麗しのドラゴンナイト
文字数 14,949文字
迷惑そうに、一体の竜が再び水面下へと潜り込む。現在地は把握出来ていないが、この辺りの海は餌が豊富で水温も故郷に似ていた為、非常に過ごしやすい。水竜オフィーリアは、のんびりと瞳を閉じ波に巨体を任せて漂っていたが、呼び声が聞こえたので浮上し、嫌々ながらに顔を覗かせる。
「もう少し速く泳げるだろう、オフィーリア」
「眠いんだ、水温が心地良くてさー。僕、夜行性なんだよね。夜になったら高速で泳ぐからさ、昼寝させてよ」
「我慢しろ、早く主に合流すべきだ。これだから最近の若い竜は……」
深い溜息と共に言葉を投げかけてきた黒竜デズデモーナに不貞腐れたオフィーリアは、鰭をばたつかせて暴れると水飛沫を飛散させる。
未熟な幼い竜ゆえ、気苦労が絶えない。しかし、デズデモーナの悩みの種はこちらではなかった。
「私も休みたい故、良いのでは」
「クレシダがそんなことを言っていては、示しがつかないだろう! 自覚を持て。怠惰の頂点であるお前を見てオフィ―リアが育ったら、どうする!?」
通常通り、抑揚も緊迫感もない声でそう言い出した緑の風竜に、目くじら立ててデズデモーナは怒鳴り散らす。
けれども、クレシダには無意味だ。首を上下に揺らしながら、既に眠りに入ろうとしているようだった。飛行しながら眠れる事に感心している場合ではない、そんな器用さは不要である。
デズデモーナは我慢のならない憤激を抱いたが、懸命に堪えた。一応竜のまとめ役である、というより、他に適任者がいない。自分がしっかりせねばと叱咤する。
「これくらいで、堪忍袋の緒を切らしてはいけない。冷静に、冷静に……」
自身を諭すように幾度も復唱する、今にも血管が切れそうだが辛うじて堪えている。
「仕方がない。今は睡眠を十分に取り、今夜全力で駆けよう」
こちらが折れる事にした。怒りを抑えている為に声も身体も震えているが、クレシダとオフィーリアは気にも留めない。
「じゃ、起こしてね。寝て来るね、ここ、海藻がたくさんで気持ち良いんだよー、お布団なんだよー」
際限なく甘えるオフィ―リアだが、事態は急変した。本格的な眠りに入ろうと海中に沈んでいく時だ、探し求めている聞き覚えのある声が届いた。
「主!?」
反射的に瞳を思い切り開く、嬉しそうに手足を動かす。
「主! 主の声だ!」
「何だって?」
勢い良く浮上して興奮気味に首を回し、声の方角を捜して
いるオフィーリアに、何事かとクレシダとデズデモーナも海面に降り立つ。眠気は吹き飛んだ、この瞬間を待ち侘びていた。
オフィーリアは再度身体全体を海中に沈め、浮遊しながら主であるトビィを捜す。何処からか聞こえる、懐かしい人間の声は間違えようもない。
――オフィーリア、受け取れよ?
「やっぱり、主だ! 呼んでる、行かなくちゃ!」
弾かれたオフィーリアはクレシダ達に声をかけることを忘れ、聞こえて来た方角へと全速力で泳いだ。加速するオフィーリアに、二体の竜は空へと舞い上がって上空から追う。方向的には合っていたようだ、言葉を交わすことなく、三体の竜はそのまま進路を変えることなく突き進んだ。
三体の竜は、忠誠を誓ったドラゴンナイトを目指して突き進む。
水中戦ならば、絶対的な攻撃力を誇り、怯むことなく有利に事を運ぶ、水竜オフィーリア。
竜族最強、空中の覇者であり、鋭利な爪と牙に加えて漆黒の炎を吐く、黒竜デズデモーナ。
風の加護を受け、速度ならば右に出る者おらず、優雅に空を舞う、風竜クレシダ。
全ては動き出した、トビィの望み通りに。
毎日甲板にて船員達の訓練が続けられ、数日も経てば皆疲労しきって根を上げていた。豪快に笑う船長を遣る瀬無い気持ちで一瞥し、恨めしい視線を指導に当たっていたトビィとアリナに投げる。通常の労働に付け加えて、まさかの戦闘訓練、しかも極めて苛酷な教育だ。筋肉など、とうに悲鳴をあげている。
不平不満を漏らしていた彼らだが、数日後に見せたトビィとアリナの組み手が、船員達を大人しくさせた。
偶然時間が合ったので、人の訓練指導ばかりで自身の組み手相手を欲していたアリナは、トビィに一方的に攻撃を開始した。早い話、指導にも飽きてきて退屈だった。
呆れ顔のトビィだが、満更ではなさそうに軽やかに舞うアリナの攻撃を紙一重で避けると、そのまま同意するかのように打ち込み始める。途端に、甲板で歓声が上がった。
ダイキとサマルトも、初めて見る二人の戦いに唖然として息を飲んで見守る。
この船で最強の二人だ、眼が離せない。見ているだけで寒気が走った、正直次元が違うとも痛感した。取り入れたいとは思うが速すぎて見えない箇所も多々あり、二人の凄さを間近で実感するのみだ。
結局その日は、トビィとアリナの戦いに決着などつくことはなく、会場を沸かせたまま終了した。
「いつかはさ、本気でやろうな」
「気が向いたら、な」
アリナがからからと笑いながら、トビィの肩を叩き愉快そうに覗き込む。
トビィは、苦笑いで当たり障りのない返答をした。
こんな二人に指導されている、と刺激を受けた船員達は、ようやくやる気を出した。
そして無論ダイキとサマルトも以後は文句を言わず、黙々と指導を受けた。「いつかは、二人の様になりたい」と羨望の眼差しで見つめる。凡人ではない二人である、追いつくには無理があるだろうが、それでも言われた通りこなしていれば、自分も近づける気がした。
目標を見つけ、ダイキとサマルトは組み手を始めた。互いに叱咤激励したほうが、上達は早い。自らも進んで二人に特訓を依頼した。剣はトビィに、体術はアリナに。敵に武器を奪われても魔法に頼る前に攻撃が出来るよう、二人は熱心に日々鍛錬する。
気位が高いだけで、不真面目そうに思えたサマルトだが、存外真面目だった。成長したら、魔法が扱えないトビィとアリナよりも有利な場面が出て来るかもしれないと思うと胸も弾む。臨機応変に敵の弱点を掴み、都度攻撃方法を変えていけば可能になるだろう。
二人は夜になれば室内で書物を読み更け、惑星クレオの魔物の生態を憶えたり、クラフトに回復の魔法を習ったり、と勤勉に励んだ。
随分とこのメンバーで行動することにも慣れた、すると、攻撃の連携も上手く出来る。上々だ。数人で戦うのであればやはり信頼が重要となる。自己能力を最大限に発揮できるよう、互いに気遣う事も大切だろう。結局スポーツもそうだ、一人では戦えない。場所は違えど、やるべきことは同じである。
トビィは見た目からして軽薄で、最初は一人が好きなのだろうと、仲間など不要なのだろうと思っていたが、意外と面倒見が良い事にダイキは気がついた。訊けば答えるが口数は少ない、高飛車であったり、素っ気無いが、武器の扱い方はきちんと教えてくれるし、こちらを煽ってやる気を起こさせてくれている気がする。
人は見かけによらないんだなぁ、とダイキはトビィを見ながら感心していた。
「あの、トビィ」
「何だ」
ダイキは、ついに踏み込んで訊く事にした。
「前から気になってたんだけど、訊いてもいい?」
「内容による。話せ」
「何で……アサギのことに詳しいの? なんか、初対面じゃないような雰囲気だったよね?」
間近に居たサマルトも、アリナも、クラフトも。即座に顔を上げて二人の会話に聞き耳を立てた、誰しもが疑問だったことだ。
現在夕刻、食事を待つ間甲板で休息中の五人である。軽い溜息を吐きつつ、トビィは水平線に沈み行く太陽を眺めながら口を開く。
「逢った事があるからだ、それ以外に知り得る方法などあるのか?」
断固たる響きでトビィが告げるが、ダイキは大慌てで首を振る。
「辻褄が合わない、それは妙だ。俺達はここではなくて“地球”っていう場所に居たんだ。そこから勇者として、召喚された。アサギだけ最初に来たわけじゃない、一緒に来たんだ。会えるわけがないんだよ、一体トビィは、何時アサギと会ったんだ? それ、本当にアサギだった?」
トビィは、「ほぅ、とするとあそこは“チキュウ”という場所だったのか」と漏らす。しかし、すぐにダイキの抗弁を許さぬ響きがある声で返す。
「オレが見間違えるはずないだろう、アサギだ。ただ、若干、この間よりも大人びていたような気がしなくもないし、それに」
「それに?」
その場の全員が立ち上がって、トビィに徐々に詰め寄る。
トビィは訝しげに軽く額を押さえ、一言。
「先日出会った時、アサギは明らかにオレを知らない雰囲気だった」
「当然だよ! あの洞窟に入る数日前に俺達はここへ来たんだ、トビィに出会えたわけがない」
「ってことは、トビィが会ったアサギは……誰さ? ボク、頭がパンクしそうなんだけどっ」
アリナが割って入り、引き攣った声を出した。
「二人ともアサギで間違いない、保障する。だが、オレが最初に出逢ったアサギは……髪と瞳が、緑だった」
「へ?」
一斉にすっとんきょうな声を上げる、ダイキは目を白黒させる。アサギの髪は、美しい漆黒である。そもそも、地球には染めない限り緑色をした髪の毛の人間は存在しない。
「それ、アサギじゃないよ! アサギは綺麗な黒髪だろ?」
「綺麗な、緑の髪だった。豊穣の大地に真っ直ぐ育つ大樹の若い葉の様な……美しい緑色。緑というよりかは、黄緑のほうが近いか。瞳が濃い緑だ、吸い込まれそうな」
「それ、アサギじゃないって、絶対! アサギは髪も目も黒だよ!」
意固地になっているわけではない、有り得ない。ダイキはトビィに食ってかかったのだが、さらり、と交わされた。
トビィとて、絶対の自信を持っていたのだ、以前出逢ったアサギと、つい先日再会したアサギが同一人物であると。
「誰がなんといおうと、あれはアサギで間違いない。確かに妙な事が起こったとは思う、しかし、アサギはアサギだ」
「その根拠はっ」
「オレが、惚れてる女を間違えるわけがないから」
唖然。
ここまで堂々と言われてしまっては、言葉に詰まる。そう言われてしまっては何も反論出来なかった。釈然としないが、何をどう言ってもトビィが引くわけがない。
仮に、トビィの言う事が真実だとしたら。
クラフトだけが、その方向性を考えた。否定せずに、物事を柔軟に考える。
トビィが出逢った二人のアサギが、同一人物だとしたら。
「……アサギちゃんは」
小さく呟き瞳を細め、トビィ同様クラフトも水平線を見つめる。夕日が、どことなく不気味に思えてきた。
……髪と瞳の色を変化させ、勇者として召喚される前に、惑星クレオへ地球から来ていた。そんなことが可能なのだろうか。いや、有り得ないけれど、トビィ殿が狂言を言うとは到底思えない。
クラフトは顔を顰めると夕食の為に皆を促し、船内へと入る。
釈然としない、しかし、真実が見えてこない。
トビィ以外、アサギとの関連が気がかりで、食事の味がぼやけてしまった。
食事後、サマルトとダイキは訓練の為甲板へ出向いたので、アリナとクラフトは部屋で語り合う。先程のトビィについてだが、二人で思案したところで答えは出ない。
「ところで、お嬢。トビィ殿にミシア殿の話は?」
「それがさ、なんか妙な気配を感じてなかなか言えないんだ」
「下手すると勘付かれているかもしれませんね、ミシア殿に」
「うっそ!」
「呪術師やもしれません、計画を変更しましょう。相手の能力は未知数です」
近づいて顰めき合う。
「結界を張って会話しても良いのですが、そこをミシア殿に付け込まれると」
「危険だな」
「えぇ、何を話していたのか問い詰められます」
「ちっ、面倒だなぁ。で、あれから妙な動きは?」
「噂ですが……船員の中に、頻繁に姿を消す人がいるとか」
「へ? サボリ?」
「真面目な船員だったそうで、考えられないと」
「ん」
二人は唇を噛み締めた、心に渦巻く不安に掻き立てられていた、その頃。
例の一室でミシアとポールが絡んでいた、ほぼ毎夜の事だ。
「トビィと親しくしているあの女。邪魔で邪魔で仕方ない。可哀想なトビィ、気の毒な私のトビィ。ポール、あの女をどうにかしたいのだけれど、協力してくれる?」
「勿論だよ、何でも言ってよ。願いを叶えてあげるよ」
「有難う、嬉しいわ」
ミシアは優しくポールを抱き締め、耳元で熱っぽく囁く。息を、ふぅっと吹きかける。
まるで絶頂に達した時の様にビクリ、と身体を引き攣らせ、そのまま脱力し、微動だしないポールを一瞥した。
「んふふふふふっ」
含み笑いをし満足そうに頷くと、ミシアは横になって瞳を閉じる。先程腹にポールが出した白い粘着液を人差指でこねくりまわし、そっと口に含んで舐める。
「薄いわね……もっと、濃いのが欲しいのに」
部屋中に香る煙は、淫靡なイランイランをベースにミシアが調香したもの。大きく深く肺一杯に吸い込んで、夢を見る。
「トビィ、トビィ、私の愛するトビィ」
何本かの指を嘗め、秘所へと伸ばす。最初から濡れているそこは、唾液も手伝ってすんなりと指を受け入れた。
初めてトビィを見たのは、何時だったか。
数年前に、街でやたら綺麗な少年を見た。紫銀の髪は珍しく、整い過ぎた顔立ちは少女達の溜息を湧き上がらせた。何をしていても様になり、彼が歩くだけで、黄色い声が飛ぶ。
その時は見惚れてしまって、見送る事しか出来なかった。一瞬で心を奪われたその少年と、もう一度会いたいと一途に願って激動の時間を過ごし。
そして。
あの日、洞窟でトビィに再会し、運命だと打ち震えた。間違えるはずもない、幼い面影も少し残し、逞しい身体つきと鋭くなった視線、優雅な身のこなし。あのような男が、この世に二人といてなるものか。
胸が高鳴る、一目散に駆け寄って抱き締めたい衝動に駆られた。
しかし、その腕にはすでに先客がいたのだ。
アサギ。
アサギが頬を赤く染めながら、トビィの腕の中にいた。
入れない、とてもあの場所には入り込めない。
歯軋りしてアサギを睨み付け、それからずっと、トビィを追った。
やがて心に落ちた小さな種は嫉妬という名の肥料で芽吹き、貪欲に肥大し成長した。ドス黒い肥料で育った、醜悪な木。嫉妬と憎悪という大樹。
……私が最初に出会って見つけたのだから、トビィは私のものだ。私に微笑みかけてくれているのに、アサギが邪魔だ。トビィはアサギが好きではないのに、勇者だから護ろうと傍にいるのだ。邪魔だ、邪魔だ、消えてしまえ。
成長した毒々しい木は、禍々しい華を咲かせた。唇をつけた華がミシアの耳元で、毎晩囁き続けている。同じことを、幾度も繰り返して洗脳する。
『ほら、見てごらん? 美しいだろうトビィもミシアも』
『二人は結ばれる運命なのだから、邪魔なものは消してしまえばいいのだよ?』
『ミシアならば、それをしても誰も咎めないよ?』
『なぜならば、ミシアは』
「私は美しい、何れ女王になる身。女王の隣には完璧で比類なき王が必要。トビィとミシアが結ばれる運命、邪魔する女は排除する」
ミシアは、反芻する。
それは、薬による幻覚ゆえか。それとも、ミシアの本心なのか。
見た瞬間に恋焦がれ、隣に居たいと望み、隣に自分ではない誰かが居た。それを消しさえすれば、隣に居られるのだと思った。
そう、それだけ。
そこから徐々に捻じ曲がってミシアは、闇に囚われた。自分の思い通りに行くように、少し考えれば解る程の“悪行を”正当化した。
トビィと、居る為だけに。
そんなことをしても、トビィの心はミシアに向かないと、普通解るだろう。けれども、ミシアには解らなくなっていた。
耳元で囁かれる言葉は、誰のものか。
遠い遠い昔から、求めていた男が居た気がして、それがトビィである気がして。
まさに運命の恋人、固い絆で魂が結ばれた相手、けれども必ず邪魔が入った。
「殺す、殺す、アリナを殺す」
都合よくアサギが消えてくれたと思ったら、次はアリナだ。
「全く、私のトビィには害虫が群がる……」
船内で何度も見かけたトビィとアリナに、腸は煮えくり返った。ミシアはカッと瞳を開き、起き上がる。
「可愛い可愛い私のポール、叩き潰しましょうね、アリナを」
ピクリとも動かないポールの頬に口付けて、ミシアはそっと覆い被さる。アサギが不在な今、標的はアリナだ。
航海に出てから早数週間、すっかり船旅に慣れた一行はその日も朝から訓練をこなしていた。
ダイキはすっかり日焼けし、心なしか筋肉もついてきたような気がした。また、剣の腕にも自信がついてきた。成長の度合いを確かめたくて、不謹慎にも魔物に遭遇しないだろうか、などと思ってしまった。
「妙だな」
トビィが殺気立った瞳で波間を睨み付けると、隣に佇んでいた船長も同意した。
「流石ですな、気づかれましたか。……波が不穏です」
「あぁ、不気味な気配がする。拙い」
甲板へ姿を現したクラフトの顔色を見て、二人は確信した。魔物の来襲、だろう。
「風が止まりました、静か過ぎます」
息を切らせ顔面蒼白で現れたクラフトの言葉を聞き、船長は髭を擦りながら睨みを利かせ海原を見る。
「水中の魔物、というよりも空中の魔物かもしれませんな。弓兵の準備を」
「いつぞやのガーゴイルみたいなもの、か。まぁ、そちらのほうが戦いやすいが」
三人は訓練に励んでいた船員達を呼び止めた、戦闘態勢に入るべく指示を出す。どの方向から来るかは不明だ、マストによじ登っていた船員が、懸命に望遠鏡で姿を探っていた。
「来ましたー! 南ですー!」
絶叫に近い声だ、言葉通り南へと身体を向かせる主力のトビィとアリナは、あからさまに顔を顰めた。
舌打ちしたクラフトが珍しく怒鳴れば、その声で余程面倒な相手だと皆も推測出来る。
「セイレーンです! 歌声を聴くだけで幻覚作用を起こし、自ら海へと身体を投げてしまう不吉な魔物っ。女性には効果がありませんが、男性がー!」
ダイキも思い出した、ゲームで頻繁に出没する魔物だ、知っている。
「歌い出す前に撃退するしか術はございません、簡易な防御壁を張りますので、決してそこから出ないようにっ」
客を船内に押し込め、一同は中心に集まった。
「女は平気なんだろ!? ボクが主力になるよ!」
「無茶なさらないでくださいー!」
クラフトが止めるのを振り払い、半ば嬉々としてアリナが飛び出した。向ってきているセイレーンは十羽程だ、「上等」と高圧的な態度で構える。
接近を遅らせるように、大砲を打ち込んだ。数羽はそれで海へと落下していく、隊列を乱す。弓兵が構え、射程に入った途端矢の雨を降り注ぐべく待機する。ダイキとサマルトは魔法の詠唱に入った、雷電の魔法ならば射程距離が長いので、それを使用する。
「私はどうしましょう? 結界をお手伝いしましょうか?」
ミシアが毅然とした態度で話しかけてきたので、クラフトは意外そうに振り返った。今回は最初から戦闘に参加するようだ。真意を確かめる様に、クラフトは重々しい口調で訊ねた。
「危険を承知で、お嬢と共に前線へお願い出来ますでしょうか?」
「無理だよ、クラフト! ミシアさんは後方支援だろ?」
間入れず叫んだダイキを制するように優しくミシアは微笑し、そのまま結界から出て行く。
「お任せください、ご期待に備えて見せましょう」
深く頷いたクラフトは、そのままミシアの能力を測るつもりだった。こちらで手伝って貰った方が確実に負担は減るが、どう動くのかが知りたかった。
ただ、アリナも結界の外だ、近づかれると困る。
「申し訳ありませんが、こちらが辛くなりましたら呼びますのでお戻りください」
「はい」
ミシアは軽やかに弓を装備する、高らかに掲げてセイレーンを睨みつけると射程距離へ入るのを待った。確かに、傍から見れば美しい。
近寄ってきたミシアを横目で見ながら、言葉かけることなくアリナは鼻で笑う。
と、何かが風に混じって後方へと流れていった。ただの風だが、不可解な気配がした。
「来ました、歌です!」
「えぇ、ボクには聞こえないけどっ」
「アリナさん、セイレーンは男性にしか興味がないのですわ。女性には聞こえぬ特殊な超音波で錯乱させて海へ投げ落とし、溺死させる様を喜んで見る魔物です。万が一助かって陸に上陸できたとしても、一斉に肉を喰らうべく群がるのです」
「うっへー」
上半身が美しい女性、下半身が猛禽類の姿であるセイレーンは、七羽で攻めてきた。大砲が上手く命中し、多くは撃墜出来たようだ。仲間がやられて怒っているのだろう、急降下しながら歌を発する。
結界を張っているとはいえ、クラフト一人なので完璧ではない。頭痛を訴える船員が続出した、そうなるともう船内へ避難させるしかない。これ以上の滞在は、危険だ。
無事な者達が弓矢の雨を浴びせ、魔法を浴びせ、落下してきたところをアリナが仕留める。
ミシアは優雅に弓を放っていた、技術はやはり高い。確実に急所を見極め、空を飛ぶセイレーンに突き刺している。
「ダイキ、サマルト、大丈夫か?」
「あぁ、なんとか。確かに気だるい感じはするけど」
トビィは面白くなさそうに結界の中に居たのだが、不意にマントを引きちぎると耳にねじ込む。耳を塞ぎ、そのまま外へ出て行った。
仰天して止めるサマルトだが、目の前でトビィは下りてきたセイレーンを一撃で仕留めた。たかが布だけでは本来防げないのだが、卓越した精神が可能にしたようだ。布は、気休めである。
駆けつけたトビィにアリナは勝気に微笑む、主力が揃ったならばセイレーンごとき敵ではない。互いに背を預け、確実に息の根を止めていく。
男が一人も海へと投げ出されないこの状況に苛立ちを感じたのか、セイレーン達は甲板へと下りてきた。しかし、それこそ思う壺だ。
残り、四羽。
超音波により不調を訴えていた船員達も、沸きあがって応援する。勝利は目前だった。
「ちっ、下から何か来るっ!」
セイレーンを海へ叩き落したトビィは、吹き上げてきた生物と目を合わせ、そのまま斬りかかった。
牛ほどの体長の烏賊である、触手を伸ばしてきたが瞬時に切り裂き頭部を切断する。
「クエーロです、絡め取られると海へ引きずりこまれますよ!」
面倒なことになってきた、結界からは出られないのでクエーロに直接攻撃が出来ない。出来るのはトビィとアリナ、ミシアの三人だけだ。
「サマルト殿、ダイキ殿! 魔法をともかくセイレーンへ! あれさえ倒せば」
「解ってるよっ!」
優先して倒すべきは、当然セイレーンである。
海に落ちた死骸にクエーロが寄って来たのだろう、トビィが覗き込むと結構な数だった。
ミシアは懸命にセイレーンに矢を当てながら一人ほくそ笑む、ここまで望んだ状況が出来上がるとは思っていなかった。次に魔物が来たらアリナを亡き者にしようとしていたのだが、まさか“男を狂わせる”セイレーンに、海の捕食者クエーロがセットで出てくるとは。
……全てが思い通り、強運の持ち主である私が引き寄せた、好機。
セイレーンに惑わされたポールが、アリナもろとも海へ落下、後はクエーロが綺麗に食べてくれる。証拠は、残らない。手を汚さずとも面倒なものが消し去れる。ちらり、とミシアは後方のポールを一瞥し、「ふふっ、大丈夫、愛しい私のポール。しっかり最前列にいるわね」子を慈しむ親のように微笑む。
愉快過ぎて腹が捩れそうだったが、懸命に堪えた。あとは何時ポールを動かすか、だ。何度も彼に麻薬を注いだ、耳元で囁いた、愛の言葉と、束縛の呪文を。きっかけさえ起こせば、人形として発動する。ポールという駒を失うのは惜しいが、新しい男を用意すれば良い。
……だって、ポール。すぐに果ててしまって退屈なんだもの。それに、いつも流れが同じで愉しめない。飽きてしまったの。
残るセイレーンは残り二羽だ、そろそろだろう。
ミシアは、甲板の上で女優になる。
「きゃあ!」
セイレーンからの攻撃を受け、甲板に叩きつけられたミシアを助け起こすべく、ポールが案の定結界から出る。皆が止めるのを振り切ってミシアへ駆け寄ると、優しく抱き起こした。
「ダメよ、出ては!」
「大丈夫だよ、さぁ結界へ一旦避難しよう!」
茶番を繰り広げる。
抱き起こされた瞬間、ミシアは耳元で小さく唇を動かした。今こそ、愛おしい傀儡を発動させるのだ。ポールは僅かにビクリ、と身体を引き攣らせたが、よろめきながら二人で結界へ向う。
一羽のセイレーンがトビィの剣で仕留められ、海へと落下した。
「歌え、歌え、大きく歌え。役に立ちなさいよ、下卑た魔物共が!」
ミシアが最後のセイレーンに睨みを聞かせると、刺すような視線に怯えたのか藪から棒に喚き散らして歌い始める。
内部から耳を切り裂くような超音波に、皆は鋭い悲鳴を上げて耳を塞いだ。
セイレーンが全滅する前に、歌を響かせなければ計画は終わる。
……死ぬんじゃないよ、醜悪な魔物っ。このミシア様の役に立ってから、死にな。
俯いているので誰にも見られないが、下から覗き込めばミシアは血走った瞳で唇を噛み締めている。どちらが魔物か分からぬ程に、凄まじい形相をしている。
「だー、うっさい!」
流石にアリナにも影響した、耳が痛い。迷うことなく突進して甲板を蹴り上げ、セイレーンを叩き落とす。着地してから憂さ晴らしだとばかりに顔面を何度も蹴り上げた、容赦ないのではない、とにかくこの歌から逃れたい一心だった。耳を塞ぎながら、片目を閉じる。耳から入った歌に、脳の奥をかきまぜられているような感じがして吐き気をもよおす。
アリナに一方的に踏みつけられ、セイレーンが絶叫した。耳を劈く、その音。
アリナとポールが直線で結ばれた、今だとミシアはポールの腕に爪を立てる。
弾かれたように一瞬のけぞり、ミシアを弾き飛ばしてポールはそのまま手すりを目指した。いや、アリナを目指して突き進んだ。
「いけないわ、アリナさん、彼を止めて! 歌声にやられてしまったっ」
甲板に平伏すように倒れこんでいたミシアが悲痛な叫び声を上げる、腕を伸ばしてポールを止めようとした。
セイレーンの“声にやられて”、海へ身を投げ出すべく走るポール、その直線には立ちはだかるアリナ。慌てて止めるべくアリナはセイレーンの首の骨を折った後、ポールへ拳を打ち込んだ。手荒だが、確実に止める方法がこれしか思いつかなかった。
しかし、一瞬身体がぐらついただけでポールはアリナを引き摺り、そのまま。
「なー!?」
アリナの瞳が、驚愕で狼狽えた。
ミシアが涙を流しながら俯いて……嗤った。
トビィがクエーロの瞳に剣を差込み、そのまま振り返るとアリナを目指す。
セイレーンが全滅したので結界を解いてクラフトも全力で走った、ミシアの脇をすり抜ける。
けれども。
ドンッ!
アリナを突き飛ばし、ポールが凶悪な笑みを浮かべる。まさにその笑みにミシアの面影を見た気がした、狙いはこれかと焦燥感に駆られる。
身体は、無情にも船体から放り出された。
見れば海面にはセイレーンの死骸に群がるクエーロらがひしめき合っている、冗談ではない。あの中に放り出されては、百戦錬磨のアリナとて足場がなく戦えない。
「くっそっ!」
小剣を両手に構え、突き刺す勢いで海面へと落ちていった。次いでポールがそのまま海へと飛び込む、“セイレーンの歌声”に魅了された者の末路だ。
「お嬢ー!」
クラフトの絶叫と共に、トビィは華麗に海へと落下する。落ち際に「ロープを二つ投げろ!」と怒鳴りつけた。
頭が捥げて、自分から脳が無くなったような感覚に陥る。
「え? どういう、こと?」
途中までは完璧だった、アリナが落ちた、ポールが落ちた。
だが。
「な、え」
何故、トビィが海へ落ちていったのか。アリナを助けるためだと解っても、認めたくはない。身体が小刻みに震える、掌握できなかった事態に眩暈を覚える。駆けつけた船員に助け起こされたが、唇は真っ青、冷や汗を流して痙攣を起こし始める。そのまま救護室へ運ばれようとしていたのだが、我に返った。奇声を上げ強い力でそれを振り払うと、血走った眼で海を覗き込む。
水柱が上がった。アリナとポールが、落下したようだ。
すると、今度はクエーロが飛び出してきた。アリナの突き刺した小剣に驚き、飛び上がったのだ。
「お嬢っ、そのままこちらへっ」
「無茶言うなー!」
クエーロと共に再び落下していくアリナは、剣が抜けなかった。懸命に引っ張ってみたものの、諦めた。意を決し、息を止めて海に潜る。
船員は指示通り、ロープを投げた。そして、小船も。
トビィは小船に飛び乗って、襲い掛かってきたクエーロと対峙している。足場があれば、辛うじて戦える。
海面から顔を出したアリナが見えた、なんとか剣を引き抜いて浮上したのだ。トビィの小船を見つけ、死に物狂いで泳いでいる。怒鳴るトビィの声を頼りに、一心不乱に泳いだ。泳ぎは得意だが、衣服が邪魔だ。もどかしくて、幾度も海水を飲んでしまう。その度に焦り、涙が瞳に滲む。
アリナの足に何かが絡みついた、見れば触手だ。ガクンと大きく身体が引っ張られ、海中へと引きずり込まれる、それでも切り離そうと抗い剣を振る。
「ちぃっ」
トビィは三体のクエーロを一気にねじ伏せると、そのまま海へと潜った。数メートル先でアリナがもがいている、相手にしなくてはならないクエーロは後五匹、不利な状況だ。一か八か、剣に念を籠めた。水竜の角であるそれは、当然水属性。魔力に縁のないトビィだが、何か発動すれば、と無我夢中だった。僅かに光る剣ブリュンヒルデは、トビィの周りをその不思議な光で包み込む。
苦しくて息を逃し、泡が水面へ向っている光景を見ながらアリナはもがいていた。息がもはやもたない、限界だ。
ガボガボ、と息を吐いて替わりに水を飲み込み、力なく海水に漂う。引き寄せたクエーロが大きく口を開くのを、薄っすらと見ていた。
「…………」
まさか、烏賊に食われて最期を遂げるとは。思いもしなかったと、自嘲気味に笑う。
と、前方からクエーロよりも巨大な何かがやって来た。光る瞳は氷を連想させる、突き出た長い角が荘厳で。
……まぁた、敵かよ。地上でなら、負けないのに。
悪態ついたアリナは、意識を手放した。
耳元で、トビィが叫ぶ。
「起きろ! 水を出せ、呼吸しろ!」
「!?」
ザンッ、と熱い日ざしが身体に降り注ぐ、無我夢中で言われるがまま息をした、周囲に水はない。
「オェ、ガ、がはっ……うぇっ」
「大丈夫か、後は任せろ」
懸命に呼吸を繰り返すアリナの傍ら、水を滴らせトビィが立っていた。何に乗っているのか解らなかったが、ようやくアリナも生き物の上だと理解し、唖然とそれを撫でる。ゴツゴツとした皮膚は、初めての感触だった。しかし、霞む瞳で全貌を捕らえれば。
「……竜?」
震えながら、トビィを見上げる。
甲板でも放心状態の皆は、トビィを見ていた。
半狂のクラフトの目の前に前方から二体の竜が現れ、水飛沫を上げながら水中でも何かが蠢いた先刻。
船上は新たな敵の出現に死を覚悟したものの、襲ってくるわけでもなく、黒竜と風竜は水面を見ている。
クエーロを蹴散らして水竜が跳ねる海豚のように飛び出した時には、すでにその背にトビィとアリナが乗っていた。
嬉しそうに竜が言葉を発する、甲板に居たクラフトが小さく悲鳴を上げた。
「主、お久しゅう御座います」
「捜しておりました」
上空の竜が海面へと下りていく、声が聞こえ、反射的にダイキはサマルトにしがみ付く。
「りゅ、竜って喋るんだ!?」
「は、初めて知った」
水滴を振り払いながら勝気に微笑んだトビィは、水竜オフィーリアの背を撫でる。久し振りの相棒達に、顔が綻ぶ。
「お前ら、よく来たな。とりあえず、この烏賊を蹴散らす。食べたければ食べろ」
「烏賊はちょっと」
「烏賊は……」
「烏賊は大好きだよー、僕食べるねー」
デズデモーナにアリナを預け、トビィはオフィーリアに乗ったまま剣を上段で構えると飛び出してきたクエーロを真っ二つに斬り裂いた。
吼えたオフィーリアも、近くにいた一匹に噛み付く。
ゆっくりとデズデモーナは上昇し、甲板へとアリナを送り届けると、悲鳴を上げている人間を一瞥してまた下降する。
敵ではないらしい竜の出現に、船上の人々は息を殺し見つめる。産まれて初めて、竜を見た。慣れろといわれても、普通は慣れないだろう。
やがて海が穏やかさを取り戻すと、トビィが緑の竜に跨り甲板へと姿を現す。絶句している皆に、トビィは平然と口を開いた。
「というわけで、相棒のクレシダ、デズデモーナ、そしてオフィーリアだ。ドラゴンナイトなんでね、オレ。このままアサギを奪還する為、魔界へ向う。じゃあな」
「えー!? ボク達は!?」
すっかり回復したアリナの大声に眉を顰めて、トビィは首を振る。先程のセイレーンを思い出していた。
「無理だ、乗れない」
「えぇー!? 乗せろよ!」
「駄目だ、コイツらは、オレしか乗せない。アサギはオレが救出するから、お前らは適当に旅でもしていたらどうだ? そうだ、オレの荷物をとってきてくれ」
大きく羽ばたき、威嚇しているようなクレシダに喉の奥で悲鳴を上げると、数人の船員達は逃げ惑う。だが、船長は豪快に笑い出すと一人の船員に指示を出した。
「ドラゴンナイトさんかぁ、それであの殺伐とした雰囲気理解した。なりたくてなれるモンじゃねぇわな。想像以上におっそろしいお方よ! お前ら、トビィ殿の荷物、持ってこいや! いやはや生きていてよかった、人生捨てたもんじゃねぇなぁ!」
数分後、きっちりまとめてあったトビィの鞄を持って船員が恐る恐る竜達へと近づく。
数日分の食事と方位磁針、それに金があればどうにかなる。簡易な食料も用意してくれたので、有り難く頂戴する。
どう声をかけて良いのか解らない仲間を他所に、トビィは方角を確認すると大空へと舞い上がった。
「ちょちょちょちょちょ、ちょっと待て! 話はまだ終わってない!」
「オレがいなくて戦力がガタ落ちだが、気を抜かずに頑張れよ。まぁ、縁があればどこかで会えるだろ。その時はアサギも一緒だ」
「だー! お前ホンット身勝手だなっ! ボクも一緒にっ」
「だから、無理だと……。じゃあ、な」
「わー、トビィー!」
アリナの懇願も虚しく、トビィはそのままクレシダと共に飛び立つ。後方からデズデモーナが追い、海からはオフィーリアが追いかけた。
「な、なんだよぉ……」
へなへなと座り込むアリナの肩を抱きかかえ、クラフトがトビィを見送った。
「もとより、トビィ殿は別行動でした。彼はコレを狙っていたのですね」
「つれてけよ、なぁ」
「仕方ないですよ、こちらは当初の目的を達成しましょう。街へ着いたら即刻ライアン殿に報告しましょう。トビィ殿さえ失敗しなければ、アサギちゃんはすぐに戻りますよ。良い事です」
アリナにとって、トビィに置いてかれたことが相当痛手だった。貴重な喧嘩相手だったのだ、無理もない。
「皆さん、大陸は目と鼻の先! 気を抜かずに行きましょう!」
船長の声に拍手がぽつぽつ、と上がるが、それは徐々に大きくなり盛大な拍手となった。ドラゴンナイト・トビィに、盛大な拍手を。
船員ポールは、やはり海の藻屑となったようだ。死体は見つかっていないが、弔うしかない。
「気の毒にな。アイツ、故郷に恋人がいたんだろ?」
「あぁ、自慢の可愛い子だって……戻ったら、結婚するんだって言ってたなぁ」
しんみりと別れを偲ぶ船員らは、黙祷する。
犠牲者は出てしまったが、被害は最小限だ。
浮かれる船内で、ただ一人ミシアだけが、計画がぶち壊されて怒りを何処へ向けるべきか悩んだ。部屋に閉じこもり、項垂れる。
トビィが立ち去り、アリナは生存、ポールのみが死んでしまった。
最悪だ。
「アリナ……覚えてらっしゃい、私のトビィとポールを奪ったこの事実、決して!」
怒りの矛先は、当然アリナへ向けられた。アリナにしてみれば言いがかりも甚だしい、とばっちりである。そもそも根本の原因は、ミシア自身だ。ヒステリックに、絶叫した。
それは奈落の底、亡者の断末魔。
本来の自分に戻ったトビィに、数ヶ月離れていた相棒の竜達は興味津々で問いかけ始める。
「で、主。今後は何処へ?」
「魔界イヴァンへ直行だ、やるべきコトが出来た」
「今まで何を?」
「追々話す、少し眠らせろ」
「御意」
久方ぶりに相棒の竜の背で眠りに就く。
時は夜半、月が美しい夏の海上。揺らめく波に反射する月光と星が、これから先の希望を連想させた。
三体の竜は無事な主を見て安堵し、トビィもまた相棒達が元気でいたことに感謝した。竜がいれば、魔界イヴァンなど目と鼻の先、最早辿り着けたも同然だ。
眠りながら、アサギを想う。
早く行かねば、泣いているだろうから。アサギと離れて早一ヶ月、どうしているだろうか。
「待ってろよ、アサギ」
※挿絵は以前作成した同人誌用に戴いた物です(*´▽`*)
アリナ+ポール+ミシアと、二枚目がトビィ。