さようなら勇者、こんにちは魔王。
文字数 13,761文字
「ぅぐっ」
剣先が、リュウの左腕を掠めた。軌道を見るからに、心臓を狙ったのだろう。白々とした空虚感から、間抜けな声を発した。
「さ、サンテ?」
「ちっ、避けたかっ」
右腕で出血箇所を抑え後退するリュウに、ジリジリとサンテが滲み寄る。
「仕留め損なったか。剣が重くて、上手く扱えないんだよね。でも、使い方を教えてくれてありがとう。これもすべて、君のお蔭だね。ははっ、憐れだな、敵に剣を教えていなければ、こうして不様に追い詰められる事もなかったろうに。」
「さ、サンテ……?」
再び風を起こし始めたエレンに気づき、サンテはそちら目がけて剣を振り翳した。だが、俊敏な風の妖精を捉えることは難しかったようだ。
「や、やめろサンテ! 私の大事な仲間に手を出すなっ」
「この期に及んで何を言ってるんだか。……そぉら、後方から追っ手だよ」
醜く嗤ったサンテに、蒼褪めたエレンが振り返る。丁度、弓矢が雨のように降ってきた。さらに後方から、槍を構えた兵が向かってくる。焦燥感に駆られ、断腸の思いで標的を槍兵へと替えた。
「王子、逃げましょう! 一旦態勢を立て直さねばっ」
弓矢を叩き落す風を巻き起こし、防御に徹することにしたエレンは、リュウに怒鳴った。
だが、肝心のリュウは小刻みに震えるばかりで、エレンの声に耳を傾けない。
「サンテ? ……サンテ、これは一体」
「あー、もう、女々しいなぁっ」
地面を蹴り上げ跳躍したサンテの剣が、容赦なく降ってくる。唇を噛締め、リュウは寸でのところで剣を腰から引き抜いた。だが、震える手では上手く剣を扱えない。
「あはは、幻獣の王子様は精神が脆いんだね。そうそう、知らなかったよ、王子様だったんだねぇ」
喉の奥で哂いながら、血走った瞳で剣を振り下ろす。両手で渾身の一撃を繰り出すサンテの動きは、出会った頃とは全く違う。
当然だ、リュウが鍛えあげたのだから。
名前を呼びたくても、リュウの口内は乾ききってしまった。もう、声が出ない。震える身体は、止まらない。そうして、頬を涙が伝う。
それは、現実を受け入れようとする脳に抗っているようにも見える。
「使役されるよりも、死を選ぶ? それとも生にすがって、使役されるっ!?」
剣を横に薙ぎ払い、リュウの剣を弾いて転がす。
リュウは慌ててもう片方の剣を引き抜こうとしたが、左腕の痛みが増し顔を顰めた。止む無く、右手で以前から所持していた短剣を引き抜く。荒い呼吸を繰り返し、再度縋る様な瞳を向ける。
「人間が醜く汚い生き物だって、知っていたはずだろう、王子様。……僕は“人間の勇者”だよっ!?」
偽物だけど、と薄く笑って付け加えたサンテは、幾度もリュウに斬りかかる。
首を横に振り、リュウは認めようとしない。友であった筈の名を、何度も呼ぼうとした。そもそも攻撃など出来るわけがない、目の前にいるのは友達だ。「嘘だ」と何度も心で叫び続ける、信頼していたが、自分が間違っていたのだろうか。
自分だけが、彼との絆を信じていたのだろうか。
エレンは懸命に外部からの攻撃を避けることしか出来ない、リュウを救出になど行けない。その顔が青褪め、絹の裂くような悲鳴を上げる。
「き、来ました、仲間です! わ、私一人ではっ!」
狼狽しているエレンの声に我に返り、リュウとサンテはそちらを一瞥した。
想定内だが、幻獣達に取り囲まれている。三体とも心痛な表情で涙を浮かべ、精神的に追い詰められ傷ついたリュウを見て項垂れた。
「何故、逃げなかったのですか……。あんなに懇願したのに」
エレンのなど足元にも及ばない、飛行能力のある三体の到着。足元ふらつくリュウに寄り添い、懸命に威嚇するエレンだが意味が無い。
それでも人間の兵は辛うじて撃退できたようである、何かしらの傷を負わせ戦意を喪失させた。
後方では、醜悪な王の哂い声が響いている。
「本当に珍しい兵器じゃな、髪の色が黒から銀になっておる! 美しいではないか! 流石王族、はーっはっはっはっはっ!」
虫唾が走る声を聞きながら、幻獣達は血が吹き出る程唇を噛締めて身体を震わせていた。
「僕はね、真名を知った。君が王子だと解ったからね」
勝ち誇った笑みを浮かべたサンテに、リュウは蚊の鳴くような声で告げる。
「……私は、サンテを疑いもしなかった。それが、間違いだったのか? 私は、友だと」
剣を振り被るサンテにエレンは悲鳴を上げるが、リュウは哀しそうに瞳を伏せたまま、力なく短剣を構えていた腕を下ろした。
「だから、僕は“人間の勇者”だってば! 僕は最初からこのつもりだったよ、君を捕らえれば褒美が貰える、もう、一人きりであんな場所で生活しなくてもいいんだ! 人間らしく、人間の中で生きていく! 君の敗因は、勇者の僕を信じたことだよ!」
仮に、偽物であっても。
それでも、勇者。
勇者は、人間の味方。
サンテの剣が、リュウを捉えた。
本来ならば、サンテの剣技ごとき通用することはない。だが、それほどまでにリュウは弱っていた。腕の痛みは、堪えればどうにかなる。それよりも、裏切りに心臓を貫かれた。
その衝撃は、あの水竜の女性から人間の残酷さを聞いた時以上のものだった。
「さ、サンテー!」
哀愁漂う悲鳴が、こだまする。
エレンが渾身の力でリュウを突き飛ばし、壁から河へ落下する。銀の髪が、流れるように美しい。
サンテの剣は、宙を斬って壁を切り崩した。
その際、トッカが吼えている姿が目に入ったが、もう、助けられない。いや、主人のもとを選んだのかもしれない。
……あぁ!
リュウの瞳に、涙が溢れる。
エレンと共に落下するリュウを、幻獣達が加速し追いかける。
それでもリュウの瞳は、一縷の望みをかけてサンテを捉えたままだった。
サンテは、ここへきてその純粋な視線に耐え切れずに逸した。哀しく光るその瞳を見ていられるほど、強靭な精神は持ち合わせていなかった。強く噛みしめた為、奥歯が削れた。
「しっかりしてください、王子! あれが人間です! 貴方は騙されていたのです! お気を確かに、貴方様の成すべき事を思い出してください! 惑わされないでーっ」
エレンが耳元で怒鳴る、追っ手の幻獣達も泣きながら頷いている。
「王子、貴方は人間ではありません。共存など無意味なのです、不可能なのです! 慈愛の精神など、人間は持ち合わせていないのです」
河に身体が勢いよく沈む、エレンが引き上げようと躍起になるが浮かび上がらない。鼻から口から、水が浸入する。このまま、死んでしまってもよいと思った。誰も、助けられないから。信じていた者に裏切られたという真実に打ちのめされ、全てを手放したくなった。自分が、甘かったのか。最初は警戒していたのに、何時の間にか心を許していた。
あの楽しかった日々は、自分だけが抱いていた妄想だったのか。相手は狡猾にこちらの隙を窺っていたのか、目的の為に。
王から褒美を貰う為に、親切なフリをして騙し、予定通り売ったのだ。
「そん、な」
親しみを感じ、友だと思い、共に生きていきたいと願った自分が愚かで浅はかで滑稽だった。なんと馬鹿なのだろう。全てを投げ捨ててしまいたい。こんなひ弱な自分では誰も救えない、寧ろ足手纏いだから。
薄れゆく視界で、エレンが叫んでいる。リュウは、瞳を閉じた。痙攣する手足は止められない。
「スタイン王子、私達を置いていかないでください! どうか、どうかっ! 私達を、導いてくださいっ」
声が、聴こえた。エレンの絶叫が薄れていく。
『王子……血気にはやりましたな、このような事態を起こして』
声が、聴こえた。懐かしいヴァジルの声だ、うっすらと瞳を開く。
『サンテに気圧され、このような失態を招いた。だが落ち着こう自分。このまま死んで良いのか。ヴァジルが呆れてしかめっ面で見ているよ、ほらみろ、まだ子供じゃないかと。何も出来ないじゃないかと。子供でもいいけどさ、やるべきことは成し遂げよう、責任を放り投げては駄目だよ。自分は何をしにここへ来た、サンテの友達になる為に来たわけじゃないだろう? 人間と和解をするつもりで来たわけではないだろう? 目の前にいる仲間を、救いに来たんだろう? それならまだ出来るはずだ、諦めなくてもいいはずだ』
自分の声がした、残っていた冷静な自分が語りかけてきた。
――…………! ――
最後に、初めて聴く声がしたが、何を言ったのか全く聴こえなかった。それは、鈴の音を転がしたような、大層美しい少女の声だった。優しい声は、聴いているだけで心が落ち着く。
水を、豪快に吐き出す。対岸に打ち上げられたリュウを、エレンが心配そうに見つめていた。
「助かった、のか?」
「はい、はいっ! もう駄目かとっ!」
「リングルス達……は?」
「そ、それが突然行方を晦ましたのです、下種な人間に呼び戻され、また何か策を練っているかもしれません。大至急、身を潜めましょう!」
力なく立ち上がったリュウは、壁を見た。歯軋りしてから、思い直すように首を振る。サンテの姿は、もうそこにはなかった。
決然と歩き出したリュウの背中を見て、エレンは安堵し胸を撫で下ろす。
「すまなかった、な。エレンの言う通りだった。どうやらサンテ……いや、あの人間の勇者は王と結託していており、私を罠に嵌めたのだ。愚劣な!」
毅然とした面持ちで、リュウは拳を握り締めた。これが現実だ、嘆いている場合ではなかった。
「失態を見せた、すまない。私がここへ来た意味を忘れていた。……思い出したら、あまりの屈辱に身を焼かれそうだ」
落ち着き払い考え直せば、怒りの矛先は自然とサンテに向けられる。自分だけではない、大事な仲間であるエレンにも攻撃を加えた。
赦さない。
不甲斐無い自分も無論責めなければいけないが、サンテへの憎悪が昂る。
「私をとことん貶してもよいよ、エレン。間抜けだな、王子として完璧に欠落している」
「いいえいいえ、スタイン様。死の淵で貴方様は血路を開かれました、目的を遂行する為にこうして私と語っています。貴方様は、立派な私達の王子です」
立派ではないけど、と自嘲気味に笑う姿にエレンは胸を痛める。リュウを打ちのめした胸の痛みの度合いは、計り知れないだろう。
「お優しいから、貴方様は」
嬉しくも、哀しい。彼の美点が、欠点になってしまった。エレンは悲壮感漂う背中を見つめ、項垂れる。
「下劣な人間、赦さない」
リュウの瞳に光が灯る、それは薄暗い闇の色に似ていた。
金の瞳に、黒い影が堕ちる。
エレンの隠れ家に身を隠しながら、周囲の状況を窺った。厳戒態勢で二人は遭遇できた仲間達の解放を思案したが、結局のところ“人間を抹殺するか”しか方法はないという結論に達する。
真名を知られているエレンと、真名を知られている“らしい”リュウ。
だが、リュウもエレンも捕らわれなかった。
エシェゾーの名を誤って人間が覚えていたのではないか、という憶測をしたが、真実は解らない。ただ、幻獣に敬意を払っていた人間など、とうに消えている。ゆえに、家名が誤っていても不思議ではない。
「上手く出来たら、ヴァジルも私を認めるかな。そうしたら自慢してやるんだ」
「ヴァジル様は頑なで、誰とも和合しない雰囲気ですけど、誰よりも優しいですよね」
「いやー、それは……間違ってるけど」
他愛もない話をして、二人は時を過ごした。平穏に満ち足りていて、リュウの顔にも笑みが戻る。エレンはサンテと違い、心から信頼出来る仲間だった。
裏切られることは、断じてない。
数日後、街の外れに多くの鴉が集結し、喚いていた。
あまりの喧しさに木の上から遠目に見たリュウは絶句し、思わず口元を押さえる。
そこには、一体の骸が放置されていた。
間違いなく、サンテだった。
顔はひしゃげ、見るも無残なその姿。鴉に啄ばまれて肉がそげているが、それ以前に身体中に穴が開いている。まるで、血液を排出した後のように。
顔を背け、嘔吐した。裏切られたとは言え、流石に知人のあのような姿を見れば平常心ではいられない。
「王子を捕らえ損ねた為に、弔うことなく曝されているのでしょう。処刑、というものですわ。体罰も与えられたのかもしれません」
淡々と語るエレンに、怖々リュウは頷いた。
後日、外套を深く被って近寄れば、立て札がある。
『サンテ=ナチ。この者、大罪を犯した為捨て置くものとする』
リュウは人間の文字に疎かったので、エレンが読んでくれた。
哀れに思い火を放とうかと思ったが、人目につくのでリュウは踵を返した。一時の感傷で、足元を掬われてはいけない。
鴉や獣に食われて肉など残らず、やがて陽に曝されて、真っ白な骨が浮かび上がった。
そこには、暗い洞穴に似た瞳でこちらを見ている頭蓋骨がある。
騒動から一週間後、王が岐路に着く為、耳障りな鐘が鳴り響いた。そして、厳重な門が開かれる。
意気軒昂として、リュウとエレンは顔を見合わせた。護衛として幻獣を連れてはいるだろうが、この機に王とやらを殺害するのが得策だと考えた。
まさか先日の様に全幻獣が出るとは考え難いので、街から離れて移動する隊を、二人はひっそりと追った。
「人間同士が闘ってくれればよいのですが。敵対する国の人間を、ここに連れて来たいですわね」
エレンの無感情な声に、リュウは小さく頷く。
願った通り、谷に差し掛かった時に王の一行は襲われた。地に長けた者達は崖の上から岩や油を落とし、火を放っている。
幻獣が出るかと思えば、誰も出てこない。唖然と成り行きを見守れば、被害はあったものの王達は無事に切り抜けていた。近くの集落が反発を起こし、僅かな抵抗を見せただけで大事には至らなかったのである。訓練された統率者がいれば、王らも無事ではすまなかったろう。
だが、リュウにしてみれば天からの授かりものだ。
襲撃を受け、乱れた部隊を整えている一行にリュウとエレンは突進する。慌てふためき悲鳴を上げる人間など、敵ではない。
「俗悪な人間共よ! 私の怒りを思い知れ! 剣が峰に立たされた気分はどうだっ」
リュウの憤りが爆発した。忘れもしない王を間近で見て、怒りが頂点に達する。
地響きが轟き、天と地がひっくり返った可能な恐怖を体感する。悲惨な状況に陥り、混乱して泣き叫ぶ人間達は見た。
輝く、銀色の強大な竜を。吐く息は、絶対零度の凍る息吹。空気を冷やし、凍て付かせる。振り下ろす尾から人間は逃げることなど出来ず、呆気なく潰される。瞳が合えば、目を焼かれて視力を失った。羽ばたきで巻き起こる風は、狂気な刃と化している。
逃げ惑う貧弱な人間を、リュウは踏み潰した。失禁し動けない王とその姫を噛み千切ろうと思ったが、生憎美食家なのだとリュウは手で叩き潰す。
阿鼻叫喚の、地獄絵図。
エレンが止めていなければ、リュウは自我を失っていたかもしれない。殺戮と破壊に心と身体を委ね、愉しみ始めていた。
あまりにも簡単に、虫けらが死んでいくから。
初めて、竜の姿に変化したわけではない。幼い頃面白がって変化したらば、父親に激怒された。あの時は自分の恐ろしさを知らなかった、ここまでの破壊力があるとは思いもよらなかった。
僅かな時間で、王の軍隊は全滅してしまった。
「呆気ない」
意気揚々とリュウは直様引き返す、あの街を叩き潰すために。
エレンが不安そうに寄り添っていたので自我は消えていない、だが皆の苦労を思うと先程の圧勝が馬鹿らしく思えた。
これほどまでに、力の差は歴然としているのに。名前の魔力だけで縛られてしまうとは、歯痒い。
街の壁を尾で叩き壊し侵入した。虚ろに壁を見上げると、未だにサンテの影が見えるが、幻覚だと頭を振って掻き消す。
仲間は四体いる、人間を皆殺しにすれば呪縛から逃れられるだろう。
突如出現した竜に人々は己慄き、逃げ惑う。神に祷りを捧げる者もいたが、無意味だった。
破壊の限りを尽くす美しき銀色の竜に、絶望するしかない。
「リュウ=エシェゾー! 我に降れ汝の名の下に!」
一際、勝ち誇ったように叫ぶ人間が現れた。
身体が、一瞬痙攣する。だが、ほんの束の間の事で、間抜けな顔でこちらを見ていた人間を容易く踏み潰した。
「王子、お止めください、王子! それ以上は仲間達にも危険がっ」
エレンの喚き声に、我に返る。破壊の限りを尽くし、あの耳障りな鐘すらも放り投げていたようで、その場は惨たらしい光景が広がっていた。ようやくリュウは現状に目をやった、酷い有様だった。これは自分がやったことなのだと認識すると、血の気が引く。
荒い呼吸のまま人型に戻ったリュウは、呻き声すらしない街の中を散策した。
「同胞は、一体何処にいるんだ」
やがて「王子、王子」と微かに声が聴こえる場所に辿り着いた。瓦礫を退かせば、地下への道が見つかる。そこで、ようやく幽閉されていた仲間を救出した。怪我はしているものの、皆十分動く事が出来る。
こうして、風の妖精エレン、猛禽類のリングルスに、一角獣のキリエ、夜の蝙蝠ケルトーンに、オーガのコルケットが集った。
王が帰還しないのであれば、異変を感じた人間達が王都からやってくるだろう。それを見越し、それまでリュウ達はここに滞在することにした。良い思い出などないが、河も森もあるので住み易い。
涙を流して解放を喜ぶ皆だが、どうにも負に落ちない。召喚士達は何をしていたのだろう。
これが、人間らの狡猾な罠ではないかとも疑った。あまりにも、簡単に侵略出来てしまったので気味が悪い。しかし、人間の気配は何処にもない。
仲間達は警戒しながらも、身の上話を始めた。
結局、生存している他の仲間達の所在は誰一人として知らない。暫しゆっくりと休息をとり、次は王都であるカエサルに向かうことにした。癒えない傷もあるが、手当てできる傷は薬草で治す。治癒能力のある仲間が居ればよかったのだが、ここには生憎いなかった。
三十日ほど経過して、リュウ達はサンテから貰った地図を頼りにカエサル城を目指した。このまま待機していても、人間が来ない可能性もある。拍子抜けしたのは確かだった。
「それにしても、予定通りに王が帰還しないのであれば、普通は捜しに来ますよね? やはり人間は薄情なのだわ」
「あの王は、暴力的で恐れられ、人望など皆無だった。死んでしまえばこれ幸いと思う者が多かったのでは」
カエサル城に到着すると、気を引き締めて一気に突撃する。
王が不在な国など、竜に変化せずとも一網打尽。ただ、召喚士が滞在しているであろうことも予測できたので、名を知られている仲間達は暗躍した。
先陣を切ったのは、勿論リュウである。
城は極力破壊しないように気をつけた、本拠地として住まう為である。人間臭い場所など、と仲間は反論したが、厳然たる事実を人間に至らしめるには丁度良いのだとリュウは説得した。
案の定、召喚士が幻獣を出してきた。強固な皮膚に包まれた、屈強な一族。鰐を彷彿とさせる瞳と鋭い歯、剣と楯を手にしている地上の戦闘員であるが、空中で軽やかに舞うリュウの敵ではない。女性だったその幻獣、名をシンディという。シンディを操っていた召喚士の首をはねたリュウは、呪縛から解き放たれた彼女を愛おしく抱き締めた。
城の召喚士が他にも数人存在し、解放されたシンディを再び使役したが、そのたびにリュウが斬首した。シンディが囮を買って出て、召喚士を炙りだしていく。
やがて、人間達が尻尾を巻いて逃亡を始めると、仲間達は勇敢な咆哮を上げ集結し、逃げる人間をも殺した。生き延びれば仇名すだろう、新たな召喚士を生み出してはならない。
慈悲など不要だと、悟っていた。
城を乗っ取り、片っ端から書物を焼く事に専念した。幻獣に関して記載されていると思われる書物だけでよかったが、生憎文字を読めるのはエレンだけで、彼女に全てを負担させるのは気が引けたからだ。ただ、仲間達の情報が書かれていると思われるものを見つけると、流石にそれは手元に置いて解析した。
捜索していると、厳重な宝物庫から荘厳な雰囲気の剣が一振り見つかった。明らかに様子が他と違うので、征服した象徴としてリュウが所持することとなった。人間の手にしては、美しすぎる代物だった。
こうして人の気配がなくなったカエサル城に、リュウ達が住み始める。
人気の途絶えた王都の異様な雰囲気に旅人が脅え、商人は引き返し、戻って来た派遣部隊ですら立ち去った。
直様、世界中にその噂が広まった。
『難攻不落のカエサル城・魔王の手に堕ちる。国王及び軍隊、勇者は殉職』
リュウはその後もエレンとリングルスを連れ、他の仲間を救うために何度も旅をした。
行く度目かでようやく見つけたのは、リュウよりも幼く見える青年だった。両親は捕らえられたが彼は辛うじて逃げ、山奥の小川に身を隠していたという。本来は水中に住まう水の精霊だが、母親が風の精霊であった為、稀な混血だった。その為、彼には二本の足がある。そして、水辺から離れても生活出来た。
彼は仲間を見るなり泣き崩れ、数日は緊張の糸が切れて眠り続けた。それほどまでに、疲弊していたのだろう。
そして、人間達は恐れ戦いた。
時折やってくる美しい異形の青年と、その配下達に抵抗する手段など持ち合わせていなかった。
「私の名はリュウ! お前達が魔王と呼ぶ者だ!」
名を曝してはいけない、と仲間達は名を変えた。もう、本来の名で呼ぶことはしない。二度と、呪縛はごめんだった。
結局、リュウのもとには七体が集まった。
たったの、七体。他には見つからなかった、つまり、もう死んでいる。取り戻す事は出来ない。
自分の無力さに打ちのめされたリュウだが、まだやるべき事がある。
故郷の惑星へ皆を返す方法を、必死に探していた。自分は責任を取ってこの惑星に残るつもりだったが、仲間達には幸せになって欲しい。
そしてリュウは、エレンに教えてもらいつつ、独学で勉強し、人間の文字を粗方読めるようになっていた。そこで知り得た情報は、他にも数多の惑星が存在し、何かしらの手段で行き来が出来るということだった。
初耳だった、世界は、果てしなかった。
仲間達が新たな惑星で使役させられていることを視野に入れ、リュウは旅を続けた。
気が遠くなるような年月が経過した。
それでもまだ、リュウは諦めていなかったので、旅をしていた。もう、人間達の残したものなど何も残っていないだろうに、見苦しくもがいていた。
疲れ果てていたものの、辿り着いた先の懐かしい雰囲気に、何処か胸がざわめく。
鬱蒼とした山の中、何の気配もないその場所に、朽ちた小屋があった。草が巻きつき、何か解らないほどだった。
小屋の隣には、雑草が生い茂っていたが、畑らしきものがあった。
「人間の住居だったのでしょうね。廃墟ですから、警戒せずともよいでしょうけど」
エレンが様子を伺ってそう呟くと、リュウが硬直する。
脳を、直接殴られた気がした。
それは、サンテとトッカと過ごした、あの小屋だった。過去の過ちである忌々しいその場所へ来てしまったことに、酷く後悔する。胸の内で燻っていた怒りという苛立ちが、今にも燃え盛らんとしていた。
近寄る事に嫌悪したものの、荒れ放題の畑に見えた美しい赤いモノに目が釘付けになった。唇が、わなわなと震え出す。
「まぁ、可愛い形。何かしらこれ」
「……“苺”、というんだよエレン。甘くて、とっても美味しいんだ」
引き寄せられるように、一粒もぎ取って齧る。
それは、甘さよりも、酸っぱさが口に残って泣けてきた。言葉を失っていたが、空虚な瞳でよろめきながら立ち上がったリュウは、小屋へと脚を踏み出す。
中に入らなくてはならない気がした、自分がここへ来たのは、何か意味がある気がした。
……恐らく、過去との決別だ。私の中にまだ彼らはいるけれど、それも今日限り!
扉は、無残にも壊れている。主人を失った小屋など、こうなって当然か。もともと、嵐がきたら吹き飛びそうではあった。
よくもまぁこのような場所で苺が育ったものだと感心し、リュウは躊躇しつつも唇を噛み締め、腹を括って中に入る。
遠い、昔のままだった。
「ふんっ」
痩せこけた葱しか入っていない汁を飲み、薄汚い布を布団代わりにと寄越され、火の近くで眠る事を教えられた、あの日々が嫌でも甦る。
『おかえり、スタイン! お疲れ様』
『ワン!』
サンテとトッカが、床に座っている気すらしてきた。
目頭が熱くなって、思わず穴の開いた蜘蛛の巣だらけの天井を仰ぎ見る。自嘲気味に嗤って、踵を返した。こんな場所、燃やしてしまおうと思った。
だが、見慣れないものが目に飛び込んでくる。
黄ばんでいるが紙らしい、落ち葉に埋もれて床に落ちていた。
何の気なしに、拾い上げた。
薄れていて文字が読めない、大したものではないと思うのに、紙に手が吸いついたように、離れない。
外に出て、光のもとでまじまじと見つめる。
「…………」
途端、取り返しのつかない絶望に陥った表情を浮かべ、リュウは足元から崩れ落ちた。ガクガクと、首が揺れる。ワナワナと手が震え出す。
エレンとリングルスは夢中で苺を食べていたので、蹲っているリュウに気がつかない。人間に襲撃されない自信から、二体はすでに警戒を解いている。
不幸中の幸いだった、とリュウは全身の毛穴から吹き出た汗を拭った。それでも、ぬめつく汗がじっとりと肌に貼りつき、気持ちが悪い。リュウは密かに紙を懐に仕舞い、幸せそうに苺を食べていた二体を急かして、早々に飛び立った。
「リュウ様、顔色が……」
「少し、眩暈がするんだ。疲れてしまったのかな、情けない」
「それはいけませんな、河へ下り、水を飲んで休憩しましょう」
芳しい状態ではないリュウを気遣い、“同郷の仲間”は甲斐甲斐しく世話をする。温かい湯を飲ませ、リングルスは外套を脱ぎ身体を冷やさぬ様にと微笑む。
リュウは、感謝の言葉すら出て来なかった。
それどころか、ついに頭の芯までズキズキと痛むようになってしまったので、力なく横たわる。
ここで眠る事を決め、二人は火を絶やさぬように、番を務めてくれた。
燃えている炎をぼんやりと見つめながら、リュウは耐えられない悲しみと、突き上げてくる怒りの複雑な感情と戦う。
「良い事を思いつきましたの。苺を、皆で育てましょうよ。リュウ様も、お好きなのでしょう?」
エレンが嬉しそうに告げると、リングルスも子供のように手を叩いてはしゃぎ、賛成した。
リュウは、あの日最初に食べた苺を思い出し、瞳を閉じる。
「あぁ……好きだよ。ここへ来てよかった、と思えるくらいに、美味しくて感動した食べ物だ」
その苺は、“友達が”土産として持ってきてくれたものだった。今でも、鮮明に憶えている。苦しくて、リュウは外套で顔を覆い隠し、その中で静かに涙を零した。
「たくさん苺を育てましょう。楽しみですね!」
「あ、あぁ。楽しみ、だね……」
「あんなに荒れ果てた場所でも、たくさん実るものなのですね! 自生か、あの小屋の持ち主が育てていたのか。もし育てていたのなら、余程好きだったのね、苺」
「そう、だろうね……」
涙を気取らせまいとして、わざとらしく咳をした。
「そういえばリュウ様。何故“リュウ”と名乗られるのです?」
エレンはエレと、リングルスはリグと名乗っている。皆、真名を微妙に変えていた。
皆は“スイ”と名乗ってはどうかと意見したが、リュウはやんわりと、否定した。
「……どこぞの人間が、私をリュウと呼んでいたから。それだけ」
ぽつり、と呟くと、「気分が優れないから暫し休む」と力なく告げる。
「おやすみなさいませ、“リュウ”様」
「おやすみなさいませ、好き夢を」
『おやすみ、スタイン。好い夢が見られるといいね』
『ワン、ワン!』
リュウは、情けなく鼻を啜った。
カエサル城の中庭には、苺がたわわに実っている畑がある。
エレンを筆頭に皆で懸命に世話をした、努力の賜物だ。栽培が難しく数年を要したものの、立派な甘い実がぶら下がるようになった。
「苺って育成が難しいのですね。野苺は簡単みたいですけど、これはきちんとした愛情と手塩をかけないと。……あんな山奥で苺がなっていたことが、本当に不思議」
エレンが、そう言ってリュウに苺を差し出した。
はにかんで微笑んだリュウは、玉座に腰かけてそれを口にする。
甘くて美味しい、大粒の見事な苺だった。
けれども、違う。
リュウが求める苺は、これではない。最初に食べた、サンテが持ってきてくれた苺。あの、ひしゃげた苺の甘さには、どれもこれも敵わない。
「後で試作しますから、食してくださいね。苺を潰して乳と混ぜてみたら美味しいのではないかと、思いつきましたの! それから、茶にも混ぜてみます。煮詰めても、美味しそうですよね」
「エレンは独創的だから、助かるよ。とても……楽しみだ」
リュウは、優し気な眼差しで、穏やかな笑みを浮かべる。
だが、どことなく憂いを帯びていることを、誰もが気づき、けれども口にはしなかった。
それから数十年が経過し、魔王ハイがやって来た。
久し振りに見た人間に警戒し、攻撃的ではあったものの、退屈しのぎでやってきたハイに怖いものなどなく、初めて見た幻獣らだが「人間より信頼出来そうだ」と笑った。人間の浅ましさに絶望し、同族でありながら滅ぼした話をつらつらと話す。
それを聴くと、共感出来た。
人間であれども、勇者ではなく、“魔王”として君臨するハイに、多くが妙な安心感を得ていた。人間の味方ではない、それだけで同胞に思えた。
この世界に倦怠していたリュウは、未練がないとばかりに惑星ネロを捨て去った。そして、惑星ハンニバルへと移住したのだ、大量の苺と宝物庫の剣を携えて。
「ハイは、まだ勇者を見ていないんだっけー?」
「あぁ、早く出遭ってみたいものだ」
喉の奥で低く笑うハイを横目で見ながら、リュウは力がなく、息に近い声を出す。
「……遭うものじゃないよ、勇者なんて」
聞こえたのか、聞こえなかったのか。ハイは鼻で嗤うと足を組み直し、髪をかき上げた。
「お前にでも、勇者は倒せたのだろう? ならば、私は数秒で殺してやろう。いや、折角だからじわじわと追い詰めて息の根を止めたほうが愉しいのだろうか。さぁて、どんな死に方を用意してやろう、クックックッ」
苺を頬張りながら、愉快そうに残忍な笑みを浮かべたハイを、リュウは盗み見た。自分も一粒苺を齧ってみたものの、やはり、あの時の鮮烈な味がしない。
苺は甘い、けれども、求める甘さがどうしても足りない。
「もっと、あの苺は美味しかったよ……」
惑星ネロに存在する、無人のカエサル城中庭には、苺の庭園がある。今も白い花を咲かせ、赤く美しい実をぶら下げていた。
そして、辺鄙な場所に一軒の朽ちた小屋がある。誰からも忘れ去られたその場所にも、白い花を咲かせ、熟れた苺が実っている。
その畑の隣に、簡素な墓があった。
一本の剣を墓石に見立て、その周囲には様々な花が賑わしく毎年咲いていた。刀身には、幻獣星の文字で“友人・勇者サンテ=ナチとトッカ。ここに眠る”……そう彫られていた。
リュウは静まり返った部屋で、目を醒ました。外で一陣の風が吹き、木の葉がザワザワと音を立てる。どうやら随分と眠っていたらしい、低く呻いて上半身を起き上がらせる。
このところ、サンテが夢に現れるようになった。
恐らく、人間の勇者であるアサギが来たことが原因だと思っている。アサギが来てからというもの、カエサル城に保管されていた立派な剣が、共鳴するように震え出した。それで、嫌でも惑星ネロ、いや、サンテを思い出してしまう。
「アサギは……仮初ではなく、本物の勇者らしいね。……さぁ、どうしようかサンテ。あの可愛らしい勇者を、私はどうしたらいいと思う? あの子は純粋で、真っ直ぐで、人を傷つけるくらいなら、誰にも言わず己を犠牲にすると思うよ。君と同じで」
魔王リュウは、涙声で誰に言うでもなく呟いた。傍らに置かれていた苺を無造作に摘まみ、口に含む。
「さようなら勇者……こんにちは魔王。そうだとも、私は魔王リュウだぐ。スタイン=エシェゾーではないよ、あの日サンテと出遭った私とは、違うのだぐ」
それは、今は遠い、昔の話。
魔王リュウは、誰かに助けを求めるように、情けなく吐露した。
※ 挿絵は、昔友達に描いて貰ったリュウです(*´▽`*)
……本当は、リュウではなくて、その息子のスタイン二世なんですけど、多分この物語を公開することはないと思うので、父親として使用します。
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