外伝4『月影の晩に』12:女王の器とは

文字数 4,583文字

 耳を刺す、皿が割れる音が響き渡る。

「何これ、美味しくないっ。これ、嫌いなのっ! 一体誰がこんなものを作ったのっ」

 皆の顔が緊張で強張り、蒼ざめる。
 口元を押さえたマローが、悲鳴に近い声を上げた。毛嫌いしている食材が入っていたが、知らずに口にしてしまったのだ。宥める女官を張り倒し、テーブルを叩いて憤慨する。

「それにっ! この種のレタス嫌いだし、パプリカも好きじゃないし! 今日の食事、とても不愉快! 料理長を呼びなさいっ」

 厨房から、怯えた様子の料理長と料理人が出てきた。見るなり、マローは勢いよく傍らの水を二人に向かって投げつける。姫の凄まじい怒りに、皆は震え上がる。
 止められる者など、誰もいない。
 マローは癇癪を起し、金切り声で二人を責め立てる。

「やめなさい、マロー」

 このままマローの怒りが収まるのを待つしかない、と腹を括っていた皆はきっぱりした語気に静まり返る。
 ドアが勢い良く開き、息を切らせてアイラが入ってきた。先程まで乗馬を嗜んでいたが、騒ぎに気付いた騎士の一人が、血相を変えて連れて来た。機転を利かせたのだろう、アイラとマローの性格を把握出来ている騎士だ。
 しかし、アイラの登場に胸を撫でる者達は多くはない。寧ろ、忌々しく睨みを利かせている。

「アイラ様、マロー様に何を告げるおつもりですか。マロー様のご機嫌を損ねた料理人たちは、それ相応の処遇を受けるべきでしょう」

 すぐに、険悪に尖った声がアイラに幾つも浴びせられた。
 けれども、アイラは怯まずに真っ直ぐにマローへ歩み寄った。
 止めようとした者達を、アイラの騎士達が行く手を阻んだ。

「この方達が、丹精込めて作ってくださった料理です。口に合わなくても、床に捨ててはいけません。マローは知らないかもしれませんが、野菜は勝手に育つものではありません。誰かが時間を惜しんで一生懸命に育てた、尊い食べ物です。食事にありつけない人々もいるのですから、ありがたく戴かねば」

 真正面から、多少怒気を含んだ声でアイラはきっぱりと告げた。その声は、平素共に居るアイラの騎士達でさえ聴いた事のない、凄みのある声だった。物腰柔らかな明るい声など微塵も感じさせない、自然と背筋を正してしまうような威圧感に喉を鳴らす。
 しかし、マローとて負けてはいない。味方であるはずの姉が、大勢の前で叱ったのだ。混乱と羞恥心が混ざり合い、テーブルの上の食器を振り払いながら反抗する。

「だって、不味いもの! こんなもの、食べられないわ! 姫の口に入ってはならぬものよ!?」
「ですが、マロー。いつか、そのマローの苦手なものを食べなければならない時がくるかもしれません。それしか口にすることが出来ない状況下でも、貴女は捨てるのですか? 空腹を選ぶのですか? 餓死してしまうかもしれないのに? 少しずつ、慣れていけば良いのです。そもそも、パプリカを口にしましたか? 見た目は華やかですし、何より栄養価の高い素晴らしい野菜ですよ」
「食べなくても、美味しくないって解るのっ。好きなものだけ食べて生きていくのっ」

 二人の口論は続いた。
 アイラは冷静だが、マローは完全に頭に血が上っている。

「アイラ様、出過ぎた真似はお止めなさい。この国は、マロー様が統治されます。頂点に立つマロー様の言い分が最も正しいのですよ」

 周囲から飛んだ、誰かの一言。
 瞬間、室内は静寂に包まれた。
 あからさまなその言葉に皆が口を噤み、気まずい空気に俯く。
 けれども、アイラは臆しなかった。マローを見据えたまま、その声の持ち主を特定したのか、それとも偶然なのか。ゆっくりと首を動かし、誰かを憐れむような瞳で見つめる。静かに、しかし凛とした声を発する。

「頂点に立つ者の我儘を全て聞き入れていては、国は傾き滅亡へと追い込まれます。マローが統治することに異存はありませんが、姉として人の心に触れ、痛みを感じられる妹であって欲しいのです。貴方達が、この国を愛しているのであれば、横暴な振る舞いをする者に生活を預けるのですか? 心から信頼し、護りたいと思う主君であるからこそ、頑張れるのでしょう? 違いますか? マローは、国民を魅了する器量を最初から備えています。ですが、それに加えて、自制心及び自戎心を持ち合わせていたらどうでしょうか。国を、民を思い、幅広い意見を聞いて皆を先導する妹になって欲しいと願う事は愚かですか? ……貴方達も同じではありませんか? そういう女王であって欲しいと願わないのでしょうか?」

 その人物を説き伏せようとしたのか、その場にいる全員を対象にしたのか。少なくとも、その場に居た者達は戦慄した。室内は、息苦しい程に静まり返る。
 アイラは、間違ったことなど言っていない。傍若無人な振る舞いの権力者によって、潰れていく国は過去に多々あった。
 呆然とアイラの声に耳を傾けていた皆だが、何処かで誰かが呟いた。

「偉そうに……マロー様に説教などと、烏滸がましい」

 声の主を捜すべく、アイラの騎士達は反射的に手を柄にかけた。辛うじて堪えた者もいたので、必死に他の騎士に堪えるよう小声で注意を促したのだが、遅かった。

「呪いの姫君は、暴力で解決しようとしている! 騎士達は翻弄され、すでに手中にあり」

 騎士達のその振る舞いが、アイラへの厳罰へ直結する。主君を下卑され憤慨する騎士達を、皆は快く思わなかった。呪いの姫君は、正当な言い分すら聞き入れてもらえない。
 小さなざわめきが、大きな罵詈雑言になり部屋中を埋め尽くす。
 しかしアイラは気にすることなくマローに振り返ると、困惑して微笑んだ。

「マロー、少し考えてください。貴女ならば、私の言った意味が解りますよね?」

 唇を噛み、マローはぎこちなく頷いた。だが、釈然としていない。自分は姫なのだ、何故、我慢せねばならないのだろう、と。
 もし、予言がなければ。国の頂点に立つ器であるのは、アイラだと皆思うだろうに。誰でも、他者を気にかける王族が良いだろうに。

「マロー様は気にせずとも良いのですよ。お好きなものだけを選りすぐって、当然ですわ」

 近寄ってきた女官は床に散らばった皿と料理を片付けながら、わざとらしくアイラを突き飛ばした。
 まるで奴隷の様な扱いに憤然としたミノリが、剣を僅かに引き抜く。しかし、仲間の騎士が懸命に「堪えろ、堪えるんだ」と手を重ねて制止するので、断腸の思いで歯を食いしばる。目を血走らせながら荒い呼吸を繰り返し、辛うじて剣を収めた。自分達の行動でアイラが非難されることなど、目に見えている。
 しかし、アイラは気にする様子がない。

「アイラ様、お戻りくださいませ。今はマロー様がお食事中です」

 一瞥し、アイラに頭を下げた女官は酷薄な笑みを浮かべる。
 ここは食堂だ、アイラとて食事をする権利があるのに、何故追い出されるのか。不当な女官の言葉に騎士達は最早怒り心頭である。愚弄に耐えらるほどの忍耐を持ち合わせていない。
 アイラは密かに溜息を吐き、項垂れている料理長達に謝罪の言葉を投げかけた。

「申し訳ありませんでした。処罰などありませんから、仕事場にお戻り下さい」
「アイラ様、何を勝手に。マロー様からのお言葉がまだです、料理長たちは残りなさい」

 今にも卒倒しそうな料理長は、女官の言葉に硬直し、震えながら俯いている。料理人は涙を流しながら床に崩れ落ち、嗚咽を漏らしていた。
 それでも、アイラは引き下がらなかった。料理長達の前に立つと、両手を広げる。
 敵意をむき出しにした瞳で、女官らはアイラを睨み付けた。

「彼らは、故意に料理を出したわけではありません。何故そこまで咎めるのですか」
「マロー様の機嫌を損ねたから、です。この国では、マロー様こそが至高。アイラ様、不愉快です、下がりなさい。貴女にそのような権限はありません、嵩高な物言いはおやめください」
「……権限? 嵩高?」

 アイラは、吐き棄てる様に告げた女官を哀れむように見つめる。

「母様がご不在なれば、妹を正すのは私の役目でしょう。一応マローの姉ですので、この城での権限は貴女よりはあると思います」

 正論である。
 堂々とした態度のアイラに、流石に女官は言葉を詰まらせた。 
 一呼吸おいて、アイラは唇を開いた。怒気の籠もった瞳と、絶対的な声の威圧感。威厳に満ち、威風堂々としたその姿には誰も文句など言えない。
 騎士達は深く頭を垂れて、溢れそうな涙を堪えていた。姫は、間違った事など告げていない。姫の言葉で、狂気の沙汰としか思えぬ国の方針を正して欲しい、と願をかけた。

「マローに言われるのならばともかく、貴女に言われる筋合いはないと思います」

 女官はさっと顔色を変え、小刻みに震えながらアイラを睨みつける。しかし、声が出ない。口は半開きで止まった。反論しなければ、と女官は思ったのだが、口がそれ以上開かないのだ。
 それを知ってか知らずか、アイラは再び口を開く。

「誰だって、幸せに暮らしたいものです。違いますか? けれど、自分が出来る事には限りがあります。先程のマローの一言で、料理人様達は無論、ご家族の方も路頭に迷う事になっていたかもしれません。それは、誰かが止めなければならないことです。それが出来る人物は、現時点で私しかいません。位が上の者は、下の者から崇められるからこそ、護らねばならないと思うのです。貴女なら、解るでしょう? もし、解らないのであれば少し頭を冷やして、考えてください」

 シン、と冷たい空気が張り詰めた。女官は恐怖を覚えた、周囲も息を飲むことすら恐れて黙り込んだ。
 アイラの騎士達だけは、満足して微笑み、誇らしく平伏している。

「やれやれ、余計なことを」

 いつの間に来たのか、トライがミノリの隣に立って苦笑している。騎士達の視線が自分に集まったので、鼻で笑って口を開く。その騎士達にしか聴こえないように、小さく。

「これで、多くの者がアイラに“畏怖”の念を抱いただろう。しかし、こうも思った筈だ。『このお方は、本当に呪いの姫君なのか。慈悲深く、国民に慈愛を注いでいるにも関わらず、国を破壊する呪いの姫君なのか』……とも。アイラは、接した者を虜にする不思議な魅力を持っている。そうなると、オレが国に連れて帰り辛くなる。困ったことをしてくれた、見ていてスッとしたのは確かだが」
「それは、トライ王子の希望ですよね。オレはアイラ様がこの国を統治されたほうが……良いです。だからこの国にいて戴きたいのです」

 仏頂面のミノリにトライは鼻で笑うと、気にすることもなく室内を見渡した。青褪め、項垂れている者達が、多々いる。皆、アイラに対して先日までとは違う態度で接するだろう。トライは壁にもたれたまま、敵陣を見据える様に様子を眺めていた。
 そこへ、沈黙を破ってドアを開いた者がいた。当然、一斉に注目を浴びる事になる。

「火急の件につき、恐れながら失礼致します! ラスカサス国の第四皇子リュイ・ガレン様よりの使者殿が謁見をと申しておられます!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み