それぞれの路へ
文字数 11,893文字
幾多の攻防を繰り返し、焼かれ薙ぎ倒された木々の下から、しかして緑の芽が息を吹き返す。まるで早送りをしているように、徐々に成長する草木達。
そうして出来上がった暗い森の中を、新緑色の髪をなびかせた娘が軽やかに走り抜けた。地面に触れているのか、いないのか。一陣の風のように駆け抜けると、通った場所に幾つもの花が咲き乱れる。
娘は空を仰いでいるアサギの姿を見つけると、物言いたげに口を開いた。けれども躊躇し、肩に止まった小鳥を撫で、足元に寄り添ったウサギを抱き上げ、歌うように揺れる木の葉と共に視線を縫い付ける。
それに気づかぬアサギは、桜桃色の唇を開き唄う。
瞳を閉じ詠唱を始めたアサギに呼応するかのように、娘も合わせて唇を動かす。もう一人、もうニ人、身に纏う衣装は違えども、いつの間にやら集まっていたアサギに瓜二つの娘らは、同じ様に唇を動かした。
「古の、光を。遠き遠き、懐かしき場所から。今、この場所へ。暖かな、光を分け与えたまえ。回帰せよ、命。柔らかで暖かな光は、ココに。全身全霊をかけて、召喚するは膨大な光の破片」
幾重にも重なる、同じ澄み切った声。魔界イヴァンを、見えない何かが覆い尽くす。
降り積もる温かい空気に、植物や動物達が顔を上げた。
傷つき倒れていた魔族達が、小さく呻いて起き上がった。
避難し震えていた魔族達が、恐る恐る空を見上げた。
やがて、トビィが軽く頭を振って起き上がった。ツキン、と胸が痛んだが一瞬顔を顰めただけ。身体に異常はなく、直様アサギの名を呼ぶ。
アサギはその声に懐かしそうに振り返り、髪をかき上げた。大きな瞳は黒曜石のごとき漆黒、柔らかな髪は鴉の濡羽色。
「トビィ、お兄様」
「アサギ! 無事、だったのか。アサギで間違いないな!?」
「です」
穏やかに微笑んだアサギに無我夢中で駆け寄ったトビィは、力一杯抱き締めた。
「よかった、よかった……!」
くすぐったそうに笑っているアサギの髪を撫で、震えながら夢中で抱え込む。その温もりを感じ、それが現実だと実感するために。心臓の鼓動は、トビィにも伝わった。
アサギは、生きている。
やがて、ハイが、リュウが、ミノルが、トモハルが呻きながらも置き上がった。徐々に仲間達は不思議そうに起き上がり、トビィと共にいるアサギに慌てて駆け寄る。
皆、無事だった。衣服は破れているものの、無傷。激痛が嘘のようで、身体に不具合はない。
生きている。
「……アサギ、一体何が」
腑に落ちないアーサーが周囲を見渡し当惑して口を開くと、申し訳なさそうにアサギが苦笑した。そっと手首を差し出す。
そこにあるのは、セントラヴァーズという名の武器。
「これは、自在に武器を出現させられるという、非常に便利な代物です。ミラボー様に何度攻撃をしても効果が見られず、だから、内側から攻撃したくて。自分の身を防御壁で護り、食べられた振りをして体内から攻撃しました。この作戦を説明している時間がなくて、驚かせてしまいましたよね。助けるのが遅れてしまって、ごめんなさい」
感嘆の声を上げた者は数名いたが、アーサーとトビィは訝り首を傾げる。ハイとリュウも、顔を見合わせ眉を顰める。アサギに妙な違和感を覚えた。
「し、しかし……」
けれども、不思議そうに微笑むアサギを前に、それ以上何も言う事が出来ず口を噤む。吸い込まれそうな光を宿す瞳には、有無を言わせない眼力があった。見つめていると、真実だと思い込みたくなる、いや、
「怪我が……」
「怪我も、治せました! 魔界で魔法の特訓をした成果です」
奇妙な程に、アサギは無邪気に笑う。
たった一人であの魔王ミラボーを倒し、皆の傷を治してしまったと言う。それが、勇者なのだろうか。同じく異界から召喚された友人である他の勇者達は、選ばれた剣をまともに扱う事すら出来ぬというのに。アサギだけが、特異。
「リュウ様。……ね、私は無事だったでしょう?」
自信をもって微笑みリュウに向き直ったアサギは、悪戯っぽく舌を出す。
一瞬口篭ったリュウだが、頭をかきながら大きく頷いた。
「そうだぐーな、アサギは無事だったぐー。……ありがとう」
「これで、皆さんと一緒に故郷の惑星に還ることが出来ますね」
その言葉に弾かれた様に笑い出したリュウは、「敵わないな」と大袈裟に肩を竦めた。そして、急に真面目な顔つきになると、片膝をつきアサギに傅く。
「勇者アサギ、契約をかわそう。私の名は、スタイン=エシェゾー。呼べばいつでも、助けに行くよ。私の大切な、小さき友達」
リュウは控え目にアサギの手を取り、見上げて頬を綻ばせる。
微笑み合う二人の間に、ハイが割って入った。こめかみを引くつかせ、リュウを忌々しく睨む。
「迷惑をかけた分際で、アサギに取り入るとは何事だ」
跪くと、恭しくアサギの手を取る。
「アサギ、私が傍にいる。こんな不甲斐ない男より、私と契約しよう。私のほうが圧倒的に早く助けに行けるし、役に立つ」
「何を言っているぐ、私はミラボーの動向を窺っていただけだぐも。そもそも、最初からアサギの事を気に入っていたんだぐ。色ボケ神官に言われる筋合いはないぐもー」
「誰が色ボケ神官だ、口を慎めっ」
「……安心しろ、アサギの隣はオレで十分事足りる。他は邪魔」
トビィの一声に、ハイとリュウが睨みを利かせた。
しかし、憮然とした態度でトビィはアサギを強く抱き寄せると、勝ち誇ったように二人を嘲笑った。
アサギを中心に、いがみ合う男達。
ヴァジルが頭を抱えて、その様子を観ていた。中心にいるアサギを、瞳を細めて探る様に見つめる。
「不思議な少女だ。……勇者とは、こういうものなのだろうか。彼女の周辺だけ、何かが違う」
「勇者って、なんだろうね。どちらかというと」
ヘリオトロープが顎を擦り、言葉を濁す。
ヴァジルは横目でそれを見ていたが、それ以上口を開かなかった。思った言葉を飲み込んだのは、あまりにも馬鹿げた意見だったからだ。
「勇者は使命を果たしたんだよな? ……予想と違う結末だが」
「でもさ、破壊の姫君がいるよ。調査しないと」
「そうよね、魔王ミラボー以外無害ならば、そっちが不安。一難去って、また一難」
ライアン、マダーニ、アリナが神妙に頷いた。その後方で、ミシアが緩やかに口角を上げる。
「腑に落ちない点が多々ありますが……。エーアも戻りましたし、一応、魔王ミラボーという脅威は去ったので。よしと、しましょうか」
「これで暫くは安心かな、復興に力を注ぐ事が出来るね」
アーサーの言葉にココが大きく頷き、皆もほっと胸を撫で下ろす。
「ムーン」
「解っているわ、サマルト。憎しみは人を大きく動かす負の感傷、けれど、囚われてはならない。……納得出来ないけれど、私は魔王ハイ、いえ、神官ハイの今後を見てどうするのか判断します。この先、信用出来ぬと判断したら、全力で討ち取ります。それまでは、見守りましょう」
アサギと戯れているハイを、ムーンは見つめる。以前よりも、心は穏やかだった。憎い仇の筈なのに、自分達となんら変わりがない男に見える。
「さて。普通魔王を倒した勇者は、地球へ戻れると思うけど、どうなんだろ」
「何も起こらないねぇ」
トモハルが困惑気味に告げると、隣でケンイチが頷く。
その手を、ユキが握り締めていた。
それに気付いたダイキが首を傾げ、視線を追ってトモハルがすっとんきょうな声を上げる。
「あれ、ケンイチとユキって。付き合ってるの?」
「ぅえ!? あ、いや、これは、その」
手を繋ぐことに慣れてしまったが、指摘されると恥ずかしい。慌てふためくケンイチだが、不安そうに視線を合わせてきたユキに観念し、赤面しながら頷いた。
トモハルが口笛を吹き、ダイキが瞳を丸くする。ミノルは唖然として、ケンイチを眺めた。
「えー、いつもまにぃ!? 可愛い顔してやるわねっ」
皆に冷やかされ囃し立てられ泣きそうなケンイチと、何処となく嬉しそうなユキだった。
一歩下がったトモハルは寂しそうに微笑むと、澄んだ青空を仰ぐ。何故か無性に、泣きたくなって手を伸ばした。
「おかしいなぁ、逢えると、思ったんだけどな」
言葉が、漏れる。
何に逢いたかったのかは、解らない。それでも、ここに逢いたい何かがいて、探していたような気がしてきた。
「でも……きっと、逢える」
突風のような寂しさに襲われながら、トモハルは苦笑する。
アサギはトビィの腕を擦り抜け、わぁわぁと騒ぐ皆の輪に近づいた。
気づいたユキが涙目で駆け出し、アサギを抱き締める。
「アサギちゃん!」
友達の香りがする。皆に逢えた実感に安堵して、ようやく気が緩む。ボロボロと泣き出した抱き合う二人を見て、他の勇者らも涙ぐみ俯く。
ミノルは鼻をすすりながら、顔を見られないようにそっぽを向いた。感動の場面とはいえ、公然の前で泣くのは恥ずかしい。
泣き続けるユキの髪を撫でそっと離れたアサギは、ミノルに近寄った。手を差し出して、破顔する。
「あの、一緒に来てくれてありがとう。ミノルがいなかったら、きっと駄目だったよ」
まさかこちらへ来るとは思っていなかったミノルは口篭り、視線を泳がせる。
注目を浴びる二人を、全員が見つめる。
「いや、いなくても問題はないだろ」
トビィが真顔でそう呟くと、ハイもリュウも同意した。こういう時は、気が合うらしい。
「ま、まあな。た、たまには人助けもいいよな。お、おま、おまえこそ、無事でよかったな」
「うん、ありがとう。ミノルが武器を取りに行って、渡してくれたからだよ」
左手でビシッと「いや、実際に武器を投げたのは俺なんだけど」と、トモハルが突っ込みを入れる。
アサギが見つめてくるので、照れくさくなったミノルは歯がゆくて俯く。あんなに身を案じて逢いたいと願っていたのに、実際どうしたらよいのか解らない。
「あの、好きです」
「そうか、よかった、はあああああああああああああああああああっ」
返事をしてから、何を言われたのか理解したミノルの絶叫が響き渡った。
多くの者達は大きく瞳を見開き、耳を疑う。
ユキが歓声を上げ、トモハルが唖然としニ人を見比べる。ダイキは気落ちし、ケンイチが興奮気味にユキの手を強く握る。
「こ、こういう時くらいしか言えないと思うので。えっと、好きでした」
「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
硬直し、喉から叫び声しか出ないミノルは、赤面してアサギを見つめていた。
「アサギ、趣味が悪いぐ。まだ私や、百歩譲ってハイのほうがマシだぐ」
「初めて意見があったな、同感」
「うむ、右に同じく」
項垂れるトビィ達に気づかず、アサギは小首を傾げ叫び続けているミノルを見ている。
「お、憶えていないかもしれないけれど、幼稚園が一緒だったんだよ。それで、あの」
「はあああああああああああああああああああああああああああああああ」
まさか、告白されるとは思っていなかったミノルは、完全に取り乱している。人生初の告白は、人気者で意中の美少女からだった。人生全ての運を使い果たした気がした、気が動転し目が回り、呼吸困難で死ぬのではないかとすら思えた。
響き渡るミノルの叫び声に、咳払いが破る。
最初は皆、気がつかなかった。しかし、何度も繰り返されたので、ようやく咳込んでいる人物に視線を移した。
「……え、どちら様?」
濃紺の長髪をなびかせて、影の薄そうな男が立っていた。左右に、純白の羽を広げている女性を連れて。
一体、いつ来たのか。そもそも、誰なのか。皆は、不審者に嫌悪感を露わにすると武器を構える。
その様子に気落ちした男は、背を丸める。見た目通り、気弱な男らしい。
左右の女性は深い溜息をついて嘆き、彼に代わって前に進み出た。
「勇者達よ、功績を讃えましょう。神であるクレロ様より、お言葉があります」
その場に居た全員が、一瞬だけ静まり返った。けれども、すぐに疑念の視線をクレロに向けて顰めきあう。
「神?」
訝り、疑念に満ちた瞳で全身を見やった。今更出てこられても、遅い。神が存在するのであれば、早くに助けて欲しかった。今まで何をやっていたんだ、と不満が脳内で膨れ上がる。
突き刺さる冷淡な姿勢に震えつつ、男は声を発した。
「異界の幼き勇者達よ、よくぞ魔王を倒してくれた。……というより、よくぞ脅威を払ってくれた。君達の名は、今後永遠に語り継がれるだろう」
「神なら最初から助けに来いよ、今更しゃしゃり出て来んな」
アサギの視線をまともに受けられず、救い船だとばかりミノルは悪態つく。
大きく頷く一同にクレロは数歩後退したが、お付きの女性に叱咤され渋々数歩前に出る。そして、ひどく哀しそうに首を横に振ると、ミノルに視線を投げた。
「神、と言っても。私が君と戦えば、負けるのは私。見ての通り脆弱で、この惑星の状況を見ることしか出来ない。私よりも、余程このマグワートやソレルのほうが強い。私は恥ずかしながら初歩の回復魔法に、中級の回復魔法と、どうにか高位な回復魔法しか扱う事が出来ないんだ」
「つまり、回復魔法しか扱えないじゃねーか」
素早く突っ込みを入れるミノルを苦手だとばかりに顔を引き攣らせたクレロは、唇を真横に結んだ。
皆は、本当に神なのか心底疑った。弱そうではあるが、確かに不思議な雰囲気を放っている。耳は細長く、身に纏う布地は地上では見たことがないような光を放っている。人間でないのは確かだが、どうにも胡散臭い。
「傍観者で申し訳ない。せめて天界で武器を保管していたら、真っ先に届けられたのに」
古来の人々はこの能力も風格もない神が心配で、人間が武器を預かることにしたのではないか、と皆思った。納得できる。
皆は、白けた視線を送り続けた。
「それで、安全圏で事が済むのを隠れて見ていた神が、一体なんの御用かしら?」
棘を含んだ言葉をマダーニが放つと、クレロは怯みながらも告げる。
「それぞれの進むべき場所へと、送り届けに来た。ご苦労だった、それが私からの餞別だ」
「あ、それなら確かに神っぽい」
素早く突っ込みを入れたミノルにぎこちなく笑顔を向けたクレロは、一人ずつ顔を確認していく。
「心配せずともよい。それくらいならば、私にも出来るのでね」
「まぁ、大きい事を仰ってますけど、実際はクレロ様のお力ではなく、天界にある城の一角から飛べるだけですけれども」
部下からのミノル並に素早く鋭い突っ込みに、クレロが顔を顰める。
「それを言ったら身も蓋もないだろう。……さぁ、愛しき地上の者達よ、我天界へ導かん」
「急に偉そうだな、オィ」
ミノルの突っ込みを無視したクレロは、手を振り翳す。
すると、光の階段が目の前に現れた。
どよめきが起こったので、クレロは勝ち誇ったように鼻の穴を膨らませる。
「さぁ、行こう」
招かれたので、疑わしく思いつつも階段を上る。
クレシダとデズデモーナはその場に残り、オフィーリアと合流することにした。流石に竜は階段を上がれない。トビィに軽く頭を下げ、ニ体は飛び立った。
「うわっ、こわっ! 透明な階段を上ってるみたい!」
「でもこれ、エスカレーターみたく動いてない? 地上が遠ざかってる気がする……」
「うわっ、こわっ!」
「怖いという割には、楽しそうだねミノル」
アサギへの返答を考えあぐねたミノルは、異様にトモハルとはしゃいでいる。どうしたらよいのか、皆目見当がつかない。
一世一代の告白を皆の前でしたというのに進展がないアサギを気の毒に思い、ユキが肩を竦める。
皆の姿が消えた頃、魔界から出発した人間界行きの船が海を漂っていた。そこには、無事に脱出したマビルが乗船している。空が虹色に輝いた気がして、不思議とそちらを見つめた。
アーサーやライアン達が乗って来た船は、皆が戻ってこないので諦めて引き返した。しかし、絶望はしていない。皆生きている気がして、また逢えると確信していた。
光の階段を上っていた一行は、海に漂うそれらの船が綺麗に見えていた。その様子にライアンは胸を撫で下ろす。彼らの船が無事に港へ着くようにと祈りを籠めて、深く敬礼をした。
最後に階段を上ったのは、アサギだった。
振り返り、髪を揺らす。腰を折って深く頭を下げ、美しい魔界に戻るように願いを篭めて顔を上げる。ミラボーの、そしてアレクとロシファの墓を見つめた。その場所は、淡く光っている。そこから離れているが、スリザ達の墓もある。
大好きな魔族の皆は、一緒だ。
トビィの呼ぶ声に、アサギは名残惜しそうにその場を離れ階段を上る。階段はそのすぐ後ろから、忽然と消えていった。
誰しも、その階段を見ることはもう出来ない。
やがて駆けつけたナスタチュームにサーラ、そしてオークスは、瓦礫が散乱しているアレクの城を唖然と見下ろした。ここは、戦場と化したのだろう。その痕跡はあるのに、一部の美しい森は穢されることなく佇んでいる。
あまりにも、奇妙な光景だった。
「ど、どうなったのでしょう。一体これは」
散乱する倒木の下から、花々が顔を出し咲き誇っている。澄み切った湖に魔族達が集まり、無事を喜んでいる様子が窺える。
不可解さに、吐気が込み上げる。混乱しながら、説明できる者を求める。勇者は何処へ行ったのか、アレクは、そして他の魔王は。
天界に招かれた一同は、階段を上りきると広間に脚を踏み入れた。振り返ると、空を上ってきた筈なのに床が見える。
不思議な空間に忙しなく動く胸を押さえて進むと、純白の羽を広げ槍を手にしている天界人が頭を下げて出迎えてくれた。厳重な扉を警備していた天界人が開き、クレロが腕を伸ばし促した。
辿り着いた先は、部屋だった。中央で、琥珀色の金属に似た物体が床から浮いている。横から見ると平らなそれには、水が並々と入っていた。全員入れば窮屈な空間には、その大きな水鏡が一つあるのみ。
「この中に入れば、行きたい場所へと辿り着ける。さぁ、誰から行こうか」
天界の転送陣らしい。
皆は顔を見合わせるが、言わずとも意見はまとまっている。
世界を救ってくれた勇気ある者達を見送りたかったので、穏やかに微笑むと当惑していた勇者達を前に出した。
狼狽しつつ、勇者達は逸る胸を抑え歩み出る。
クレロは神妙に頷くと、水鏡に手を浸した。一瞬青色に淡く光った水鏡に満足し微笑み、勇者達に手を差し伸べる。
「チキュウ、という惑星のニホン、という場所だな。ご苦労だった」
本当に、帰ることが出来るらしい。
帰りたいとは願っていたものの、唐突で戸惑いを隠せなかった。
「あのさ……剣や装備品はどうすればいい? 地球に持って帰っていいの?」
「それは困る、預かろう。各々があるべき場所へと返しておくよ」
「なんだぁ……」
ミノルは渋々剣を差し出した。使用するしないに関わらず、勇者の剣を手放すのは惜しいだろう。僅かな期間であったものの、勇者達は名残惜しそうに武器を床に置いた。
アサギもセントラヴァーズを外し、そっと置く。
武器達もようやく巡り逢えた
「ところでさ、地球って今どうなってんの? 時間って、俺達がここへ来た時のまま?」
「愉快な事を言うね? そんなわけないだろう」
ミノルの素朴な疑問に、クレロは小馬鹿にしたように笑って返答した。
途端、勇者達は一斉に悲鳴を上げる。
「げ、現在進行形!? はぁっ!? 時間が止まっていないとか、冗談だろ!? 俺達、消えたままってこと!?」
「時間を止められるわけがないだろう。私が出来ることは初歩の回復魔法に、中級の回復魔法と、どうにか高位な回復魔法だと、先程告げたではないか」
「こいつ殺したいいいいいいぃ」
不思議そうにクレロは首を傾げると、悪びれた様子もなく水鏡の水を掬い上げた。そして、宙へと飛散させる。水は薄い膜となって、宙に漂っている。そこに映されたのは、今はもう懐かしい見慣れた小学校の校舎だ。
勇者達は泡を吹く勢いで悲鳴を上げ、蒼褪めて床に座り込んだ。そこには、報道陣が押し寄せている。観れば『消えた小学生、何処へ』『ミステリーサークル出没地域』『宇宙の歪ブラックホール出現』など、得体の知れない垂れ幕が校舎から下がっている。校庭にも、同様ののぼりが散見される。学校周辺では、近所のおじさんおばさんがインタビューを受けていた。
「え、え、俺達行方不明になってるわけ……?」
日本だけではない、外国からも報道陣が来ているようだ。前代未聞、世界規模の大事件。謎の生物の襲来と戦闘が繰り広げられ、一部の生徒が消えたのを大勢が目撃していたのだから致し方ない。
この状況で帰宅しろと言われても、困る。まさか正直に「異世界で勇者をやって、救ってきました!」と答えるわけにはいかない。
「う、うぇ……」
勇者達は、帰る気が失せた。根掘り葉掘り、行方不明期間の事を訊かれるだろう。検査と称して連れ去られてしまうかもしれない。それこそ、外国の某施設に。
「あ、あの、クレロ様」
「おぉ、我惑星の優秀な勇者アサギ。そんな困った顔で、どうしたのかな」
耐え切れず口を開いたアサギは、クレロの前に進み出た。
嬉しそうにアサギを見つめ、徐にクレロが跪く。
突拍子もない行動に驚いたアサギは「困ります、神様ですよね、立ってください」と狼狽し告げた。
「そうか、嫌か。敬意を表したのだが……」
クレロは神妙な顔つきで静かに立ち上がり、懐かしそうに瞳を細めた。
「あの……時間を戻す事は出来なくても、私達がいなくなってしまった、というみんなの記憶を消すことを、どうにかお願いしたいのです。でないと、怖くて帰れません」
すぐ返答せず、クレロは思案していた。
「成程」
それなら、どうにかなりそうだと同意したトモハルは、クレロに期待の眼差しを送る。
「で、出来れば、あの妙な垂れ幕とかも撤去して欲しいです。海外の方々も元に戻して欲しいですけど……」
「ふーむぅ。出来るかなぁ、そんなの、やったことないしなぁ」
勇者達は落胆した。しかも他人事のように語尾が伸びる口調に、苛立ちを募らせる。
クレロは渋々、水鏡を覗き込んだ。しかし、妙案が浮かんだようで扉から外へ声をかける。暫くして、何が届けられた。それを確認して受け取ると、水鏡に流し込む。
「簡潔に説明すると、記憶を消す薬だ。今それを、地球上に雨として降らせている。上手くいくだろう。多分」
「多分?」
信用できない神の言葉に、ミノルがいよいよ額に青筋を浮かべた。
「多分、ですか……。確実でないと困るのです、上手くいきますように」
「神様に祈ろう」
ユキがアサギの傍らでそう呟くが、当てにならない神は目の前にいる。
「私達の、記憶を消す。私達は、ずっと地球にいたことになっているの」
アサギは瞳を閉じ、クレロの策が上手くいくように全身全霊をかけて祈った。
地球上に、雨が降る。
雨雲がないというのに、どこもかしこも一斉に雨が降り出し、全世界の気象庁が混乱する。すぐに止んだが、その件で地球上は沸いた。“奇跡の雨”、“天変地異の前触れ”、“救世主の誕生”。様々な憶測が予言として飛び交った。
恐る恐る、勇者達は日本を覗きみる。
小学校の一角。雨が止み、報道陣は不思議そうな面持ちで会話をしている。やがて彼らが散り散りになると勇者達は大きなため息を吐いて胸を撫で下ろした。
見れば、垂れ幕やのぼりも消えている。上手くいったらしい、初めてミノルはクレロを見直した。
「これでよいだろうか」
クレロに促され、勇者達は頷き合う。帰らねばならない、役目は終わったのだ。
いや……終わってなど、いない。これは、始まりでしかない。
別れを察したトビィは、勇者達を押しのけアサギを抱き締めた。瞳を伏せ戸惑う姿に、余裕の笑みを零す。
「アサギ、心配するな。大丈夫、直ぐに逢える」
「そう、ですよね。トビィお兄様、また、お逢いできますよね」
「あぁ。オレはアサギの傍に何時もいる、必ず護り続けるから」
仏頂面のミノルの目の前で、トビィは髪に口付けた。
我先にと、リュウとハイがそっとアサギの手を取って、恭しく甲に口づける。
ミノルが歯軋りをしたが、最後だからと必死にトモハルが宥めた。そもそも、告白をされただけで返答をしていない。
アサギはまだ、誰のものでもない。
「アサギ、有り難う。そなたに逢えてよかった。これから先、何が起きようとも全てを受け入れ、罪を償う」
「アサギ、有り難うだぐ。逢えてよかったぐ、離れたくないぐも。……幻獣星を見に来て欲しい、私はそこでサンテとアサギを待っている」
アサギは、太陽の様に眩しい笑顔を二人に向けた。
次から次へとアサギのもとへ、そして幼い勇者達の元へ仲間達が駆け寄った。感謝の言葉を伝える皆は、始終笑顔だった。
別れは辛いが、異界から来た勇者は、帰らねばならない。それぞれの場所がある。
勇者達は、照れくさそうに笑った。旅は辛かったが、最早良い思い出だ。
そして少し、この世界に未練があった。正直なところ、今はまだ居てもよかった。
「有り難う、幼い勇者達!」
ケンイチとユキが手を握り合い、同時に水鏡に飛び込む。
ダイキが照れ臭そうに軽く手を振って、飛び込んだ。
ミノルとトモハルが、静かに入る。
唇を噛み締め、トモハルは泣きそうになりながら飛び込んでいた。未練があった、一番帰りたくなかったのは、彼だ。彼は、この地で探さねばならない人がいた。
「アサギ」
「トビィお兄様……いつも、ありがとうございました!」
「ございました、じゃないだろうアサギ。“ありがとうございます”だ。また、逢えるから」
「そう、ですよね。それなら“ありがとうございます”! ……また、です」
「そうだな、またな。オレのアサギ」
アサギの手を握り、堪え切れず哀しく微笑んで指に口付けたトビィは、そっとその手を放した。
涙を溢しながら、アサギは仲間達を見つめる。泣きながら微笑んでいる皆に元気よく手を振ると、水鏡に飛び込んだ。
「またね、今はさようならです! ありがとう、ございましたっ」
アサギの髪が、消えていく。
名を呼び、慌てて水鏡を覗き込んだトビィは溜息を溢した。その身体は、微かに震えている。
「では、次はそなたらか。順次各々の惑星へ届けよう。クレオに住まいし者達は、好きな場所へと送り届ける」
仲間達は、大きく頷いた。
それぞれの路へ進む時が来たのだ。
リュウは仲間達とともに、自分の惑星・幻獣星へと戻った。そして、歓喜に包まれる中王に即位する。待ち詫びた時を、涙して、破顔して、心の底から皆で分かち合っていた。
ハイ、ムーン、サマルトは共に惑星ハンニバルへと戻った。帰還したニ人に、絶望していた人間達は希望を見出した。同時にニ人が連れてきた男を見て、不思議そうに首を傾げた。高貴な神官が、二人の傍に立っている。不幸中の幸いで、魔王ハイの姿を誰一人として知らなかった。ムーンは、何度か口ごもりながらも「幽閉されていた神官です」と説明した。
処刑を甘んじて受けようと思っていた為、ハイは驚愕した。
それを横目で一瞥し、ぶっきらぼうにムーンは告げる。
「自分が住んでいた場所に戻り、本来すべき事を成し遂げなさい。万が一、途中で放棄するならば、正体を暴露し、即刻処刑します」
毅然とそう告げ、震える背を向けハイから遠退く。
ハイは、高貴で誇り高いムーンに、深く頭を下げそっと涙を溢した。
復興が始まった。生き残ったムーンとサマルトは先頭に立ち、導いた。
活気あふれる場所から遠く、静まり返った厳かな土地で、ハイは一人きり掃除をしながら自給自足の生活を始めた。神官に、今一度戻る為に。
アーサー達は、エーアを連れて帰還した。
大歓声が巻き起こり、惑星が揺れた。「全ての魔王は消え去った」と説明し、直様宴が開かれた。そうして、冷めやらぬ興奮の中で復興が始まる。
最後にクレオの住人達は、どうすべきかを思案した。喜ばしいのに、複雑な心境。他の惑星と違い疑問が残っており、素直に勝利を受け入れられない。
「神よ、教えて欲しい。旅の途中で“破壊の姫君”を崇める邪教に出くわした。あれは一体」
「うむ、その件で君達には話がある。私達も調査しているが、正直……魔王よりも厄介だ」
「それで、出てきたんだろ? アンタは鼻から魔王など危険視していなかった……違うか?」
トビィが淡々と告げると、クレロが肩を竦める。そして、床に置いてある勇者の武器を見つめた。
視線を追って、皆も見つめる。
トビィが、喉の奥で笑った。不敵に微笑むと「上等だ」とマントを翻す。
「つまり、まだ勇者が必要なんだろ? 今は彼らに休息という褒美をやったとでも? ……言った筈だ、オレはアサギと離れない。また逢える、近いうちに必ず」
「…………」
残された惑星クレオの住人達は、天界で硬直する。勇者が居た時とは違い、無表情になり冷徹な雰囲気を漂わせ始めた神であるクレロに、背筋が凍った。
ただ、トビィだけが愉快そうに笑っている。
異界から召喚された幼き勇者達は、確かに魔王を倒した。しかし、果たしてそれで終わりだろうか。
よいわけがない。勇者の役目とは、なんだろうか。
床に置かれた勇者の武器が、各々淡く光り始める。離れてしまった持ち主を求めて、寂しそうに呼応していた。