外伝4『月影の晩に』38:回帰せよ、願い

文字数 12,338文字

 トライは、細心の注意を払って足を踏み出した。一歩踏み出せば、床が軋む。額に汗を浮かべつつ、両腕を広げ慎重にマローを目指す。

「マロー姫、今迎えに行く! 絶対にそこを動くな」

 マローは顔面蒼白で立ちすくんでいる。動く事はなさそうだ、冷静になり惨状を知って恐怖心に駆られたのだろう。先程の禍々しい雰囲気は何処にもなかった、迷子の子猫の様に脅えている。
 トライの目前に天井が落下してきた。アイラが鋭い悲鳴を上げたが、簡易れず後方に下がり直撃を免れている。
 反動で床が割れ、そこだけが沈んだ。斜めになった床に、マローは喉の奥で悲鳴を上げた。
 懸命に皆に捕まり堪えていたアイラは、心底怯え、泣いているマローを放っておけずに居ても立っても居られず駆け寄る。

「アイラ、来るな!」
「まて、アイラ!」
「駄目だよ、アイラ姫!」
「こちらに戻れ、アイラ姫」

 トライが、トレベレスが、リュイが、ベルガーが叫んだその時。駆け寄ろうとしてくれたアイラの姿を涙で濡れた瞳で捉えたマローは、乾いた唇で自分も姉の名を叫ぼうとした。けれども、喉が渇き声が出ない。
 だが、その奥。
 アイラの向こう側に浮かんだ顔をよく見る為、目を痛いほどに大きく見開いた。
 それは、ミノリに支えられ、階段を上ってきたトモハラだった。
 マローの立っている床が上がっていた為、丁度トモハラと視線が交差する。二人は、久方ぶりに対面した。急に胸の奥が燃えるように熱くなり、とめどなく溢れ出る涙をそのままに唇を震わせる。来てくれた、“もう一人”。待ち望んでいた人物が、目の前にいる。

『……必ず、命に代えても御守致しますから。マロー様だけは護り抜きますから』

 そう言ってくれた騎士が、助けに来た。茶色の髪は、見間違えるはずが無い。もう、大丈夫だとマローは思った。姉もいるし、騎士も居る。夢見た通り、二人が助けにこうして来てくれた。咽ながら、早くどちらかの温もりを感じたいと願う。それも、もう少しの辛抱だと、必死に震える足を奮い立たせ軋みを上げている床に立っていた。

 ……あぁ、トモハラ!

 マローは、名を呼びたくて仕方がなかった。感極まって、涙が幾度も零れ落ちた。
 トモハラを庇いながら懸命に上ってきたミノリは、アイラの姿を見つけるや否や、大声で叫んでいた。王子達に囲まれた自分が守るべき姫君は、儚くも美しいままにそこにいる。

「アイラ姫!」

 ミノリは彼女が無事で居てくれたことに、心底感謝した。そして、謝罪が出来る事に、声を聞けることに、顔を見れたことに感謝した。
 崩壊する塔、逃げ惑う人の中。地獄の様な塔の中へ入り、それでも二人の騎士はそれぞれの姫を探して、求めて懸命に這い上がってきたのだ。
 身体中から喜びが溢れてその名を叫んだミノリに、隣にいたトモハラは懸命に瞳を細める。

「ミノリ! トモハラ!」

 四人の王子達に護られながら、眩いばかりの緑の髪をふわりと揺らし、アイラが驚愕の瞳で名を呼ぶ。二人が無事なのは嬉しかったが、今来てはいけない、危険だ。
 だがそんなアイラの気も知らず、嬉しくて喜ばしくて、必死にトモハラを引き摺るようにしてミノリは進む。床が垂直ではない、穴とて空いているが、アイラを目指して進んだ。早く、謝りたい。数ヶ月前の自分の愚行を、詫びたい。願わくば、再び騎士として仕えたい。
 その想いが、ミノリを突き動かしていた。トモハラの手を掴んでいた力も、強まっていく。
 微かに見える視界の中で、トモハラもようやくアイラの姿を捉えた。眩い緑の髪は、見覚えがある。アイラの声が自分の名を呼んだ、聴こえた。
 その方角に向かって、トモハラは名を呼んだのだ。

「アイラ姫、ご無事で何よりです!」

 それは、ひどく清冽な声だった。
 カシャン……。
 マローの足元に、何かが滑り落ちた。胸元を飾っていた、小さな宝石のネックレスだった。トモハラが購入し、アイラを経由してマローへと渡ったネックレスである。
 鎖が切れて、落下した。
 だが、落ちたことには気付かずにマローは見ていた。目の前で、ミノリとトモハラが懸命にアイラを目指している姿を見ていた。その光景を、ぼんやりと眺めていた。
 隔たれた、世界。
 落下してきた天井は、姉と妹を隔てた。傾いている塔の中で、麗しい姫君は二人居た。
 だが、自分は一人きり。
 姉には、四人の王子に騎士が二人。目の前に立っている双子の姉は、自分が欲しいものを全て持っている。綺麗な宝石、秀逸で上等な装飾のドレス、そして美男子達、いや、“人の温もり”を。

 ……あぁ。
 
 確かに先程、視線が交差した。間違いなく、自分の姿をトモハラは見た筈だった。だが、呼んだ名は。
 トモハラが口にした、名は。

 カタカタカタカタカタカタ……。

 小刻みな振動に、トライが我に返る。二人の騎士がこの階に来れば、当然バランスが崩れる。落下の要因だ、二人の再会したい気持ちは解らないでもないが今は邪魔なだけだった。

「塔が崩れる! ミノリ、今は来るな、トモハラを連れて戻れ! オレはマロー姫を救出する」
「マロー姫? 俺もマロー姫様を……」

 そう言い放ち、トモハラから視線を逸らしてトライがマローを振り返った瞬間だった。
 爆音。
 反射的にアイラが防御壁を張り巡らせた為、全員は無傷だ。だが、塔の四階は吹き飛び、三階の天井も壁も全て根こそぎ何処かへと吹き飛ばされて筒抜けなっている。軽くなった分、塔は安定したかもしれない……が。
 アイラは、動揺を隠せずに双子の妹を、見つめた。
 トライが、息を飲んで後方へと下がり剣を抜いた。
 トレベレスがアイラの前に立ちはだかり、同じく剣を構えた。
 リュイが剣を地面と垂直に構えて、小さく言葉を呟き始める。
 ベルガーが槍を両手で構え、矛先をマローへと向ける。
 ミノリは唖然と事の成り行きについていけず、ただ、トモハラを支え。
 トモハラは。

「……マロー姫?」

 擦れた声を出し、瞳を細め視界を鮮明にする。劣化した視力で、懸命に状況を見据えた。ようやく瞳に映った光景は、宙に浮かび狂気の笑みでこちら側を見ている、愛するマロー姫の姿だった。
 口元の歪んだ笑みは、見ている者全てを震撼させた。瞳に光を宿さずに、ただ、閉じられた空間の中でゆっくりと、マローは空中へと上がっていく。虫けらを見るような冷ややかな視線、大きな瞳で皆を見下ろしながら、上へ、上へと浮いていく。
 空は暗雲立ち込め、黒煙を背景に佇んでいるその凶悪な姿。空中で火花が時折上がり、黒き闇と深紅の光がぞっとするような美しい色彩を放つ。
 それは、一枚の絵画の様だった。夕暮れから夜の帳へと移動する空に、浮かぶ細い三日月は。雲に覆われるも、微かに月光をマローへと降り注ぐ。
 美しい、もう一人の姫君。

「いけない! マローが戻らなくなるっ。殻に閉じこもって、出てこなくなるっ」

 アイラの叫びに、マローが吼える様に笑った。

「みんな、みんな大嫌いだっ! 死んでしまえ、消えてしまえっ!」

 救いを乞うような大声に、皆が唇を噛締めた。見上げたマローから、放射線状に吹き荒れるように放たれた雷が、何本も容赦なく降り注いでくる。
 咄嗟にミノリとトモハラを引き寄せたリュイは、皆で固まりアイラを援護すべく詠唱を始める。
 混乱気味のミノリの隣で、トモハラが軽く眩暈を起こしつつもトライへと問う。冷静でなどいられるわけもない、間違いなく浮かんでいたのはマローだった。人間が宙に浮くことが出来るとは、知らなかった。それも、呪いの姫君ゆえの“力”なのか。
 トモハラは、歯軋りして頭を大きく振る。
 違う、と思った。あの子は、呪いの姫君などではない、と。トモハラの瞳に映ったマローの姿は、何故あぁも酷く儚げで寂しそうだったのか。

「何事ですか!? マロー姫様は!?」
「落ち着け、トモハラ! あぁなると、手がつけれらない」

 腕を伸ばして必死に張った結界から飛び出ようとするトモハラを、リュイとトライが懸命に押し留める。マロー姫のこととなると、感情が先走るトモハラだ、それくらい二人には解っていた。
 暴走したマローを止められるとするならば、それはアイラか……トモハラか。
 トライは、右手で剣を構えながら左手でトモハラを押さえつけつつ、マローを見上げる。背筋に、悪寒が走った。戦々恐々とし、皮肉めいて笑う。

 ……考えたくはないが、“以前”もこのような目に遭った気がする。そしてこれはもう、終焉を意味するものだ。

 それは絶望、世界が、いや惑星が崩壊する前兆に似ていた。大気は大きく揺れ、空気が刃となり突き刺さる。大地が小刻みに揺れ、地上の者達は異常な事態に逃げ惑う。
 迸る魔力は、マローの感情。想いが強ければ強いほど、比例して魔力も強力になる。湧き上がる魔力は、止まらない感情の暴走。雷は激しさを増す、邪悪な炎を帯びながら。周囲の空気は氷点下に達するほど、急激に冷え込み。我武者羅に、ただ、感情の趣くままに。
 自分が何をしているかなど、マローには解っていない。ただ、この場を消し去りたかっただけだった。蝶よ花よと煽てられ甘やかされ育てられたマローは、心痛な状況に耐えるだけの心の強さなど持ち合わせてない。辛うじて残っていた希望が、今目の前で砕かれたのだ。もう、何も支えがなかった。

『……好きでした、ずっと』
『あなたの笑顔が、好きです。……どうか、ご無事で』

 聴こえてきた過去の言葉に、頭を掻き毟る。心底憎々しげに、マローはトモハラを見つめる。護ると言ったではないか、自分の騎士だった筈なのだから。好きだと、言ってくれたではないか、あの時に。
 だが、結局は。

「アンタも、結局。……ねえさまが好きなの? 男なんて、口だけの馬鹿ばっか! ……ダイッキライ! みんな、みんな、だいっきらいだっ」

 マローの瞳には、トモハラがアイラに寄り添っているようにしか見えなかった。そしてそれが、悔しくも酷く似合いの二人に見えた。
 二人とも、生きていた。自分が攫われてから何があったのだろうか、仲睦まじくいたのだろうか。どうしてトモハラは遅れて来たのだろう。 
 もう、泣かない。涙など、出てこない。泣いたら、惨めだから泣かない。今は無性に、目に映る全てのモノを破壊したい、それだけ。そうすれば、気が楽になる気がした。
 自分になら、出来るはずだ。破壊の子を産む姫君なのだから。護るべきものは、自分。自分以外、どうでもいい。いつだって、夢の中に居たい。幸せな夢の中に居たい。暖かなベッドの中で、望んだ夢を見ていられればそれで、良い。
 相殺出来る唯一無二の双子の姉は、あぁして男を六人、守らねばならないから。
 有利なのは、確実に自分だった。そう、姉と違い自分は。

「ひとりぼっち」

 湧き出る感情は、嫉妬なのか憎悪なのか沈痛なのか孤独なのか。身が引き裂かれるほど、焼き焦げるほど、痛い感情は。
 何だというのだろう。
 逃れる術など、知らない。だから、目の前の光景を、この状況を消し去ることしか出来ない。
 募る苛立ちに唇を噛締め、拳を爪を立てて握り締めると呆然と自分を見上げているトモハラに向かって衝撃波を繰り出す。
 要らない。不要な騎士だ。あんな役立たず、要らない。非常に目障りだ、邪魔な存在だ。心を、掻き乱された。激しく、不愉快な気分になった。
 人目を惹く美形でもなければ、何処かの王子でもない、ただの貧相な市民の分際で。

『君に、相応しい男になるから。待ってて!』

 幼い頃、庭で告げてくれたトモハラが追想される。想い出した自分に、腸が煮えくり返るほど身震いして腕に爪を立てる。何が相応しい男か、何処が相応しい男なのか。

 ……あたしだけ、こんなに、こんなにも!

 何故か、睨みつけているトモハラの顔が霞んだ。それが自身の涙ゆえとは、マローは気付かなかった。

「痛い……痛いっ!」

 胸が、痛い。張り裂けそうに、痛い。ギリリ、と唇を強く噛締めれば血の味が、じんわりと口内に広がる。
 いつか観た、滑稽な夢を思い出していた。ホットミルクをトモハラが作ってくれて、飲んでいる自分の隣でいつまでも見ていてくれる、という夢だ。毎晩毎晩、ホットミルクを眠る前に届けてくれて、優しく見つめてくれている男を、待っていた。
 急に腹部が痛み始める、吐き気がする。頭痛に襲われた、嘲笑うように耳元で耳障りで不愉快な音が聞こえた。

「痛いのは……嫌なの!」

 絶叫し、根本を叩き潰すべく、いや、消滅する為に。マロー姫は泣き叫んだ、痛くて痛くて、苦しくて苦しくて、呼吸もままならず泣き喚く。怪我などしていない、痛いのは、胸。
 トモハラが、アイラの名を呼んだ。マローではなく、アイラ、と最初に呼んだ。目が合ったはずなのに、自分を観た筈なのに、呼んだ名は『アイラ』。

「あたしの名前、マローっていうの」

 ……アイラっていうのは、双子の姉様の名前なの。

 唇を、軽く動かす。声には出てこない、口内は、乾き切っていた。
 それだけだった、それだけで何かがマローの中で音を立てて崩れ去ったのだ。自分の名ではなく、双子の姉を呼んだ、本当にそれだけ。それだけのことを、トモハラがしただけだった。
 懐いていたトレベレスも、強請れば欲しいものを誂えてくれたベルガーも。別に、どうでも良い。 
 トモハラが。一般市民でありながら、自分の為に、自分を追いかけ騎士になり護ると告げ、好きだといい口付けしてくれたトモハラまでもが。 “アイラ”、と呼んだのだ。
 瞬間、胸が破裂して砕けて、なくなった。ぽっかりと大きな穴が空いて、風がヒューヒュー通り過ぎた。風が通れば、染みて徐々に抉られ削られ行くようで、痛い。視線が交差したのに、自分を観ていた筈なのに。名を、呼んでくれなかった。

「……みんな……ねえさまが……いいんだよね……」

 途切れ途切れに、呟く。
 マローは、知らない。トモハラの視力が、格段に落ちていたことを。
 トモハラの瞳に、マローは確かに映っていた、だが認識出来ていなかった。ぼんやりと、おぼろげにしか世界を捉えられなかった。まして、マローは声を発していなかった。アイラの声と、皆が『アイラ』と呼ぶ声が聴こえ、近くに居たアイラだけをトモハラの瞳は捉えたのだ。
 辛うじて“見えた”のがアイラだった。だから、名を呼んだ。
 もし、トモハラの瞳が正常ならば。トレベレスに目を斬られてさえいなければ、当然マローを探し瞳に映し、真っ先に愛する姫の名を呼び、臆することなく不安で立ちすくんでいる彼女へと駆け寄っただろう。
 そして、見事に救出して戻ってきただろう。それが、トモハラの願いだった。大好きな笑顔を護る為に自分が出来る事を、する。だが、トモハラの今の視力では、到底無理なことだった。
 マローは、そのようなことを知らない。
 そして当然知る筈もないことがもう一つ、どれだけトモハラが自分を探していたか、ということだ。どれほど、求めていたかを、案じていたかを。自分の未熟さゆえに攫われた為、己を責め立てることしか出来なかったトモハラを。呪いの姫君と解っても、感情を微塵も損なわずにマローを愛していると言い放ったトモハラを。ただただ、騎士は愛する姫の為だけに。ずっと、幼い頃から姫の為だけに。
 マローは、そんなことなど微塵も知らない。考えようともしなかった。降り注がれるのは、マローの心の叫び。
 彼女の絶望は、暴風となって周囲を駆け巡った。
 懸命にアイラが抵抗を試みていたものの、流石に塔の崩壊までも食い止められる筈もなく、いよいよ力を失ってしまう。
 降り注がれるのは、マローの心の叫び。
 アイラは、双子の姉ゆえに、妹の苦痛がよく解った。

「……私は、みんなにこうして助けてもらっているのに」

 項垂れて、呟く。
 アイラが言わんとしていた事は、トライとて解った。このままでは、この惨劇を引き起こした原因は自分であると責め続けるであろうアイラが手に取るように理解出来た。

「違う、それは違うぞ、アイラ」

 トライは、制すべく手を伸ばす。
 だが、アイラは首を哀しそうに横に振り口を開いた。

「マローは、極端な寂しがり屋なんです。強がっているのは、威圧感を与えて離れていかないようにする為。それでも離れたら、所詮その程度だと。……最初から寄り添って離れられるよりも、受ける痛みが少なくて済むから。大勢の人が居てくれればそれで良い、いつも明るい場所に居たい。でも、本当は離れていかないで欲しい。……酷く怖がりなんです、一人が、嫌な子なんです。大丈夫、なのに。あの子は、私よりも格段に綺麗で、賢く、愛らしい子なのに」

 ……助けなきゃ、あそこから、出さなければ。

 アイラは、決意したように小さく呟いた。懸命にリュイと手を繋ぎ防御壁に専念していたが、それだけではマローは救えない。
 軽く唇を噛締め、止める皆を振り払い先頭に躍り出たアイラを不思議そうにマローは見下ろす。城内に居た時のように、無邪気に小首を傾げて大きな瞳を何度も瞬きし、見事な脚線美を露わにして足を組んだまま小馬鹿にした様子で嗤った。

「どうするの、ねえさま? あたしの攻撃を防ぎながら、あたしのトコまで来られる? 無理よね。でもね、誰かを犠牲にすれば、ここまで来られるよ? ……あたしを護ると言うなれば、その下衆な男達を見殺しにしてよ」

 きゃははは! 愉快だとばかりに、腹の底から高らかに笑った。髪先を指でつまみ、くるくると回しつつ暇を持て余すように軽く言い捨て、冷えた瞳でアイラを見下ろす。
 姉とて、男達と同類だろうと鼻で嗤う。姉がトレベレスを好いていることは、マローにも解った。思い返せば、最初からトレベレスを好いていたような気もする。だが、姉の事だから自分が先に気になると言い出したので、引いたに違いない。そういえば、あの晩、口籠っていた記憶が甦る。

 ……なんて滑稽で愚劣な姉なのかしら!

 姉は結局、誰を選ぶのだろう。
 常に寄り添っていたトライ王子か。
 最初に求婚したリュイ皇子か。
 何故かアイラに微笑み出したベルガー王子か。
 騎士とて付き添っていたミノリか。
 子の父親であるトレベレス皇子か。
 それとも、マローの騎士であった筈のトモハラか。
 一人ずつ視線を移していったマローは、トモハラの箇所で一旦躊躇し、唇を噛締める。何故か二人が寄り添っているように見え、酷く胸が苦しい。慌てて視線を逸らし、一瞬、物悲しそうに瞳を伏せる。瞳が、揺れる。

「マロー姫が、泣いてる……」

 ぼそり、とトモハラが呟いた。
 その声を聴きながらアイラは、そっと腕を下ろし瞳を閉じる。自分の魔力でマローを止めることは、可能だと解った。だが、マローの言う通りそれでは皆を護りきれない。護りながら、マローを止めて皆無傷で助け出す自信は、正直ない。
 それは、不可能に近いとアイラは判断した。ならば、誰かを犠牲にして、マローを救出するべきなのか。
 アイラは項垂れて、足元に視線を落とした。苦渋の選択を迫られていた、内臓が全て口から出てしまいそうなくらいに、気持ちが悪かった。
 降参したようなアイラの姿を上から見下ろしていたマローは、面白くなさそうに唾を吐き捨て魔力を解き放つ。

「興醒めだわ」

 尊敬していた姉が、いとも簡単に自分に屈してしまった苛立ちと、自分を選択せずに諦めている姿に絶望する。

「消え失せろッ!」

 マローの絶叫と共に繰り出された魔力の塊は、美しすぎるほど眩い雷を身に纏っていた。
 同時に、アイラの瞳が開いた。
 振り下ろされる雷の中、それでも佇む一本の大木の様に。地上に根を張り巡らす、堂々たる大樹。生命の源、全ての万物の恩恵。緑の髪がふわりと揺れ、アイラはマローを慈しむように見上げ、臆することなく微笑した。
 ゾワリ。
 ただ、その他愛もない動作に鳥肌が沸き立つマローは、両腕を抱えて息を飲む。

「知ってましたか、マロー。私は貴女が思っているよりも我儘で、強欲なのです。だから、マローも助けるし、トレベレス様もトライ様も。リュイ様もベルガー様もミノリも……トモハラも。みんなみんな、助けないと気が済まないです。選択など、出来ません。おいで、マロー。貴女の居場所はここですから」

 アイラは、右手を差し伸べた。
 慈愛に溢れたその神々しい姿に、マローは身体を硬直させた。
 放たれた魔力は、そのアイラの前で消滅する。
 凛と背筋を伸ばし、響き渡る心地良い鈴の音のような声で、アイラはマローを誘う。
 唖然として、皆がアイラを見た。
 大地の、豊穣の娘。森を護りし精霊のような、いや、極めて神に近いような。

 キィィィ、カトン……。

 全員が、奇怪な音を聴いた。
 次いで、轟音。
 マローの魔力は相殺出来ても、崩れゆく塔は、止められない。
 足元が、一斉に崩れ落ちた。
 困惑し、姉へと戻るべきなのか迷いが生じたマローは再び正気に戻った。

「きゃああああああああ!」

 魔力の喪失を感じたときには既に遅く、ガクリ、と大きく身体が揺れて地上へと落下していた。感情によって膨大に膨れ上がっていた魔力が、戸惑いで消失してしまったのだ。

「マロー! 上へ! 飛んで!」

 アイラが死に物狂いで手を伸ばし、喉が張り裂けんばかりに声を出す。しかし、塔は崩壊した。アイラもまた、崩れた床と共に落下していく。マローの様に宙に浮きさえすれば、とも思ったが焦燥感、いや、今までの疲労と消耗が激しく宙に浮かぶ感覚など解らなかった。
 トライが剣を壁に突き刺し、落下するアイラの腕を辛うじて支えた。
 ベルガーもトレベレスもリュイも、懸命に落下は避けるべく必死に抵抗している。
 底が抜けた床から辛うじて逃れ、地面に叩きつけられないように脆くも無事な壁へと必死に各々武器を突き立てる。
 今はともかく命が大事だ、手を取り合いながら生き延びる為に協力する。
 ベルガーが、トレベレスに腕を差し伸べ、リュイが歯を食い縛り、渾身の力で剣を壁に突きたて足場を作る。

「マローひめぇぇぇぇぇぇ!」

 そんな中でトモハラの絶叫が、周囲に響き渡った。

「俺が君を助けるよ、決めたんだ、誓ったんだ!」

 ミノリの手を振りほどいた、落下していくマローに届きはしないがそれでも居ても立ってもいられなかったのだろう。
 無茶だ、と皆思った。
 ただの、騎士では無理だ。気持ちは解るが、どうにもできない。
 トライに腕を掴まれながら、力なくアイラはトモハラを見つめる。なりふり構わず、マローを追う決死のその姿を。命を顧みず、大事な双子の妹を救おうとしているトモハラを。
 満足して微笑し、アイラは最後の力を振り絞り、自分の魔力をトモハラへと託した。

「マローを、お願い」

 マローが魔力を解放したならば、アイラとて全放出しなければ抵抗は無理だった。
 同様に、マローが力を喪失すれば、アイラとて同じこと。
 流石に、無理がきた。
 それでも、望みを託す。身体が、悲鳴を上げていた。
 瞳をゆっくりと閉じ始めたアイラは、瞬間トレベレスを探して彷徨った。
 ベルガーに支えられ、リュイに助けられながらトレベレスもアイラを探していた。
 刹那、二人の瞳が交差し、名を呼ぶように口を広げる。

「しっかりしろ、アイラ! まだ行けるっ」

 トライの声、トレベレスの悲鳴。
 トライの腕の中でアイラの手がガクリ、と力なく落ちた。
 瞳を閉じ、それでも何故か幸せそうに微笑んでいるアイラに皆は、悲鳴を上げる。
 だから、皆はトモハラを見ていなかった。
 トモハラは一人、落下するマローだけを見つめ探していた。
 小さく仄かな球体がトモハラにそっと寄り添えば、耳元で弾ける様な音と共に、瞳に光が完全に甦る。瞬間、トモハラには見えたのだ、泣いて怯えて震えながら落下しているマローが。

「泣かないで! 怖くないから、必ず傍に居るから! そんなに寂しそうにしないでっ」

 トモハラは、腕を伸ばす。
 黒き髪、瞳の愛しい愛しいたった一人の姫君を助ける為に。そっと、か細い手を握り締め、自分のほうへと引き寄せた。胸に抱え込み、目前に迫った地上に叫ぶ。

「止まれ! 止まれっ!」

 身体を反射的に反対にし、せめてマローを救うべく自分が下になる。
 地響きと爆音に呻き声をあげながらも、マローを抱えこんだ。
 地上で懸命に駆け回っていたデズデモーナとクレシダ、そしてオフィーリアの三頭は嘶いた。
 地面が、裂けている。
 あちらこちらの山が、噴火している。
 マローの放ち続けた魔力が、星に多大な影響をもたらし、眠っていた火山を誘発したのだろう。
 この地は、火の国と光の国の中間。地面から吹き出してきた地中底からのマグマは、周囲を一面の焼け野原へと変貌させた。
 トモハラとマローは、地面に叩きつけられなかった。
 地面が、裂けた為にそのまま落下していく。重力には逆らえない、肉が引きちぎれそうだ、骨すら砕けそうだ。
 それでも、トモハラはマローを手放さなかった。
 苦し紛れに名を呼んだ、だが、マローは目を醒まさない。何度も何度も名前を呼んだ、目を醒まして、と叫び続けた。身体はまだ暖かい、死んでなど、いない筈だと。
 花の様に、明るく笑う姫だった。あまりの愛くるしさに、一目で心を奪われた。可憐過ぎて弱々しい姫君を、心底護りたいと思った。美しさゆえに、手折られそうな姫君を護りたかった。
 強くなりたい、姫に釣り合う立場になりたい。
 誰にも彼女を傷つかせないように、絶対的に護る為に力が欲しい。
 泣かせたくない、傷つかせたくない。
 愛する人のそんな姿、誰だって見たくはない。
 トモハラは、力強く抱き締める。

「今度こそ……護らせて。だからっ」

 騎士は、祈った。
 愛する娘を抱き締めて、祈った。
 願わくば、彼女の守護を。
 彼女に、来世で再び出逢いたい。
 
 ……きっと見つけてみせるから、今度こそ守り抜いてみせるから。

 トモハラは、そっと、マローに口づける。
 もはや冷たくなっていた唇に、泣きながら口付けた。
 怖くはない、死ぬことなど。所詮マローが居なければ生きていても、無意味。寧ろ、二人で同じ場所で死ねるのならば本望。
 次こそ、次こそは。
 
 ……願いを、叶えて。

 これ以上この子が泣かないように、辛い目に合わないように。大切に護るから、護り抜くから。

「俺に! 俺にっ、力をーっ!」

 トモハラの絶叫は、果たして“届いた”のか。
 願わくば。

 世界の、いや、この惑星の崩壊を止めることは出来なかった。
 アイラは、トライに支えられたまま息絶えた。力が、足りなかった。
 誰かを選択して、護るべきだったのか。
 いや、この惑星を護る為に奔走すべきだったのか。
 違う。
 皆を護らなければ意味がないのだ、誰かなど、何を、など出来ない。
 アイラは、深く沈みゆく感覚にそっと瞳を開く。

「次、は……誤解を、生まない様に……みんな、喧嘩しないように。静かに、静かに……暮らして。
みんな、争わないで……。姉妹で、従兄弟で、争いは、駄目……だか……ら」

 ゆっくりと、瞳を閉じれば、どこかへと身体が引っ張られていく。
 腹の子は、どうなったのか。初めて授かった、愛した男の御子。
 満足そうにアイラは微笑んだ、しかし。
 これでは駄目だ。
 これでは、いけない。

「私が……護らないと。みんなを……護らないと」

 皆が幸せでなければ、意味がない。
 笑う双子の愛くるしい妹を、護らなければ。
 その妹を愛し続ける騎士を、護らなければ。
 その騎士の親友を嫌われてでも、護らなければ。
 自分を友達だ、と言ってくれた皇子を護らなければ。
 自分に寄り添ってくれていた王子を、護らなければ。
 自分に何故か優しくしてくれた皇子を、護らなければ。
 そして、愛した男を護らなければ。
 皆を護る、笑顔で居て欲しいから護り抜く。
 それが、自分の願いであり、幸せだ。
 その先に、自分の思い描いた世界が待っている筈だ。
 アイラは、切なそうに眉を顰める。
 刹那。

『貴女のせいですよ。貴女がいなければ、妹姫は攫われることもなく。貴女がいなければ、皆狂うこともなく』

 そんな声を、聴いた。

『あなたは、破壊の姫君なのですから』

 そんな声が、聴こえた。
 アイラは、微かに瞳を見開いた。
 だが。

「あの人に、逢いたい……。もう一度、名前を呼んで、一緒に」

 トレベレスに、逢いたい。
 妹を攫い、国を滅亡に追いやった男。それでも。忘れたくはない、あの声を。強引な腕を、瞳を。
名を呼んで、抱き締めて欲しい。
 幸せな世界で、もう一度。
 愛しい紫銀の髪。愛していると、告げてくれた男。その男の、子を産んで。
 ずっと、幸福に包まれたまま、寄りそって居たかった。

 夢を見たのだ。
 双子の妹は、騎士と恋仲になり逃亡し、かねてより懇意であった水の国の王子のもとへ逃れ、質素ながらも慎ましく幸せに暮らしたと。
 そして自分は、許嫁であった火の国の王子と婚約し、彼と仲睦まじく暮らしていた。いずれは二人の子が土の国を継ぎ、両国は末永く平穏を保ったと。
 恐ろしく、幸せな夢を見ていた。たくさんの子供達に囲まれて、争いのない、信じられないくらいの安寧の場所にいた。

 ……あぁ、なんて、私は、幸せなの。

 各々の願いを乗せて、運命の歯車は廻り続ける。願いを叶えられるのは、誰なのか。
 誰なのか、知っている“筈だった”。

 双子の姫君を巡り、宇宙の片隅でその日消滅した惑星の名は、誰も知らない。
 強過ぎた各々の渇望が、再び運命の輪に拍車をかける。それぞれの、願いを叶える為に。
 何処かの惑星で、月影の晩に空を見上げる。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み