神不在
文字数 10,579文字
「セントガーディアンは、私の友達のトモハルが持っています。だから、私は必然的にセントラヴァーズの所持者なのだと……そう思っていました」
「トモハル?」
「私と一緒にこっちに来た友達で、みんな勇者です」
「みんな?」
訝し気に、ロシファはアレクに視線を投げた。アサギの説明は受けたが“みんな”については聞いていない。
軽く咳をし、気まずそうにアレクは視線を逸らす。
アサギは、持ち歩いていた大事なものを取り出した。
「私の友達の話、してなかったですね」
写真を皆に披露する。写真など、無論ハイ達は知らない。感動するほどに鮮明な絵画にしか思えず、興味本位で眺める。
それは、一昨年の文化祭の写真である。ミノルが密かに所持している写真と、全く同じものだ。勇者全員が、同じ学級だった。ロミオとジュリエットの劇を披露した後の写真であり、ジュリエット役のアサギ、乳母役のユキに、ジュリエット側の兵士であるミノル、裏方のダイキにケンイチ、衣装は脱いでしまったがロミオ役のトモハル。注視しないと気づけないが、隅に小さくリョウも写っていた。
キィィィ、カトン……。
何処かで、音がした。
聞き覚えのある音に、反射的にサイゴンが剣を引き抜き構える。動揺したスリザやアイセルに苦笑すると、それでも剣を構えたまま周囲を覗った。
しかし、異変はない。
「大変失礼致しました、妙な音が聞こえた気がして」
「大丈夫だ、案ずるなサイゴン」
言いながらも訝しげに注意深く辺りを見回しているサイゴンに、アレクは安心させるように微笑む。
だが、確かに。皆も僅かながら音が聞こえた気がした。それは、何かが軋んで廻るような音だった。
安全を確認すると、再び写真を覗き込む。
「一緒に来た、勇者です」
「うむ、見覚えがある」
うろ覚えではあったものの、アサギを攫った際の記憶を辿ったハイは頷いた。正直、他の勇者に興味はない。
「アサギは勇者に選ばれる前、姫君であったのか?」
アレクが、不思議そうに率直な意見を漏らす。
「い、いえ、違いますよ!? これは、みんなで演劇をした後で、その役の衣装を着ているだけです。決してお姫様では……」
日本の、一般家庭に産まれた娘である。誤解されては困るので、アサギは慌てて説明した。
「セントガーディアンを持っているトモハルは、この子です。神聖城クリストヴァルで、神官様からこちらを受け取りました」
「勇者の片割れ。……ふぅん、神官はどうやって彼がセントガーディアンの所持者であると判別したのかしら」
ロシファが目を細め、食い入るように見つめる。写真からは、勇者の片鱗などお世辞にも解らない。
「実に端正な顔立ちをしている」
隣のアレクが、素直に意見を漏らした。
勇者とは特に関係のない容姿の感想など不要だと、ロシファが頭を悩ませる。やはりアレクは何処か論点がずれている。
「ダイキがチュザーレの勇者、こっちのケンイチがハンニバルの勇者です」
アサギが説明する中、木陰で不審な物音がした。
緊張が走り、一斉に全員が武器を構える。アレクがロシファを、ハイがアサギを庇い、一気に其の場は殺気立つ。
緊迫した空気の中、一際芝居かかった口調でその人物は姿を現した。
「……おぉ、怖い怖い。っていうか、これは虐めだぐーよ。除け者だなんて、酷いぐー。どうして呼んでくれないぐーか?」
にょこ、っと草むらから出てきたのはリュウだった。ふらり、と身体をくねらせてゆっくりと皆に歩み寄る。
溜息混じりに、各々は肩を竦めて緊張を解いた。
眉間に皺を寄せ、無愛想な表情のリュウなど初めて見た。慌てたアサギが謝罪をする。
「はう、ごめんなさい、リュウ様。そうですよね、寂しいですよね」
「本当だぐ、寂しいぐも。混ぜて欲しいぐー、楽しそうだぐー」
拗ねた振りをしているだけだ、と直様解ったハイは無視を決めた。
しかし、素直なアサギは狼狽しつつリュウに近寄ると、腕をとって連れてくる。
「除け者とは心外だ。そもそも、お前を呼ぶ必要などないだろう」
「私に聞かれてはいけない事でも?」
アサギが菓子を手渡している様を、拳を握りしめて見つめたハイは舌打ちをする。勝ち誇った様な笑みを浮かべたリュウに、更に苛立った。
「アレクの恋人が、アサギに逢いたいと。それでこの場が設けられただけだ、お前は不要だろう」
「でも、菓子を食べながら楽しそうだぐも。羨ましいぐも」
確かに、知らないところで親しい人達が輪になって遊んでいたら、哀しくなる。アサギの良心がチクチクと痛み、俯いた。
「すみません……」
「アサギが謝ることではないだろう」
気落ちしたアサギに、ハイは慌てた。そして、リュウを歯を剥き出しにして睨み付ける。
リュウは、しれっとそっぽを向いた。
「そなたに声をかけなかったのは、私の落ち度だ。すまない」
「……気にしないぐも」
淡々と告げたアレクに、リュウは憤激の色を落した声で告げる。
その態度が挑発的にとれたハイは、忌々しくリュウを睨み付ける。この場を荒立てに来ただけとしか思えない。先程まで和気藹々としていた空気が、一変してしまった。
アレクが片手を上げたので、皆は武器を仕舞う。
その音を聞きながら、リュウは冷えた視線で皆を一瞥した。
「……揃いも揃って、慣れ親しんで。これならば容易く殺せそうだ」
抑揚のない声で、呟く。
「え?」
微かに聞こえたアサギが、若干驚いて見上げる。それを普段通りに、道化のような笑みを浮かべて流した。しかし、突き刺さる様な視線を感じ周囲に瞳を走らせる。相手を見つけると口の端を上げ、冷笑った。
ロシファが、蛇のようにこちらを睨んでいる。彼女だけ、アレクの影で両足を肩幅に広げたまま、構えている。
口笛を吹いて喉の奥で笑う、不思議そうに見上げているアサギには目もくれず、煽るように睨み返した。
「アサギ、一体なんの話をしていたぐーか?」
視線はロシファに向けたまま、そっとアサギの首に長い指をかけ問う。
唇を噛んだロシファは、拳を強く握り締めた。勇者を人質にとったと誇示しているようなものだが、明らかな挑発に乗るべきではない。
「友達の話をしていました」
「……友達?」
その単語に動揺したリュウは、ロシファから視線を外し、アサギが差し出してきたものに眼を落す。
「はい。一緒に来た友達です、勇者の」
写真を見せて無邪気に微笑むアサギに、リュウは凍りついた。狼狽を顔に漂わせ、震えた声を出す。
「ゆうしゃ? ……アサギ以外にもいるぐーか?」
「はい! ええっと、ここに映っている私の幼馴染の亮以外、皆勇者です。惑星ネロの勇者は、ミノルとユキ。ユキは可愛い女の子で、私の親友です。ミノルは、ええとー……」
アサギの説明など、耳に入ってこない。硬直していると、ハイが割り込んできた。
「あぁ、そういえば。リュウは、惑星ネロで勇者に会ったことがあるのだったな?」
思い出したように、ハイが告げる。
他意などないと、解っているのに。リュウの身体が、不自然に大きく引き攣る。
「そうですよね、そう聞きました!」
アサギが弾かれたように、リュウにしがみ付く。訊きたい事が、山ほどある。
「私達みたいに、前の勇者も召喚されたんですか? リュウ様を倒すためにでしょうか? アーサーの話では、勇者は亡くなったって……」
勢いよく改稿したアサギに、リュウは口を閉ざした。瞳を彷徨わせ、ようやく絞り出した声は若干擦れている。
「アサギ。……私は随分と長生きしているぐーよ、人間達とは時間軸が違うぐ。それは、大昔の話だぐ。憶えていないぐ」
「勇者と、戦いましたか?」
視線を逸らさず直球で訊くアサギに、リュウは口篭った。その大きくて純粋な瞳には、陰りがない。嘘など通用しないと悟った。緊張から喉が、鳴る。
剣を交え、そしてリュウが勝利を収めたのだと、皆は思った。
ハイは結末を本人の口から聞いている、『勇者は弱かった』と話していた姿が今でも鮮明に浮かぶ。
「……はは、あーっはっはっは!」
這い上がることができない、深い谷に落ちた。
魔王リュウの目の前で佇む小さな勇者は、絶大な支持と信頼を受けて、魔王らに庇護されている。
けれども。
……勇者だって!? 一体、勇者って何なんだっ!
神経が張り裂けそうな程の怒りが、身体中を支配した。突如高笑いしたリュウは、軽々とアサギを抱き抱え、そのか細い首筋に爪を添える。
「リュウ!?」
驚愕の瞳でリュウを見たハイと、直様構えたアレク一同。想定外な出来事に、皆の瞳が一瞬揺れる。
「アサギ。重々心に留めておくとよい、君は今、魔王の元にいる。殺されても文句は言えない状況下だよ、解っているのかな? どうして自分の身は安全だと思っているのだろう」
耳元で小声で告げたリュウは、ハイが喚きながら何か呪文を発動しかけていたが気にも留めなかった。冷ややかな視線を投げつつ、アサギの耳元で小さく嗤う。
けれども、アサギは至って冷静だった。冷たい爪先が肌に触れていても、恐怖を感じていない。
「はい、知ってます。けど、私は殺されないと思います」
緊迫した空気をアサギも解っている筈だとリュウは思ったが、計算違いだったのだろうか。暢気で甘い返答に落胆し、唾を吐き捨てる。
安全な場所で育てられた小鳥は、天敵の猫が忍び寄っても警戒せず、好奇心で近寄っていく。なんと愚かで哀れな勇者だろう、とリュウは嘆いた。
「おや? 君は“勇者”を過信しているね」
「いえ、過信はしていません。でも、この場に私を殺そうとしている人はいません。確信しています」
「おややー? 私がこの爪先を一気に押し込めば、どうなると思う? 鮮血が溢れ、綺麗だろうね。そしてアサギは、死んでしまう」
首元に添えられた爪が、刺さった。だが、痛くはない。アサギは狼狽しているハイに一瞬だけ微笑むと、酷く真面目な声で名を呼んだ。
「リュウ様」
「ん?」
アサギに呼ばれ、面倒そうにリュウが見下ろす。視線が交差すると、吸い込まれるような大きな瞳に、自分が映っていた。今にも泣き出しそうな、情けない表情をしている。
「リュウ様は、ミノルとユキの前の勇者を殺していませんよね。……本当の事を教えてください」
瞬間、リュウは弾かれてアサギを突き飛ばした。
即座にハイがアサギを抱き留め、サイゴンとスリザがリュウを囲み剣先を向けた。
「あ……」
震える身体を抑えながら、リュウは蹲るように片膝をついた。身の毛がよだち、胸を掻き毟る。冷汗が溢れ、全身が一気にべたつき、嫌悪感から悲鳴を上げる。
「リュウ! 貴様どういうことだ、アサギに危害を加えるなどとっ」
「待って、待って、ハイ様! リュウ様は何も」
怒涛の勢いで歩み寄るハイを、アサギは必死にすがり付いて止めた。
だがハイの怒りは、アサギでも止められない。完全に頭に血が上り、リュウの胸倉を掴むと鬼のような形相で怒鳴る。二人揃って惑星クレオに移住した頃から、心をほぼ赦していた。互いについてそこまで深く話していないものの、干渉せず、気の知れた相手だった。
そもそも、アサギを連れて来ることを助言したのはリュウだ。ハイにとってアサギがどれだけ大切か、理解していると信じていた。
「貴様、自分が何をしたのか解っているのか!? これは裏切り行為だ」
ロシファを連れ、アレクも歩み寄る。怒り狂っているハイに、静かに腕を一本差し出した。
叩き下ろすように殴りつけたハイだが、静謐な瞳でこちらを見ているアレクに舌打ちをする。一歩下がると、蒼褪めているアサギの首筋に手を添える。怪我などしていない、傷一つない。
「アサギは大事な客人だ、以後、謹んでくれ。冗談にも程がある」
低い声の落ち着いた調子でそう告げ、アレクはリュウに手を伸ばした。
「甘い……」
その傍らで苦々しく呟き、ロシファは鋭くリュウを睨む。冗談には到底見えなかった、あのまま、アサギを殺してしまいそうだった。そこへ至らなかったのは、アサギの言葉に動揺したからだ。
もともと、ロシファは他の魔王らを信頼していなかった。お人好しなアレクは受け入れ、城に滞在させているが、危険だと幾度も進言してきた。ここへ来て、掴みどころのない魔王の深淵を覗き見た気がする。背筋が薄ら寒くなり、唇を噛む。
「…………」
差し出された手をぼんやりと見つめたリュウは、乾いた声で小さく嗤った。魔王だけでなく、魔族からも慕われ、丁重に保護されている人間の勇者。
……どうしてこうも、差があるんだろう。どうして、“彼”は。
不安そうにこちらを見ているアサギの視線から逃れる様に、わざとらしく笑う。アレクの助けは借りずに起き上がると、小さく溜息を吐いた。
「悪かったぐ、冗談だぐ。仲間外れにするから、意地悪したくなったんだぐ」
「まずアサギに謝れ。それから私は、今後一切貴様を信用しないっ」
牙をむくハイに、リュウは項垂れる。しかし、素直に蚊の鳴くような細い声で謝罪する。
「ごめんだぐ、アサギ」
「いえ、私は大丈夫です」
普段通り微笑むアサギに、リュウはたどたどしくも言葉を紡ぐ。
「……勇者には会ったぐ。でも、戦ってはいないぐ。……弱かったから、私の元へ来る前に、他の者に殺されたんだぐ。アサギとは、取り巻く環境が違うのだぐーよ。“彼”には味方など誰一人として、いなかったぐ」
「そう……ですか」
惑星ネロの勇者は、死んでいる。その存在は、リュウだけが知っている。
重苦しい沈黙が流れた。
意を決したように、アサギが開口する。
「あの。辛いところ申し訳ないのですけど……。前の勇者は一人だったということですね?」
不思議な質問に、リュウは力なく首を傾げる。
「ん? 辛くはないぐ」
「そうでしょうか。勇者の話になると、リュウ様は酷く痛々しく、悲しそうに見えます」
心の重心の置き場を失くし、リュウが狼狽える。
「き、気のせいだぐ」
リュウは顔を顰めたものの、すぐに作り笑いを浮かべた。けれども、皆の視線が痛い。ごまかしなど意味はないだろう。自分でも驚いた、ここまで心を揺さぶれるとは思わなかった。
「今は、ミノルとユキで、勇者が二人います」
「二人? いや、勇者は一人だったぐ。強いて言うなら勇者の傍らに、妻である姫がいたぐーな」
「前の勇者は、結婚していたんですね」
「そうだぐ、夫婦だったぐ」
アサギの表情が翳ったことに気づいたリュウは、厭らしい笑みを浮かべると付け加える。
「それはそれは、仲睦まじい夫婦だったぐもよ」
悲愴な面持ちになったアサギに、追い打ちをかけた。瞳を細め、気丈な勇者の弱点を見つけたとほくそ笑む。
アサギの瞳の奥で、狡猾そうに笑っている自分が見えた。
「ちなみに、気付いたら周囲をうろついていたから、どうやって勇者に選ばれたのかは知らないぐ」
本来の調子を取り戻したリュウは、腰に手を置いて語った。形勢逆転出来、髪をかき上げて不敵に笑う。
「教えてくださって、ありがとうございました」
弱弱しい声で礼を告げたアサギに、満足そうにリュウは鼻の穴を膨らます。
もし、ミノルとユキがそういった仲になっていたらどうしようかと、妙な不安に駆られたアサギは動揺してしまった。仲間達が離れて旅を始めたことなど知らないアサギは、二人が苦難を乗り越えていることを想像し、胸が痛くなった。本で読んだ事がある“吊橋効果”というものを思い出していた。吊橋の様に危うい場所に男女がいると、緊張感の胸騒ぎを恋と勘違いしてしまう場合がある、というものだ。
魔王を倒す旅など、吊橋よりも危険極まりない。
ユキはアサギから見て、非常に可愛らしい美少女だ。それこそ、漫画や小説の中で描かれる姫的な存在である。ミノルがユキに恋心を抱いていても不思議はないと、以前から思っていた。
また、ユキはアサギの心情を知っている。だが親友だからと遠慮してミノルを好きなのに言い出せない事になっていたらどうしようかとも、思い始めてしまった。
負の感情は、肥大する。
「アサギ?」
静かになったアサギに、ハイが不安そうに声をかける。
はっとして顔を上げると、アサギはぎこちなく笑った。
……大収穫。アサギの弱点は“惑星ネロの勇者”。
リュウは、しおれてしまったアサギに勝ち誇った様な笑みを浮かべる。威風堂々、魔王にも動じない勇者の弱点が、まさか仲間の勇者とは思いもよらなかった。
「あの、どうして勇者って一つの星で二人も存在するんですか? 惑星ハンニバルと惑星チュザーレは一人なのに。惑星クレオは男女対だからと、聞きましたけど……」
ミノルと対のユキが、密かに羨ましかった。何か繋がりがあるのかと、思っていた。アサギは、項垂れたまま疑問を口にする。
「惑星ネロについては知らないけれど、ここ、惑星クレオでは同時に二人と決まっているわけではないの。偶然よ」
「え……?」
ロシファが歩み寄り、意気消沈しているアサギの頬を撫でる。
暖かな手に、知らずアサギの肩の力が抜けた。
「セントラヴァーズとセントガーディアン、どちらか相応しいほうの武器を手にするの」
「……そうなんですか」
夢だった勇者になれたとはしゃいでいたが、謎は増える。目の前にいるロシファと納得がいくまで話をしたくなったアサギは、縋る思いで顔を上げる。
「あの。私は戦う必要がないと思っていますが、それでも武器は必要ですか?」
戸惑いがちに訊ねると、即答される。
「必要よ、あなたが真の勇者ならば。それに、セントラヴァーズを私も見てみたい」
「それなら、私は。みんなのところへ戻って、武器を取りに行かねばならないです……」
申し訳なさそうに視線を送って来たアサギに、強張った表情のハイは言葉を失う。
沈黙が続く、とんだ顔合わせになってしまった。
いくらアサギが懐いているとはいえ、必ず皆の元に戻りたがることは、承知の上だった。だが、各々アサギを返したくない事情がある。
「急がなくてもいいと思う。貴女が勇者ならば、セントラヴァーズがこちらへ来るはずよ」
「そうなんですか!? みんなが取りに行っているから、確かにここまで運ばれそうだけど……」
「人間が所持していることは間違いないものね」
「はい、ピ」
地名を言いかけたアサギの口を、ロシファが即座に塞ぐ。
「魔界で、言わないで。誰が聞いているとも限らない。人間達しか知り得ないことなの」
怒った様な口調でアサギを制し、ゆっくりと手を離した。
「ご、ごめんなさい」
慌てて自分の口を塞いで半泣きで謝罪するアサギを、ロシファは射抜くような視線で見つめる。
「ところで……貴女の使命は何かしら? 魔王を倒すことかしら?」
「違います! 最近思うんですけど、私がここに来た理由って、人間と魔族の戦いを止める為なのかなって。どちらも、勘違いしてると思うから……」
それしかないとアサギは判断し、決断した。若干まだ懊悩が心に渦巻くものの、力強い瞳で魔王らを見つめていく。
満足そうにロシファは微笑むと、そっと髪を撫でる。
「ならば、その為に武器が必要。魔界の王、人間の勇者、エルフの長、三者が揃っても足りない。アサギ、貴女に致命的にかけているものは名声。今の貴女を勇者と崇める人間など、いないでしょう? ただの可愛らしいお嬢さんだもの、誰が受け入れるかしら。だから、その為に武器が必要なのよ。圧倒的に存在感を放つことが出来る物よ、勇者を誇示しなければ。
改めまして。初めまして、勇者アサギ。私の名はロシファ、現エルフの長を勤めております」
地面に両手をつけたロシファは、軽く微笑む。
ズア……!
途端、風が突如として吹き荒れた。
皆は、唖然とした。足元で草木が一斉に成長し、花が咲き乱れる。
「わぁ!」
感嘆の声を漏らしたアサギと、呆気にとられたハイは成り行きを見守る。
「ロシファ、不用意に力を使うな!」
「あらアレク、いいじゃない細かいこと言わなくても」
焦燥感に駆られて止めに入ったアレクに、飄々とロシファは返事をする。クスクスと無邪気に笑うと、軽やかにその場で踊り出す。
エルフは、破壊とは正反対の力を所持している。生命の源を増幅させられるからこそ、体内に湧き出るモノを他者が摂取すれば、その者は力を増幅させられるのだろう。これが、エルフ達の宿命。貪欲な者達に狙われる原因を、皆は疎い、嫌悪し、呪ってきた。
美しき庭に、見目麗しい華が咲き乱れる。
興奮する一同の中で、アイセルは一人写真を眺めていた。マビルに教える為に、目に焼き付けている。一人一人に視線を移すが、トモハルが気になり食い入る様に見つめた。目が逸らせない、胸の奥で何かが音を鳴らす。アサギの対の勇者だから、といえばそれまでだが、何かがざわめく。
「茶色の髪に、瞳……」
瞳を細め、輪郭をなぞる。
百花繚乱、魔界の箱庭。
麗しき三人の魔王に囲まれた、幼き美貌の勇者一人。
凛々しいエルフの姫君と、肩を並べて空を仰ぐ。
傍らに四人の精鋭魔族をおき、香しい楽園の庭。
「また、逢いたいわ。もっと貴女と話がしたいの」
「はい、また遊んでください」
花弁が、アサギの唇にふわりとついた。
微笑んでそれを摘んだロシファは、優しくアサギの頭を撫でる。
「私の理想は貴女と同じよ、皆が安心して暮らせる世界を創りたい。無論アレクも同じ」
「はい」
力強く頷いたアサギに満足そうに、ロシファも頷く。急に真顔に戻ると、後方に佇んでいたアレクに振り返った。その鋭い瞳に、スリザですら息を飲む。
「アレク。エルフの長として一言よいかしら。早急に貴方の従兄弟達に招集をかけなさい、機を逃してはならない」
「そうだね」
エルフの姫が、ここまで凛々しく気丈だとは誰も思っていなかった。アレクが完全に尻に敷かれている。
「私達が掲げる理想は、荊の路であって、容易ではない。貴方達にアレクへの忠誠心があるのならば、彼を必ず護って」
「それは心外なお言葉。勿論です」
スリザがロシファに平伏すと、サイゴン達も同じ様に平伏す。次期魔王の后になるであろう、エルフの姫君に傅く。
「それから……魔王ハイ様、魔王リュウ様。今お聞きになられた通り、惑星クレオは種族共存を計ります。賛同されるのならばともかく、妨害されるのであれば。即刻、故郷の星へお戻り下さいませ」
糸が張り詰めたような細くも鋭い声で、ロシファは二人の魔王を軽く睨みつけた。
「私は賛同しよう、そして見届けよう。いや、共に参加させてもらえないだろうか」
凄まじい威厳を発するロシファに、怯みながらも素直にハイは言葉を述べる。危うく彼女の気迫に飲まれそうになっていた、微かに言葉が掠れている。
満足そうに微笑んだロシファはリュウに視線を移した。そこからすでに、笑みは消えている。
「妨害はしないぐ」
つまり、賛同はしないということか。
ロシファに視線を移さずに、リュウは空を仰いだままそう呟いた。
眉間に皺をよせ、ロシファは唇を噛む。この場だけでも同意する素振りを見せると思ったが、やはり食えない相手だと改めて認識した。
「規律を乱すようならば、追放いたします。私の全魔力にかけて」
「望むところだぐ」
のほほん、と微かに愉快そうに笑いながら、リュウは呟いた。
気に食わない返答にアレクは眉を顰めていたが、ロシファは鼻で笑っている。
二人の間に火花が散る、相手に不足はないと楽しむように形だけの笑みを浮かべる。
「神がここにいないのが残念ですね。全く……いつまで経っても、協調性がない事」
髪をかき上げながらそう呟いたロシファに、アサギが意外そうに声を張り上げる。
「ロシファ様は神様を知っているのですか?」
「文献でね。空のお城に住まっているだけの存在よ、肝心な時に何もしない体たらく。一応存在するけれど、空気のような存在。空から私達が見えるのならば、この場に即刻来て、賛同するべきよ。そうしたら、確実に何かが変わるのに」
悪態つくロシファの額を、アレクが小突く。神の代理として、勇者が導かれ来ているのではないか、と思慮したが口にはしなかった。
暫し会話を愉しみ、陽が傾くとアレクと共にロシファは帰宅した。それを合図に、お開きとなる。
「おい、リュウ。貴様、今後アサギの近くに寄るのは禁止だ」
「冗談だぐ、悪かったぐ、もうしないぐ」
「駄目だ、信用できない」
「酷いぐー、ハイが虐めるぐー。アサギ、なんとかするぐも」
「アサギを頼るな!」
思いの外疲弊したしたリュウは、一直線に自室へと戻った。そして、死んだように寝台に倒れ込んで突っ伏す。
「リュウ様。自らを危険な目に曝さずとも」
慌てふためいたリュウ七人衆に取り囲まれた。彼らは昼間も、リュウの傍に居た。一発触発、幾度飛び出そうと思ったか。
「勇者は、危険に御座います! 関わるのは止しましょう、災厄です」
「……よい、気にするな」
不安そうにリュウを見つめる七人に、情けなく、静かに笑う。
「迷惑かけて、ごめん」
静かに寝息を立て始めたリュウを、七人は困惑気味に見つめていた。