外伝7『埋もれた伝承』最終話:禍罪の子

文字数 4,744文字

 水が足元に降り注いだ。
 見れば、川が大きく波打っている。意思を持っているように蠢いて、今にも飲み込まんと宙で揺らめく。
 馬たちの啼き声に、トロワは我に返った。左腕から侵透する毒のせいで視界がおぼろげになっていると思っていたのが、地面が振動している。
 それが地震だと気づくのに、そう時間はかからなかった。これも幻覚ではなく、現実だ。
 木々がざわめく、鳥たちが一斉に騒ぎ立て、森の獣が吼える。
 騒々しい周囲に、小さな欠伸をして眠たい瞼を擦ったアミィは、寝ぼけている状態ではないことに気づき鋭い悲鳴を上げた。
 弾かれたように一直線にアミィへ向かったトロワは、無事な片手で彼女を掴む。

「乘れっ」

 怯えているクレシダの背にどうにか乗ると、アミィを引き上げ無理やり後方に乗せた。

「しっかり摑まっていろ、絶対に手を離すな」

 一旦、距離を置くしかないと判断した。この腕では兄を止められない。正気に戻って欲しいと願いを込め、一瞬振り返る。
 彼は、狂気の笑みを浮かべてこちらを見据えていた。肝が冷え、息が止まるくらいに恐ろしい形相で。
 
「トリュフェは!?
「話は後だ、今は安全な場所へ!」
「そんな! それは駄目だよ、一緒に」

 一人取り残されたトリュフェを心配し、馬上から振り返ったアミィは見た。煌めく一陣の刀が迫ってきたのを。
 
「結局、お前はトロワを選ぶ。いや、後から出てくる優しい男に乗り換える。反吐が出るね、何処までも利口な雌豚」

 腰を掴まれていた腕がするりと抜け、アミィの体温が背中から消える。

「アミィ!?

 焦燥感に駆られクレシダを止めたトロワは、驚愕の瞳で馬から滑り落ちていくアミィを見た。
 三日月のように白い喉元から、赤い花弁が溢れている。突き刺さっている刀を伝って滑り落ちていくそれは、花のように甘く香る。
 目を見開き口元を半開きにしたまま、物言いたげな表情でアミィは地面に落ち空を仰いだ。
 唖然とその光景を見ていたトロワは、暫し動けなかった。一瞬にして命を奪った凶悪なものが何処からきたかなど、一目瞭然だった。
 崩れ落ちるように落馬したトロワは、まだ温かいアミィの亡骸を抱き締め、嗚咽することも出来ず見つめる。
 
「手に入らないと、お前はこうして命を奪うのか」
 
 言いたいことは山ほどあったが、声が出ない。近づいてきた足音に、憐憫の眼差しを送る。
 トリュフェは、虚無の瞳で口元に歪みを浮かべやって来た。

「…………」

 口を開いたトロワだが、毒が全身にまわっていく。応戦する力など、残っていない。そもそも、護りたかったアミィは死んでしまったのだから、どのみち生きている意味はないと、“兄らしきモノ”を見続ける。
 その瞳に、懺悔の色を浮かべて。
 無造作にアミィの喉から引き抜かれた刀がトロワに振り下ろされるのに時間はかからず、それはあっという間の出来事だった。
 呆気ない、最期だった。
 地中に、夥しい朱色の液体が染み込んでいく。草花の色をも変色させたそれのぬかるみの中、二人の返り血を浴びたトリュフェは、暫しその場に突っ立っていた。
 時折、口元に笑みが浮かぶ。
 しかし、瞳からは透明な液体が零れ落ちる。
 感情が入り乱れ、複雑な想いを内に秘めたその身体は今にも弾け飛びそうだった。
 何度か瞬きしているうちに、下卑た笑みは消え失せる。
 目を、落とす。
 今はもう、動かない二人に唇を動かす。

「あ、れ?」

 操り人形の糸が切れたように、ガクン、と膝が折れた。
 寄り添っている二人を覆うように、力なく上から抱き締める。「あぁ、こんなことが前にもあった気がする」と誰に言うわけでもなく呟く。

「懐か、しい」

 まだ温かい二人の亡骸に、心が軽くなった気がした。

「また、オレだけが置いてけぼり」

 捨てられた子犬のように、瞳を伏せる。
 衣服が二人の血液で染まっていく。
 紅い、赤い、朱い。それは、まるで炎のよう。
 不意に、トロワの脳をかち割った刀が目に入った。
 求めていたそれを見つけ、嬉しそうに純粋な笑顔を浮かべたトリュフェは、一筋の涙を零し「お揃い」と囁くと自らの首をその刃に添える。

「よかった、一緒だ」

 アミィと同じように、首に刀を突き立てた。
 喉から血を流すトリュフェの表情は、酷く穏やかで、幸せそうに見える。
 異様な三人の亡骸は、いつしか降ってきた雨に濡れた。
 幾度も振動を繰り返す地中に、崩れ落ちる亡骸。
 
 無我夢中で森を疾走していたベッカーとリアンが三人に辿り着いたのは、それから間もなくこのこと。

「ようやく、見つけた。……逃げられなかったのか」

 出血が激しいベッカーは力なく微笑むと、渾身の力で馬を下り、頭を垂れて弔う。
 足に何本もの矢を突き立てながらも懸命に走り続けたリアンの馬は、ついに力尽きその場にドウ、と音を立てて永遠の眠りについた。
 リアンの荒い息遣いが、雨降る森に響く。
 三人が消えた後、村では無意味な影に怯え発狂するものが続出した。過去の濃い血が残っていたのか、呼び覚まされたのか、村が破滅に向かうと勝手に思い込み、生贄を捧げるよう唱え出す集団が出来た。
 宥めようとする村長が殺され、祈祷師は縄で縛られひたすら祈りを捧げる羽目になり、抵抗するものは容赦なく火の中に投げ込まれた。
 地獄絵図だった。
 確かに、神の怒りに触れた、という予兆が出たのだから恐れおののくことも非難出来ない。
 リアンは彼らの様子に真っ先に危機を覚え、馬に飛び乗った。
 よそ者が入ったせいだ、と誰かが叫んだので、次に生贄とされるのはベッカーだと確信したためだ。大急ぎで家に向かった。

「話は後で、今は逃げよう!」

 村中で始まった意味不明な惨劇に息をのみ、ベッカーとリアンは辛うじて村から飛び出した。だが、出るまでに襲撃を幾度も受け、傷を負った。
 ベッカーは自分を助けに来たリアンに多大な恩を感じて彼を庇い、自慢の槍で村人らからの奇襲を撃退していたが、いかんせん数が多過ぎた。
 何本もの弓矢が背に突き刺さったが、せめてリアンだけは無傷で逃がさねばと身体を張った。


 それだけ元気ならば何処でだって生きていけるだろうと悪態を吐きたくなるほどに粘着な村人らから、どうにか逃げてここに辿り着けた。
 
「禍罪の子」

 ベッカーが呟き、三人の亡骸に可笑しそうに吐息を零す。そして、蹲った。
 
「誰かが言っていた、アミィは禍罪の子だと。彼女がいなければこんな禍事にはいたらなかった、と」
「責任転嫁だよ」

 足を引き摺りその隣に腰を下ろしたリアンは、揺れている地面に眉を寄せる。
 三人が村を出てから、遠くの山が噴火した。次いで地響きとともに山崩れが起き、地震が多発した。村人らが神の怒りに触れたのだと思わざるを得ないほど、周到に用意されていたような天変地異だ。
 しかし、自然災害は神が起こすものではない。
 リアンは、それを知っていた。これは偶然起きたことだと叫んでも、誰も聞く耳を持たなかった。
 人間は、未知なる大きな力の前に平伏すしかないのだ。
 
「変な村だったし、滅んでよかったのかも」

 リアンが自嘲して呟くが、ベッカーは何も言えなかった。内臓まで達していた矢の激痛に耐えてきたが、限界だった。どうにか笑おうとしたが、顏が引き攣るだけ。

「…………」

 力なく横たわったベッカーに、リアンは瞳を伏せる。
 無事とは言い難いが致命傷は受けていないリアンは、吐気をもよおすほど激しく揺れ動く風景に頭を抱える。
 うねる地面は、ところどころが裂けている。
 
「五人揃っただけで、十分かも」

 吐露した言葉に、ベッカーが微かに瞼を痙攣させる。
 
「変だなぁ、どうして上手くいかないのかなぁ。おかしいなぁ、本当にアミィが原因なのかなぁ。もっとみんなで一緒に居たかったなぁ。そうだ、五人で村を出ればよかった。……旅をしてさ、その中でどうなろうとも、満足のいく生涯を終えることが出来たかも」

 一呼吸置いてから、憎々しげに空を見上げる。顔に、冷たい雨が弓矢のように降り注ぐ。負けじと口を開き、吐き捨てた。

「今よりかは、間違いなく楽しく過ごせたはずだよ」
『そうだな』

 ベッカーが応えてくれた気がして、リアンは鼻を啜った。空が真っ赤に染まり、次いで黒に侵されていく様子を瞳に入れる。

「本当はずっと、心の底に刺さる傷に気づいてた。ただ、それが僕には何か解らなくて、どうにも出来なかった。アミィがいなければ、四人は普通に村で暮らしていた? 村は平穏だった? ……本当にそうかな。違うと思うんだ、彼女が輪を乱すわけじゃない、別の要因が紛れてる。僕がそれに気づくべきだ、でないと彼女を護れない」

 近くの山が噴火したのだろう、岩石が降ってくる。熱く焼け焦げたそれが、周囲を消すように迫ってくる。なかったことにするように。
 
「時間切れだね、ここで終わり」

 リアンは四人の顔を見つめると、困ったように首を傾げる。観念したように瞳をつむり、全てを受け入れた。
 
 その惑星の広大な森林は、一瞬にして業火に包まれた。幾つもの村が被害を受け、人も生物も暫くは住めない土地となった。それでも気が狂いそうなほどの時間を要し、ゆっくりと再生していくだろう。
 村の者が言っていたように、神の祟りだったのか。
 遠くで黒煙の上がる地方を眺めてた者たちは、ただ震え上がるばかりだった。
 夜這いという風習があった村が存在したことも知らず、一人の少女を巡って些細な出来事から村中が争いに巻き込まれた愚かな事件も知らず。
 埋もれてしまった過去を伝える者はなく。
 ただ、その土地は再び大地から芽を出す時を待ち、息を顰めている。
 
 アミィは、夢を見た。
 刀が喉に突き刺さる寸前に、夢を見た。
 それは、女が自由に恋をして、自らの意思で夫を決める事が出来る村で過ごしている自分の夢だった。
 何人かから求婚を受けたが、心に決めた人はただ一人。
 断り続け、彼が求婚してくれないかとやきもきする時もあった。しかし、待つ時間が勿体ないと意を決し、大きな月が夜空に浮かんだ日、意を決して降り積もった想いを告げた。
「あの、トリュフェ。私は、貴方の事がとても」
 言いかけた唇に一本指を添えて微笑んだトリュフェは、耳元で「愛してる」と告げると悪戯っぽく笑う。
「先に言いたかったんだ、遅くなってしまったけど」
 照れたように頭をかきながら、アミィの手を握り締める。
 ハラハラと涙を零し、「私も愛しています」と泣きながら告げたアミィはその手を握り返す。
 二人の祝言は村で盛大に行われ、大事な友人に囲まれ、羨まれながら幸せな生活が始まった。平凡な生活だが、隣に愛する人がいるだけで世界の色が変わり、何もかもが満ち足りて心が躍る。
 そんな、幸福な夢を見た。

「貴方を、捜しに行きます。何処にいても見つけてみせる。私は、貴方に逢いたいの。自由な世界って素敵、自分の意思で行動できるって、なんて羨ましいの」

 キィィ、カトン。

――捜しに行く? まだ災厄を振りまくおつもりですか。
――何も解っていない、貴女様はどれだけのモノを破滅に導けば気が済むのです。
――なんという分からず屋! これだから知識など不要と申しましたのに、一体誰が。
――周りが見えていないのでしょう、困った御方です。

「貴方だけに逢えたら、いいのに。二人だけで逢えたら、いいのに。誰も悲しまない世界があれば、いいのに」

――そんな世界、どこにもありはしません。

 キィィ、コトン。

 何処かで、運命の歯車が回る音が響く。
 死の大地と化したその場所が、命を吹き返す頃。
 新たな場所で、別の物語が産まれる。
 雨が降り注ぐ場内で、赤ん坊が元気に泣く頃。
 紅い髪の魔族が、そこを訪れた。

 埋もれた伝承は、消えても続く。


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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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