外伝2『始まりの唄』11:業火
文字数 5,834文字
脅すような尊大な口調で、兵達の中から金銀細工を嫌味なほど身体に纏って現れたトダシリアは、大層機嫌が良さそうだった。子供の頃となんら変わりは無い、他人の不幸が蜜の味とばかりに不気味な笑みを浮かべている。
互いに成長しているが、一目で双子の兄だと解った。昔の面影はそのままに、瞳に宿る残忍な光は増している。面白がって軽く手を振っている姿に、心底吐き気がする。
震えているトバエに気づいたアリアは、控え目にその相手を見つめた。夫と同じ、髪と瞳の色の男。無邪気な笑みを浮かべているように見えるが、トバエが恐れ戦いている様子にアリアは息を飲む。常に傍にいて力強く頼もしい夫が狼狽している様を、初めて見た。
「貴方は……だぁれ?」
恐縮しているようなトバエに代わり、彼を護ろうとアリアは一歩前に進み出る。
舌打ちしたトバエが強引に腕を掴み背に隠すが、遅い。トダシリアはすでにアリアを視線で捕らえ舌なめずりしていた。
トバエの顔が、瞬時に青褪める。
トダシリアは喉の奥で哂い、嫣然とした笑みを浮かべてアリアに手を差し出した。
「こうして“直接”御逢いするのは初めて、かな。名はトダシリア、トバエの双子の兄ですよ、アリア」
「双子?」
それならは瞳と髪の色が同じで、雰囲気が似ているのも納得できる。まじまじと見つめると、彼とは何処かで逢った気がしてきた。腑に落ちず、アリアはじっと瞳を見つめる。
トダシリアは、口元に笑みを讃えて興味深そうに見返してきた。
二人の身体を、奇妙な感覚が突き抜ける。
「何故アリアの名を知っている!」
だが、聞いたことがないほど激昂し、怒鳴りつけたトバエの声に正気に戻った。身体を大きく震わし、アリアは反射的にその背に隠れる。
怒りに満ちたトバエの顔を、アリアは息を飲み見上げた。大きく瞳を開き、相手を全身で威嚇し敵意をむき出しにしている。以前、盗賊や人攫いに襲われた時ですら、トバエは無表情で冷淡に敵をねじ伏せただけだった。
余程の相手なのだと察したアリアは、唇を固く結ぶ。トバエの敵は、自分の敵だと言い聞かせる。双子の兄がいるなどとは知らされていなかったが、話したくない事情があったのだろう。
トバエの正体を、アリアは知らない。
「あの、トバエのお兄様。私達急ぎの用なのです、通して下さい」
強気に発言したアリアを、トダシリアは大きく瞳を開いて見つめる。そうして、見下すような冷笑を浮かべた。今にも斬りかかってきそうなトバエだが、その左腕には愛する妻がいる。寄り添っているニ人を何気なく見つめていたが、大きく口元を歪めて唾を吐き捨てると、トダシリアは躊躇せずに腰の剣を引き抜いた。
「心外だな、トバエ。質問なんぞしなくても、オレが現れた理由など承知だろう? だから背に隠しているんだろう、妻を。オレの標的がアリアだと……解っているんだろう?」
トバエは歯軋りし、アリアは動揺し身動ぎする。
何故自分の名が出たのか、アリアには全く理解が出来なかった。トバエがきつく抱き締めるので、眉を寄せる。無意識に力が入っているのだろう、あまりの強さに痛みすら感じる。
「というわけで、用件を伝えよう。アリアを貰いに来た」
「逃げるぞ、アリア!」
言うが早いか、トバエは氷柱をトダシリアに投げつける。アリアの腕を強引に引っ張り、荷物を放り捨て近くに居た馬に飛び乗った。アリアを引き上げ前に乗せると、馬の腹を蹴る。
「邪魔だ、退けっ」
機転を利かせ立ち塞がった兵士達にも氷柱を放ち、相手が怯んだ隙に一気に馬で駆け抜ける。
周囲は、喧騒に包まれた。
今は善良な市民であれども他人を気遣ってなどいられない、なりふり構わずトバエは加速する。逃げる事を恥だとは思わない、あれは相手にしてはいけないものだと本能が叫んでいる。
砂煙と共に、久方ぶりに再会した双子の弟は去って行った。
身を案じ駆け寄ってきた兵に薄ら笑いを浮かべたトダシリアは、紙一重で避けた地面に突き刺さっている氷柱を一瞥する。鼻でせせら笑い、そこに火炎を投げつけた。
徐々に氷柱は解けて水となり、地面に染み込む。その様を見つめていたが、地面に広がる水を蒸発させんとばかりに、再び火炎を投げつけた。
「水は、形を変えて氷になる。けれども、氷も形を変えて水に戻り、地に……」
ぼそ、と呟いた言葉は誰にも聞こえなかった。
「水と地は、共に。大地に豊かな河があれば、その地は繁栄する……」
何を言い出したのかと、兵達は訝しげにトダシリアを畏怖の念で見つめた。トダシリアは暫し乾いた地面を見つめたままだったが、ようやく剣を腰に収めると不敵に笑う。指先に火を灯し、しげしげと見つめた。
まるで、炎の中に何かを映すように。
若干項垂れたように瞳を閉じると、肩を竦める。しかし、炯々とした瞳を見せると、すぐに調子が戻った。
「どうやらこの時代、オレのほうが勝るらしい。……勝てる、“アイツ”に勝てる!」
両手を頭上に掲げたトダシリアの瞳が妖しく光り、口角が徐々に上がっていく。
「ラファシの兵は帰国準備に入れ! あのニ人を炙り出す」
途端、掲げた両手から四方に火炎球が飛び散った。
地面に落下するもの、建造物に直撃し破壊するもの、街路樹に燃え移るもの……。幾つもの球を発生させ、トダシリアは飛ばし続ける。
「お、おやめくださいませ、トダシリア様! こ、これでは街が」
慌てて止めに入った一人の兵士だが、トダシリアに睨まれると喉の奥で悲鳴を上げ痙攣し、勢いよく倒れ込んだ。絶命した。
彼が身に纏う鎧はラファシ国のものではない、この街の兵士である。トダシリア配下のラファシ兵は、直様トダシリアの言いつけ通りに帰国準備に入っていた。命が惜しいからだ。逆らえば死体となり無残に転がることを知っている。
「実に、愉悦。あのニ人が、何処まで逃げられるか。……古来より、男は狩りを愉しんだ。さぁ今から、極上の獲物を捕らえる愉快な時間の始まりだ! あぁ、この湧き上がる興奮と高揚感! 堪らないね」
数人腰を抜かしている兵がいる、無論それはラファシの者ではない。トダシリアの異端な魔力を初めて目の当たりにすれば、誰とてこうなるだろう。だが、それでは逃げ遅れてしまう。
冷静に避難する兵達と、突然の予想だにしない出来事に悲鳴を上げて逃げ惑う人々で街は溢れ返った。運悪く空気が乾燥していた為、瞬く間に街は炎に包まれていく。
「簡単に摑まるわけないよなぁ、トバエ? 抵抗してみろ、オレを愉しませてみろ、トバエェッ!」
その瞳は、生き餌を見つけ今にも飛びかからんとする獣の光に満ち溢れていた。愉快で仕方が無い時間が訪れる、欲求を満たすための貴重な戯れだ。久し振りに血肉が躍る。
「出て来い、トバエ! 反撃はどうしたっ!」
トダシリアが両手を勢いよく振り下ろすと、燃え盛る炎が赤い光を放ち一直線に突き進んだ。避ける事ができなかった者は、瞬時に灰と化す。閃光と灼熱に周囲は覆われ、避けたとしても結局煙に巻かれて命を落とす。
選択の余地など、なかった。
「さて」
前方の建物は吹き飛ばしたので、満足そうに直進した。遮るものは、何もない。自分の突き進む路を、他人如きに邪魔させない。首を軽く鳴らし、意気揚々と笑う。
燃え盛っている街を歩くことは、それだけで愉快だった。普通ならばその場にいるだけで火傷するだろう、しかし、トダシリアは術壁を身に纏い、熱などもろともしない。
それ以前に、炎がトダシリアを避けているようにすら見える。彼は、完全に火を操っていた。
「焼け野原にしたほうが、手っ取り早いか」
言いながら両手を四方に動かした。無造作に手を動かすだけで出現した火炎球が飛び散り、辺りを燃やしていく。
消火活動など、出来るわけが無い。人々は死に物狂いでこの慣れ親しんだ街から逃れようと、躍起になっていた。誰しもが無力で、敵わない事を察していた。標的を炙り出す為に犠牲となる、街の人々。
ふと、トダシリアの歩みが止まった。
前方に影が二つ、立っている。トバエとアリアかと思ったが身長の差から違うと悟った。肩を竦めて気の毒そうに瞳を閉じると、影に向かって会釈をする。多少忌々しそうに頬を引きつらせるが、努めて冷静に華麗に挨拶をした。
「これはこれは、ガラシャ嬢の兄上ベリアス殿と、その弟君リオン殿。こんにちは、本日は結構なお天気で。……お散歩ですかな?」
その二つの影の周囲には、炎がない。掻き消えている。
喉の奥で笑いながらも、二人の男を見つめる瞳は死んだ魚のように濁っている。
立っていたニ人の男は、真正面からトダシリアを睨み付けていた。
一人は三十代前後、がっしりとした身体つきで、非常に端正な顔立ちをしている。槍を構え、青白く燃え上がる炎の様に静かに激昂している。凍てつくような鋭利な瞳で、トダシリアを捉えた。
もう一人は二十代前後、幼く華奢な身体で、杖を掲げ睨みつけている。
このニ人の妹を側室として迎え入れることとなり、本来ならばガラシャ自らラファシへ来る筈だったが、トダシリアが迎えに行くと申し出て、この街に滞在していたのである。
自ら足を運んだのは他でもない、この地に行けば何か愉快なことが起こると直感したからだ。でなければ、顔すら知らない一人の女を迎えに行くわけがない。正妃を筆頭として、快楽を得る女など吐いて捨てるほどいるのだから。
ガラシャは由緒正しき侯爵家の娘で、“精霊エアリーの申し子”と呼ばれていた。精霊エアリーとは、この大陸の民が信仰している美貌の神である。ガラシャは見事な金の髪に、透き通る紺碧の瞳、魅惑的な身体つきで、多くの交際を申し込まれていたという。しかし、侯爵はトダシリアに献上することとした。彼がそう決定した憶測は多々流れたが、真実は知らされていない。
トダシリアはすでに百人ほどの側室に、第五妃まで抱えている。暫く顔を合わせていない妃もいる現状であり、側室よりもそこらにいた気に入った娘を抱く事が多かった。
「凶王だと聞いていたが、狂王の間違いでは」
ベリアスが口を開き、鋭利な瞳を細めた。言葉からは、突き刺さる様な怒気が感じられる。軽く槍を振り、構えた。
「赦さない……! この街の惨状、このまま生かしておけば同じ様な街が増えるだけ」
瞳に憎悪を灯し、リオンが杖を振り翳す。
ニ人を興味深そうに見つめていたトダシリアだが、軽く首を傾げると気だるそうにやる気のない拍手をした。
「逃げる余裕があっただろうに、オレに向かってくるとは。その馬鹿さ加減を表しよう。君らが今相手にしているのは、誰だが知っているのか。……昔馴染みの友ではなく、王。極刑としよう」
鼻を鳴らして満足そうに微笑んだトダシリアは、目の前で敵意を露にし突撃してきたニ人に両腕を差し伸べた。
リオンが杖から疾風を巻き起こし、ベリアスが光り輝く槍でトダシリアを突き刺そうとした。
想定内だとばかりに口角を上げたトダシリアは、玩具を与えられた子供のように瞳を輝かせる。
「遠い昔……オレが手にしていたのは、火の力」
リオンの疾風を、火炎の勢いで押し戻した。
ベリアスの輝く槍を、自ら作り出した燃え盛る炎の剣で受け止めた。
驚愕の瞳でそれを見つめるニ人に、軽やかにトダシリアは微笑む。
「お前達ニ人が手にしていた力は、光と風だろ? ……残念だったな、裏切られ絶望し、全てを失った怒り狂う奈落の業火には敵わない」
直様次の攻撃態勢に入ろうとしたベリアスとリオンだが、不意に身体が硬直する。
「トバエもだけど、ニ人も力を所持していたんだなぁ……。しかして、どうやらオレが最も長けているらしい。“昔とは”違うんだよ。皮肉だねぇ?」
「ガハッ!」
「ベリアス!?」
途端、ベリアスの脇腹に火の剣が突き刺さった。肉が焦げる臭いと共に、ベリアスの絶叫が響き渡る。
兄を救おうとリオンが杖を振り翳すが、目の前に巨大な火炎の壁が現れ、圧し迫ってくる。対抗する事が出来ず、悲鳴と共に炎に飲み込まれた。
「り、リオン……!」
弟の姿が、瞬時に消えた。
燃えカスすら、残らなかった。唖然とそれを見つめたベリアスの四肢に、火炎の弓矢が突き刺さる。無数の針でじわじわと刺されている様な感覚に、脂汗が吹き出た。
「ゥグッ」
地面に倒れこむベリアスの首元を、無造作にトダシリアが掴んだ。
「おっと、地面に倒れてもらっては困るなぁ。残念だったな、お前らニ人も“また”会いたかったんじゃないか? ここに、居たのに。あぁ、それとも、お前はすでにトバエの目を掻い潜ってあの女を抱いているのかな? ……そうそう、笑えただろ? 今回手にしたのは、トバエだった。しかもあのニ人、“夫婦”なんだとよ。ククッ、驚愕しろよ。どう思う? 許せないだろ?」
「お、おま、おまえ、は……“また”」
呼吸がままならず、掠れた声で懸命に言葉を紡ぐ。そんな中、ベリアスは一瞬憐憫の情を宿した瞳でトダシリアを見つめた。
何故そんな瞳で見つめられたのか理解出来ず、見下された気がしたトダシリアは、その顔に唾を吐き捨て手に力を篭める。
ベリアスの身体から、炎が溢れ出た。燃え尽きる前に首がもげて、地面に転がる。
その転がった頭部を虫けらを潰すように踏みつけ、頭蓋骨を砕く。
「……トバエは、もっと歯ごたえあるよな? ニ人みたいにあっさりと、死なないよな? あれぇ、オレ、強くなりすぎた? ククッ」
燃え盛る炎の中、自分の両手を見て吹き出す。常人として破綻している笑顔を見せ、トダシリアは高らかに哂い続ける。
「残念だったな、ニ人とも。ここまで差がつくと、どうにもならないね。しかし、アンタのおかげで、如何に権力が役立つものか解ったよ。成程、素晴らしい。下々の者を顎一つで動かす事が出来る、皆がオレに頭を下げる。権力って、イイね。……そりゃ、あの女も簡単に足を開いたさ」
快味に、ゆっくりと笑い出す。腹の底から笑いが込み上げてきて、止まらない。瞳を閉じれば、瞼に焼き付いて離れない美少女が浮かぶ。
「あれは、オレのだぁ! オレの、女だぁぁぁっ!」
咆哮した。
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2020.11.13
上野伊織様より戴いた、ベリアスのイラストを挿入しました(*´▽`*)
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