外伝2『始まりの唄』27:唄の途中
文字数 10,127文字
「アース……アース。君は、何処に」
「お、おい落ち着けよ、オレ! オレ? オレ?」
目の前が発光し、記憶の断片が甦る。
緑の髪の愛しい娘は、どんなに魅力的でも決して汚してはならない神の申し子。そんな女が愛しくて、精神が狂いそうな程に恋焦がれた。
『初めて創った果物はマスカット、ニ人で口にして微笑んだ。
スープを作ってくれれば、あまりの美味しさに褒め称えた。彼女は恥ずかしそうに笑った。
急に降り出した豪雨に慌てて木に隠れた、寒そうな彼女を抱き締めようとして、そっと触れた。
傍にいられれば、十分だった。彼女は、笑いかけてくれた。
けれど、ある日突然割って入る様に現れた年上の貴族に、彼女は直様懐いてしまった。それが気に入らなくて暫く距離を置いていたら、風の噂で聞いたのは。……信じたくはなかった彼女の裏切り。
「愛しています」
頬を染めて恥ずかしそうにそう告げた愛する娘は、もう、純潔ではなかった。
「愛すると言う事を、あの方に教えて戴いたのです」
彼女はあまりにも残酷な言葉を、いつものように柔らかな笑みを浮かべて告げた』
記憶の断片が、加速する。思い出すことを拒み、喉の奥から悲鳴を上げる。
『力任せに幾度も殴った為、身体中が青あざだらけ。歯は抜け、美しい顔も見るも無残に腫れあがった。微動だしない彼女をそのままに、自分は立ち去った』
立ち去った。瀕死の彼女を置き去りにして、何の施しも与えずに見捨てた。
「な、なんだよ、あの女が悪いんだろ?」
過去の記憶が“ほぼ”甦ったトダシリアは、引きつった声を出す。うっすらと以前から思い出していたが、胸が引き裂かれる激痛に襲われるため、全て受け入れることを拒んでいた。
火精は、泣きながら部屋を彷徨っている。寝台に辿り着くと、瞳を落として凝視する。
そこは、毎晩トダシリアがアリアを抱いていた場所。朝が来るまで、寄り添っていた二人の場所。
恐る恐る手を添え、壊れ物でも扱うように乱れていた敷布を優しく抱きしめる。そして、うっとりと瞳を細めた。
「な、何してるんだ、お前! 気色悪いっ」
同じ顔をした男が、見苦しい行動をとっている。寒気がして、慌てて止めに入った。
「彼女の、香りがする。お前も好きだろう、この陽の光を一身に受けたような匂い」
「は、はぁ!?」
「こうしているだけで、幸せな気持ちになれる……」
この男は、恐らく狂っている。自分も大概だとは自覚していたが、目の前の男よりマシだと痛感した。正直、関わりたくはないがこのままにしておけない。
「いい加減諦めろよ、目を覚ませ! あの女にどんな仕打ちを受けたのか憶えてるだろ、殺したいくらい、憎かっただろ!? お前、昔のオレだろ、愛していた女に裏切られ棄てられた、憐れで惨めな……」
叫ぶトダシリアだが、火精は耳を貸そうともしなかった。ただ、布を抱き締め続ける。腕が小刻みに震え、嗚咽を漏らす。
「逢いたい、逢いたい、抱き締めたい、抱き締めたい、最初に逢いたかった、誰よりも最初に逢いたかった。誰もいない場所に閉じ込めて、ニ人でニ人でニ人きりで。そうしたら、きっと」
これは、前世の自分。今まで守護精霊だと自覚していたのは、過去の自分だったらしい。しかし、女々しい男を見ると吐き気がするし、これが自分だと認めたくない。
「あの女は、トバエが好きなんだとよ」
皮肉めいてトダシリアが吐き捨てると、火精は微かに自嘲した。
「もし、ニ人同時に彼女に出逢っていたら。……彼女はどうしただろう。あぁそうとも、トバエは、気づいているのに。どうしてオレは」
火精が嘆きの瞳をトダシリアに投げかけた、その時だった。
身体が急に大きく揺れ、床に叩き付けられる。次いで、絹を裂くような叫び声が上がった。慌てて寝台を支えに立ち上がり周囲を見渡すと、火精の姿はもうない。夢だと思いたかったが、姿は見えずとも発光している物体が目の前に浮いている。
それは、過去の自分である火精の痕跡。
「どう、して。なぜ、なん、だ。記憶の、伝達、が、おか、しい、な、んでっ。オレ、はっ」
「な、なんなんだよ……」
途切れ途切れの言葉を残し、ついに消えてしまった。
「“記憶の伝達がおかしい”? どういう、意味……」
得体の知れない感情が湧き上がる事を恐れ、トダシリアは身震いした。嘔吐しそうなくらいに、脳内が掻き混ぜられる。整理しようとすると、激しい頭痛に襲われる。低く呻き寝台に倒れ込むと、妙に懐かしい香りがした。
「あぁ。確かに……。」
過去の自分と同じ様に、敷布をかき集めて抱き締める。鼻から空気を吸い込むと、温かな陽の匂いがした。そこに、微かに混じる花のような甘い香りはアリアのもの。彼を馬鹿にしたが、自分も同じ穴の貉だった。薄く嗤いながらも、酔いしれる。
しかし、外が割れる様に騒がしいので、よろめきながら立ち上がった。窓から外を見れば、夜だというのにやたらと明るい。
「……は?」
間抜けな声を出し、唖然としてその光景を見つめる。状況を認識するのに、時間を要した。再び、足元が揺れる。地震だということは分かるが、長すぎる。見れば、遠くの山が真っ赤に染まっていた。熔岩が怒涛のように天高く噴き上がり、宵闇でも解るほどに黒煙が天に禍々しく広がっている。
舌打ちし、トダシリアは部屋の外に飛び出した。天災に見舞われたことがあると記述で読んだことはあったが、まさか自分が体感する為になるとは。熱風と、灼熱の溶岩が凶器となり迫ってくるやもしれぬ。対策を練らねばと早足で歩いていると、殺気だった兵らに出くわす。
「トバエ王、万歳!」
一人が奇声を発し、突進してきた。慌てて避けるが、次々に兵士達は襲ってくる。舌打ちし応戦するが、数が多すぎる。混乱の隙に兵士達が一斉蜂起したらしい、まさかここまで不満が膨れ上がっていたとは思いもよらなかった。力でねじ伏せてきたが、トバエという同等の男が現れたことで、勢いづいたらしい。
「ッチ、屑どもがっ!」
口々にトバエの名を叫びながら攻撃を仕掛けてくる兵士達に、耐えがたい屈辱と怒りを覚え吼えながら火炎を操る。これくらい造作もないことだった、しかし、直ぐに身体が痺れだす。子供の頃から無意識のうちに操っていた火炎が、上手く扱えない。出現させるのに多大な精神を消耗していることに気づいた。火精が消えたからなのか、精神状態が不安定な為なのか解らないが、一時休息せねば危ういと悟る。
荒い呼吸で無様に駆けずりまわり、追っ手を巻きつつ、一つの部屋に逃げ込んだ。そこは偶然にもアリアが使っていた機織がある部屋だった。それを目にした瞬間に、笑いがこみ上げる。皮肉めいて首を横に振り、視線を逸らした。
数日前の自分は、ここでアリアの機織を見るのが好きだった。熱心な横顔は美しく、優美に舞っている様な動作に見惚れていた。だがそれはトバエを想っての事であり、だからこそ自然に悠々と動いていた彼女に絶望した。夫婦である二人の間に入る事など出来ないのだと、思い知らされた。彼らには、隙間が無い。どちらも、打ちのめしたところで活路を見出す。互いを、信じている。
愛し合っている。
結局、自分は何がしたかったのかと情けなく嗤った。道化のような自分が、酷くみすぼらしい。アリアが一時こちらを見てくれたのは、同情でありトバエの代わり。そんな愛情の施しですら嬉しく思う愍然たる自分に、反吐が出る。
「何がしたかったって? ……そんなの決まっているだろ、オレは」
疲労し、機織にもたれかかって喧騒を聴きながらそっと瞳を閉じる。
「あぁ、オレはアリアを愛している。オレ以外の誰も見て欲しくない、考えて欲しくない、つまり独占したい。願いが叶うなら、アリアに愛されたかった」
それだけの筈だった。けれど、どうしても覆せなかった。穢そうとしても、眩すぎるアリアはこちらの存在を飲み込んでしまう。
……今だけは、そっとしておいて欲しい。オレは、疲れた。
トダシリアは喧騒を聞きながら、急に老けたような顔つきで横たわった。か細い呼吸を繰り返しながら、微かにアリアの香りがするこの部屋で瞳を閉じる。
敬礼する兵らの間を縫って、トバエはアリアを追いかけていた。
「トバエ王、万歳!」
皆が口々にそう告げる度に、心が痛む。いつの間にこんなにも崇拝されていたのだろう、凶王ゆえに仕方がないとは思うが、異様に思えた。
「全く……オレがどういう男か知らぬ癖に」
無駄な期待をさせてしまったことを後悔するが、トバエでは彼らを救う事が出来ない。
「悪いな、オレはお前達の王にはなれん」
位の高そうな兵を見つけると、隠し持っていた短剣を手渡す。
「ここで王家の血筋は途絶える。身勝手な事を言ってすまないが、よき国を創れるよう、祈る。だが、まずは生き延びる事が先決。……噴火を侮るな、黒煙は空を覆い尽くし陽の光を遮断する。火山灰が降り注ぎ、作物は死ぬ」
兵らが引き留めようとしたが、トバエは彼らを振り切った。
「オレは、王になる為に産まれてきたのではない。彼女に寄り添い、護る為にここにいる」
自分の勘を信じ、アリアを追った。
ようやく、地震に悲鳴を上げ逃げ惑うアリアを見つけた。余震が続いており、どうしてよいのか解らず彷徨っていたのだろう。気がつけば二人は、屋上にいた。
「アリア、止まれ、アリア!」
トバエの声が聞こえるが、アリアは振り返ることなく逃げた。合わせる顔などない、逢いたかったのに、逢えない。それでも、知っている。
夫は、何があっても自分を追ってきてくれることを。だからこそ、余計に逢えない。
「来ないでトバエ! トダシリア様が言うように、私、私……最低なのです! 気高く清らかな貴方の妻である資格がないっ」
「オレは気にしない! アリアが傍にいてくれれば、それで構わないっ」
そう言われても、無理だ。いっそのこと、潔く捨ててくれたほうが気が楽。トバエが赦しても、自分は赦せない。怪我人だったとはいえ、体力に差がある。アリアは呆気なく追いつかれ、力強く抱き締められた。どうしようもなくて泣き喚くと、落ち着かせるように頬を撫でてくれる。
「気にするな、“過去の事”など忘れ一緒に生きよう。オレは平気だ、自分を卑下する必要は無い」
アリアの身体が、大きく震える。
トバエは苦笑いし、一瞬泣きそうになって瞳を閉じた。覚悟を決め瞳を開き、固唾を飲み込む。感情を押し殺し、冷静さを装って口にした。
「落ち着いて、アリア。昔の様にオレの名を呼んでごらん、大丈夫だ、オレは何処にも行かないから」
昔の様に。そう告げられたアリアは我に返ると、衣服を握り締め小さく名を呼ぶ。
「……トバエお兄様」
一瞬唇を噛み締め、悔しさを堪えたトバエだが、安堵してアリアの髪を撫でた。
「そう、オレはアリアの兄。……兄は、妹を護るもの。だから、一緒にいよう。自分を責めなくても良い、オレは最初からアリアの兄。……アリアがトダシリアを愛していても、気にしない」
アリアに言い聞かせたのか、自分に言い聞かせたのか。
驚愕の瞳でアリアが見上げると、トバエは昔のように微笑んでいた。
「ここは危険だ、一緒に帰ろう。アリアがトダシリアを想っていても……夫婦でなくても構わない。兄のままでもよいし、アリアが望めば喜んで夫婦に戻る。オレはただ、アリアの傍にいたい」
決意を、そして、本心を伝える。嗚咽するアリアの髪を背を、唇を噛締めトバエは撫でた。
トバエにとって、アリアが悲しみに沈むことが一番堪える。想いは違えど、彼女が無事であり、穏やかな笑みを浮かべているのであれば構わない。出来ることならば、助けを求められればすぐさま手を差し伸べられる場所に居たいとは思ったが。
「もし……あの日。あの村に、オレとトダシリアがニ人で訪れていたら。間違いなく、アリアはトダシリアを選んでいた。兄の立場を利用して、懐いている君を半ば強引に妻にしたのは、オレだ。アリア、君はオレを信頼し、家族同然だと想ってくれた。それを恋愛感情だと錯覚しても、仕方がない」
そう呟くトバエの声は、アリアの嗚咽に掻き消される。
トバエは深い溜息を吐いた、口にした己の言葉に心を抉られる。アリアの本心は、本人にしか分からない。男女間の愛情か、それとも、兄妹としての愛情か。身体の関係があったとはいえ、半ば強引だった。錯覚していても、おかしくはない。
トダシリアが告げた通り、あの村では恋愛相手が限られていた。相手は最初から決まっているようなものだった。
「
自嘲気味にそう小声で告げたトバエは、置かれている状況に気づき血の気が引いた。噴火だけではなく、近隣の河が氾濫し水が迫っている。海から離れているこの地だが、津波の勢いが河に入り、逆流してきたらしい。地震による津波の恐ろしさなど、知らなかった。
「アリア、逃げるぞ! 流石に拙い」
しかし、何処へ逃げるというのか。
トバエが焦燥感に駆られて叫んだ時だった、再び地面が揺れたのは。倒れ込んだニ人の足元が崩れていく、建物が崩壊し始めた。
気味悪く揺れる視界に、アリアは耐えられず嘔吐した。
舌打ちし、トバエは腕を伸ばす。けれども、それは虚しく宙をきる。
その手をとらず、アリアは泣きながらトバエに微笑んだ。
トバエの顔色が、一気に蒼褪める。あの表情を、以前も見た気がした。感情を無理やり押し込み全てを諦めた、一番させたくなかった表情だ。アリアのその憂いに塗れた表情を見た瞬間、どう足搔いても終わりだと悟る。
「私、いい加減で、ごめんなさい!」
「気にしないと言っただろう! 悪いと思うならオレの傍にいろ! オレはそれで」
「でも、夫婦になったのに、他の人に心変わりするなんて、神様が許してくれないです」
「オレが気にしないから構わない、神なんてどこにも存在しない! もうオレが神とやらでいいだろう、それでいいから」
「……トバエお兄様ったら、トダシリア様みたいなこと、言うんだね。いつも、護ってくれて、ありがとうございました。大好きです」
やんわりと、アリアは花の様に微笑んだ。それは、空気に溶け込み消えてしまう様な、儚いもの。
トバエは、呼吸を忘れた。美しすぎるその表情は、この世のものではない気がする。容易く壊れそうなそれは、手が届かないものに思える。
アリアは懐から何かを取り出し、トバエに投げた。
「頑張って織りました! 使ってくれると、嬉しいです。どうか、無事で!」
反射的に受け取ったトバエが次の瞬間見たものは、身投げをしたアリアの姿だった。
「アリア!?」
なりふり構わず走ったトバエは、懸命にアリアを救おうと走る。
「あんなに優しいトバエお兄様を、酷く傷つけたのに。一緒に居てもいいなんて、そんなこと。例え神様が赦しても、私は決して赦さない」
アリアの声は、誰にも届かず。忌々しい自分を憎み嫌い、腸が千切れそうなほどの怒りを自らにぶつける。
トバエの視界から、アリアの姿は完全に消えた。
受け取ったものを堅く握り締め、すぐさまトバエはアリアを追い躊躇することなくそのまま身を投げる。彼女が生きていないのならば、自分の存在価値がないことを、知っていた。
アリアが織った額あてを強く握り締め、使えなかったことを悔やむ。前髪が邪魔にならず、汗も吸い取るので様々な模様でアリアは織ってくれた。何枚か持っていたが、その一枚を今でもトバエも額に撒いている。
これは、二人を繋ぐ絆の証。
夢を見た。
そこは、山奥の名もなき村。小さな黄色い花が咲き乱れている崖で、いつものように遊んでいると人の気配がした。振り仰いで見れば、紫銀の髪と瞳の少年が立っている。
懐かしくて脇目もふらず崖を駆け上ると、アリアは彼に抱きついた。
多少たじろぎながらも、彼は優しく抱きとめる。
『私は、アリア! おにーちゃんはなんてお名前?』
『オレは……トダシリア。よろしく、アリア』
フフフと、笑うと、二人はくるくると回る。初対面とは思えなず、顔馴染みである気がした。
やがてニ人はそのまま成長し、互いに愛を抱いた。小さな村の中で祝福され、婚約した。
やがてアリアの欲しがった楽器を探す為に旅に出たニ人は、行く先々で暖かな人々の心に触れた。
『時の王様が賢王で、皆豊かに平穏に暮らしているよ。曇りない眼と、広い心で見守ってくださる』
ニ人は王に心から感謝した。あの小さな村と同じように、何処へ行っても人々は穏やかである。それは王の知性ゆえなのだろうと思った。誰しもが辛い事もあれども、大きな争いもなく過ごす事が出来る。素晴らしい世界だった。
楽器作りの盛んな街に到着したニ人が、その仕上がりを待つ為に滞在していると、その王がやってきた。時折王自ら国の隅々の街や村へ出向き、人々に触れ話を聴いているのだという。
『トダシリア!』
皆が感謝の祈りを捧げている中、懐かしそうに叫んだ王に皆が一斉に注目する。王であるトバエは、トダシリアの双子の弟だった。トダシリアとアリアの姿を見つけると、王であるトバエはそのまま歩み寄る。
『流石オレの弟、何処へ行ってもお前の評判は良かったよ。トバエに王位を譲って良かった』
『そんなことはない、まだ未熟だ。トダシリアはこの街で何を?』
双子の話は積もり、アリアも誘われて街の館で数日を過ごした。
トダシリアが王族であったことにアリアは多少驚いた、恐縮したが王子であろうと放浪の民であろうと、愛しいことに変わりはない。
とても仲の良い双子の兄弟であったが、周囲が双子は不吉だと潜めいていた為、トダシリアは幼き頃に自ら王位を放棄したのだという。
トバエはニ人に王都へ来て欲しいと懇願したが、あの懐かしい村へ戻りたいと丁重に断った。だが、年に何度かは必ず会うために王都へ行くと誓った。
それからアリアは、村で質素ながらも愛しい夫とニ人でつつましく暮らし、平穏な人生を送る。手に入れた楽器を奏でながら、畑を耕し、布を織り、家畜の世話をして反復した生活ながらも、幸せだった。
愛しているよと、毎日飽きもせず囁き合い、満ち足りた人生のまま幕を閉じた。
余程離れたくなかったのだろう、先にアリアが静かに息を引き取ったが、追うようにトダシリアも隣で息を引き取った。大勢の子供達に看取られ、同じ墓に入れて貰った。
命を授かったことに感謝した、トダシリアと出会えたことに感謝した。
自分を包む全てのモノに、感謝した。
そんな、あまりにも幸福で残酷な夢を見た。
もし、願いが叶うのであれば。
輪廻転生というものが存在し、次の時代でまた逢えるのであれば。
「邪魔にならないように、貴方を見ていたいです。見ているだけなら、良いですか。誰とも関わらずに居られたら、貴方は」
アリアは、そう願った。一瞬、トダシリアの姿が見えた気がしたが、気のせいだと微笑する。
「こんな私を、あの人が見つけてくれる筈がない。もう、名前すら……呼んでもらえなかった。こんな私では、私では、私では、幾ら望んだところで」
瞳を開き、気だるい身体を起こして偶然窓を見たトダシリアは、落下するアリアの姿を見た。一瞬、瞳が交差した気がしたが、気のせいかもしれない。唖然としていると、次いでトバエが落下してきた。手に、何かを握り締めて。
よろめきながら窓に近寄り下を覗き込めば、ニ人は手を繋ぐように寄り添って死んでいた。乾いた笑い声が出る「馬鹿な奴ら」と、うわ言を呟き、もつれる足で機織に倒れ掛かった。
空虚な瞳が、何かを捕える。何かを視ることすら怠く感じていたが、それだけ鮮明に飛び込んできた。アリアが織っていた物が目に入った、トバエに織っていたのだろうと、思っていた。
けれども。
目の色が変わる、光が灯る、それを見つめる。
それは、大きな布だった。作ろうとしているものが大きすぎて、どうしても糸が足りなかった。初めて挑戦した大掛かりなものゆえ、どの程度必要なのか把握出来ず、頻繁に購入することになってしまった。
大事そうにそれを引き寄せたトダシリアの瞳に、じんわりと涙が浮かぶ。
その綴織は、火を連想するような艶やかな赤い糸で縁取られ、国旗が縫われていた。丁寧で精密な模様の中に、紫銀で短髪の男の姿が縫われている。
トバエならば、長髪。だが、その男は短髪であり、トダシリアを示す。
アリアが時間をかけ一心不乱に織っていたもの、それはトダシリアに贈るものだった。トバエに贈りたかったいつもの額布は、手慣れていた為すぐに完成した。
衣服では高貴なトダシリアに相応しくないだろうと、何処かに飾れるものを織っていた。自分に出来ることが、それくらいしか思いつかなかった。未熟な腕では飾られず捨てられるのが目に見えていたが、どんな末路を迎えようとも精一杯想いを込めた。
口に出来なかった想いを、せめて布に託したかった。
「……っ!? え、あ……」
動揺し、全身が大きく震える。まさか自分の為に織っていたなどと、思いもしなかった。
「な、んで」
何故、伝えてくれなかったのか。そう乾いた唇を動かすが、過去の事を問い詰めても遅い。
アリアはもう、事切れている。
剣と鎧の騒々しい無粋な音と共に、兵士達が部屋に入って来る。
涙を零しながら、織物を優しく抱えたトダシリアは口角を上げて微笑んだ。
その風貌に皆息を飲んだが、狂王の首を獲ろうと剣を向ける。
煌めく刃を幾つも突きつけられると、トダシリアは喉の奥で笑い、そのまま身を翻した。小馬鹿にするように顔を歪めて舌を出すと、「お前らに渡す首など、ない」と豪快に叫んで勢いよく窓から身を投げる。
そして勢いよく地面にぶつかり、鈍い音を立てた。
兵士らが下を覗き込むと、まるで寄り添っているような三人の亡骸がそこにあった。至る所が潰れているが、アリアを護るようにトダシリアとトバエが倒れている。
二人共、満足して薄っすらと微笑んでいるように思えた。
『ある処に、美しい双子の兄弟がいました。王子として産まれたその双子は大変仲が悪く、離別することになってしまいました。
兄は残り、残虐な暴君として国を支配します。類稀なるおぞましい魔力により、近隣を支配したのでした。
弟は去り、名もなき小さな村で美しい娘と出会い、恋に落ちました。つつましくも幸せな暮らしを送ったのです。
やがて数奇な運命に導かれて、双子は再会しました。弟の妻となっていたその美しい娘に心奪われた兄は、街を破壊し弟を瀕死の状態に追い込み、彼女を手に入れてしまいます。死するかと思われた弟は、愛しい妻の必死の懇願により寸でのところで一命を取り留めました。
兄は、あらゆる手段を使ってその娘を手に入れようとしました。国王である彼は、今まで何でも手に入れてきたのです。
けれども、その娘は夫の身を案じて毎日祷りを捧げます。口を開けば、夫である弟の名を呼ぶ彼女に、兄はある種の憎悪を抱き始めていました。なんとかして、彼女の心を自分のものにしたい……兄は憑りつかれたように躍起になりました。それでも、彼女の口から出る名前は弟ばかりです。
ある日、兄は彼女を冷たくあしらいます。酷く蔑み、散々もてあそんだ挙句に弟に突き返しました。捨てられた彼女は、弟の元へと戻るにも罪悪感が邪魔して戻ることが出来ません。それでも弟は彼女に手を差し伸べました。弟にとって、彼女の想いが誰に向いていても愛すべき対象です。
彼女に心奪われ、周囲に目を向けなかった兄である王は、一度起こった民の反乱と天災によりその身を滅ぼす破目になりました。
地震、津波、噴火という大自然の前には、未知の能力を所持していた双子も為すすべなく、三人は息絶えたのでした。圧倒的な力で支配していた巨大な国は、一夜にして滅亡してしまいました。
身勝手な国王への天罰だと、遠い土地の民は呟いたそうです』
そして、始まる。終焉を迎えるまで、続く。
ギィィィ、カトン、トン、トン。