外伝2『始まりの唄』2:双子の王子
文字数 6,264文字
双子は忌み嫌われる土地があるが、この国にはそういった風習がなく、二人の王子は分け隔てなく育てられた。どちらを贔屓するでもなく、愛情を同等に注いでいた。
その筈だった。
兄のトダシリアは高慢知己な性格で、物心ついた時には己の立ち位置を把握しており、少しでも気に食わない事があれば権力を振りかざし、即刻廃除した。
対して弟のトバエは、常に無表情で物静かだった。幼い頃から子供らしさを見せることなく、トダシリアのように感情を見せないので、ある意味異質。日頃から何かを窺うように遠くを見据え、心ここにあらず、という雰囲気を醸していた。さながら、孤高の獣のようだと陰口を言われた。
二人とも端正な顔立ちをしているが、兄であるトダシリアのほうが瞳が大きい為、幼く見える。また、身長が高いのは弟のトバエである為、二人の性格も合わせると、弟の方が大人びて見える。ただ、見事な紫銀の髪に濃紫の瞳は同じだった。
その為、双子とはいえ見間違えることは決してない。だが、互いが言い出すわけでもなく髪の長さを変えていた。トダシリアは短髪、トバエは長髪を貫いている。
トバエは長い髪を後ろで一つに縛り、額に布を巻きつけていた。傷を隠すという理由があるわけでもなく、何時の頃からそうしていた。自己主張しているのだろうと周囲は勝手に思い込んでいたが、そうではない。
理由は、“今の”本人ですら解らないだろう。だが、彼にはとても重要な事だった。『自分は何者なのか』という概念が、その布に籠められている。
同じ環境下で、こうも性格が掛け離れてしまった双子の王子。産まれたときに備わっていた性格が濃く出ているのだろうが、道徳も一般常識も同じ内容を学ばせたというのに、兄は凶悪な本性を幼き頃から垣間見せた。
よりにもよって、国王となるであろう兄が問題児。このままでは、確実に歴史に名を残す狂王になると周囲は嘆いた。
反対に、弟は不愛想であったものの、皆の意見を無下にせず聞き、暴力を振るう事はなく、素直だったので慕われていた。
すでに派閥が出来てしまい、覇権争いが起こることなど目に見えている。
けれども、取り越し苦労だった。
王位を永久に放棄する、とトバエが宣言した為だ。彼の発言に、良くも悪くも城内は揺れる程に驚いた。
確かに、王子が一人であれば無益な争いは避けられる。
しかし、トバエを支持する覚悟でいた者達は、心底脅えた。トダシリアが王となれば確実に、国は無法地帯となる。ただでさえ、地方から珍しい宝石や流行りのものを取り寄せ無駄に金を使っており、民に課せられる税金額がじわじわと上がっている。自分におべっかを使い、都合よく動く家臣で脇を固め、不平を漏らす者は即刻死刑にしている。人口は著しく減少するだろうし、その中にはおそらく、彼に意見出来る勇気ある者や、優秀な才能をもつ者達が紛れているだろう。
今はまだトバエがいる為、トダシリアの我儘を犠牲を払いながらもどうにか説き伏せてきた。それが、出来なくなってしまう。唯一の肉親である弟の存在は大きく、考えるだけで皆の胃はキリキリと痛んだ。
しかし、悪夢は近いうちに現実のものとなる。せめて二人の仲がよければ、このようなことにならなかったのだろう。王と、王の補佐として民を先導してくれたらよかった。だが、互いに敵視している双子は、譲歩などしない。
両親である国王と王妃は彼らが十歳の時に亡くなった為、叱れる者がいなかったことも関係しているだろう。
双子を産み、体調を崩した王妃は床に臥せ、暫くして息を引き取った。
そして、妻に先立たれ精神を病み、衰弱した国王は後を追うように亡くなった。
二人共、息子らの身を案じていたが、死に抗う事は出来なかった。
当時、双子は十歳。
年齢的に即位が不可能であった為、仮の王として国王の弟がその座を継いだ。
仕方がないとはいえ、王はその点を危惧していた。実の弟であるが野心があり、息子らが成長した時、素直に王位を譲るか不安だった。いや、それよりも、幼い我が子らが暗殺されるのではないかとも怯えた。人など、肉親であっても信用ならない。膨大な権力の汁をすすって生活してしまえば、狂ってしまう可能性の方が高い。そもそも、弟は狡猾で、人格者ではなかった。
息子らの為にと奮闘したものの結局、王は亡くなってしまった。
城内では、王の食事に微量の毒が混ぜられており、徐々に体力を奪われていったのではないか、との黒い噂が飛び交った。王妃の死を切っ掛けに、誰かが王を葬ったのだと。誰かが、と一応伏せてはいるが、利益を得た者など即位した弟のみ。
しかし、証拠はなく、この噂はたちまちに消えていった。下々の者にとって、誰か上に立とうとも同じであり、圧制をしない者であれと願うばかり。
即位した国王の弟は、不気味なほどに二人の王子を丁重に扱った。善人ぶっており気味が悪いと密かに陰口を叩かれたが、始終笑みを絶やさず、兄であった国王を褒めちぎる話を何度もした。言いくるめ、彼らが成人しても王位を返さない計画だったのだろう。
けれども、その国王の弟は三百日程で死亡した。
狩猟に出掛け、誤って崖から転落した。つまりは、事故死である。
生前の彼の言動から当然のように噂が飛び交った。
『何者かに、暗殺されたのではないか』
次に即位したのは、その弟だった。
双子の王子が即位できる年齢は、十五。まだ三年ほど先の話だが、奇妙な事にまたしても三百日後に仮の王も死亡した。
次は、病死である。
連続で代理となった王が亡くなると、皆はいよいよ不気味な気配に脅え始める。
本人は断固として拒否をしたが、次いで即位したのは非常に気弱で目立たない男だった。王の末の弟であり、野心がないというより臆病者で、誰からも相手にされなかった。
王子らが成人である十五を迎えるまでだから、と毎日説得され、仕方なく受理をした。受理しなければ、睡眠時間すらなくなってしまいそうだったからだ。
自信なさげに常に怯えて過ごす彼を、双子の王子は冷ややかに見つめていた。
そして、三百日後に案の定事件が起きる。
『即位後、三百日後に王の代理は悲運の死を遂げる』
恐ろしさに加え多少の好奇心も混じり、国の者達は「三度目は何が起こるのか」と顰めき合った。
当の本人である仮の国王は、「自分はどのように死ぬのだろう」と、心底怯えた。彼は、正当な王を待ち望んでいた。
目に見えぬ脅迫に肝を冷やしながら日々過ごしていると、ある日、作られた笑顔を浮かべた家臣がやって来た。その家臣の顔に見覚えはあるものの、生憎政に興味のない彼は、名前を知らない。
「今の座を、永久のものにしたくはありませんか」
男は、耳元でそう囁いた。
女を翻弄するような甘い声であったものの、仮の王は勢いよく首を横に振り否定した。この発言により、頭の回転が悪いとされている仮の王とて、「先の国王らが死んでしまったのは、この男が裏で手を引いていたのではないか」と勘繰った。
断れば自分が殺されるかもしれない、と恐怖を感じたものの、賛同せず返答する。
「私は、生きたいだけ。王位には興味が無い、誰が即位しても構わない。ただ、生きたいのだ」
家臣は見下したように哂い、「欲がない御方ですねぇ」と、吐き捨てた。
この家臣の名すら解らず、自分が知り得た情報を誰に話せばよいのかも検討がつかず、こうして王の座についている以上はきっと殺されるのだと、仮の王は生きた心地なく毎日を過ごしていた。
けれど家臣は、この臆病な男は何も出来ないと、手を出さなかった。楯突くこともなく、面倒事には関わりたくない木偶の坊だと、そう判断した。
「叔父さん、こんにちは」
何十にも施錠してある部屋に閉じこもっていた仮の王は、平然と入ってきたトダシリアに飛び上がる程驚いた。唯一の鍵は、食事を運ぶ者一人が持っている筈だった。目の前で微笑んでいるトダシリアに、泡を吹きそうになる。
「ど、どうやって入ってきたんだ!」
悲鳴を上げ壁に縋り付き、トダシリアを見つめる。脈拍は恐怖と緊張で乱れており、顔面蒼白で今にも卒倒しそうだった。
トダシリアは愉快そうに哀れな叔父を見下ろし、無邪気に笑う。王であった父の末弟なのだから、一応叔父。まるで牢獄のような部屋を見渡し、肩を竦める。
「叔父さんは、よくこんな場所に居られるね。女を連れ込めばよかったのに」
言いつつ、トダシリアはクスクスと笑った。
あからさまな挑発にカッとなった仮の王は、悔しさから唇を噛み締めて俯く。けれども、言い返すことなど出来なかった。
三十過ぎているものの、女性との肉体関係が一度もない哀れな男。魅惑的な女達がいくら腰を振り、胸をはだけて近寄っても萎えるばかりで勃たなかった。慰めるように女達は体中に口づけたが、翌朝には不能の国王を皆で哂った。
それを知って、余計に女が苦手になった。結婚はしないと、誓っていた。
反して、目の前の王子は閨事に優秀である。幼いながらにすでに身体を重ねた人数は、そこらの男よりも多い。それは叔父である仮の王とて知っていた。国王になる前、庭で何人もの女と交わっているトダシリアを幾度も目撃している。その時は、女達の嬌声に顔を赤らめ、逃げるように立ち去った。
「ご、御用件はなんだい、トダシリア王子」
「脅えなくても大丈夫、叔父さんの身は安全だ。あのね、殺される前に、殺せばいーんだよ。……叔父さんは、王どころか、男としても情けない。でもね、それでいいんだ。国王の座に耐え切れない叔父さんは、オレ達が成人したら、すぐさま王位を返還してくれるでしょ? 人畜無害の叔父さんには、オレ達が成人するあと数年、王でいてもらわなくては困る」
流暢に語り出したトダシリアに、仮の王は唖然と口を開く。一瞬何を言っているのか理解が出来なかった。腰に手をあててて小馬鹿にした様子で語る少年は、自分の半分の齢もない。だが、妙な威圧感がある。
トダシリアがそっと腕を伸ばし、鼻で笑いながら小首を傾げる。
「部屋から出てきなよ、叔父さん。大丈夫、オレが護ってあげるから安心して。面白いものを見せてあげるよ」
頷く間もなく強引に腕を引っ張られ、悲鳴を上げながら仮の王は引き摺られて外に出た。
「ど、どどどどど何処へ行くんだい!?」
「楽しいところだよ」
トダシリアに引き摺られている仮の王を見て、城内の者達は目を丸くする。何事かと興味津々で後に続く者やら、他の皆に知らせに行くものが多発し、目的地に到着する頃には人だかりが出来ていた。
中庭ではトバエが剣術の稽古をしていたが、休憩に入ったようで、女中に差し出された飲み物を口に含もうとしていた。
だが、トバエはじっとその飲み物を見つめている。
女中は何か粗相でもしたのかと、狼狽した。
「飲めよ、トバエ。お前が死ねば、毒が入っていた証拠になる」
近づいてきたトダシリアが得意げにそう告げ、周囲を唖然とさせた。
剣の師匠が直様駆け寄りトバエに近寄り、丁重に容器を受け取る。
呆けていたが、トダシリアの言葉の意味を理解し、号泣しながら女中が崩れ落ちる。上手く舌が回らず、それでも侘びの言葉を連呼する。
混乱している彼女に、冷静にトバエが声をかけた。
「いや、お前は何もしていない。非などないから、謝るな。お前は毒入りの水を、知らずに運んだだけ。……その水は、命あるものに危害がないように処分を。何の毒か解らない」
誤って舌を噛みそうな勢いで嗚咽を繰り返している女中の肩に手を置き、「大丈夫だ」と囁く。その優しい声色に、彼女は些か落ち着きを取り戻したようだった。
彼女を心配し狼狽している女中達を一瞥したトバエは、前髪をかき上げ含み笑いを漏らしてい兄に向き直る。
「飲みなって、飲めば実証される。オレが動きやすいんだよね、兄をたてろよ」
「死んでも、お前の踏み台にはならない」
憮然とした態度のトバエと、軽く身体を揺らしながら口笛を吹いているトダシリアが睨みあう様子に、周囲には緊迫感が漂った。
トダシリアは緊張感が薄れるような大きく欠伸をしてから、近傍に目を向ける。途端、一気に周辺の空気が熱を帯びた。
「あはっ、見つけた!」
炯々とする瞳に、皆が一瞬息を飲む。態度が豹変した、飄々としていた少年は、消えた。
「あー、成程結構な人数を雇ったんだねぇ。でもさぁ、所詮金で釣られるような奴らだろ? つまりは、烏合の衆。金の無駄遣いだ、役に立たないよ。……まず、そこに一人!」
言うが早いか、右手を振り下ろし、横に薙ぎ払う。ゴォ、と盛大な音と共に出現した火炎に、周囲は度肝を抜かれて盛大な悲鳴を上げた。腰を抜かし、地面に倒れこむ者が殆んどだった。
人の頭程度の大きさのそれは、庭の樹に凄まじい速さで向かった。樹に燃え移るよりも先に、蛙が潰れたような悲鳴が上がる。どうやら、何者かに命中したらしい。
樹から樹へと燃えながらも移動する人影に唖然としていた兵達が、ようやく動き出した。
「し、侵入者だー!」
「消火活動よーうい!」
騒然となった中庭で、トバエが静かに指先を樹へと向けた。口元を小さく動かし呟けば、そこから氷の粒子が溢れ出て、燃えている木々の消火を始めている。
再び唖然として、皆は二人の王子を見つめた。
火を操る上の王子トダシリアと、水を操る下の王子トバエ。
二人が何かしら特殊な能力を秘めている“らしい”、という噂は耳にしたことがあったのだが、今日初めて目にした。流石に、驚きを隠せない。『太陽の子』と称されてきた王族であれども、未だかつてこのような未知の能力を持っていた者はいなかった。
それは、羨望というより、畏怖。
「逃げたようですな」
一人だけ、動じることなく双子を見つめていたのは剣の師匠。側近である彼だけは、二人の秘めた能力を以前から知っていた。
「嫌だなぁ、ノアール。逃げたは間違いだよ、逃がしてあげたのっ。追い詰めなきゃさ、首謀者のトコ、行かないよね」
トダシリアは瞳を輝かせ、新しい玩具を買い与えられた子供の様にその場で飛び跳ねた。唇を舌で嘗めると、獲物を見定め狩る獅子のごとく瞳を大きく見開く。
幼い身体ながらに、魔力を完全に放出させたその王子を、まるで悪魔の様に周囲は見つめた。漆黒の火炎が周囲を包み込み、皆の呼吸を止める勢いで燃えている。
そして、心底震えた。あれが王になって良いものか、と。
「じゃ、どこぞの阿呆を懲らしめてきまーす!」
ノアールに嬉しそうに振り返ったその笑顔だけならば子供だ、だが、瞳に宿っている邪悪な光は尋常ではない。全身から嫌な汗を吹き出すほどに、冷酷で残忍な瞳だった。
愉快そうに走り出したトダシリアを、溜息一つ零してトバエが追う。
「お気をつけなさい、トバエ王子」
ノアールのかけた声に、ゆっくりとトバエは振り返ると微笑する。とても十そこらの少年とは思えない、艶めいた笑みだった。それこそ、年頃の娘を一気に魅了してしまうような。
「……大丈夫だ、騒がせてすまないな」