姿を見せた教祖
文字数 3,797文字
「やれやれ、オレを一体何だと思っているんだか」
クレシダ、デズデモーナの二体の竜と共に上空から様子を窺う。見慣れた光景に、うんざりした。
トビィをその背に乗せているクレシダは、気づかれぬ様小さな欠伸をする。
「あちらとて、我らの気配を察しているでしょうに」
デズデモーナが話しかけると、トビィが直様答える。
「何も仕掛けてこないだろうな、こちらの出方を見ている。つまり平行線だ、時間の無駄」
次いで、クレシダが口を開いた。
「破壊の姫君、とは結局何者ですか」
問いかけに、トビィは軽い溜息を吐いた。
「邪教が崇めているらしい存在だ、眼を見張るほどの美しさだと。その能力が計り知れず、危惧されているらしい」
「私には人間の美しさが解りませんゆえ、皆目見当がつきませぬ。……主は、アサギ様をお美しいと誉めておいででした。彼女より、その破壊の姫君は美しいのですか?」
デズデモーナはクレシダの問いに呆れ、トビィが苦笑し肩を竦めた。
「オレにとって、アサギは世界中の誰よりも美しい。というより、美的感覚が同じ大概の人間はそう思うだろう。破壊の姫君など知らないが、彼女に敵う女などいないだろうよ」
「……ならば、アサギ様が破壊の姫君なのですか? 魔王と親しい勇者で、神からも待遇を受けており、主が認める美しさであれば、最も近しいと思うのですが」
その一言に、トビィは頭を抱える。クレシダは疑問に思った事を口にしただけだった、悪気はない。
「飛躍したな、違うだろ」
「ですか」
デズデモーナに軽く視線を投げかけたトビィは、項垂れて首を横に振っていたので肩を竦める
。
竜といえども、人や魔族と同じで個性がある。デズデモーナの感性はトビィに近く、クレシダはかなり特殊だ。何も考えていないような顔をして沈黙しているが、口を開くと突拍子もないことを言う。
「本当に愉快な奴。流石、オレの相棒だ」
喉の奥で笑ったトビィだが、張り詰めた糸のように緊張感が走った。素早く剣を引き抜くと、デズデモーナが吼え、クレシダが身を低くする。
何時の間にやら、シポラの上空に誰かが浮いている。桃色の髪を揺らしながら、こちらを見ていた。
微塵も気配を感じなかった。自身の落ち度に苛立ち、舌打ちしたトビィは瞳を細める。
低くデズデモーナが呟いた。
「魔族ですね」
光沢感のある漆黒の衣装を身に纏い、魔道士寄りの風貌をしている男だ。武器の所持は見受けられない。背格好的にはトビィと同じくらい、顔も整っており冷たい視線でこちらを凝視している。
トビィは剣を握る手に力を込め、眉間に皺を寄せた。クレシダの速度に期待し、何時攻撃を仕掛けるか思案する。
その魔族は、教祖イエン・タイ。
双子教祖の弟。彼の存在を知っているのは、直に会話しているミシアと、サンダーバードと共に襲撃を受けたケンイチ達。
互いに牽制し、距離を保ったまま睨みを利かせる。感覚が、無言のうちに冴えていく。
どのくらい経過したのだろう、不意にタイは身を翻すとシポラへと急降下した。
時は夕刻、周囲は暗くなりトビィの視界も悪くなる。下からの攻撃に備える為様子を窺うが、不気味な程静まり返っていた。
何も起こらない。
「デズ。……すまないがクレロに報告してくれ、オレは監視を続ける」
「御意」
視線をシポラに落としたまま、トビィはそう呟いた。一つ返事でデズデモーナは優雅に旋回すると、神の居城を目指して全力で飛行する。
初めて目の当たりにした敵の姿に、武者震いがした。その震えを感じ取ったクレシダは、何も言わず戦闘態勢を崩さずに羽ばたく。
「思いの外、手応えがありそうな奴だった」
呟いたトビィの口元に、酷薄な笑みが漏れる。
クレシダは、その好戦的な態度に多少項垂れる。極力面倒ごとに首を突っ込みたくない性分だが、トビィと共に歩む以上避けられないと最近気づいた。
全速力で居城へ向かったデズデモーナは、宙に浮遊している石に舞い降りた。天界に浮かんでいる居城は常に世界を漂っており、微妙に位置が変化していく。運よくシポラ上空へと動いていたので、すぐに辿り着けた。
舞い降りてきた黒竜に悲鳴を上げ武器を構える天界人達に、デズデモーナは顔を顰める。毎度の事だ、いつになったら慣れてくれるのか。槍を構え威嚇している衛兵に大きく溜息を吐くと、用件を手短に伝える。居心地が悪いので、早く戻りたい。
「クレロ神に火急の用件だ、指示を仰ぎたい。シポラ上空に魔族が現れた、主は留まり監視している」
ようやくトビィの竜だと気付いた天界人は、クレロに報告すべく駆け出した。それでもまだ、デズデモーナを見張るようにして数人は槍を下ろさずにその場に居る。
天界人が竜と接触しない種族だと知っているが、仮にも協力を要請しているトビィの相棒だ。待遇改善を望んでも、罰は当たらないだろう。誰しも、武器を向けられ心地良いわけがない。
暫くすると、天界人が息を切らせ戻ってきた。
「クレロ様が引き続き監視にあたるそうです。トビィ殿には、こちらへ戻って欲しいとのこと」
「ふん……伝えよう」
伝令係りになってしまったデズデモーナは、不服そうに飛び立った。そのまま伝言を伝えると、トビィは思った通り大袈裟に顔を歪める。
「最初から自分で見張ればよいものを。……行こう、クレシダ、デズ」
「御意」
「デズ、すまない。面倒事を頼んでしまって」
「いや、飛行するのはいつものこと。ただ、扱いが不当で癪に障る。主の命で動くならまだしも、他の者に指示される事は些か納得できません」
「だろうな」
トビィが天界に辿り着いた頃、マダーニ達も調査から戻って来た。
久し振りの再会に互いは軽く微笑むと、些か神への鬱憤が薄れたように思えた。やはり、共に戦闘を潜り抜けてきた仲間は安心出来る。
他愛のない会話をしていると、ようやくクレロが登場した。神として敬意を払っている者はライアンとクラフト、ミシアの三人だ。他の者はふてぶてしい態度で仁王立ちし、体勢を崩さない。
見かねた天界人が目くじらを立てて注意するが、毎回無視されている。
「ご苦労だった、疲れただろう? 食事を用意した、こちらへ」
不信感をあらわにするトビィらに、クレロはやんわりとした笑みを浮かべた。
「食事で機嫌をとったつもりかよ」
アリナが小声で悪態をつき、クラフトに服を摘ままれる。
通された部屋には、野菜ばかりの食事がずらりと並んでいた。げんなりと顔を顰めたアリナだが、腹が減っていたので文句は言わずに食べ始める。薄味で好みではないが、大量に押し込めばどうしようもない空腹は紛らわせると思った。
皆が黙々と食べ始める中、クレロは話を進める。
「さて、ライアン達に調査依頼していた塔だが、特に不審な点は無しと?」
「左様です、魔物が蔓延っているだけでした」
「ふむ、ありがとう。では次に。……先程、シポラ上空に魔族が現れたのをトビィが目撃した。その者の容姿を、皆にも伝えて欲しい」
ライアンからトビィに視線を移したクレロは、神妙に頷く。
ワインを呑んでいたトビィは、軽く舌打ちするとそっぽを向きながら口を開いた。
「背格好はオレに似ている。髪の色は薄い桃、瞳の色までは見えなかった。なかなかに端正な顔立ちで、髪の長さは後ろは短いが左右が長く、肩に届きそうな感じ。雰囲気から察するに、魔道士の類だろう。一人きりだった」
イエン・アイとタイのことを知っているミシアだが、知れっとした顔つきで聞き流す。
この場にケンイチらがいればサンダーバードと共にいた魔族だと気づけたが、生憎勇者らは勿論、ブジャタもムーンもいない。
「まぁ、魔族には美形が多いって言うし?」
じゃが芋を丸齧りしながらアリナがそう言うと、口内の物が周囲に飛び散る。
ミシアがあからさまに顔を顰めたので、クラフトが申し訳なさそうに布で拭う。
険悪な彼らに軽く視線を流し、クレロは話を進めた。
「私が今から監視を引き継ぐ。明日からは、別場所の調査を依頼したい。アサギの武器セントラヴァーズが保管されていた、ピョートル近郊へ行ってもらう。洞窟から魔物が出て来ている様なのだ、深部へ侵入し様子を探ってくれ」
「人使いが荒い神ね」
マダーニが憤懣やるかたないとばかりに唇を尖らせる。
「すまないな」
クレロは張り詰めた空気の中でも多くは語らず、勇者達にも渡した連絡がいつでも取れる便利な水晶を皆に渡す。
怪訝にそれを眺め、仲間達は顔を見合わせた。
「おい、オレはどうしたら? ナスタチュームへの返事はどうなった」
「もう少し、待ってくれ」
「随分と悠長だな」
クレロが監視の為席を外すと、トビィらは肩の力を抜く。ここからは警戒せずともよいので、皆饒舌になった。
「宙に浮いている城に住んでいるだけで、本当に神なのか疑わしい」
「神だろうケド、不気味なところはあるよね。本心が見えないし」
トビィとアリナが愚痴るのを聞いていたマダーニが、唇にそっと指を添えた。
「二人共、ここの場所を忘れていないかしら? あまり過激な事は言わないようにね。……皆同じことを思っているけれど、今は従うしかないの。だって、それしかないでしょう? 私達だけでは、途方を失う」