エリシオン

文字数 5,905文字

 焦心しつつも、アサギは掛け声と共に室内にあった椅子を透明な壁に投げつけてみた。やはりビクともせず、悔しさで顔を歪める。
 休む暇なくズキズキと痛む足を引き摺り、窓に移動した。流石にここは開くだろうと思い、手を伸ばす。確かに普段通り開いたが、ここから飛び降りるのは自殺行為だ。
 窓から身を乗り出し状況確認をしていると、耳障りな高音が響く。思わず耳を塞ぎ室内に身体を引っ込めると、魔物が群らがって奇声を発していた。翼が邪魔で侵入できないらしいが、紫がかった黒色で細身、血走った瞳が寒気を誘うガーゴイルのような魔物だ。五体が、喚きながら旋回している。もしかしたら、仲間を呼んでいるのかもしれない。
 突破口は、この窓のみ。アサギは意を決し、魔物を倒して窓から逃げ出す道を選んだ。
 腹を括り、右手を窓へ向け詠唱を始める。
 しかし、一体が体勢を変えて窓から侵入してきた。天井付近を旋回していたが、アサギ目掛けて突進して来たので転がりながら避けた。
 その間に、もう一体侵入してきた。仲間を真似たのだろう、このままでは続々と入ってくる。

「闇に打ち勝つ光よ来たれ、慈愛の光を天より降り注ぎ浄化せよっ」

 急いで詠唱し、魔法を発動した。光の粒子が室内に溢れ返る中、鼓膜が破れそうな泣き声が響いた。瞳が焼かれたのか、室内の魔物は落下し床を転げまわっている。外で群がっていた魔物は落下したのか、逃げたのか、いなくなっていた。
 大きく肩で息をすると、再び窓に近寄った。だが、同じ魔物が遠くから窓目掛けて飛んで来ている。相手にするには、数が多過ぎる。慌てて離れると、一先ず痛めた両足に回復の魔法を唱えた。

「誰か! 誰か! 誰か居ませんか!?」

 無我夢中で、叫んだ。しかし、聴こえる音は室内で転がる魔物の音のみ。それらが、妙に耳に響き渡る。
 再び光の魔法を詠唱し時間を稼ぐと、震える身体を沈めようと腕に爪を立てた。
 と。
 室内に違和感を覚えた、何処かで金属音が聞こえた気がしたのだ。先程、後方で誰かの気配を感じたが、それとは異なるもの。
 胸がざわめき、それを探す。確実に、部屋の何処かに何かがある。床を転げまわる魔物を避け、震えながら室内を徘徊した。
 キィン、と何かの音がする。
 バタンバタン、と魔物の羽音の中が煩い中で、微かに何か別の音が聞こえた。
 恐る恐る、寝台の下を覗きこむ。すると、うっすらと光る物が、そこにあった。躊躇せず床に突っ伏すと、それに手を伸ばす。指先が冷たい物に触れ、無我夢中で手繰り寄せる。
 魔物の耳障りな声が真上でした為、アサギは引き寄せたそれを思い切り振り上げた。
 鈍い音がし、魔物が天井に叩きつけられる。室内の光で、ようやくそれが何か判明した。

「剣……!」

 掴んでいたのは、一振りの剣だった。
 光っていたのは刀身だろうか、鞘から零れるようにぼんやりとした黄色い光が雲海の様に流れ出ている。
 吸い寄せられるように、鞘から引き抜く。
 光というよりも、まるで雷でも纏っているかのような雰囲気の剣だった。刀身は細身で、鋭利な雰囲気が美しい。アサギにも解る、これが普通の剣ではないことが。
 手にした右手が、小刻みに震える。キィン、と剣が鳴く。喉を鳴らし、強く握る。
 室内に入り込んだ魔物の動きを明確に目で追うと、軽やかにそれを振った。多少重かったので両手で持ち、驚くほど冷静に魔物を斬りつける。
 魔王リュウの室内にあった、剣。
 それは、惑星ネロのカエサル城に祀られていたもの。勇者が持つべき剣の名は“エリシオン”。
 偶然ではない、アサギが身を護る事が出来るように、リュウがわざと置いたのだ。

「ミノルかユキが所持すべき剣、なの? ……少し、お借りします!」

 掛け声と共に、アサギは見えない壁に向かって剣を突きたてた。
 電流に似た痺れが、指先から上がってきた。上手く行くと思ったが、無意味だったらしい。これは、剣でも壊せない。顔を顰め、右手を押さえる。
 瞳に涙を浮かべて、再び叫んだ。

「誰か! お願い、出してっ」
『……どなたか! どなたか! 王子と同等の、いやそれ以上の魔力を持ちえるお方よ! どうか、私の声をお聞きください! 私の名はヴァジル=セルヴァ。私を召喚してください、封印を打ち破り、貴方様のもとへと召喚してください!』

 不意に聞こえた声に、アサギが振り返る。
 間違いなく、男性の声だった。

「誰……?」

 声の主など、知らない。耳を澄ませども、声はそれきり。やはり窓から出るしかないと、気合を入れる。
 しかし、アサギが放った光の魔法の粒子を感じ取って、辿ってきた者がいた。

「アサギ様! 何をやっておいでですか!?」
「アイセル様!」

 助けが、来た。
 身体中から血を流しながら、驚愕の瞳で立ち尽くしているのは、アイセルだった。
 アサギは、目の前に立っている血塗れのアイセルに言葉を失った。
 その様子に気にした素振りも見せず、アイセルは額や頬の血痕を拭う。そして駆け寄り、目に見えない壁に隔たれていると知り唖然とした。

 ……あぁ、それで動けないのか。

 納得したアイセルは、忌々しそうに壁を叩く。真っ先に先陣切って飛び出しそうなアサギが、こんなところで立ち止まっている筈がない。何かわけがあると思ったが、この状況は流石に予測出来なかった。

「落ち着きましょう、アサギ様。まずこの血は自分のものではありません、ここへ来る途中に襲われたので、その……返り血です。それで、この壁、一体何が?」

 血痕がアイセルのものではない、と知ったのでアサギの顔に笑みが戻った。
 アイセルは、咄嗟に嘘をついた。アサギが顔面蒼白だったので、本当のことが言えなかった。確かに返り血もあるのだが、自身も傷ついている。痛む右脚を悟られないように笑みを浮かべ、優しく言葉を紡ぐ。
 元気づけられたアサギは、一気に語った。

「その……リュウ様に閉じ込められてしまって……。でも、見てください! 多分これ、私のものではないけれど、勇者の剣です。これを置いてくれたんです、きっと、私の為に。だから、敵ではなくて、えっと」

 リュウの行動に、当然アイセルは顔を顰める。舌打ちし、壁を思い切り殴った。

「ミラボーと共謀していたのか、やはりっ」
「ち、違います! 多分それは違うんです、リュウ様、ご自分でも何がしたいのか解らないんだと思います。それより、他の皆さんは……」

 リュウを庇い続けるアサギに、アイセルは苦笑するしかなかった。何故そこまで信用しているのか、どうしても解らない。それが命取りにならねばよいがと、杞憂する。周囲を窺い、気配がないことを確認すると、表情を曇らせ口を開く。自身の武器である、手甲ランヴォルキーニを装着し直しながら。

「アレク様に先導され、歩いていたことは覚えていますか?」

 神妙に頷いたアサギに頷き返したアイセルは、唇を舌で濡らして続ける。

「アサギ様が、後方から来ていた魔族達に捕えられました。ホーチミンが魔法を放ち、俺もその輪の中に飛び込んだのですが……。城外から攻撃があり、気づいたら瓦礫の中に埋もれていました。そこから、一人です。先程、アサギ様が放った光の魔法に気づきました。あれのお陰で、迷うことなくここへ辿り着けたのです」

 偶然だが、あの魔法を使ってよかったと、心底嬉しくなった。他の魔法では気づいてもらえなかっかもしれない、不幸中の幸いだ。

「一部の者達は狂っています。以前、スリザちゃんが意識を奪われたように、魔族の大半が操られている。アサギ様を背後から襲った魔族達も、何処か瞳が虚ろでした」
 
 自らの意思で動乱に加わる魔族もいるだろうが、多くは傀儡と化している。神妙に頷いたアサギは、不安そうな声を漏らした。

「誰これ構わず倒してはいけない、ということですね」
「いえ、こちらの命が優先ですから甘い考えは捨てましょう。操られているとはいえ、目の前に立ちはだかるならば、消すしかないですよ。アサギ様、今は一刻の猶予も許されない」

 厳しく言い放ったアイセルだが、アサギは首を横に振り拒否をする。

「スリザ様の様に、正気に戻せば良いのですよね? 私、やってみます」

 真っ直ぐにこちらを見つめ返すので、その瞳にアイセルは苦笑し肩を竦めた。

「ですよねー、言うと思いました」

 小さく溢し、深く溜息を吐く。しかし、そう言いつつも嬉しかった。目の前の希望は、諦めていない。彼女が折れていないのであれば、絶望する段階ではない。この最悪な状況を良い方向へ導こうとしているアサギを、アイセルは頼もしそうに見入った。
 けれども、まずはこの目の前に立ちはだかる見えない壁を撤去しなければならない。 
 
「アサギ様、これはリュウ様の魔力の賜物ですよね? 魔力で対抗してみてはどうでしょう、相殺するのです」
「私が、ですか!? う、うーん……やってみます」

 ホーチミンがこの場に居てくれたら、どれだけ心強いだろう。
 アサギは壁に両手を添えて瞳を閉じ、神経を集中させる。
 頭をかきながら、アイセルはその場から数歩後退した。今は、彼女に任せるしかない。
 しかし、不穏な気配に首を動かせば、数人の魔族がこちらへ向かっている。遠目に見ても、明らかに味方ではない。
 集中しているアサギに悟られまいと、アイセルは顔を動かさず静かに移動した。そして、壁を蹴り上げ魔族達の輪に飛び込む。数は、四。気を抜かなければ、容易く倒せる相手だろう。唯一の問題は、右脚の痛みがどこまで足を引っ張るか。
 身体を大きく捻って、飛んで来た火炎を避ける。皮肉めいて笑ったアイセルは、一旦地面に着地すると、そのまま火炎を投げつけてきた魔法使いの腹に、強烈な拳を叩き込んだ。
 右脚が、ズキン、と重く痛む。一瞬遅れるが、剣を振り翳してきた魔族を寸でのところで避け、掛け声と共に再び拳を横腹に叩き込む。骨が砕ける鈍い音が響き、見知った顔に「悪いな」と謝罪する。当分起き上がることは出来ないだろうが、命に別状はないはずだ。
 アサギが望む通り、命までは奪わない事に徹する。
 息つく間もなく手甲で剣を受け止めると、気合で跳ね返す。接近戦は得意だ、これならすぐに片づけられそうだと一息ついたアイセルに、再び火炎が飛んできた。頬を掠め、廊下の窓かけに燃え移った火を忌々しく見つめると言葉を失う。

「くそっ!」

 魔法使い一行の援軍が間近に迫り、両手を突き出して詠唱を開始している。流石に、あれを一度に避ける自信はない。アイセルは倒れていた魔族を楯にする為掴み上げると、素早く後方へと移動した。

「魔法は苦手なんだよっ」

 小さく叫び防御の姿勢をとったアイセルの耳に、アサギの声が聴こえた。

「遥かなる天空に溢れる、眩い光よこの手に来たれ。我の声と共に光を抱きし雲に覆われた天は、応えたまえ。今、ここへその光を放ちたまえっ!」

 歌うようなアサギの声に、アイセルは破顔し瞳を閉じる。大丈夫だと確信し、後方からの温かな光に身を委ねる。
 誰一人、悲鳴も上げずその場に佇んだままだった。
 何が起こったのか解らず、瞳を開いたアイセルは息を切らせているアサギを視界に入れる。剣を両手で掲げ、汗を溢しながら半泣きで立っていた。

「間に、合いました……」

 ようやく嬉しそうに笑ったアサギに、即座にアイセルは駆け寄った。
 右脚の痛みがすっかり消えていたので、そのまま抱き上げ強く抱き締める。
 魔王リュウが創り出した壁は、見事にアサギが消滅させた。ただ、願っただけで壁は消えた。
 つまり、アサギの魔力は今の魔王リュウに匹敵する。アイセルは胸の奥底が熱く泡立つのを感じ、感極まって泣きそうになっていた。

「やはり、貴女こそが! 求めていた!」

 間違いなく、人間の勇者。そして、次期魔界の女王。人間にとっても、魔族にとっても、皆に幸せを運ぶ、幸福の使者に違いない。
 そうアイセルは確信し、震える身体を必死に抑えてアサギを抱き締める。
 困惑気味に笑うアサギの傍に、先程の魔族達が駆け寄ってきた。

「も、申し訳ありません、アイセル様、アサギ様! その、記憶が無くて……何が起こったのか」

 周囲の惨状に怯えながら、今後の身の振り方が解らず、魔族達はアイセルとアサギに縋るしかなかった。先程アサギが放った魔法により洗脳が解けたらしい。スリザと同じで、やはり記憶が抜けているようだ。
 アイセルは深く頷くと、項垂れていた魔族達を叱咤した。

「今後は個別で行動するな、一丸となって何処か安全な場所へ避難しろ! 誰が敵で味方が最早解らぬ、注意し、命を落とさずに逃げるんだ! 敵は魔王ミラボーだが、絶対に対峙してはいけない。意思を奪う術を持っている」

 安全な場所へ隠れて貰うことが最良だと、判断を下した。仲間は多いほうがよいが、この状況では足手纏いになりかねない。

「了解致しました! アイセル様はどちらへ?」
「私はアサギ様を御守りしながら、アレク様を捜す。皆も避難しながら、傷ついた者がいたならば、助けてくれ。洗脳は、必ず解ける。難しいだろうが、なんとか多くの魔族を救出しよう」

 無茶を言っていることは、自分でも解っていた。攻撃をしてくる魔族が全て敵とは限らない、極限状態で錯乱する魔族も出てくるだろう。疑心暗鬼になれば、誰にでも有り得る事だ。誰かを助けるのは、簡単な事ではない。逆に傷つくこともある。
 それでも、最終的にアサギならば全員を洗脳から解き放てる筈だ。だから、命を奪ってはならない。
 アサギは静かに歩み寄り、魔族達の頬に触れた。ゆっくりと、瞳を見て微笑む。

「どうか、ご無事でありますように。綺麗な魔界を、これ以上失いませんように」

 そう言ったアサギに涙ぐんだ魔族達は、深く頭を垂れた。触れられた頬が、仄かに温かい。やがて全身を駆け巡る“何か”に、皆うっとりと瞳を閉じた。

「どうか、御無事で。お役に立てず申し訳ありません」
「私は大丈夫です。さぁ、早く逃げて」

 去って行く二人を、魔族らは頭を垂れて見送った。

「さぁ、行こう。言われた通りに行動しよう」

 魔族らは頷き合うと、城からの脱出を試みる。
 その魔族達は無事に城を出て、魔界の端で生き長らえた。やがて来るべき時まで、身を潜めていた。
 全員、無事だった。
 逃げる最中に数人の魔族達を保護し、懸命に連れて行ったが、誰一人として命を落とした者はいなかった。不思議な魔法に包まれているように、敵対する魔族には一度も遭遇しなかった。
 奇跡だと思った。
 彼らは、魔界の端でアサギの身を案じ、魔王アレクと共に魔界を再建してくれると。そう……願った。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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