まさかの同一方向へ
文字数 6,295文字
トビィは鬼のような形相で馬を走らせ、翌日の朝方ジェノヴァへと舞い戻った。無論、飲まず食わずで不眠だ。馬に苦労を掛けてしまい、申し訳ないとは思った、しかし、一刻の猶予もない。
目的は、ただ一つ“アサギ奪回”。
その為には魔界イヴァンへ行かねばならない、魔王ハイの居場所はそこしかない筈である。
魔界イヴァンは、惑星クレオの南半球に位置する島だ。
魔界へ誰が好き好んで船を出すものか、陸路は勿論、航路ですら不可だ。自身で船を購入し人員を雇えば可能となるが、莫大な費用が必要となる。
だが、ドラゴンナイトであるトビィには、確実な方法があった。それは相棒の竜達と合流し、空路でイヴァンへと向う方法だ。
ジェノヴァで聞いた噂によると、コスルプ及びヴァルトロメオ周辺の海域に竜が現れる、とのことだった。竜達の種類からしても、間違いなくトビィの相棒達であるという確信はあった。黒竜デズデモーナ、風竜クレシダ、水竜オフィーリアの三体と合流出来れば問題はない。問題は彼らの居場所まで、どうやってそこまで行くかだ。先日、コスルプ行きの船は休航だと聞いている。
物事が上手く行かず苛立ち、トビィは焦っていた。とりあえず冷静になり、落ち着いて考えるほかはないと判断し、休息及び睡眠をとるために宿を探した。思えば空腹でもある、脳の回転が悪いのもそのせいだろう。宿付近の手頃な飲食店に入ると、適当に注文した。
椅子に深く腰掛け、安堵の溜息を軽く吐く。瞳を軽く閉じて、呼吸を整える。最短で竜に会える道を探すのだ。本来の自分を取り戻せば、すぐに妙案が浮かぶはずだと言い聞かせる。自信があった。
地図を開きながら、運ばれてきた料理を口にする。危険な道でも構わなかった、それでアサギと会う時間が短縮出来るのであれば。
出てきたものは叩いた豚肉にトマト、ニンニク、タマネギを香辛料で辛めに仕立ててある煮込み料理だ。それを小麦粉を水で練って焼いたものに添え、食べる。相当辛い料理であったが、トビィの脳内にはクレオ全土の地図が張り巡らされており、辛いかどうかすら判別出来ていない。腹の足しになれば何でも良かった。平然と食べ続けるトビィに、周囲が拍手を送り、気前の良い者は酒も差し出してきた。騒ぎ立てる周囲をものともせず、地図との睨み合いを続ける。
左手に地図、右手に酒、そして悩み込む姿は周囲の女達をざわめかせた。怜悧な瞳、整った顔立ち、衣服の下に隠されている無駄のない筋肉、整った容貌。少年と青年の中間の危うい香りを醸し出している、危険そうな男が独り。
艶かしい男の色気を放つトビィに、我先にと女達は媚を売る様に近づいた。
しかし、今は情欲に駆られた女達の相手をしている場合ではない。
ヴァロトロメオ、とは広くはない孤島である。現在トビィがいるファンド大陸中の港から本来ならば船が出ている筈だが、竜騒ぎで休航中。ジェノヴァからは休航だが、他の港からはどうなのか、そこが重要だ。骨折り損だけは避けなければいけない、時間の無駄である。
全航路を把握すべく、トビィは食事を終えると色めき立つ女達を他所に直様港へと直行した。
急坂を上り、緩やかな道を辿っていくと、潮の香りが漂い始める大きな道に出た。一気に下るともう港である、船員達が焚き火で獲れたての魚を焼き、豆を煎り珈琲を飲んでいる。
船員達に行き先を告げると驚愕と好奇の瞳で見られたが、親身になって教えてくれた。
カナリア大陸のドゥルモへ出航予定の船があるのでそれに乗船、到着後陸路で北の地フランドルへ赴き、そこから船でコスルプへ移動すべきだ、と指示される。圧倒的に安全で、最も敏速な行動が出来るそうだ。
しかし地図を見つつトビィは顔を大袈裟に顰めた、結構時間がかかりだ。それでも、それが最良らしい。
「竜達がどうも南下しているらしいんだよな。だから、その経路ならば可能なんだ」
カナリア大陸と言えば、先日不穏な噂を聞いたシポラ城がある大陸でもあった。不審に思っていたトビィは、可能ならばそちらも調べようと心に決める。本来ならば無視したいところなのだが、どうも気になる。破壊の姫君、という単語がどうも心に棘の様に刺さっていた。
キィィィ、カトン……。
妙な音を聞いたが波で船が揺れて何かと擦れた音だと思い、特に気にしなかった。船員に礼だけ述べると、長居は無用と踵を返す。
トビィがここまで乗ってきたハイの馬も金を払えば船に乗せてもらえる、しかしこの馬を売り払い、その金でカナリア大陸で別の馬を購入したほうが効率が良い。船の出発は二日後の朝だ、馬を売り払い棒の様な足で宿へ戻ると、ベッドに倒れ込んだ。夕方頃起床し、情報収集に向うつもりで、今は死んだように眠り続ける。
トビィよりもかなり遅れて、アリナ達はジェノヴァへと戻ってきた。
馬車は旅が一番苦しいであろうライアン達が使用する事になり、一応解体して二台に分けたのだが、多少ガタのきたほうを貰い受けた。馬も、力強そうな馬をライアン達に引き渡した。アリナとクラフトが交代で馬車を操り、途中魔物との戦闘に苦戦しつつようやく到着したのだ。
蒸し暑くなる前の明け方で、太陽が地平線の彼方から顔を覗かせていた。ほぼ睡眠をとらずに、馬車で移動した為、皆極限状態である。
食料もほぼライアン達へと受け渡した為に、干し肉とパンと水で我慢した。しかし、アサギという友達がいなくなってしまった以上、勇者達は小さいとはいえ覚悟を決めたので、誰も不平を言わなかった。
間近に城壁が迫ると、無事にジェノヴァに帰還出来た事に喜びを覚える。今すぐにでも腹いっぱい食事を詰め込み、ベッドに倒れ込みたい。
だが、港へ赴き、カナリア大陸への出航時間を聞けば数時間後、とのこと。運が良かった、休憩せずに聴きこみに来て良かったと思うと、多少疲労が薄れた気がする。
カナリア大陸へ渡るメンバーはアリナ、クラフト、ミシア、ダイキ、サマルトの五人である。その為、ジェノヴァに滞在するムーン、ブジャタ、ケンイチ、ユキの四人と別れの食事をした。固定式の屋台食堂で、質素だが別れを惜しむ暇すらなく。ご飯の上に並べられた好きな惣菜をかけて食べる、というセルフ式の屋台だ。カレーや煮物、炒め物とバラエティにとんでいる。
空腹よりも睡魔が勝っていた勇者達だが、流石に鼻から美味しそうな香りを吸い込むと、無我夢中で腹に詰め込み始めた。畏まった店よりもこういった店のほうが、子供の勇者達にとってはありがたい。
ここで別れ、アリナ達は船に乗り込み、船室で睡眠をとることにした。
ブジャタ達は手頃な長期宿を手配し、そこに暫く滞在することとなった。
アリナ達が乗船してから数分後、トビィが同じ船に乗り込んだ。客室の場所も違う、トビィとアリナ達。まさか同じ船に乗っていようとは、夢にも思っていなかった。
「ダイキ! 頑張れよ」
「あぁ、ケンイチとユキもな!」
別れた後、すぐにダイキは緊張した面持ちでベッドに転がった。船の上から見送ってくれた友達に、精一杯手を振った先程。思い出すと泣けてくる、しかし涙を堪えた。知らない場所で、一人きり。急に不安が押し寄せてきたが、それでもダイキは歯を食い縛る。アサギを思い出せば、怖くない気がした。
自然と、ダイキは過去を思い出していた。アサギとの出来事は、鮮明に思い出すことが出来る。
「アサギ……きっと、アサギのほうが心細い」
寝息を立て始めたサマルト、クラフトとは同室だ。眠いはずなのに、緊張して眠れない。仲間はいるが親しい人がいないので、一人旅のような感覚に陥った。やはり友達がいないというのは寂しい。けれども無理やり瞳を閉じれば、数分後には夢の中へ誘われる。疲労には、勝てなかった。死んだように、ダイキはほぼ丸一日眠った。
船は悠々と進む。
波間をぬって、大海原をゆったりと。純白の薄い雲が船旅を和ませてくれた、雲の形を見ながら色々と何かに例えてみたりすると、結構退屈凌ぎになる。安穏な旅に、人々はすっかり安心していた。魔物達が人々を襲い、場合によっては魔族が村を壊滅させるというこの時代。
ブラシを担ぎ、甲板を掃除している船員達は、太陽の暑さに身を焼かれる思いで汗を流しながら働いていた。時は正午、早々と食事を終わらせた客達がちらほらと甲板に姿を現す。そんな彼らを見て、船員らは肩を竦めると「照り返しが強いこの時間によくやるよ」と苦笑いする。食事に行けない船員達は、満腹になり笑顔でまったりとベンチに座っている船客を見ては、唇を尖らせる。
酷である。船員達の食事は、まだ先だ。交代で食事を済ませるが、若手は最後の為夕方に近い時間に昼食をいただく、それまで耐えねばならない。
「腹減ったー」
船員の一人がぼやいて、ブラシに寄りかかりながら瞳を閉じる。友人が懸命に掃除をしながら、苦笑いで「我慢我慢」と励ました。滝の様に流れる汗を拭いながら、給料を貰い生きていく為に身体を動かす。
「歌おうぜ、せめて気分だけでも明るく。なんだそのやぼったい表情は、仕事しろよ。まるで今の空みたいだぞ」
「空? あれ? 本当だ、曇ってきやがった」
先程の青空は何処へやら、瞬く間に暗雲立ち込め、光を遮る。二人の船員はすぐさま神妙に頷き合うと他の船員達と合流すべく駆け出し、マストの安全を確認する作業に入った。掃除は一時中断である。
ブラシを道具入れに押し込み、敏速に個々の持ち場へ向う。
「安閑としていられないぞ! 一雨来るっ」
騒ぎ出した船員達に、客達も早々に船室へと戻っていった。うろついていた子供を抱き上げ、最後の客が甲板から姿を消すと、静まり返る甲板。
不気味である。
雲を見る為に気象予報士が甲板へ上がってきた、風と雲の動きを瞳を細めて眺めている。空は不気味な色に覆われた、間違いなく何かの前触れだ。
「これは! でかいぞ、大嵐だ! 見ろ、あの空の色。今に降り出す、雨脚で終わりそうもない」
声を荒立て気象予報士が叫ぶと、それをきっかけに大粒の雨が降り出す。まるで矢の様だ、露出した肌に痛いほどぶつかってくる。かなり急激に気温が下がった、非難の声を上げながら嵐に備え準備をする船員達。急な天気の崩れは幾度も体験しているが、これは酷い。身体を雨曝しにしたまま、作業を懸命に続ける。暑かったはずの気温は、今は下がり続けて歯が鳴る程寒い。
「船長、これは久々にでけぇ嵐ですな!」
「覚悟しておくがいい、侮るな、嵐だけでは……すまんぞ」
甲板に上がってきた船長が、重々しく吐いた。その神妙で凄みの有る言葉に、船員たちは震える。遥か水平線を必死で見極めようと瞳を細める、額の雨を拭いながら、遠くを睨む。熟練された、人を圧迫する視線の先に捕らえたものは何か。
船室でも、不安そうな客達が絶えず話をしていた。船の傾きが大きくなる、不気味に船体が軋む。
無論、船室でトビィも耳を済ませていた。身を起こし、グラスの中のワインを飲もうとしていたのだが、深紅のそれが血液のように揺れて蠢いている。
傍らで女が小さく呻いて寝返りをうつと、トビィの腰にしなやかな腕を絡ませ猫のようにじゃれついた。気にも留めず一気にグラスの中のワインを飲み干すと、女の腕を払い除けてベッドから這い出る。
「待って、トビィ。酷いわ、何処へ行くの? まだ」
憤慨した様子で余韻の残る女は切なそうに、顔を紅潮させて叫んだ。
衣服を身につけつつ、嘲笑うように振り返るとトビィはこう告げる。
「別に大したことじゃない、直ぐに戻る」
その一言に、女は安堵の溜息を漏らした。胸を撫で下ろすと艶やかに息を吐きながら「待っているわ」と小首を傾げて手を振る。その隠していない豊満な乳房が、弾んで揺れた。部屋を出て行ったトビィを見送ると先程の情事を思い出しながら、ベッドに肉体的疲労で倒れ込む。
「信じられない、あそこまで凄いだなんて……」
呟き、うっとりと瞳を閉じると女は小さく笑った。髪をかき上げ、自分の身体を抱き締めトビィを思い出す。顔が抜群に好みだったが、身体の相性も想像以上によかった。恐らく、トビィは『自慰行為の代わり』程度にしか思っていないだろうが、それでも構わない。この船旅が楽しめるのならば、それで良い。
「早く戻って、トビィ」
トビィと床を共にしたこの女、名前をロザリンドという。
船に乗り込み、甲板で吟遊詩人の詩を聞いていたトビィは、「もし」と声をかけられた。怪訝に振り返るとそこには、金髪に豊満な肉体を見せ開かすような身体にフィットするドレスを身に纏った、情婦のような女が笑みを浮かべていた。「占い師よ」と言うその女は、退屈凌ぎにとトビィを部屋へ招いた。出会いの記念に、と上等なワインを勧められて二人で呑む。
トビィがとった部屋よりも上等で、金を持て余している女の一人旅だと解釈し、勧められるがままに一通りワインを愉しんだ。しかし、女は本当に占い師だったらしく、暫くするとカードを持ち出した。
それで生計を立てているのだろう、的中率が高い人気な占い師だと判断した。それとも、口が上手いだけのイカサマか。
「何を占おうかしら? 私達二人の未来?」
くすくす笑う女に、トビィもにこやかに笑い返して一言告げる。
「オレと愛しい想い人の未来を」
女は唖然と口を開き、わなわなと身体を震わせた。顔を赤らめ、非難の目でこちらを見ている。
瞬間、トビィは立ち上がると眉間に皺を寄せた。
「勘違いするな。悪いな、オレが本気なのはアサギだけだ。遊びの相手なら何時でもしてやるが、独占しようなどと考えるな」
面倒だから、と呟き、冷ややかな視線を投げつけるトビィに、女は歯軋りする。
他の女の名をああも優しい笑みで言われては、こちらが恥ずかしくなる。けれども、自分が蔑まれてもそれでも繋ぎとめていたい様な男だった。稀な美貌の持ち主、見ているだけで圧倒される存在感、夢中で嘗め回したい引き締まった身体。
女は、再びトビィを見つめた。
もともとこの船旅でのただの遊び相手だ、本気になる筈もないし、第一年下である。女は冷や汗を額に浮かべながら、それでも、ベッドへと誘った。
口付けを拒み、衣服を全部脱いだわけでもない、そんな扱いを受けても、尚。女は、トビィに溺れた。
こんな男、見たことがない。まだ若いのに、全てにおいて完璧だ。
唯一癪なのは、堂々と「愛する女がいる」と言い放つところか。身体は許しても、唇は許さない、つまり他の女はトビィにとってただの性欲の捌け口でしかない。
それでも。
女はその船室で、トビィを待っていた。思い出すだけで、子宮が疼き、秘所から蜜が滴ってしまう。
待ちきれなくて衣服を着ると、トビィの後を追いかける。男を追いかけてみるなんて、久し振りだった。
「拙いわね、久し振りに本気になりそう」
苦笑いした女ロザリンドは、小走りに紫銀の髪の男を探す。
船体が、大きく傾いた。
※挿入イラストは数年前に戴いた同人誌用の原稿です(*´▽`*)
トビィ。