転がる謎の物体
文字数 3,797文字
「なんてこと!」
リングルスの背から、触手がはえている。
波に揺れる海藻のように蠢いているが、意思があるように時折俊敏な動きを見せた。彼の身体は拘束されているのか、動かない。
「この身体ごと、早く斬り捨ててください。今はこうして会話が出来ますが、身体と意志が繋がっていないような気がします」
「何があったのかは後で聞く! 一刻の猶予もないだろう、それを引き剥がす!」
後方に回ったリュウは剣を構え、躊躇した。剣を持つ腕が震え、額にじんわりと汗が滲み出る。体内から這い出してきているような触手を、どう斬ればよいのか解らない。
逡巡していた隙を見て、触手がリュウ目がけて鞭のように襲いかかった。
「コイツッ!」
リュウは紙一重で避け、素早く触手を斬り落とす。
途端、リングルスがくぐもった悲鳴を上げた。声を堪えたつもりだったが、無理だった。
それに気づいたリュウが手にしていた剣を落としそうになり、震える声で問いかける。
「痛みを……感じるのか!? これは神経に繋がっているのか!? もう、お前の一部なのか!?」
愕然としてリングルスの横顔を見つめるリュウに、再び触手が襲いかかる。間一髪避けたものの、これでは迂闊に手を出せない。
絶望が襲い掛かる中、全てを受け入れ、満ち足りた笑顔でリングルスが宥める様に請う。
「殺してください、もう駄目です。これは意思に反し、勝手に動きます。それに、自分の中で他にも何かが蠢いている気が致します。おそらくは、地上にいた者たちも同じように」
「黙れ! 何も言うな」
儚げに微笑むリングルスをリュウが叱咤するが、聞き終えない間にヴァジルは魔法の詠唱を完成させていた。気合と共に火炎の魔法を放った為、顔を引き釣らせ死に物狂いで間に入り、自ら作り出した魔法壁でそれを天井へと弾く。
「馬鹿野郎! ヴァジル、お前っ」
激怒し叫ぶが、触手の格好の餌だ。攻撃を受けても仕方がないと、どうにか受け身をとろうとした。避けるには無理がある。
しかし、状況を冷静に窺っていたトビィがリュウを横蹴りする。
どうにか難を逃れたが、地面に叩き付けられ大袈裟に腰を擦った。リュウは、恨みがましい瞳をトビィに向ける。
「そんな目で見るな、救ってやったんだ」
「ぐもー」
確かに助けがなければ打撲では済まなかっただろう、しかし、もう少しまもとな方法はなかったものか。未だに激痛が走る腰を撫でよろけながら立ち上がると、再びヴァジルが詠唱を開始している。憤慨し、足を引きずってそれを止めようと駆け寄るリュウだが、先にアサギが止めに入っていた。
感情の起伏を見せずヴァジルの手にそっと触れると、宥めるように擦って下ろす。物言いたげに口を開いた様子に、有無を言わさずアサギは微笑んだ。
「アサギ様」
電撃が、身体を突き抜けた気がした。「任せてください」と瞳で訴えられ、震える右腕を抑える。ヴァジルは詠唱を中断し、身体中から吹き出す汗に気づいた。
それは、不可能を可能にする絶対的な自信の笑み。
「まだ、間に合います」
「……承知しました」
ヴァジルは大人しく引き下がった。助けられないならば、早急に楽にするべきだと判断したが誤りだったらしい。少なくともアサギは諦めていない、いや、勝機を掴んでいるように見える。
全てを見通したような表情で近づくアサギに、リングルスは懸命に叫ぶ。
「来てはなりませぬ、アサギ様! 御寛恕くださいますよう」
けれども、アサギは歩みを止めなかった。
「リングルス様、捕まってからのお話をしてください」
「しかし、アサギ様!」
「お願いします」
絶叫しているリングルスの後方から、触手がアサギに襲いかかる。
ヴァジルとトビィが攻撃すべく身を屈めたが、リュウが両手を広げて制した。不敵な笑みを浮かべたのは、知っているからだ。ミラボーの策に嵌り傀儡と化したスリザを、アサギが正気に戻したことを。ならば迷うことはない、一存すべきだと悟った。
「行け、アサギ。そなたの力を存分に発揮せよ」
あの時、狂ったスリザを攻撃しようとしたリュウを止め、勝気に微笑んだアサギが思い出される。それは、絶対の安心感。
穏やかに微笑むリュウを、ヴァジルは怪訝に見つめる。
トビィは喉の奥で笑い、万が一に備え動けるように体勢を整えた。
向かってくるアサギを、誰も止めない。躊躇いながらも、リングルスは自棄になって吐き出す。
「地上で似たような触手に捕まり、抵抗むなしくここへ運ばれ」
「遥かなる天空に溢れる眩い光よ、この手に来たれ」
触手が襲いかかってきても、アサギの手前で怯えるように止まる。近づきたいが、近づけない。まるで触手自体が意志をもち恐怖を感じているのか、まごまごと蠢いている。顔の手前に接近しても、一度睨まれると犬が尻尾を巻いて逃げかえるようにリングルスの傍まで縮む。
「背中を切り裂かれ、肉に硬く冷たいものが埋め込まれました」
「我の声と共に光を抱きし雲に覆われた天は、応えたまえ」
「身体が思うように動かず、逃げられませんでした。体内では皮膚の下で何か悍ましいものが動き回っているような、喉を掻き毟りたくなるような。そんな不気味な感覚に発狂し、叫び続けて気がついたら……これが生えていました」
「今、ここへその光を放ちたまえっ!」
詠唱の完成と共に、アサギから放たれた光がリングルを包み込む。眩いそれは部屋中を覆い尽くし、溢れた。
あまりに煌々とした光りに耐えられず、皆は俯いて逃れる。
そんな中で、アサギは見ていた。光の中で何かが身悶え、苦しそうに地面に転がったさまを。大人の拳ほどの何かだ。
「埋められたのは、種か卵か……。何れにせよ、これは悍ましい禁呪です」
アサギは素早く転げまわっているそれに駆け寄り、武器を剣へと変化させ突き立てる。電車の車輪とレールが軋み、火花を散らして急停止するような、耳に痛い金属音が響いた。それは、この生物の悲鳴なのか、単に割れた音なのか。
アサギが放った光は、天井の穴から地上へと溢れ出す。
「……念の為」
ハンカチを取り出すと、拾い上げ包みこみ、懐に丁重に仕舞った。
窮地に立っていたトモハル達は、その光を見た。突如として地中から舞い上がるように迸る光は、目の前の奇っ怪な敵を浄化させるように駆け回った。
「……アサギだ」
力なく呟いたトモハルは、確信して額の汗を拭った。そうして、瞳に喜びの色が表れる。
「ええ、これは間違いなくアサギ様!」
エレンも同意し、顔を綻ばせる。
竜達のもとへ駆け寄ると、その背に乗るかと尋ねられた。しかし、砂の混じった風が吹くばかりで不気味な気配はない。首を横に振り、周囲に瞳を走らせる。光が薄れると、そこには村人だったと思われる人間が倒れていた。死んではいない、呼吸しているようで背が上下に揺れている。
暫くすると、廃村からリングルスを抱えたアサギ達が戻ってきた。
「おかえり!」
その姿に歓声を上げ、皆の無事を喜ぶ。リングルスも無事だ、背中に大きな傷跡が残ったが、飛行は出来る。今は無理でも、徐々に回復するだろう。
「多大なご迷惑をおかけし、忸怩たる思いです。面目ない」
項垂れるリングルスだが、リュウはあっけらかんとして笑った。
「無事ならよいではないか」
ヴァジルは肩を竦めたが、人心地がついたように口角を上げる。
皆の無事を確認すると、倒れたままの人間らの救助に入った。自力で起き上がる者もいたが、大体は何が起きたのか解らないとばかりに瞳を白黒させている。
「あの、村の方々はこれで全員ですか?」
破壊されてしまった村とは呼べぬ集落に運び、アサギは訊ねる。
すると、「幾人かがいない」と言う。どうやら、救えなかった者もいたらしい。
何が起きたのか全く見当がつかないと混乱する村人らを励まし、食料を運ぶことを約束した。だが、彼らは怯えるばかり。トビィの提案でアリナに相談し、全員の移住を試みることにする。愛着のある土地とはいえ、凄惨な村に残りたいと志願する者はいなかった。
「自分の身体なのに、他人を見ているような感覚で歩き廻っていた気がします。とても、怖い」
泣きじゃくる婦人を宥め、アサギは万が一に備えここに残る事を決意した。それだけで、村人は落ち着くだろう。ならば、当然トビィも残る。
トモハルらは天界城に戻り、彼らの移住準備を進めることとした。
「物資も運ばなきゃ。こういう時って炊き出しが必要かな」
「そうだね、そうすることで気持ちも落ち着くだろうし……」
「俺達も戻るよ。不謹慎かもだけど、キャンプっぽいし。せっかくだから、明るく行こう」
トモハルとアサギが話を進めている間、リュウはリングルスを看ている。
ヴァジルは、てきぱきとこなすアサギを畏敬の念を籠めて見つめていた。
「大した御方だ。王子が惚れこむのも無理はない……」
話がまとまると、顔を曇らせてアサギは開口する。
「不気味です、あんなものを人に埋め込むだなんて。ミラボー様が使用した洗脳する薬は、単に意思を操るだけだった。でも、先程のあれは……。敵は何者で、目的は何か。全く分からない」
アサギが静かにそう告げると、皆は押し黙った。
この惑星に、まだ平穏は来ない。