぬな」

 サーラ。そして、ビアンカ。
 知っている名前だった、オジロンは記憶を辿る。ニ人が絡み合ったのは、あの時だけだ。
 あの時。
 昔、格下の人間に『城に住みついた魔族を、追い出して欲しい』と頼み込まれた。のこのことやってきた脆弱な人間を返り討ちにしてやろうかとも思ったが、野心ある愚かな者に肩入れしたほうが長く楽しめそうだと思った。魔族内では弱小とされる自分を偉大な魔族と勘違いして頼ってきた人間は、優越感に浸らせてくれる。すぐに消すわけにはいかない。
 騎士団長だという男に軽く返事をし、ここぞとばかりにゴブリンを引き連れて城に攻め入った。
 そこに居たのは“紅蓮の覇者”という異名の、美しき炎の魔族サーラ。勝てるわけが無い相手だった、知っていたら引き受けなかった。
 記憶が鮮明に甦る。確か、あの場に。
 奇怪なものを見るように、オジロンはアサギを見つめた。爪先から頭部を見つめると、記憶の娘と一致し、盛大な悲鳴を上げる。

「あ、あの時の……小娘!」

 無表情で、アサギは立っている。
 緑の髪を揺らし、冷たい光を宿した瞳でオジロンを見定めている。冷徹な雰囲気を纏うその姿は、一見アサギには見えぬ。
 少しも笑みを浮かべることなく右手を伸ばすと、遠くの地面に転がっていた剣が、その手に戻ってきた。首を微かに動かし、その剣を硬く握る。しっくりと、収まる。

「これは、“エリシオン”。惑星ネロの、勇者剣」

 剣を携え歩み寄ってきたアサギに、オジロンは身を翻すと逃走した。

「小娘だ! あの時の小娘だ! 俺を馬鹿にした、人間の小娘だ!」

『なんということを!』
 その小国には、姫がいた。魔族と結託した騎士団長を平手打ちにして、果敢に剣を引き抜きゴブリンへ斬りかかった恐れを知らぬ小娘だった。
『私はアンリ。確かにとても強そうな響きですが、貴方のように卑怯な方が隊長だなんて、魔族には大した人がいないのかしら』
 恐れもせずに前に立ち塞がったアンリは、挑発するように本音を吐露した。吐き棄てたその台詞にオジロンの羞恥心と憤怒が沸点に達したのを憶えている。そして、見透かしてくるようなアンリの瞳に、狼狽もした。

「あ、あの小娘だ!」

 アサギの髪が黒だったので気がつかなかったが、今、こうして緑になれば。一致した、間違いなく同一人物だ。着ている衣装も何処か似ていることを思い出すと、ガクガクと脚が震える。自分が蒔いた種とはいえ、忌々しい過去の記憶。忘れていたのではない、心の奥底に隠していた。
 何より、アサギは自分を知っている口ぶりである。

「そ、そんな馬鹿な! あの小娘はあそこで死んだだろう!?」

 喉から漏れた悲鳴が、空気と化す。

「あの時。……民を、父を、国を護る事が出来なかった。結局、護る事が出来たのはサーラだけ。()()()が、愚かな願いをしたばかりに」

 淡々と抑揚のない声で語り続けるが、オジロンは聞いてなどいない。

「例えばこれを、敵討ち、とでも言うのならば」

 エリシオンを構えると、オジロンが不様に怯えた表情を向けて尻もちをつく。

「それでも。それは、してはならぬ事なのだろう。……ならば行くとよい、そこで()が待っている。そなたの生死は、トビィに委ねよう。アサギと違い、彼に非はないゆえに」
 
 剣を一振りすれば、悲鳴を上げたオジロンの姿が目前から掻き消えた。
 静まり返ったその場所でエリシオンを握り直すと、踵を返す。歩いて、いや、宙に浮いて進んだ。
 髪が頬を撫でる、微かに俯くとそのまま地面に片足をつき、跳躍する。ふわり、と二階から飛び降りた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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