外伝6『雪の光』9:虜
文字数 3,838文字
一体、どれくらいの間こうしていたのだろう。アロスを下から突き上げたまま、トシェリーは上機嫌でワインを呑んでいた。
車輪が舗道の小石を踏み不安定に揺れるたびに、アロスが過剰に反応する。その様子を眺めているのが実に愉快で、飽きない。
「それでは宿まで持たないだろう? 可愛い奴」
うっすらと瞳を開いたアロスは、口移しでワインを呑まされ小さく咽た。喉をワインが通過すると、身体中が火照り出す。
……これは、なに?
自分の中に入っているモノが苦しかったのに、痛みが和らいだ気がする。ワインのおかげなのか、それとも慣れてきたのか。意識は朦朧としているが、救いを求める様にトシェリー背に腕をまわし、その逞しい胸に顔を埋める。
……このままならば、心地良い気がする。
額や髪、耳に瞼に頬、いたるところに口付けされて、力が抜ける。身体中が痺れているように重いのに、軽く触れられただけで壊れてしまいそうな程、心と身体が跳ねる。
「アロス、たくさん口付けをしよう。ほら、口を開いて舌を出して」
口付けが嫌ではなかったので、アロスは従順に口を開いた。
こうして、馬車は目的地まで時折不自然に揺れ続けた。
アロスは膝の上に乗せられたまま何も考える事が出来なかったが、この男に買われてよかったのだとは思っていた。自分が知らない世界に引きずり込まれたものの、嫌ではない。
「……ぅ」
家庭教師から教わった『性の営み』だろうかとも思ったが、それは、嫁ぎ先で行う事だと習った。
……一体、この御方と私は、今どういう関係なの?
世間の綺麗ごとしか教わっていなかったアロスは、身分の低い女達が身体を売る事など知らなかったし、性行為を愛の契約と捕らえていた為、戯れなど理解できない。
しかし、身体を貫かれて自分が乙女でなくなったことは理解していた。習ったことよりも刺激的で破廉恥、とても口には出来ない。
……私は、どうなってしまうのだろう。
首謀者がラングだと知らぬアロスは、何故自分が誘拐されあの競売場に居たのか分からないまま。
……お父様、トリフ。
それでも、生きねばと思った。父と親しい従騎士を思い浮かべ、唇を真横に結ぶ。彼らはきっと、捜している。だから、見つけてもらえるように努力せねばと思った。
ようやく目的地に到着した。時間の感覚が解らぬ程、意識が朦朧としている。せめて太陽があればよかったのだが、生憎雪の為始終空は暗い。
「湯の準備は整っております」
そう声をかけられたが、トシェリーは間入れず喉の奥で笑った。
「いや、今はいい。それより、部屋に着いたら温かな食事を。そうして、暫く誰も立ち寄らせるな」
「承知しました」
通常、トシェリーは出先から戻ると真っ先に沐浴を行う。冷えた身体を温めるには、これが一番だと。しかし、今日はそれよりも先に愉しみたいことがあった。腕の中で荒い呼吸を繰り返しているアロスを見下ろし、案内された通り部屋に入る。
「疲れただろう? 今、食事を用意する」
ここでの滞在は馬の整備に食料の補充、一時の休息の為二日ほどを予定している。夜は酒宴を開くつもりだったが、そのような暇はない。気だるくて起き上がれないアロスを見下ろすと、口角を上げる。
「二日では短いなぁ?」
全ての衣服を脱ぎ捨て、覆い被さる。
「あぁ、やはり、こうして肌を重ねていた方が心地良い」
うっとりと呟いて、薄く瞳を開いたアロスの唇を指でなぞった。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。オレはトシェリー。ブルーケレンの国王だが、知っているだろうか? アロスは貴族の娘だと噂が流れていたが、オレは“噂など信じない”。お前が何処の誰であろうと関係ない、このままオレの国へ行き、一生オレと過ごす。……いいな?」
与えられた情報量の多さに、アロスは目を白黒させた。困惑し、頷けずにじっと瞳を見つめる。
「そのように縋る瞳で見つめても無駄だ。オレが買わねば、醜悪な男達の慰み者にされただろう。オレに買われたことに、感謝しろ」
アロスは、懸命に考えた。そして、父に連絡をとることは難しいと悟り、嘆く。せめて無事だと連絡したいのに、それもままならないらしい。
同時に、助けてくれた相手が国王だということに酷く驚いた。あのような場所に身分高き者がいることが信じられなかったし、まだ若いのに国王の座に就いているこの男がもっと知りたいとも思った。
それよりも、アロスが恐ろしくて震えたのは、一糸まとわぬ姿で抱き合うことの心地良さを知ってしまったことだった。トシェリーの温もりに、自分の肌が染まっていく。まるで身体が溶けて混ざり合い、一つになる様な感覚だった。
戸惑って瞳を伏せるアロスに、トシェリーは豪快に笑った。
「そんなに恐縮するな。馬車でも言っただろう、アロスはオレのもので、オレはアロスのもの」
身分を明かしたことで驚嘆していると思い込んだトシェリーは、鼻の穴を膨らませる。しかし、トシェリーにとってアロスが何者か関係ないように、アロスにとってもトシェリーが何者なのかは問題ではなかった。
ただ、純粋に
食事が運ばれてきたが、二人は口付けたまま寝台から動かなかった。冷めてしまう事は解っていたが、今はこちらを愉しみたい。
「オレは、極上の拾物をした」
髪を撫でながらそう呟かれ、アロスはほぅ、と溜息を吐く。そして、まじまじとトシェリーの裸体を見つめた。遅れて赤面し、視線を逸らす。
「ぅ……」
異性の裸体を見るのは、初めてだった。引き締まった細身の身体は、妙に色香がある。思わず触れてしまいたくなるような胸板が、視線を逸らしても脳裏から離れない。先程馬車で抱かれていた時は、衣服を身に纏ったままだった。こうして全裸で覆い被さられると、緊張する。先程まで、歩く時ですら繋がっていた仲だというのに。
震えながら横を向いているアロスの頬にそっと触れたトシェリーは、優しく微笑した。硬く瞳を閉じ、胸元で両手を組んでいる姿はまるで初夜を待つ乙女のよう。これから来る快楽の波に、不安と好奇心とで胸が高鳴っている。
「面白い。そうだな、馬車の中は特殊だったものな。今から、やり直しをしよう。処女を相手に、精一杯優しく、甘く、抱いてやる」
腰を振り自ら快楽に溺れていたのに、初々しく恥らうアロスがなんとも愛おしい。
「本当に美しい身体をしている……。きめ細やかで、触り心地が良い。口付けの痕が映える白い肌は、熱を帯びると全身が桃色に染まる。どこもかしこも、劣情を刺激するように出来ているんだな。卑猥な奴」
二人は、暫くの間見つめ合い、優しく口付け合った。
アロスが嬉しそうに笑みを浮かべたので、誉められることが好きなのだろうかと思った。無邪気な笑顔を見て、ここで初めてトシェリーに罪悪感が芽生える。
「……良家の娘であれば相応の場所へ嫁ぎ、きちんとした手順で、初夜を迎えたのだろうな」
荒々しく馬車の中で、手折ってしまった。不思議そうにこちらを見つめているアロスの頬を撫で、苦笑する。
アロスはどうしたらよいのか解らないので、トシェリーの真似をしている。それで誉められたのであれば、対応は合っていたのだと素直に喜んだ。だから、その後、少しだけ辛そうに顔を歪めた彼を見て不安になった。
暫くの間、二人は、こんなに近くにいるのに何処か遠い気がして身体を寄せ合っていた。この時間を壊されぬよう、
気まぐれで連れてきた筈なのに、どうにも愛おしさが増してしまったトシェリーは、最初自分が同情しているのだと思っていた。だが、違う。抱いた女に優しくしたくなる男もいるが、今までは違っていた。そのような一時の感情にすら、流されたことはなかった。
「アロスは、不思議だな……。本当に妖精の娘かもしれん、人間を堕落させる恐ろしい生物」
胸を刺すような痛みに耐え兼ね、打ち消すようにトシェリーは舌打ちする。優しくしてやるつもりだったのに、自我の制御が出来なくなる前に、再びアロスを犯した。こうしていないと、気が狂いそうな程に甘ったるい感情が押し寄せてくる。
それでも、抗う事が出来なかった。
「……愛しているよ」
耳元で、うわ言の様にトシェリーが囁いた。
だが、アロスの意識はほぼない。
「何処へも行くな。アロスは、オレのもの。オレだけを見て、オレの為に腰を振り、ずっと生きていけばいい。裏切りは
トシェリーの顔が、大きく歪む。置き去りにされた子供のように、不安げに涙を一筋溢してそう訴える。自分の中で渦巻くこの感情が解らないのに、知っている。幾度も体感したこの虚無に打ち勝ちたい。
救いを求め、悲痛な叫び声を上げるように囁いたトシェリーの言葉は、意識を手放していたアロスには聞き取ることが出来なかった。
「オレで、満たされればいい。オレしか、受け入れられない身体になってしまえばいい。……愛している、愛しているんだ。……オレ以外は、見なくていいからっ」
アロスの身体を知り尽くす為に。尚も貪って、全てを“自分の為に”開発する。
トシェリーは、食事も、寝る事すら忘れて狂ったように抱き続けた。
何度も、「愛しているよ」と囁きながら。