外伝4『月影の晩に』15:暗示
文字数 5,874文字
どのみち、戴いた大事な指輪を失くしてしまったという傷心から、浅い眠りを繰り返していた。早く捜しに行きたくて、目は冴え渡っている。しかし、ミノリら騎士と共に勇んで庭へ出向き指輪の捜索を開始したものの、見つからない。
あるわけがない、トレベレスが持ち帰っているのだから。しかし、知らぬアイラは涙をポロポロと零しながら懸命に捜す。
「アイラ、そう気に病むな」
自責の念が激しく迫るアイラをみかね、トライは慰めた。彼もまた、指輪を捜して庭を訪れていた。
「そのように沈んだ顔つきのアイラなど、見たくはない」
「ですが……」
「いつかは、出て来る。大事に思ってくれて、ありがとう」
しゃっくりを上げ、アイラは涙を拭う。いつまでも、皆に迷惑をかけられないことは、解っている。しかし、どうにも自分が許せなかった。
そこへ、トライの家臣が血相を変えてやって来た。尋常ではない雰囲気に、トライの顔が曇る。
「騒々しいな……何事だ」
「トライ様! 一刻も早く、国へお戻り下さい。王后様が……」
興奮し、饒舌な家臣から内容を聞き取ったトライとアイラは、唇を真横に結んだ。
病床に臥せられた、と聞き、居てもたってもいられないアイラは、騎士らに指示を出した。明確な症状は分からないが、この国で最も有効だとされる薬草の手配や、腕の立つ医者の選出、そしてトライの帰路の旅支度を依頼する。
「トライ様、お戻り下さいませ。傍に愛する我が子がいるだけで、人は回復へと向かうもの。病は気から、とも申します。精一杯のお手伝いは致しますから」
「かたじけない、お言葉に甘えるとしよう。しかし、アイラ。オレは直ぐに戻る、それまでは必ずこの城に居てくれないか。リュイ殿の件に関し、オレも伝えたいことがある。妹姫もアイラとは離れたくないのだろう? オレが策を練り、戻るまで、行動を起こすな」
早口で捲し立てると、トライは家臣が差し出した書簡を受け取り、喰う居る様に見つめた。時折、眉がヒクヒクと動く。不安そうに見つめていたアイラの頭を撫でながら、不意にミノリに視線を移した。
「おい、騎士のお前。名は……ミノリだったか。用がある、少し付き合え」
「……畏まりました。ですが、俺はアイラ様護衛の騎士です。長く離れられません」
「時間はとらせない。……成程、書簡は本物、か」
唸るように小さく呟くと、トライは胸元に書簡を仕舞い込み庭を後にした。
アイラは悔しさに耐えるように唇を噛み、庭を見渡す。時間がある時に、また捜そうと決意をした。しかしそれは、無駄な事。二度とあの指輪を手にすることはない気がして、瞳を伏せる。後悔した、何故あとの時窓から手を伸ばしてしまったのか。自分には大きいと知っていた筈なのに。
深い溜息を吐き、アイラは気持ちを切り替えねばと自分を叱咤し、トライの旅路の用意をすべく、騎士らと歩き出す。
アイラと離れてしまい、かなり苛立っていたミノリは尖った声でトライに訊ねた。
「それで、用件とは?」
訝しむミノリだが、トライは答えない。大股で歩いていたが、その歩みが止まる。
目の前から、トレベレスがやって来た。
「例の指輪は見つかったのか?」
多少おどけたような声色に、ミノリはあからさまに顔を顰める。しかし、トライの背によって、その表情は運よくトレベレスからは見えなかった。
「いや、まだ見つかっていない。捜索は打ち切りだ」
押し殺した声で返答したトライに、トレベレスは大きく肩を竦める。興味なさそうに二人を一瞥し、窓から外を見やった。
「しかし、昨晩といい今朝といい、騒々しいな。まさか、新たな指輪の買い付けにでも出掛けるのか?」
「違う」
トライは視線を合わせることなく、長居は無用と歩き出した。構っている余裕はない、関わると厄介なことに巻き込まれることは重々知っていた。
トライの素っ気無い態度に苛立ったトレベレスは、胸元に忍ばせていた問題の指輪を取り出そうとも思った。しかし、挑発はここまでで留めておいた。
ミノリは、二人の間に妙な緊張感があることを薄々感じ取った。王子達にも確執があるらしい。それも、凡人には解らぬ程根の深いものが。
自室へ戻ったトライは、突っ立っているミノリを招き入れた。
「何を間抜け面で突っ立っている。入れ、時間が惜しい」
「し、失礼致します」
他国の王子が滞在している部屋に足を踏み入れるなど、思ってもみなかった。緊張しているミノリは、眼下で煌めく剣先に気づく事に遅れ、悲鳴を上げる間もなく大きく瞳を見開く。喉元に突きつけられていたそれに、死を覚悟した。
しかし、剣はそこで止まっている。
苦虫を潰した様な表情で、トライは淡々と告げた。
「嫌な予感がしてならない。書簡は確かに本物だった、しかし、この時期に母上が倒れられるなど……杞憂であればよいが。お前、一応は騎士だろ? オレが不在な間、死に物狂いでアイラを護れよ」
「い、言われなくても、前から護るって言ってんのに!」
真剣なトライに、ミノリは精一杯の強がりを見せた。しかし、すっかり目の前にいるのが他国の王子であることを忘れていた。言い終えてから、冷ややかな視線に身震いする。急に腕が震えだし、顔が青褪める。呼吸が乱れ、口元を押さえた。
気づけば、トライらの側近らにも剣を向けられている。
……殺される!
今にも卒倒しそうなミノリだが、トライは喉の奥で笑って颯爽と剣を収めた。
「男に二言はないな? 本来ならばトモハラ、だったか。あの男にも頼みたいが、アイツは妹姫に入れ込んでいる様だし」
「も、申し訳ございません。生意気な口を」
「無礼講だ、今更気にするな。オレはそのような事で首を刎ねたりしない。だが、気を付けろ。残りの二人は駄目だ、特にトレベレスには細心の注意を払え。アイツを人として見るな」
トライが片手を上げると、剣を向けていた側近らもすぐに攻撃態勢を解いた。
安堵し、胸を撫で下ろしたミノリは、引き攣りながらも辛うじて笑みを浮かべる。色々と完璧すぎていけ好かない王子だが、話が分かるので心は傾く。
「……ご心配には及びませんから、どうぞお引き取りください」
丁寧な口調で不躾に本音を伝えたミノリに、トライは口角を微妙に上げて笑う。
「上等、その意気だ」
不思議と、ミノリとトモハラに対しては弟の様な情が湧いてしまう。腕を組み、壁にもたれると薄く微笑み、不愛想な顔をしているミノリに肩を竦めた。側近らはミノリの態度に不満の咳ばらいを繰り返していたが、トライが睨むと慌てて姿勢を正して真顔になった。
「だが、気をつけろ。……忘れるな」
兄としてなのか、男としてなのか。
トライの腹の底から絞り出したような声に、ミノリの背筋が凍った。真剣な眼差しの瞳の奥には、鋭利な刃物の切っ先に似た光が見えた。言葉を失い、ただ、頷くことしか出来なかった。
「嫌な予感がする、外れて欲しいが」
トライは、自室の荷物をまとめ始めた。王子であれども、率先して自ら行う。
ミノリは、律儀な王子を眺めながら、足元からくる冷たい空気に身体を震わす。何かが起こる前兆のようで恐ろしくなり、ふと、窓の外を見れば。
「太陽が、不気味だ」
唖然として、小さく漏らした。
その声に、トライも視線を移した。
太陽が、ぼやけている。空に消えてしまうように、揺らめいていた。昼間威厳を示している太陽が、陽炎の様に儚い。二人は、無意識の内に唇を噛締めていた。
同じように、妙な太陽を横目で見つつ、ベルガーは自室で優雅に紅茶を飲んでいた。しかし、やって来たトレベレスに意外そうに瞳を丸くすると多少の皮肉も籠めて、鼻で笑う。
「随分と行動がお早いですな。書簡が偽者であるとトライ殿に見破られなければ良いが? トライ殿の洞察力、そして慎重さ……そこまで慌てずともよかったろうに。ここは、確実に行くべきだろう」
「見破られません。あれは、本物です」
トライと比較しているような意味合いを含んだ、ベルガーのおどけた口調に、トレベレスは憤然として答える。小馬鹿にされているような気がするのは、言葉通りだと痛感しているからかもしれない。確かに性急であることは、自覚していた。
だが、昨晩。
トライと寄り添うアイラを間近で見て、邪魔をしたくなった。無性に苛立ち、胸焼けがした。所持している指輪を、直ぐ様捻り潰したい衝動に駆られている。二人を引き離さねば、心は晴れない。
「で、トライ殿はいつ発たれると?」
「本日中には。アイラ姫が労って、色々用意しているようですし」
「ふん、では数日中に。この城にも退屈していた、良い頃合いだろう。あぁ、茶葉は我国へ持ち帰るとしようか」
冷淡な視線をトレベレスに向けたベルガーは、静かに椅子から立ち上がるとドアへと向かう。
連れ立って、トレベレスも部屋を後にした。向かう先は、マローの部屋である。途中、騒がしい方向に目をやれば、アイラが自ら率先して食料の仕分けをしていた。日持ちする干し肉やら、ワインやらを選りすぐっている。
「成程、あの姫君ならば篭城することになろうとも、食料のありかも知っており、それを振り分ける力量もある、と」
小声で漏らしたベルガーのその一言を、トレベレスは聞き取っていた。二人して、姫とは思えぬアイラを一瞥する。
「本当に、毛色の変わった姫ですね」
毅然とした態度で的確に動くアイラに、二人は思わず感嘆の溜息を零した。物珍しくて興味を惹かれるのか、強烈な印象に瞳は釘付けになる。
そこへ、トモハラがやって来た。マローに頼まれ、冷水に沈めておいた果実酒を取りに来たようだ。
「やれやれ、我儘姫様相手に騎士殿も大変だな」
「それにしても、こちらも随分と妙な。その辺りの女中に頼めば良いのに、あれが騎士のすることか」
「騎士というより、小間使いなのだろうよ」
ベルガーとトレベレスが庭の木陰で休んでいたマローのもとへと向かう際に、再びトモハラと擦れ違った。手には、先程の果実酒を持っている。別の物を所望したのだろう、二人の王子は嘲笑を浮かべる。
トモハラは二人に気づき、深く頭を垂れ跪く。
馬鹿にしたように鼻を鳴らし、トレベレスとベルガーはその横を颯爽と歩いた。しかし、通り過ぎる瞬間に、血が逆上したように背筋が騒ぎ立った。見下ろせば、トモハラが微かに表を上げて殺意を含んだ視線を向けている。
不躾な視線を向けているトモハラに腹が立ったが、それ以前に心後れを痛感してしまった自分自身に嫌悪を抱いた。
「おい」
「……何用で御座いましょう」
言葉を鞭のようにしならせたトレベレスに、周囲は緊張を走らせた。
「お前、客人に対してその無礼な振る舞いはどうだろうか」
「不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
謝罪の感情が一切籠もっていないその声に苛立ち、トレベレスは右足で思いっきりトモハラの頭部を蹴り上げた。女官達から鋭い悲鳴が上がる。しかし、トモハラは呻き声すら上げなかった。
トレベレスの家臣が止めに入ったが、ベルガーは見て見ぬ振りをした。癇癪を起さないものの、心中は穏やかではない。
家臣らが懸命に「他国の騎士を足蹴にするのは拙い」と囁くが、トレベレスの腹の虫は治まらず。血走った瞳で、平然としているトモハラを見下ろし、声を荒げる。
「生意気な……!」
大の男でも竦み上がってしまうような怒り声だが、トモハラは涼しい顔をして体勢を整えた。
その態度が、更に火に油を注いだ。完全に頭に血が上ったトレベレスが腕を振り上げると、流石にベルガーが止めに入る。マントを摘み、「我らが気にする程の奴ではない、捨て置け」と耳元で囁いた。
呆れたような口調で諭され、震える腕を仕方なく抑え込む。歯軋りすると唾を吐き捨て、トレベレスは噛みつくような瞳でトモハラを見下ろした。
「……本当に、あの方を愛していらっしゃるならば、良いんだ。けれど、違うから」
収束するかのように思えたが、トモハラは明確にそう呟いて、負けじとトレベレスとベルガーを憎々しげに見やった。最早我慢の限界だった、自分が傷つくならば幾らでも耐える、しかし、マローが関わって来るとなると話は別だ。直接他国の王子に声をかけるなど、本来の彼ならばしない。しかし、どうしても一度言わねばならないと腹を括った。
「コイツ!」
今の一言で逆上し、ベルガーが止めるのも聞かずにトレベレスは再び手を振り上げる。
「どうかなさいましたか?!」
悲鳴に近い声を上げたのは、アイラだった。ドレスの裾を持ち上げて勢い良く駆け寄り、トモハラの傍らに立つ。二人を、不安の色を湛えた瞳で交互に見つめた。
トレベレスは、振り上げていた腕をばつの悪そうな顔をしてひっこめた。流石に分が悪い、肩を竦めて軽く会釈をする。
「……いえ、特に何も。では」
疚しい心を見透かされぬようにと、視線をあからさまに外したトレベレスは、大股で立ち去る。
苦笑したベルガーも会釈をし、それに続いた。
「そうですか、失礼致しました。ごきげんよう……」
二人を見送りながらも、アイラは眉を寄せる。トモハラの頬は赤く腫れ上がっている、こうなってしまった原因が知りたかったが、訊けなかった。ただ、マローが関わっていることは憶測できた。でなければ、礼儀正しいトモハラが彼らを怒らせるなど有り得なかった。
「トモハラ……」
「申し訳ありません、アイラ様の手を煩わせてしまいました。はは、俺は騎士失格だなぁ」
トモハラは情けなくそう吐露すると、若干項垂れる。
「マロー様に……焼き菓子を頼まれておりますので、これにて失礼致します」
「解りました。いつもあの子の面倒を見てくれて、ありがとう。感謝しています」
トモハラの瞳に、困惑気味だが微笑んでいるアイラが飛び込んできた。
……あぁ、これがマロー姫だったら。ありがとう、と声をかけてもらえたら、どんなに嬉しい事だろう。
悲し気に震える溜息を零しそうになり、慌てて飲み込んだ。トモハラは、マローの為に今日も走り回る。