噛み合わないのは

文字数 5,652文字

 アサギの家の前に到着すると、ミノルは酸素を求めて口を開く。
 品の良い玄関の先にある大きな家を見上げ、固唾を飲み込んだ。数回来たことがある家なのに、威圧感を感じてしまう。
 自転車を停めていると、玄関からリョウが出てきた。互いに視線を軽く合わせ、ムッとする。親しい仲ではないので、声はかけない。自分のテリトリーを護るようにして、距離を保ち威嚇する。
 社交辞令で、同時に軽く会釈をした。
 大体状況を把握しているリョウは、顔を顰めて睨み付けると立ち去った。
 その後姿を忌々しそうに見つめたミノルは、心に広がる黒い滲みに気づく。

「トモハルの次は、コイツか」

 アサギの幼馴染で家が近いことも知っているが、伏兵に気づいた。もしかしたら、トビィよりも親しい仲ではないのかと勘ぐってしまう。明確な苛立ちを感じながら、ミノルは家のチャイムを鳴らした。
 アサギの事だけを考えていたいのに、取り巻く環境がそうさせてくれない。キスをした、しないは有耶無耶に出来ないが、周囲に目障りな男が多過ぎて気が散る。問題なのは、その男達が皆アサギに惚れているということだ。リョウとてそうだ、それくらい鈍感なミノルでも解る。美しい花にたかる虫は、何度追い払っても今後も続くだろう。
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 つまり、雅味を堪能する為引き寄せられた男らに、今後も嫉妬せねばならない。そう考えると、急に不安になった。アサギには自分じゃなくてもよいのではないか、自分達は釣り合っていないのではないか、本人もそう思っているのではないか。自分が何故告白されたのか知らないミノルは、余計に自信を無くした。
 数分して家から出てきたアサギは、ぎこちないながらも笑顔だった。
 向日葵を彷彿とさせる、明るいワンピースを着ている。何処かの雑誌から飛び出てきたような美少女だが、新人モデルのように緊張していた。

「おはよう……ミノル。おはよう、じゃないね。もうお昼だね」

 肩を竦めてそう告げたアサギが、ひどく弱弱しく感じられた。

「お、おぅ。あ、あのさ」
「い、今ね、みーちゃんにね、この間ミノルとしてたゲームを借りたトコなの。()()()()遊ぶとき、私も強くなっておこうと思って。下手だと、つまんないでしょ。だから」
「そ、そっか。あ、いや、それでさ」
「そうだ! 明日ね、ダイキが弟達をブラックバス釣りに誘ってくれたの。以前から興味があったみたいで、教えてくれる人を探していて。私もトモハルも連れて行って貰うんだよ。よかったら、ミノルも一緒に……って、忙しいよね、ごめんね」
「いや、明日は別に」

 アサギの言葉が堰を切ったように溢れ出して、止まらない。
 頷くことが精いっぱいで、話を切り出したくともミノルは遮ることが出来なかった。間を持たせようとしているのか、話題を見つけては必死に話し続けるアサギの声は震え、今にも泣きだしそうだ。哀しそうに困惑気味に、時折目を伏せる。そうさせたのは自分だと痛感し、来てしまったことを多少後悔する。
 しかし、逃げてばかりでは何も始まらない。

「今からユキとお出かけなんだよ、ケンイチも一緒に。支度、しなきゃ、ごめんね。もうすぐ約束の時間だから」
「俺! 俺も行こうか? 三人だと色々と面倒だろ、その、今空いてるし」

 素直に『行きたい』と言えばよいのに、変なところで小意地を張るミノルは、口にしてから失敗したと顔を歪めた。

「だ、大丈夫! その、別に、うん……へっき。ま、またね!」
「あ、ちょっと、おい!」
「さよなら、またね」

 バタン。
 乾いた音が虚しく響く。目の前で、ドアは閉められた。
 伸ばしかけた腕が宙で停止し、ミノルは唖然とした。露骨に拒絶され、心を抉られた。

「アサギ……」

 数年前を思い出した。
 悪口を聞かれてしまった時、気丈に振る舞っていたアサギの姿が甦る。けれども、あの時よりも状況は悪化している。あの時は微笑んでいた、気にしてないとでもいうように。
 今は、恐怖に怯えていたように見えた。

「俺は、今日は! 傷つけないように、頑張ってっ」

 打ちのめされていると、隣を誰かが通り過ぎた。
 接近されるまで、全く気付かなかったがリョウだ。
 ミノルを一瞥したが、何を言うでもなくドアを開けて入っていく。自分の家だと言わんばかりに、堂々と。

「アサギ、買って来た! 遅くなってごめんな」
「ありがとう、クッキー用意するね」

 中から、そんな会話が聞こえる。遠のいていく二人の声を、自嘲気味に嗤って聞いていた。あからさまな避け具合に、胸が予想以上に痛む。

「な、なんだよ。……俺が来たことが、そんなに迷惑かよ」

 白々とした空虚感が、黒い怒りへと変わっていく。自分の非を忘れ、怒りの矛先をアサギへと向けた。

「出かけるって、言っただろ」

 ミノルは、暫し玄関で待っていた。
 アサギが言ったことが本当ならば、これからユキと遊ぶ為に出掛ける筈だ。
 けれども、一向に出てこない。
 嘘を吐かれたことに気づき、謝罪に来た自分が馬鹿馬鹿しく思えた。家の壁を蹴り上げると、歯軋りして自転車に跨る。
 ドアが、再び開く音がした。リョウだろうと思って何気なく視線を送れば、アサギが立っている。

「っ!」

 引き攣ったアサギの表情に、ミノルはショックを覚えた。物の怪でも見る様な、怪異な瞳で見られたのは産まれて初めてだ。
 怯えた光を隠す様に、気まずそうに瞳を伏せたアサギは狼狽している。心が冷え切った気がした、ミノルは口角を下げて淡々と声をかける。

「よぉ」
「こ、こんにちは。ジュース、買いに行こうと思って。ま、またね!」

 訊いてもいないのに言い訳がましいことを言い出したアサギを、鼻で嗤う。

「ケンイチとユキは? 出かけるんだよな?」
「ユキが、熱が……えっと、二人で行きたいって連絡があって、それで、そしたら、みーちゃんが来てくれて」

 瞳が泳いでいるアサギは不審であり、これは嘘。その理由が自分だと解っているミノルは、厭らしく追及する。

「ゲームしてんの? 俺も混ぜろよ」
「え、で、でも、そんな、それは」
「なんだよ、俺がいちゃマズいわけ? お前ら、付き合ってんの?」
「えぇ? 違うけど、その」

 焦ってしどろもどろと口籠るアサギは、滑稽だ。瞳を合わせずに口から出任せを言うので、ミノルの苛立ちは蓄積されていく。

「み、ミノルは、その、あの、可愛い子と一緒に居たほうが……良いと思って、その……」
「憂美は今関係ねぇだろ! 俺はお前に会いに来たんだよ」

 カチンとして怒鳴りつけると、アサギの身体が硬直する。

「あ、その、私は大丈夫だか、ら。気にかけてもらわなくても、へっきで」
「さっきからその場限りの嘘を言いやがってっ! いい加減人の話聞けよ! こっち向けって」

 大股で近づくと、家に戻ろうと逃げるアサギの腕を掴む。小さな悲鳴を上げ防御態勢に入った姿に、怒りが込み上げた。
 頬を染めて、好きだと言ってくれた。自分を真っ直ぐに見つめて手を握ってくれた。そんなアサギは、もういない。敬遠している昔のままの彼女がそこに居て、無性に歯痒くてもどかしくて苛立つ。

「謝ってんだろ! 話聞けよ!」

 謝ってはいない、謝りに来ただけだ。

「あ、謝る!? ミノルは、何も悪いことしてないから、謝るって……何をかな?」
「はぁ!? お前、何しらばっくれてんだ!?」
「だって、その、あの、ミノルは別に悪くなくて、その、よく考えたら私が勝手に勘違いして」
「何をどう勘違いしたんだよっ」

 力任せに腕を捻りあげた、アサギの顔が痛みで歪む。
 だが、ミノルは離さなかった。会話が全く噛みあわない、プールをすっぽかした上に、二股していたことを謝りに来たことくらい、アサギは解るはずだった。

「ち、違うの、その、ミノルは悪くないから、だから謝らないで」
「お前なぁ!? ごめんって言ってるだろ!? ドコヘだって一緒に行ってやるって、言ってるだろ!?」

 そんなことは言っていない、思っているだけで口にして伝えていない。
 アサギの足が震えている。青白い顔のまま、精一杯の強がりで立っていた。
 けれども頭に血が上ったミノルは、気付かない。自分の存在を抹消されてしまった気がして、哀しいを通り越す。心に広がった黒い滲みは、全てを覆い隠す。
 アサギにしてみれば、もう忘れたいような過去の産物だ。苦しくて辛い、忘れられない記憶をこれ以上鮮明に思い出したくなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 キィィィ、カトン。

 アサギは、自分の身勝手な行動を恥じ罪悪感に溺れている。ミノルの気持ちを無視し、突き進んでしまった()()に気付いてしまったから。

 キィィィ、カトン。

 ミノルと一緒にいたら憂美という本当の彼女に悪い気がして、早く立ち去りたい。それでも、せめてよい友達でいたいと願ってはいた。負担にならないように、笑顔で接して全てを悟って、友達が無理なら勇者の仲間としていたいと。
 出しゃばらないでいれば上手くいくと、アサギは考えついた。その為に、必死で最悪の事態を回避しようとしている。

「あの、あのね、ミノル、私はっ。気にしてないし、その、傷ついてないし、全然へっきだから、あの、こうして慰めに来てもらわなくても大丈夫で、その」

 アサギがとった最善の手段は、ミノルの逆鱗に触れる。
 ぶちん。
 ミノルの中で、何かが切れた。腕を強く振りほどき、小さな悲鳴を上げたアサギを見下ろし嗤う。心は、真っ黒になった。白い絵の具を混ぜても灰色にならないほど、見事な漆黒に染まった。
 アサギは傷ついていないらしい、気にもしていないらしい。

「所詮俺の存在は、アサギにとってそんなもんだった、ってコトかよ。馬鹿みてぇだな」
「ぇ?」

 二人の気持ちは擦れ違う。
 ミノルを想って身を引いたアサギを、ミノルは全く理解出来ない。
 今のアサギには、ミノルが正直に本心を話しても届くかどうか。

 キィィ、カトン。

 何故ならば、アサギは決めてしまった。“私はミノルに嫌われていて、最初から彼女ではなかった”と。真実を歪めたのだ。その心を、誰が理解出来ようか。
 これこそ、アサギ最大の短所であり、いわば急所。
 ミノルは、低く嗤い出した。黒い心が、ドクドクと脈打つ。くすぶっていた火種の様に、酸素を求めてそこから出たがっている。溜まった真っ黒いソレを放出しなくては、壊れてしまう気がした。今の言われ方は非常に腹立たしい、慰めに来たわけじゃない、素直に謝って、寄りを戻したかっただけだ。
 分かってくれないアサギに、失望する。

――聴いたかい、ミノル君。これが真実。君に振られても彼女は特に哀しまない、だって君の代わりになる男がたくさんいるからね。所詮君の存在は、その程度さ。君は何も悪くない、被害者だ。気の毒だね、振り回されて。

 キィィィ、カトン。

 耳元で、また自分を擁護する声が聴こえる。自分の声にも聞こえたし、違う気もする。独りだった筈の声は、増えていく。大勢が『悪くない、悪くない、悪いのはアサギだ』と連呼している。

――根本的に君とは違うんだ、君も見ていただろう、気付いていただろう? 同じ異世界から召喚された勇者なのに、一人だけ最初から慣れた様子だった彼女を。大丈夫、君が正常だ、何を言っても間違いではないよ。目の前の相手が、()()なのだから。()()()()()()()()()()()()()()だよ、けれど君は普通の人間だろう。住む世界がもともと違ーうんだよ。

 背中を押される、全て吐きだしてしまえと脅迫された気がした。

「ちったぁ俺が謝ってんだから、泣くとか喜ぶとかさ、作り笑い浮かべてないで何か言えよ。ほんっと、可愛げないな、お前。もっともらしい理由作ってるけど、腹立つだけだぞ、それ」

 アサギは、目を大きく見開いた。
 ミノルは耳元で聞こえる声を味方に、鼻で笑うと言葉を続ける。

――大丈夫、君は何も悪くない。思っていることを吐き出せばいいんだよ、それでいいんだ。これ以上犠牲を出さない為に、君が鉄槌を。

「お前さ、その勝手に解釈する都合のいい頭、どーにかしたら? ほんっと、むかつくなっ」

 ミノルの声が耳に入る度に、大きく痙攣する。アサギは口を開くことも出来ず、聞いていた。

「お前、人間じゃないから、人に何言われても何されても平気なんだよな? 優秀なー勇者様ー、人間じゃないからー、魔法も完璧、剣も簡単に扱えますー。魔王と仲良くなってー、倒しましたー。いっつも、誰にでも、へっらへっらへっらへっら! 作り笑いの可愛げないお人形ー、ムカツクムカツク、死ねばいいのに! 人の気もしらねぇでっ! 俺が、どれだけお前のことで悩んだと思ってんだっ!」

 思い切り肩を押すと、アサギは地面に倒れ込んだ。ぎこちなく見上げてきた瞳と視線が絡むが、その虚無の瞳を見てもミノルは動じない。

――あれは演技だ、情けをかけなくても平気だよ。彼女は根本的に人間とは違う。さぁ、責任をとってもらおう、君は救われるべきだ。

 糸が切れた操り人形の様に、だらんとしているアサギを踏みつけたかった。腹からこみ上げる醜い黒いものを、すべて吐き出す。

「いつまでも、見てんじゃねぇよ、このブスっ! お前なんか、昔から、だいっ嫌いだ。そもそもなぁ、誰のせいで勇者ごっこする破目になったと思う!? お前だよ、お前のせいだよ! 最初からお前だけで十分だったのに、巻き込みやがってっ。俺の時間を返せよ!」

 アサギが引き攣ると、本当に精巧な人形の様に思えた。

「お利口だ、優秀だと持て囃されてー、あー、そうだよ、お前は立派だよ! でも、俺はそんなお前がだいっきらい……」

 やめてください。
 と、アサギが呟いた気がして、ミノルはようやく我に返る。
 目の前にいた綺麗な人形の双眸から、大粒の涙が零れていた。
 人形は、泣かない。
 目の前にいるのは、人形ではない、人間だ。

――……クスクスクス、よく出来ました。ミノル君、ありがとーぅね。思ったより、役に立った。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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