勇者の憧れ
文字数 3,768文字
なるべく下を見ないように瞳を固く閉じ、それでも恐怖で震えているグランディーナを励ましながら彼女の屋敷に到着したアサギは感嘆の溜息をもらした。規模はアリナの家に劣るが、高い塀があり見事な佇まいだ。
「素敵な御屋敷ですね!」
「うちは代々市長なの。……ずっと昔に建てられた邸宅よ」
普段ならば胸を張って言い放つが、生憎今のグランディーナにはそんな気力はない。おっかなびっくり瞳を開き、産まれて初めて自宅を上空から見た彼女は、知らず家族を探した。行方が分からない娘の心配をして屋敷前で待っていてくれるのではないか、と淡い期待を抱いて。
しかし、食い入るように目を凝らしても、見慣れた家族は見つからない。市長の屋敷に救いを求めて殺到する人々なら、眼下にいる。
薄々勘付いていたが、父たちは真っ先に避難したのだろう。貯蔵庫もある地下ならば、この騒動にも耐えられる。外部へ抜け出す通路もあると聞いているので、間違いない。そういう人だ、娘より我身が大事だということは痛い程知っている。胸がギリギリと錆びた鋏で切られたように、痛い。すっぱり切ってくれたら楽だろうに、鋭利でない刃は痛みを引き摺るだけ。
ジクジクと、痛む。
遣り切れない思いで俯いたグランディーナに、アサギはかける言葉も見つからなかった。おずおずと背中を擦る。
おそらく、アサギの両親ならば逃げない。愛する娘を待つどころか、捜しに出掛けるだろう。
「ワイバーンさん、どうでしょう。何か感じますか?」
気まずい空気を払うように、アサギはワイバーンを振り返り訊ねた。
「ギギェ」
「そうですか……間違いなくここですか」
大きく羽根をばたつかせ吼えたワイバーンが、近所の犬のように愛らしく思える。すっかりアサギに心を許しているようだ。
やりとりを見ながら、グランディーナは何もかも諦めたような顔をして微かに笑う。人間と魔物が会話する姿を見ていると、世の中には何が起こっても不思議ではないし、こうして救ってもらえたのだから努めて明るくいようと。
悩むことが馬鹿らしく思えてきた。
「よく今ので解るわね。……貴女、何者なの」
「勇者です」
「そう、勇者……はぁ!?」
もう何があっても驚かないと思っていたグランディーナだが、想定外の単語に声が裏返る。勇者が現れ魔王を倒した吉報は知っている。
「勇者って……もっと……こう、なんていうか」
まさか、目の前の華奢な美少女が勇者とは。
ワイバーンと会話し、竜を引きつれているので神秘的ではある。頷けなくもないが、俄かに信じ難い。竜使いといったほうがしっくり来る。もしくは竜の姫か。固唾を飲み頭のてっぺんから爪先までを見つめ、グランディーナは今更ながらに溜息を吐いた。見れば見る程、美しく不思議な雰囲気のアサギに見惚れてしまう。
「卵は、この御屋敷の何処に?」
呆けているグランディーナを他所に、アサギは低く唸る。しかし、ワイバーンが近寄って来て急かすように首を懸命に動かすので、一つの部屋に目星を付けた。
一際大きな窓には、真紅のカーテンがかけられている。
「あそこは、お父様の部屋よ。可能性は高いわ」
アサギの射抜くような視線を追ったグランディーナは、感心したように拍手をした。客室よりも華美なその部屋は、紛れもなく父のもの。
「行きましょう」
アサギは確信し、グランディーナに絶対に動かないよう伝えてデズデモーナから飛び降りた。容易く窓に触れ、開く。施錠されていなかったので、難なく侵入する。
室内には、所狭しと絢爛な美術品が飾られていた。その中に、朱色の台の上に燦然と輝く卵を見つける。命が惜しかったのだろう、避難の際に持ち出さなかったことが幸いした。
掌で優しく包み込み、光沢のある桃色の卵を抱きしめ耳を寄せる。コツン、と嘴が当たるような音が聞こえた。次いで微かに啼いた気がしたので笑みが零れる。
どうやら孵化寸前らしい。
「大丈夫、生きてる」
卵から感じる生命の波動に胸が震える。どれくらいの間親ワイバーンから離れていたのか知らないが、力強さに圧倒された。
励ますようにアサギは抱きしめると「頑張って」と囁く。淡く卵は光り輝き、それに応えた。善は急げだ。
身を翻し窓から飛び出したアサギを、ワイバーンが咆哮を上げて出迎える。
「卵は無事です! さぁ、帰りましょう」
破顔してそう告げると、ワイバーンたちが一斉に方向を変えた。卵さえ無事であれば用はない、住処へと戻るのだろう。
「置いてあったんだ。よかったね」
グランディーナがまばらな拍手を贈ると、嬉しそうに笑ったアサギはそっと手を伸ばした。
「ありがとうございます、助かりました」
「私は何もしていないよ。こちらこそありがとう、貴女が来てくれなかったら、街は壊滅していた」
伸ばされた手に躊躇いがちに触れたグランディーナの身体が、宙に浮く。悲鳴を上げる間もなく、気が付けば地上に降りていた。
「お父さんに、今後は気を付けて買い物をするようにとお伝えください」
「う、うん。解った」
中庭の芝生に降ろされたグランディーナは、ぎこちなく返事をして片手を上げる。
「もう行くの?」
「はい。卵を届けます。街の状況はボルジア城の賢者さまたちが把握しているはずなので、後日支援部隊が派遣されると思います」
そう告げながら、アサギを乗せたデズデモーナがさらに上空へ舞い上がった。
空の光に吸い込まれそうなその姿から、グランディーナは目が離せなかった。見た目は脆弱そうなのに、戦いの女神に思える。
「まるで、女神エロースの遣い」
御伽噺でしかない女神の名を呼び、自然と頭を垂れた。
アサギが卵を大事に抱えデズデモーナと共に上空を駆けると、鮮やかな緑色の巨体が近づいてきた。
「トビィお兄様、クレシダ!」
「無事か、アサギ」
「はい! 今からワイバーンさんの卵を届けに行きます」
アサギとトビィは、簡単に経緯を話す。
トビィは、海からやって来た魔物を一掃してきたところだった。
「ワイバーンに触発されただけだろうが、報告済みだ。ここは惑星チュザーレ、今後の対処はアーサーに任せる」
すでに街には救援部隊が向かっているとクレロから伝言があったので、トビィは面倒そうに頭をかく。
「オレたちに頼むのが筋違いだ」
ぼやいて、唇を尖らせた。
「けれど、惑星クレオの戦いでアーサー様たちは協力してくださいました。今後も互いに助けあうべきだと思います」
困惑気味に口を出したアサギに、トビィはすぐさま余裕の笑みを零す。
「アサギが言うなら、そうしよう」
あっさりとトビィが受け入れたので、聞いていたクレシダが咽た。物言いたげに首を持ち上げたが、何も言わずに飛行を続ける。
巣がある山岳地帯に卵を送り届け、ワイバーンに見送られながらアサギたちは惑星チュザーレを後にした。卵から雛が孵ったら、見に行くと約束をして。
「ワイバーンと親しくなったのか?」
「はい! 皆さんとても優しい子たちです。ただ、今回の件でワイバーンの卵は狙われやすいということが判明しました。対策の件も含め、アーサー様に報告をしたいと思います」
後半、言葉を鞭のようにしならせたアサギにトビィは強く頷いた。
クレシダも、以前母と弟を狙われた身であり他人事ではない。あの時は魔族であったが、脆弱な者を親から引き剥がす行為は到底許しがたい。
「地球にも誘拐や密猟がありますが、どこの惑星でも同じですね……。何故でしょうか」
「簡単に金になるから、もしくは単純にその行為自体に罪悪感を抱かない者がいるからだろうな。鳥にも、他人の子を巣から蹴落とし自分の卵を置いて育てさせる種がいるだろう? 漠然と生きる知恵、といえばそうなるのかもな」
「生きる、知恵……」
アサギは複雑な表情でトビィが淡々と告げるのを聞いていた。
惑星クレオに戻り、クレロに一部始終を報告した二人は天界城の一角で茶を啜った。
香しい茶で一息つくと、先程のわだかまりが少しだけ解ける。
「そうだ。あの街で、とても綺麗な人に出逢ったのです!」
トビィに嬉しそうに話し出したアサギは、興奮気味だった。
「ほぉ?」
「御伽話に出て来るお姫様みたいです。金の髪が美しくて、お人形みたいに姿がシュッとして綺麗。見たことがない美女でした」
「ほー……」
トビィはその“途轍もない美女”に全く食指が動かなかった。しかし、アサギが懸命に話す姿が可愛らしかったので、口元に笑みを浮かべて聴いていた。
「是非また、お逢いしたいと思います。凛々しくて、美しいお洋服を身に纏っていて……お嬢様みたいでした」
ここまで熱弁するアサギを見たことがなかったので、トビィも若干興味が湧く。
「そんなに逢いたいのか?」
「はい! 美の結晶が内側から溢れている感じでっ」
スーパーモデルのようだと言いたかったが、トビィには通じないだろう。
「アサギ以上に綺麗な女はいないがな」
茶を啜りながらぼそっと零したトビィの真向いで、頬杖をついたアサギはガーベラを思い出す。うっとりとして、瞳を細めた。
「お友達に、というか、仲良くなりたいと思うのです。あんな女性になりたいです、キラキラしていて、私の理想。とても憧れます」
暫く、二人はその場で会話を愉しんだ。
……キィィ、カトン。