子供も抱く恋心

文字数 6,384文字

 さざ波が、星を呼んでいる様に思える。 
 乗船してから幾度も月と太陽が入れ替わるのを見た、波に揺られながら眠るのにも慣れた。一体、どの位こうしていればよいのだろう。

 ……飛行機があればいいのに。もしくは、この船が豪華客船であればいいのに。

 ユキは叶わぬ願いを思いながら、一人甲板に立つと潮風にあたっていた。
 寝付けなくて、気分転換に来た。海から上がって来る風は、妙に湿っており、気分良いものではない。
 家族で船旅をした記憶は新しい。船旅といっても、片道一日程度のもので、復路は新幹線で帰宅した。父親が船でのんびり行こう、と言い出したので去年の正月に船に揺られていたのだが、現在とはわけが違う。風呂は共同だったが、家族で一部屋で、とても寛げた。退屈しないようにと、大道芸人も乗り込んでいたし、大広間にはピアノの演奏者もいた。子供用にとオセロなど簡単な道具は貸し出されたし、何より携帯ゲーム機とて普及している。退屈しなかった、海を眺めた記憶はない。
 しかし、現状は暇だ。昼間は魔法の勉強をしているので退屈しないが、電気がないので暗くなれば直ぐさま就寝する。
 不便極まりない。

 ……あぁ、地球に帰りたい。日本が恋しい。美しい自然の風景にも飽きてきた、高層ビルに埋もれたい!

 ユキは、唇を噛み締めて水平線を眺める。

「あれ、ユキ?」

 弾かれたように悲鳴を上げつつ振り返れば、トモハルとケンイチが立っていた。ふてくされた顔で海面を見つめていた自分を恥じ、俯く。“美少女”という立場を維持せねばならないユキにとって、他人といる時は気が抜けない。慌てて笑みを作ると、小首を傾げた。
 二人はユキの隣に立つと、一緒に波を見つめて潮風にあたる。

「アサギは、無事かな」

 けれども、勇者が揃えば当然話題はこうなる。

「アサギちゃんだもの、無事よ、きっと」
「そうだよね、でも、泣いてるだろうな。けど、俺達を心配してもいるだろうな」
「だから、泣いてないかも」

 トモハルとケンイチが、アサギについてあれこれ語り始めた。
 ユキは、一応アサギの親友だ。二人が、ユキを安心させようとしていることは、なんとなく理解した。
 しかし、聴いていると怒りが眉の辺りに這い始め、表情を変えていく。これ以上、この場に居たくない。一人でゆったりと、愚痴を呟いていた時間が最早懐かしい。何処にもぶつけられない込み上げる苛立ちを発散していたのだが、元に戻ってしまった。
 確かに、アサギは攫われた。
 勇者になりたいと願い、率先して皆を引き連れ才能を発揮していたが、見目麗しく彼女は、姫の様に悪者に誘拐されてしまった。
 アサギが何故攫われたのか、魔王の真意を勇者達は知らない。
 ユキは思っていた、もし、人質とするならば普通は弱い人間が選ばれるだろうと。となると、前線で戦うアサギではなく、自分が適任であると。囚われの身、それは、ある意味少女達が憧れたりもする。大体の少女向け漫画や小説は、最初の出会いは最悪だが、丁重に扱われ、端正な顔立ちで主人公だけを一途に想い続ける男に心を惹かれていくものである。

「本当に魔界にいるのかな、いなかったらどうしよう」
「そうしたら、魔王を問い質すだけだよ」

 真剣に会話している二人を横目に、ユキは仏頂面で海面を見つめる。

 ……アサギちゃん、丁重に扱われて、姫のような生活をしている気がする。美味しい物を食べて、素敵なお洋服を着て、ふかふかのベッドで眠って。旅をしている私達が馬鹿らしくなるくらいに。

 ユキの勘は、間違っていない。それは、単に勘なのか。それとも、“親友として近くで見てきた”為、不幸を回避し、類稀なる幸運に恵まれていることを知っているからなのか。
 自信を持って、処刑されていないと言える。そして、苦労を強いられているとも考えられない。何故と訊かれたら、それは“アサギ”だからと答える。
 常識が通用しない、誰もが羨む全てをアサギは持っている。
 思い出すだけで腸が煮え繰り返り、舌打ちする。苦労せずとも、自分の望むものを手に入れてきた、アサギ。近くに居ると、本当に惨めで仕方がない。努力をして勉強をしても、アサギの方が点数が高い。こちらは、高い月謝を払って塾へ通っているというのに。穴が開くほど雑誌を見てお洒落を勉強しても、さらりと着こなすアサギに勝てない。顔の偏差値は同じでも、体格で差が出る。

 ……イライラする!

 船旅をし、服も満足に着替えられず、そもそも入浴すら出来ず、ただ魔法の勉強に明け暮れる……それはアサギを助け出す為だが、理不尽だと思い始めていた。

 ……あぁきっと、ピンクのふわふわのクッションに囲まれて、見たこともないような宝石を身に纏い、ドレスを着せられてイケメン魔王に求婚されているんだわ! 最近流行ってた異世界転生逆ハーチート的な物語の真っただ中にいそう。

 ほぼ的中している。
 ……どうしてアサギちゃんなのよ。そもそも、勇者になりたい、って馬鹿みたいな夢を抱いていたのは、アサギちゃんでしょ!? どうして私が泥まみれにならなきゃいけないの!? 攫われるなら、さらさらロングヘア―の私でしょ!?

『きゃあぁーっ、助けて、アサギちゃん!』
『あぁ、ユキ! おのれ魔王めっ、私の親友を放しなさいっ』
『はーっはっはっはっはっは! この美勇者は我が貰っていくぞっ。そして嫁さんにするのだ!』
『嫁だと!? なんて図々しい魔王なんだ! ユキは俺のお嫁さんになる人なんだっ』
『あぁっ、トモハル君嬉しいっ! 助けに来てねっ』
『はーっはっはっはっはっは! よかろう、ならば助けてみせるが良いっ』

「だったらよかったのに。そうしたら、こんなにムカつかなくて済んだのに」

 ユキの妄想は、膨らむ。
 苛立ちの矛先は、確実にアサギへ向いていた。自分が攫われ、アサギが助けてくれたのならば今ほど憎悪を抱かなかっただろう。
 ユキとて、頑張っているつもりだった。勇者四人の男子に混ざって、紅一点。
 しかし、彼らは口を開けば「アサギ」「アサギ」「アサギ」「アサギ」。

「あっれ、お前ら何してんの?」

 振り返れば、ミノルとダイキが近づいてきた。勇者が全員揃ってしまい、ユキの瞳の奥に憎悪が灯る。

「寝付けなくて」

 苦笑したケンイチの隣に立ったミノルは「俺も」と、ぶっきらぼうに告げる。

「アサギの話をしてた」

 トモハルの言葉に、ミノルは口を噤んだ。
 そしてダイキが、心痛な面持ちで呟く。

「大丈夫かな……心細いだろうな。俺達はこうして一緒なのに」

 ユキは、腹の底から溜息を吐いた。予想していた事が今、現実となる。

「アサギは……」
「アサギが……」
「アサギを……」
「アサギに……」

 疲れた表情でユキは蹲った。物凄い形相で唇を動かし悪態づくが、無論誰も気づかない。

「酔ったの? ユキ」

 ケンイチだけが不安そうに、ユキに話しかけた。
 しかし、他はあーだこーだとアサギの話を続けている。

 ……いらいらいらいらいらいらいらいらー! 

 頭を掻き毟りたい衝動に駆られたが、辛うじて堪えるとユキは立ち上がり笑顔を見せた。美少女としての自尊心は、一時の怒りで揺るがない。

「心配してくれてありがとう、ケンイチ。大丈夫」
「そっか、よかった」

 すると、ケンイチは勇者らの会話に加わる。
 ユキは途端不機嫌になり、舌打ちを繰り返した。もっと、自分を気遣ってくれても良いではないか。何故、皆の口からはアサギという単語しか出てこないのか。
 当然だ、“アサギは攫われている”のだから。心配されて当然だ。
 けれども、心配するだけ無駄だと思っているユキには、彼女の身を案じるということが理解出来ていない。それよりも、自分を見て欲しい、心配して欲しい。
 負の感情は、いとも簡単に増大する。そしてそれは、簡単には消し去れない。

 キィィィ、カトン。

 誰も、ユキがそのような闇を抱えていると思っていなかった。
 大人しく控えめな努力家であり、アサギの心からの友人。最もアサギの無事を願い、祈っている人物。
 ユキは心に巣食う悪意を、誰にも漏らしていない。そもそも、共に悪態付ける友人がいない。しかも、自分で作り上げた美少女像に、他人への悪意はあってはならないものである。だから、ずっと押し込めてきた。
 けれども、捌け口がなく、押し込められた悪意は肥大する。

「ツマラナイ」

 話の中心が、この場に居ないアサギなのが気に食わない。話が終わらないのが、癪に障る。胸の中にどす黒い何かが溜まっていく、吐き出したいのに、吐き出せない。

「ミノルって、アサギのこと嫌いなんだろ?」

 呪詛の様に「嫌い」を心中で連呼していたユキは、何故そのような話になったのか解らなかったが、我に帰ればトモハルとミノルが向かい合っていた。
 真顔で告げたトモハルの瞳が真剣で、ミノルは言葉を飲み込んだ。硬直し、口籠る。
 皆、静かになった。
 波の音だけが、周囲に響いていた。
 ケンイチも、ダイキも、ユキですら知っている。
 知らない人物など、あの学校に存在しない。門脇実は、田上浅葱が大嫌いという、周知の事実。

「でも、嫌いだって言う割に……ミノルさ、アサギの写真買ってただろ」
「ぅ」

 肩を上下に揺らしながら大きく息をするミノルの顔は真っ赤だったが、更に赤く染まる。茹でタコも真っ青になるほどの、赤だ。
 ユキは、大口を開けてミノルを凝視した。
 ミノルは慌ててトモハルから離れると、全力で甲板を走りまわる。

「逃げるなよ、ミノル! 俺知ってるんだからな、部屋にアサギの写真飾ってあるの!」

 トモハルの追い討ちに、ミノルは身体が燃えるような恥ずかしさを感じた。
 ダイキとケンイチは、唖然と顔を見合わせていたが、素っ頓狂な声を上げる。

「う、うるせー! お前の錯覚だっ。どーして俺が写真を飾るんだよっ」
「運動会とか修学旅行とか文化祭とかスキー研修の時、写真買ってたじゃないかー」
「ど、どうしてそれを知ってっ」
「だって、隣の家で、部屋も向かい合ってるし……」

 甲板に倒れこみ、言い表せぬ羞恥心で転がるミノルだが、周囲の視線から逃れられない。どのみち、否定したところで誰も信じてくれないだろう。
 そもそも、トモハルの言うことが真実だ。

「ってか、どーしてこんな場所で言うんだよっ」
「こんな時だから言うんだよ! アサギを救うのはお前だぞ、ミノル」

 目を光らせ決死の表情のトモハルは、ミノルの胸ぐらを掴んだ。
 狼狽するミノルは、情けない声を出す。

「え……?」
「お前が、アサギを助けろ。散々苛めたろ、謝って自分の想いを伝えるんだ」
「よ、余計なお世話だよっ」
「そんな態度だからアサギに伝わらないんだよ。絶対誤解してるよ」
「や、やかましいっ」

 焦燥感に駆られたミノルだが、渾身の力で凄んでいるトモハルは、びくともしない。

「覚悟を決めろ。“間違えるな”」

 肩を竦めて笑うケンイチとダイキの傍らで、ユキが放心状態になる。

「何よ、両想いってこと?」
「えええええええええええええええええええええ!」

 ダイキとケンイチの絶叫が、こだました。
 船内から、仲間達が敵の襲来かと慌ててやって来た。
 一部始終を見ていた名もなき船員が「青春だねぇ」と微笑ましく涙を流す。
 声に誘き寄せられ人間の気配を察知した魔物が、海から突如飛び出してきた。
 戦闘開始、大混乱。
 直様魔法で応戦したトモハルを唖然と見上げたミノルは、慌てて立ち上がると魔法の詠唱に入る。二人は並んで、同時に魔物に対して雷の魔法を放った。息の合った連携に、照れくさそうに頭をかく。
 ミノルはまだ、両想いだと知らない。トモハルと目が合うと、恥ずかしそうに唇を尖らせる。アサギの為に正々堂々と頑張ろうと、暴露されて開き直った。
 問題は、ミノルではない。
 ユキの心が、闇に侵食される。

「わた、し、は」

 ユキは、大人しい性格も手伝って友達と呼べる人がいなかった。優等生で、美少女で、名は知られていたのに。転機が訪れたのは、小学四年の四月。アサギと同じ学級になった。
 この小学校ならば誰でも知っている人物で、眩しくて誰からも好かれて囲まれていたアサギ。そんな彼女と、親友になった。アサギといると誰しもが寄って来たが、そんな時でも、アサギはユキを優先した。
 自分を無下にしないアサギから、誰からも羨まれる立場を得た。
 けれど。
 誇らしい一面で、広がっていく嫉妬心。アサギ、アサギ、アサギ、アサギ、アサギ……皆それしか言わない、アサギがいなければ誰も近づいてこない。
 結局、アサギがいないと自分の価値がないのだと思い知らされた。
 誰も自分を見てはくれない。

「わたし、は」

 いつしか、戦闘は終わっていた。
 魔物を撃退し、未だに不貞腐れているミノルを冷やかすトモハルと、ケンイチ。
 ダイキは静かにそんな二人を見て、現実を受け入れていた。憧れていた存在だったものの、これが失恋なのかすら解らず、ただ、心がもやもやする。それでも、親しい二人が更に仲良くなるであろうことは、喜ばしい事だと思った。

「よく魔物の襲撃に気づいて呼んでくれたわね! 立派よ」
「いや、騒いでいたら魔物が出てきただけで、偶然……」
「えー、なんの話をしてたのー?」

 ユキは、賑わう場所で一人きりだった。勝利に湧く甲板で後退し、端へ移動しひっそりと闇夜に紛れる。

「ユキ、おいでよ。そんなとこにいないでさ」

 手を差し伸べてくれたのは、待ち望んでいたトモハルではなく、ケンイチだった。一緒に二人で数週間過ごしたこともあるし、気が知れた仲になりつつあった。
 ユキは、手を伸ばす。
 トモハルはアサギを好きではないと解った、だが、だからなんだ。相手が自分でないのなら、意味がない。
 アサギと、ミノルが両思いならば、自分も誰かと両思いになりたい。それが、アサギの傍で惨めにならずにいられる方法だと思った。それしかないと唇を噛み締める。
 アサギを助け、ミノルは告白するのだろう。そうなればそれを祝福しなくてはならない。間近で見なくてはいけない。

「……うん、ありがとう、ケンイチ」

 にっこりと、ユキは微笑む。控え目に口元に手をあてて、小首傾げて肩を小さく竦める。

 ……ケンイチは、優しい。一番、気にかけてくれる。だから。

 ユキは、大きく息を吸い込んだ。

「ケンイチ、傍にいてくれてありがとう」
「え? うん」

 きょとん、としたケンイチに、一層ユキは微笑む。

 ……そうだ、ケンイチにしよう、私の彼氏候補。優しいから大丈夫、アサギちゃんの仕草を真似して可愛らしく振舞えば大丈夫。きっと、すぐに私の事が気になる。背が低いし、際立ってかっこいいわけでもないけど、ミノル君よりずっとマシ。

 キィィィィ、カトン……。
 何処かで、何かが廻った音がした。
 けれども、浮き足立っている皆は気づけない。

 ……惨めな思いなんて、まっぴらごめんよ!
************************************************
ユキの番外編
「私、親友、好きじゃない」
という短編を昨日投稿してあります。

お時間があればどうぞこちらも合わせてお読みいただくと良いかもしれませんが、読まなくても問題はございません←
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み