魔王アレクと二人の魔族
文字数 5,484文字
アレクは医師を呼びスリザを任せると、アイセルを連れて自室へ戻った。“スリザが何者かに襲撃された”という事実は、彼女の名誉の為に、そして周囲を動揺させない為に極秘にせねばならない。
木の葉が風に揺れる微かな音さえ騒がしく聞こえるアレクの室内で、アイセルは沈黙したまま控えていた。
静寂の中、「失礼致します」と控えめな声と共にサイゴンが入室する。
一瞬アイセルは瞳を見開いて顔を上げたが、すぐにまた、先程と同じ様に姿勢を正した。
サイゴンも跪いているアイセルに気づき、眼を見張る。
「二人は、親友であったな」
アレクが眩しそうに二人を見下ろし、優しく告げる。
「しかし、二人共口が堅い。よもや、それぞれ私と通じているとは知らぬまい」
弾かれたように二人は顔を上げ、互いに見つめた。
「時期が来た。私は、そなたら二人を信用している」
重々しい口調に、二人は固唾を飲み込む。若干、腕が震えた。平素のアレクからは想像出来ない重圧な声色に、緊張が走る。
「まず、サイゴン。先刻アイセルから報告があり、スリザがこの城内で何者かに襲撃された。現在、医師が治療にあたっている。外傷はないようだが、何かを飲まされたらしい」
「スリザ隊長が!? まさか!?」
愕然として、サイゴンはアレクを見上げた。
「白昼堂々と、だ。敵意ある何者かが城内に容易く侵入しているとみてよいだろう。二人には、その人物の捜索と捕獲を依頼する」
「御意!」
「承知いたしました」
声を張り上げるサイゴンは未だに信じられずにいるが、このような冗談を言うわけがない。アイセルに瞳を投げかければ、瞳を伏せて深く頷き肯定した。緊張から表情がみるみる強張り、怒りすら覚えているような色を見せる。
スリザは、サイゴンの上司である。常に峻厳な態度で魔族を統率している彼女が襲撃されるなど、有り得ない。
「目的が解らぬ。アサギが滞在しており、彼女を狙ってなのか。また、先日はリュウが不可解な行動を見せた。あのお調子者で、愉悦の為に動き、他人に肩入れしないような男が、初めて本性を見せた気がする」
疲弊し、唇を噛締めたアレクの表情が陰る。人間との和解は難しい。しかし、誰かがやらねばと言い聞かせ、やっと進むべき道が開けたというのに、思いも寄らぬ障害が現れた。
「アサギは無事だとは、思う。ハイが片時も離れないだろうから」
もし、それでもアサギに何かあれば、ハイを凌ぐ者の襲来、ということになってしまう。もしくは、隙をつかれるか。
目に角を立てたアレクに、二人は恐縮した。最悪の事態を予想し、項垂れる。
「侵入者は、人間の女だそうだ。漆黒の髪に紅蓮の瞳……それで間違いないな、アイセル」
「に、人間!?」
サイゴンが、再度声を張り上げた。衝撃を隠せず、狼狽する。人間の勇者であるアサギの力量は素晴らしいものだが、あのような逸材がその辺りにいるものなのだろうか。
スリザがどのようにして今の状態になったのか知らない三人は、敵を酷く恐れた。
「人間……俺が知る限り、トビィで互角かと」
懐かしいと瞳を細め、サイゴンは弟のような男の名を呼んだ。確かに彼も人間だが、眼を見張る能力の持ち主だった。
「人間の中には、突然変異的な能力を所持する者がいるのかもしれませんね」
窓辺で庭を眺めていたアレクは、サイゴンの言葉に静かに頷いた。
「短命である人間が我らより劣るなど、大間違いだ。先人達は優越感に浸り、いつでも彼らを滅ぼすつもりでいたのかもしれぬが、結局勢力図に変化はない。それが答えなのだろう」
惑星クレオの南半球に位置する、魔界イヴァン。一体、魔族はいつからこの土地を拠点としていたのだろう。一説によれば、以前は人間と混合して生きていたらしい。人間に敗北した、という歴史は残されていない。“歴史が書き換えられていたら”真実は不明のままだが。
ただ、イヴァンは申し分ない場所だ。周囲は海に囲まれ孤立しているが、狭いわけではない。中央には雄大な湖もあり、肥沃な大地が広がっている。魔族が集結し、変化を求めず落ち着いて暮らしていくには十分だ。
魔族は、人間よりも繁殖機能が弱い。その分、延命である。人数が爆発的に増えないので、不平不満を漏らす者はほぼいない。
魔族は、多くとも二人しか子を産めない身体だった。まして、他種族と交わった場合は短命になると伝わっている。それが真実であるならば、人間との混血である魔族が極端に少ないことも頷ける。親を亡くした子が一人きりで生きて行くなど、容易ではない。
故に、アレクとて論外ではなかった。
恋人のロシファは魔族との混血であるエルフの為、他種族である。この恋が寿命を縮めることなど承知の上であり、心していた。
「アイセル。サイゴンの姉である、マドリードは……知っているな?」
「はっ」
腹違いの美貌の姉で、非常に仲の良い姉弟だったと記憶している。だが、数年前命を落とし、葬式にも出席した。
「彼女には、勇者を探すという任務を任せていた。隠密行動とし、見つけた暁には、すぐさま保護し、魔界で育てる為に」
「……なんと」
「だが、彼女程の能力者が常に人間界に居ては、他の者に勘繰られる。欺く為、時折人間の街を破壊してもらっていた。犠牲になった人間には、申し訳ないことをした。何より不本意な殺戮に身を投じていた彼女自身に、すまないことをしたと思っている。良心の呵責に苛まれていただろう。命は平等だろうに、多少の犠牲を伴っても、と焦ってしまった。懺悔では足りない愚かな行動に、何度も罪の意識に捕らわれた」
故に、魔王アレクは稀に諦めたような表情をしていたのだろうか。自分の理想である他種族との団結を夢みるあまりに、礎として人間を直接ではないにしろ殺していたから。矛盾している己の行動に、嫌気が差していたのだろう。
アイセルは唖然とし、親友であるサイゴンを見つめる。硬く瞳を閉じ、感情を押し殺しているようにも見えた。
「彼女の趣向で、人間を数人魔界へ連れてきていた。これは私が頼んだことではなく、身寄りのない子供への罪滅ぼしだろう。その中の一人が、トビィだ」
トビィ・サング・レジョン。
魔界でドラゴンナイトに昇格した、麗しき人間の少年。
トビィとマドリードに身体の関係があることなどサイゴンは知っていた。姉も他種族と交わった為に短命だったのだろうか、勘ぐってしまう。いや寧ろ、そうすることによって真か否かマドリード自身が知りたかったのかもしれない。
マドリードは、身をもって実証したのだろうか。
サイゴンは唇を噛み締め、僅かに震える声を発する。
「姉が連れてきたトビィ以外の人間は、何者かによって殺害されました」
「マドリードと、その連れてきた人間を殺した人物こそが、今回の黒幕ではないかと私は思っている」
二人は大きく頷くと、憂いを帯びている主君の横顔を見つめる。となると、アレクに反逆する者の仕業となる。手始めに、脇を固めるスリザを陥落させたということだろうか。
いつでも狙える、という脅迫に近いのかもしれない。
「サイゴンがマドリードの跡を継ぐ、と申し出てくれたが、丁重に断った。万が一、サイゴンも狙われることになっては。しかし、勇者は自らこちらへ歩み寄ってくれた、奇跡が起こった」
勇者の産まれなど、目覚めなど、誰にも解るわけがない。
直接アレクが人間界に侵攻している事実はないが、それでも人間は魔族を野蛮で残忍な恐怖の対象としている。勇者に打倒魔王を志されては、和解が困難になる。人間の中にいたら、そうなってしまうことが目に見えた。だから、幼い勇者を攫い、魔界で丁重に育ててから人間に返すつもりだった。魔界で育ち、何が善で何が悪なのかを悟って欲しかった。種族に、善も悪もないと。
各々の中に善と悪は存在し、どちらに心が傾くか。それは、環境で決まると思っている。
「勇者が異界から、石に選ばれてやって来るなど。……我らは知らなかった。しかし、人間は知っていたのだな」
知っていたならば、マドリードに責務を負わせる事はなかった。皮肉めいて嗤うと、アレクはサイゴンに視線を投げる。
「アイセルは、魔界に代々予言をしてきた巫女の末裔。予言家、と呼ばれている一族だ」
魔王に告げられても、隣の親友がそうとは思えず、サイゴンは訝しんだ。
疑惑を向けられ、アイセルは堪え切れず吹き出す。張り詰めていた糸が、切れた。
「信じられないのも仕方がない。実際、俺が一番信じられない」
「う、うーん……」
二人の緊張が多少解れたことに気づき、アレクも口の端に笑みを浮かべた。
「アイセルには、実は妹が居る。彼女を森の奥深くに封印しているが、その少女に瓜二つなのがアサギだ。予言によれば、アサギこそ次の魔界を統治する女王。つまり、私の後継者となる」
「は……ぃ?」
情報量の多さに混乱したサイゴンは、眩暈を覚て額を押さえた。一つ一つ脳内でまとめてから、恐る恐るアレクに訊ねる。
「アサギが? ゆ、勇者ですよね? アレク様の後継者となる? と?」
「あぁ。彼女は勇者で、魔界の女王となる」
真顔のアレクと、ようやく笑いを止めたアイセルに、サイゴンは乾いた笑い声を出した。
「突拍子もないように思えるだろう? しかしだ、人間の勇者が魔界を統治すれば、人間とて心を開き、信頼し、魔族に歩み寄るのではないか」
「し、しかし、現在人間反対派の魔族の多くは」
「あの子には、不思議な力がある。争いなく説得し、私が望んだ世界を創る気がする。彼女の周囲には、不思議な空気が流れている」
全てを凌駕する、勇者としての素質。
アレクは、アサギならばやってくれると確信していた。
「全ては、星の導き。あの冷徹なハイに、心の温かみを戻した。それは、運命の歯車のもとに定められたものではないか」
キィィィ、カトン。
何かが、鳴った。
三人は顔色を変え、すぐさま構える。
間入れずサイゴンが舌打ちした、今の音は、以前から聞いている。胸がざわつき、不快な気分にさせる音だ。
片眉を上げ、アレクは周囲に瞳を走らせた。
「今のは?」
「稀に、聴こえます。不気味です」
サイゴンが剣を構えたまま、宙を睨む。最初に聞いたのは、いつだったか。
沈黙する三人だが、音は、もう鳴らない。ようやく構えを解き、肩の力を抜く。
アレクは徐に移動すると、二人に薬草が浮かぶ冷水を差し出した。
慌てふためく二人に気さくに微笑み、自身も乾いた喉を潤す。
「定期的に、この三人で集まりたい。情報は都度共有していこう」
アレクが告げると、アイセルは神妙に頷く。口にした水の旨味で、冷静さを取り戻した。
「スリザ隊長は、この件に関して外れるのですか?」
遠慮がちに問うサイゴンに、アレクは申し訳なさそうに首を横に振る。
「スリザのことも信頼している、仲間は多い方がよい。しかし、今回狙われたことを考慮すると」
愛するスリザをこれ以上危険な目に合わせたくないアイセルは、本人は納得しないだろうが今は休養して欲しいと願った。故に「俺もそう思います。ただ、再び狙われる可能性を視野に入れ、警護すべきだとも」と、静かに意見を述べる。
二人の意見を聞き終えたサイゴンは、控え目に手を上げた。
「スリザ隊長の件は、同意です。それで、あの。僭越ながら申し上げます、アレク様の後継者ですが、俺は緑の髪の娘だと聞いております。アサギ様は、その、黒髪で……」
口籠り、語尾が掠れる。サイゴンには、アレクの後継者がアサギだとは到底思えなかった。
「確かに、サイゴンが猜疑を抱く事も理解出来る。だが、アサギの容姿はアイセルの妹と瓜二つなのだ。そして私自身、彼女であって欲しいと願っている」
「瓜二つ、ではないです。アサギ様のほうが淑やかで心根優しく、温厚な美少女です」
むっすりした顔で間入れず発言したアイセルに、アレクとサイゴンは面食らった。『何か問題があるのだろうか、妹は』と言いかけた言葉を飲み込む。
全く持ってその通り、性格に難有り。
アレクですら、予言家が隠しているマビルに会ったことがない。何れは会わねばならないと思ってはいたので、丁度頃合だろう。魔族の為とはいえ、結界に閉じ込め不自由な生活を送らせているのだから、詫びなければならないと思っていた。
「アイセル。近いうちに妹君に会わせてくれないか」
「か、構いませんが……。その……少々、勝気な、といいますか、自己中心的、といいますか、よく言えば世間知らずでして」
「構わぬよ」
アイセルの弱り切った表情に、アレクはおおらかに微笑む。しかし、厳粛な雰囲気に一転する。
「最優先は、紛れ込んだ人間の女の探索。驕らず、相手を侮るな。都合が合えば、二人で行動してもらえた方が、こちらも安心だ。アサギの御身はハイが必ずや護るだろう、機会をみて、彼にも伝える」
「承知」
「御意に」
頼もしい二人の部下に満足して頷いたアレクは、窓から空を見上げて睨みつける。
「ここまで来て、わけもわからぬ輩に、兆しが見えた至福の未来を破滅に導かれては困る」
挑むように、呟いた。