繋がる糸

文字数 6,223文字

 寄り添う姿は、恋人の様。深い絆で結ばれ幾多の時を過ごしてきた、見えない糸で繋がっている二人。
 球体に映っている二人を見つめ、皆は言葉を失った。脳内が混乱している、これは有り得ないことだ。波を打ったように静かになった室内に、ようやく音が発せられる。掠れた声を絞り出したのは、クレロだった。

「そんな、筈は……どういう、ことだ」

 その問いかけには、誰も応じる事が出来ない。
 クレロとて言ってはみたものの、答えを求めていない。神である自分が理解不能であるのに、他の者達が現状を理解出来る筈がない。誰よりもこの球体について知っているのは、自分だ。しかし、目の前で見つめている光景が幻覚でないのならば、球体を理解していなかった。頭を抱え、覚束無い足取りで球体に触れる。

「過去が……変わってしまった」
「は?」

 頬を歪め吐き出したクレロの一言に、控えていた者達は一斉に呆けた声を出した。聞き取れた言葉は間違いだと、思っていた。しかし、聞き違いでも冗談でもない。皆は怯える瞳で球体を見つめる。おぞましい者がそこにいるかのように、嫌悪感を丸出しにして。

「あれは、過去のトビィ。現在のトビィは今頃竜に乗って飛行している、森にはいない」

 幾度か思案した天界人達は、馬鹿らしいが結論を出した。

「つ、つまりアサギ様は“過去”を球体に映し出し、その過去へ“時間を越え戻った”ということですか?」

 固唾を飲んで、皆がクレロからの返答を待つ。
 痛いほどの視線を浴びながらクレロは肩を竦めると、球体を見つめた。

「そういうことだな」

 淡々と告げたクレロに、皆が唖然と大口を開ける。神は、有り得ない事実を肯定した。

「そ、そのような、ことが?」

 皆の不安を他所に、さして慌てた様子もなく、クレロは飄々としている。口元に手をそえて思案している姿からは、異様なものを感じた。

「アサギは、過去を変えた」

 クレロは冷静だった。急に脳内が冴え、これが()()()()()であると認識した。自分の憶測が確信へと近づいた瞬間だ。

「アサギが過去を変えたのは事実、だが、間違いではない。これで()()()()()。我々が今見ている過去が真実で、正常な現実」

 天界人達は、混乱した。理解するには時間を要する、それほどまでにあり得ない。

「まさか」

 ソレルが不気味なものでも見るかのように、球体に映る二人を見つめる。畏怖の念が大半を占めるその視線に、皆も同調した。それだけのことを、アサギはやってのけた。神でもない、地球という異世界から来て勇者となった幼い少女が。

「察したか、ソレル。現在から過去へとアサギが飛ぶ、大罪に思えるが、それこそが正常な未来を作り上げる。もし飛ばなかったらば、逆に現在と未来が狂う。不思議な事だが、それがこの世界の摂理なのかもしれない。これは誤りではない」

 クレロは引き攣った笑みを浮かべて続けた。

「現在のトビィも、過去にあぁしてアサギに救われているのだろう。それで納得がいった、地球から召喚される前に、トビィはアサギと“会っている”という事実が。彼が見たアサギは、未来から来たアサギだったらしい」

 全員が、震えながらアサギを見つめる。ただの勇者ではなかったのか、一体何者なのか。
 神しか起動出来ない筈の球体を、人間の勇者は起動した。さらに、過去を映し出してそこへ飛んだ。
 ソレルが代表し一歩前に進み出ると、クレロに語りかける。意を決し、大きく深呼吸をして。

「クレロ様、そろそろ教えてくださいませ。勇者アサギは何者ですか? ただの勇者ではないのでしょう、貴方が()()()()()()()()少女です。今も、不可解なことを成し遂げました。その球体を作動させられるのは“神”ただ一人の筈、私達天界人は全員そう聞かされております」

 クレロの口から真実を語られることを願い、待った。口内に溜まった唾液を飲み込む音が、あちらこちらで響く。緊張は、極限状態だった。全てを白日の下に晒してくれることを、渇望した。
 しかし、残念ながら返答は待ち望んだものではなかった。

「解っていたら苦労はしない」

 神には、全てを見通す力を備えていて欲しかった。自分達の頂点に立つ者の威厳を、失って欲しくなかった。下界で人間と魔族とエルフと魔物が混沌とした世界を創り上げている際も、天界から高みの見物をしている種族でありたかった。誇らしい、下卑た種族とは違う、高貴な生れだと胸を張っていたかった。
 けれども、それらは覆された。異界から来た人間の勇者に。剣も魔法も使えなかった、ただの、少女に。
 蒼褪めていく天界人達には見向きもせず、クレロは語り出す。

「これは私の憶測、信じるも信じないも皆の勝手。だが、アサギに対して暴言を吐くことも、態度を豹変することも許さぬ。他言は無用と、心してくれ」

 陰惨な空気が、軋む。

「アサギは。……破壊の姫君として、邪教徒に祀り上げられることになる運命を持つ少女であるということを」

 天界人達は、“破壊の姫君”を反芻した。
 幼く可愛らしいアサギとは微塵も接点がなさそうだが、その片鱗は以前から見えていたと痛感する者はいた。召喚された勇者達の中で、常に何をしても秀でており、神が最初から目をかけていた特別な少女である。
 特異、としかいいようがない。

「何度も繰り返すが、これは私の憶測。類稀なる力を所持した者は、常に世に翻弄される。例えば『悪魔の子』と呼ばれ忌み嫌われた赤子が、地下に幽閉された話。嘆き悲しむ赤子に手を差し伸べた悪魔によって、文字通り成長した赤子は国を滅ぼした。もし、幽閉などせずに普通に育てていたらどうなったろう?」

 クレロの問いに、天界人達は答えなかった。

「つまりは、そういうことだ。本人に意思はなくとも、抗えず流され身を堕とす可能性はある。特に、多感期の少女であれば尚更」

 球体にもたれ、俯いたクレロに皆が口を紡ぐ。知らず身体が震えた、厄介な人物を連れてきたものだと、勇者の石を呪った。ただの異界の少女ならばよかった、だが彼女には影が付きまとう。

「……憶測の域をでないものだが」

 念を押されたところで、神の憶測をどう捉えればよいのか。
 クレロは唇を噛み締め、告げずに飲み込んだことを忘れようとした。この球体は“神にしか”起動出来ない。それが真実であるならば、アサギは以前神だったものの転生した姿か、神を凌駕する存在となる。
 
「私は、()()()()()()()()筈なのに」

 クレロは、祈るように呟いた。
 球体の中のアサギは、トビィの愛剣ブリュンヒルデを丁重に抱え、血の滲んでいるその胸に静かに横たえる。そうして上半身を抱き起こし、数回瞬きをしてから瞳を閉じた。
 クレロと天界人数名が、それに気づいた。
 球体に映っていた二人の姿が、忽然と消えたことに。そこに映るのは、不気味な程静かな森でしかない。

「手当てを、お願いします」

 滑舌のよいアサギの声が響く。
 幻聴ではない。普段のアサギよりどこか大人びたその声に、皆が身構え数歩後退し、無意識のうちに取り囲むような配置をとった。
 トビィを支え、先程と同じ体勢で大きな瞳を瞬きしているアサギに、クレロだけが手を差し伸べた。
 他の者達は、瀕死の状態に思えるトビィすらも助けようとせず硬直した。瞳には、恐怖と不安が入り混じっている。

「……安心なさい、必ず良くなる。誰か、彼を救護室に!」

 クレロの声に直様反応出来たのは、ソレルのみ。無言でトビィに近づくと、極力身体を動かさないように宙に浮かせた。
 安堵し大きな溜息を吐いたアサギは、一礼するとトビィの剣を抱えその後を追う。
 クレロは怯えている天界人達に「下がりなさい」と伝え、アサギを追った。
 奇怪な勇者に平然と近寄ることが出来た者達に、天界人達は恐れおののいた。あれは、人間ではないと思い始めた。
 では、一体何か。解るのは、アサギは過去へ飛び、過去の人物を連れ帰ったモノだということ。

 顔面蒼白のまま急ぐアサギだが、幾つもの部屋を通り抜けたものの救護室には辿り着けなかった。天界城は壁の色彩が何処もかしこもほぼ同じで、慣れていないアサギには何処を歩いているのか把握出来ない。一人で来たならば、確実に迷子になってしまう。道を憶えようとするのだが、目印になりそうなものはない。
 ようやく、ソレルの足が止まった。突き当りの扉には、天界人が扱う文字が掘られている。潜り抜けると、純白の部屋が待っていた。中央に一つだけ寝台があるがそれ以外は何もなく、実に簡素。
 宙に浮いていたトビィは、そっと寝台に横たえられた。
 アサギは駆け寄って覗き込み、トビィの薄い唇に耳を近づけ呼吸が正常か確かめる。耳に微かにかかる空気に、顔を綻ばせる。
 
「よかった、大丈夫」

 涙を浮かべそのまま寝台に突っ伏したアサギの隣に、クレロが立った。

「好きな時に、この場所に来なさい。最初は解りづらいだろうが、何、途中で誰かに案内させればよい。この部屋は怪我人を収容する部屋でね、常に治癒魔法を唱え続けているのと同じ。直に回復するだろう」

 言われて、アサギは改めて部屋を見渡す。確かにこの部屋の空気は、外と違う気がした。懐かしい香りがする、強張っていた筋肉が自然と緩む。寒い日に、炬燵に潜った様な感覚と似ていた。
 静穏な空気が、心を解かす。

「ありがとうございます! これなら、トビィお兄様も大丈夫ですね」

 暫くここにいる、というアサギを置いて、クレロらは退室した。

「アサギの為に椅子を、そして食事が摂れるように机を早急に手配してくれ」
「承知しました」
「私は()()()トビィから目を離せなくなった、過去の自分に遭わせてはならない。意図的にあの部屋に向かわぬ限り、辿り着けない場所だが彼は勘が鋭い。天界城でアサギの姿を見かけ、後を追う可能性もある」
「万が一、トビィ殿が過去の自分に遭遇したらどうなるのでしょうか」

 クレロは、苦笑し肩を竦める。

「異例の為、参考文献など存在しないだろう。一応調べてみるが……。しかし、通常ではあり得ない事態なので、対面させるべきではない」

 安全策をとった。

「この時代のトビィ殿も、数か月前にアサギ様に看病されていた、ということですよね?」
「そういうことだ。現在トビィが二人存在しているという異常事態だが、それが通常らしい」
「アサギ様が救いに行かねば、トビィ殿はあの時点で死んでいた。とすると、勇者として地球から召喚され、旅をしていたアサギ様達にトビィ殿は合流出来ない。……全ての戦闘において、不利でしたね」
 
 トビィの活躍を細かくは見ていなくとも、彼の活躍は大体把握している。欠けるだけで、絶対的な力量不足になることは誰の目にも明らか。

「繰り広げられた魔物との戦いでも先陣を切っていたトビィだが、それだけではない。アサギは、彼に剣を習っている。そこで才能を引き出されたが、もし逢わなければ能力が開花することなく魔王に攫われている」

 クレロは喉の奥で嗤った、あまりにも、薄気味悪いことだった。

「船上では、ダイキが剣を習っている。勇者らの成長に貢献していた。何より、トビィが相棒のドラゴン達と他の仲間達よりも一足先に魔界へ行けなかったとなると……」

 クレロは寒気がして、大きく身体を震わせる。

「トビィの存在は、絶対的なもの。これは必然だ、トビィは魔王戦において必要不可欠な人物なのだよ。多少空間を歪めてでも、生きてもらわねば困る」

 そう、トビィが不在では困るのだ。

「……クレロ様、それを平気で成し遂げたアサギ様が、私は恐ろしゅう御座います」

 クレロは、口を閉ざした。
 神でもないのに、神と同等、いやそれ以上の能力を持つ勇者であり、破壊の姫君と成り得る異界から来た娘。いよいよ、得体が知れない。

「失礼を承知で申し上げます。このまま、アサギ様と共に歩むことが最善だと思いますか?」
「当たり前だ。彼女は、何が何でも護りぬかねばならねばならない存在だ」

 控え目に告げたソレルに、クレロは一喝する。
 荒々しいその声に、ソレルは硬直した。そして、「申し訳ございませんでした、失言ですね」と呟きしおらしく頭を下げる。しかし、アサギに肩入れしているように見えるクレロに不安を覚える。何故そこまで、親身になるのか。それこそ、愛情を注ぐように。寧ろ、何処か敬うように。

「では、失礼致します」

 心は揺らいだままだが、ソレルは職務に戻った。クレロは、過剰なまでに皆に説明をしない。口数が少ないというより、肝心な事しか話さない。その為、不満を口にする天界人達とている。アサギについて、他に知っていることがある気がしてならない。杞憂であればと願いつつ、ソレルは深い溜息を吐いた。

 すぐに、アサギのもとへ机と椅子が運ばれた。また、簡易な食事と茶も並べられた。
 アサギは用意してくれた天界人に深く頭を下げ、感謝する。だが、椅子には座らずトビィの顔を覗き込んだ。

「トビィお兄様……ここなら、大丈夫ですよ」

 やんわりと微笑み、美しい髪に指を通す。血は止まっているが、衣服には血痕や土が付着しているので、着替えさせて洗濯しなければと意気込んだ。

「トビィお兄様、頑張ってください。でないと、吸血鬼が住み着いていたジェノヴァ行きの洞窟で、お逢いすることが出来ません」

 アサギはおもむろに手を伸ばし、トビィの頬に触れた。瞳を閉じ、回復魔法の詠唱を開始する。

「いにしえの、ひかりを。
 とおきとおき、なつかしきばしょから。
 いま、このばしょへ。
 あたたかな、ひかりをわけあたえたまえ。
 かいきせよ、イノチ。
 やわらかであたたかなひかりは、ココに。
 ……全身全霊をかけ召喚するは、膨大な光の破片」
 
 ぼんやりと発光するアサギの身体から、トビィに光りが送られていく。心地良い体温に包まれて、まるで胎児に戻り母親の中でゆらりと守られているような感覚に微睡む。

「だ……誰、だ?」

 トビィの声が聞えたので、弾かれたようにアサギは瞳を開き破顔した。

「私は、アサギといいます。大丈夫です、怪しい者ではありません」

 薄っすらと瞳を開いたトビィが、小さく吹き出した。何度も静かに瞳を閉じ、ゆっくりと瞳を開いてアサギを見つめる。互いを、何も語らず見つめ続ける。
 それは、見知った瞳だった。
 遠い昔から、ずっと傍にあった瞳だった。
 瞳の奥の光が、今、再び結ばれる。

「怪しくはないが、驚くほどに美しい娘だ。ここまで綺麗な娘を初めて見るが……なるほど、天女が迎えに来たのか?」

 冗談交じりに言ったトビィだが、アサギはそれを真面目に受け取った。

「違います、生きています。倒れている貴方を助け、看病しています。傍にあった貴方の剣も持ってきました。ここは安全ですから、早く良くなってくださいね」

 真顔のアサギに、トビィは多少残念そうに小さく笑う。身体が痛み顔を歪めたが、再度その姿を瞳に映す。

「ありがとう、アサギ。それにしても、綺麗な髪だな。豊かな新緑色の柔らかく艶やかな髪に、大きな瞳は美しい深緑色。軽く頬を桃色に染めて、熟れたさくらんぼの様な唇を持ち。まるで少女達の夢物語、御伽噺に出てくる姫様のような容姿。その愛くるしい顔立ちは、見る者全てを魅了してしまうと言っても過言ではない。華奢な容姿なのに何故だろう……力強く感じる。不思議な娘だ」
「それは、大袈裟ですね」

 居心地が悪そうに微笑むアサギに、トビィは腕を伸ばしその髪に触れる。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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