囚われ勇者の日常生活
文字数 6,557文字
アサギは軽く瞬きをしながら瞳を開く。幾度も瞬きをした、見たこともない天井の模様に、豪華なシャンデリア、暖色系の壁紙。数分後にようやく頭が回転を始めたので、ここが何処か思い出す。
ここは魔界イヴァン。魔界で自分の部屋だと案内された場所。
右手を軽く額に添えて、数分ベッドの中で思案する。隣が暖かいので首を動かして見れば、ハイが眠っていた。驚かずにじっと寝顔を見ていたアサギは、ようやく昨夜の事を思い出した。一人きりが怖かったので、助けを求めたのだった。
アサギはベッドの中で腕を、脚を、思い切り伸ばして深呼吸した。起さないように、そっと脚から這い出して立ち上がる。カーテンから差し込む光に笑みを自然と零し、再び伸びをする。カーテンを開ければ窓辺に小鳥が二羽来ていたので、小首を傾げて「おはよう」と呟けば、お礼に可愛らしい囀りが戻ってきた。
部屋を見渡すと、テーブルの上に水差しがあった。喉が渇いていたので、コップになみなみと水を注ぐ。地球に居た時は、毎朝母が取り寄せてくれている水をコップ一杯必ず飲んでいた。常温の水を飲み干すと、地球に戻った気がして懐かしさと嬉しさを感じる。
ふぅ、と一息つく。
部屋を歩き回り、大きなクローゼットの前で腕を組んで仁王立ちになる。思案していたが、数分後に遠慮がちにそれを開いてみた。昨日も確認したが、やはりそこには大量の服が所狭しと並んでいる。目に付いたものを一つ、手に取った。そーっと着ていた寝巻きを脱ぎ、ベッドで眠っているハイから目を離さずに服を着替える。途中で起きられると、非常に困る。が、熟睡しているようだったので、途中から気にせず大胆に着替えた。
「可愛い……ここの世界のお洋服は、みんなとても可愛い」
ジェノヴァで買い物をした時も思ったが、好みのデザインが多い。感嘆の溜息を漏らし、ユキと一緒にクローゼットをひっくり返して着せ替えごっこを愉しみたい衝動に駆られる。
「そうだ、浮かれている場合じゃなかった。後で魔王様達に相談しないと」
言いつつも、鏡の前で一回転をしてみる。
淡い水色のワンピースは、腰と胸元に大きなフリルのリボンがついている。サイズを確かめるが、完璧な程合っている。一体どうやって揃えたのかが疑問だが、深く考えない。
考えないほうが、身の為だ。
部屋の片隅に設置されていた洗面所で顔を洗う、蛇口を回せば水が出る仕組みに正直驚いた。ジェノヴァで宿泊した宿では、井戸水を桶に汲んで洗顔した。
「魔界の方が、私達の生活に近かったりするのかな」
水がとても冷たかったので一瞬手を引っ込めたものの、慣れれば心地良い。
目が冴え渡る、脳も正常に動き始めた。タオルで顔を拭きながら、アサギは部屋を徘徊する。じっとしていられない性分だ。肌に触れるそのタオルがまた心地良く、高級ホテル仕様のようだ。おまけに仄かに林檎の甘い香りがしている。眩暈がしそうなほど優遇されている事に、気が気ではない。
「アサギー、入るよー」
「え、あ、は、はいっ」
気を抜いていたので突然声をかけられ、飛び上がるように驚いた。
布をめくってリュウが入ってくる、ドアは破壊されたままだ。後ろに、ワゴンを押してきた女中数人を引きつれている。空腹にずしん、と響くパンの香ばしい香りに、素直に喉を鳴らす。
「おはよう、アサギ。朝食、一緒に食べようと思って。ハイは……寝てるのだぐ?」
「おはようございます。ハイ様は、寝ていらっしゃいます」
アサギに問わずとも知っていた、ベッドに膨らみがあるので一目瞭然だ。呆れた溜息を吐くリュウは、おどけて肩を竦める。
綺麗に身支度を整えているリュウは、ソファに堂々と腰掛けると軽く顎で女中に指示し、テーブルに料理を並べさせた。
そうして、小声で、冗談めかして呟く。
「何、昨晩はそんなに頑張ったのだぐ?」
「ふぇ?」
「やー、なんでもないのだぐ」
そんなわけ、ないぐーか。リュウはそう付け加え、何をしたら良いのか右往左往しているアサギを見つめる。
「まぁ、寝顔を一晩中見ていた、というオチなんだぐーなー」
正解である。
用意を手伝おうとしているアサギを呼びつけ、自分の隣に座らせた。メイド達の動きが止まるまで、暫しアサギと会話を楽しむ事にする。
「よく、眠れたぐ?」
「あ、はい。とても」
「ならよかったのだぐー」
にっこり、微笑むリュウに釣られてアサギも思わず微笑みを返す。
やがて全ての料理がテーブルに並ぶと、徐にアサギに手を差し伸べて立ち上がる。
「アサギ、私はお腹空いたのだぐ。ハイを起して食べるのだぐ。起してみるぐ」
「熟睡していらっしゃるようなので、申し訳ないのです」
「やー、多分勝手に朝食を食べたほうが後々憤慨しそうだぐ、多分アサギが起せばすぐ起きるから。やってみるといいぐ」
「そうですね、一人で食べるよりもみんなで食べたほうが美味しいですものね。起してみます」
アサギは戸惑いがちに近づき、そっと手を伸ばした。
その間にリュウはテーブルに移動し、着席してパンの一つを手に取り、齧りながら様子を観察している。
「ハイ様、朝です」
手を添えて軽く、揺さ振ってみた。
瞬間、ハイの瞳がぱっちりと、というか、大きく見開かれた。ばねのように上半身を垂直に起すと、爽やか過ぎる笑顔でアサギに微笑む。
「おはよう、アサギ。よく眠れたかな?」
「……あ、はい。おはようございます」
目覚めは、爽快だ。
二つ目のパンを齧りながら、リュウは単純すぎるハイの行動に必死に笑いを噛み殺して耐えた。
「あー。愉快、愉快。朝から楽しいぐー」
ハイだけ寝巻きで、朝食を戴く。焼きたてのパンに、柑橘系のジャムをつけて戴く。ベーコンにトロトロのオムレツ、瑞々しい野菜サラダに、ポテトのポタージュスープ、フルーツの盛り合わせが並んでいた。飲み物は濃いミルクだ、紅茶も珈琲も用意されている。
静かに食べている二人の魔王を見比べながら、アサギは首を傾げた。
……一体、私は何をやっているんだろう。
ようやく勇者は我に返った、というか考える余裕が出てきた。
全てがとても美味しいので、出されたものは綺麗に完食したものの、何故魔王と朝食を摂っているのか。また、その場の雰囲気に流されるところだった。
「今更だが、何故お前がここにいるんだ」
苺を平らげているリュウを嫉視し、苦々しく呟いたハイだが、見ていて気持ちの良い食べっぷりのアサギに満足し、食後のハーブティーを啜る。普段は朝食を抜く事が多いが、気分が良いので完食した。
「朝食を運んできたのだぐー、そんなあからさまに嫌そうな顔しないで欲しいのだぐーよ」
「手配だけしてくれればいいだろう、同席を許した憶えはない」
「酷い話だぐー……」
仲が良いのか悪いのか、紅茶を飲みながらアサギは交互に二人の魔王を見比べていた。
三人は、ほっと一息つく。実に優雅な朝食であった。
しかし、リュウは二人を交互に見つめ終えると、口角を上げてにんまりと不気味に笑う。厭らしすぎるその笑みは、ハイを震え上がらせるには十分だった。
最後の苺を食べ終わり、疎ましそうな視線を投げかけているハイと、不思議そうに小首を傾げているアサギに大きく頷き、爽やかな笑みを振りまく。
その笑みは、余計に胡散臭い。
「気味悪いな、なんだ」
背筋が凍りつく、リュウが始終笑みを浮かべている時は『ロクな事が起こらない』。
……何だ、一体。アサギに手を出したら承知しないからな。
目で訴えたハイだが、リュウはそ知らぬ顔して涼しげにさらり、と告げた。
「今日は、午後から魔族会議があるのだぐ。出席してもらうぐーよ、ハイ」
「聞いてない、急すぎる。欠席だ、そんなもの。そもそも、居候が出席して何になる」
ハイの瞳が冷ややかにリュウを捕らえた、仏頂面のハイならば魔王と呼ばれてもおかしくはない雰囲気だ。断固として拒否する態度で、ぶっきらぼうに言い放つ。
「今日はアサギと森へ出掛ける、もう決めた」
そっぽを向きながら、ハイは両手で耳を塞ぐ。
子供じみた行動に、一瞬リュウが顔を引きつらせた。
一方アサギは首を軽く傾げ、“魔族会議”という単語に非常に興味を持っていた。文字通り魔族達の会議なのだろうが、何を話すのだろうか。見てみたい、と率直に思った。だが、自分は魔族どころか勇者だ、見せてもらえないだろう。
内容は自分の事かもしれないし、仲間達の事かもしれない、気になって仕方がない。そしてハイ達が会議に参加している時は、何処に居ればいいのか不安になった。部屋に居れば良いのだろうが、寂しいと思った。不慣れな場所に一人は苦手だ。
身体を左右に揺らしながら物言いたげにしているアサギに、ハイもリュウも気づく。
「リュウ、その間アサギが一人になる。私は欠席だ。そもそも、毎回その会議は私には全く関係がないだろう。いつもくだない話ばかりだ、給料の件や物価やら、支給手当やら、設備投資等。この惑星の住人でもないのに、よくお前はその会議に毎回出席しているな?」
普通にアサギを気遣うハイを見て、リュウはますます意地の悪い笑みを顔いっぱいに広げた。
はにかみながら微笑んだアサギだが、ハイの台詞に些か疑問を抱いた。アサギが想像していた会議の内容ではなさそうだ、やはり魔族であろうとも給料等が気になるらしい。あまり人間と変わらないんだ、と思った。
無音で仄暗い部屋に集まった魔族達が、人間への侵攻時期を決めている……そんな会議が開かれる魔界であったならば、今頃アサギは殺害されているだろう。
大きく首を傾げるアサギは、眉間に皺を寄せる。どこをとっても勇者としてこの惑星に呼ばれた意味がないような気がして来る。
魔王二人と共に朝食を頂いている一応“勇者”。考え出したら意味が解らない、本当に魔族に人間は苦しめられているのだろうか。確かに魔物には幾度か襲われていたが、大将である魔王がこれでは納得が出来ない。
「アサギは一人にならないのだぐ。アサギも出席すると良いぐ、席も用意するから。興味あるぐ? どう、アサギ」
「え? えぇ?」
上の空だったアサギは、戸惑いを隠せず上ずった声を出す。勇者に内容を見せるということは、本当に自分達とは無関係の会議なのだろう。
アサギはそう解釈し、とりあえず興味はあるので軽く首を立てに振る。
「えと。見させていただけるのなら、是非」
「うん、そうすると良いのだぐ。アサギが出席なら、ハイも当然出席だぐー」
満足そうに大きく伸びをしながら、リュウはアサギに満面の笑みを送った。アサギが見たい、というのならばと渋々ハイも了解をする、というか、しざるを得ない。
困惑気味のアサギと、軽く青筋立てて睨んできているハイを、愉快そうにリュウは笑って見ていた。
「というわけで。もーしわけないけど出掛けるのは、明日にして欲しいのだぐ」
「……だな、森へ行くには半日では無理だ」
不貞腐れたハイは口元を拭きながら、軽く首を回している。寝不足気味なので、体調が思わしくないから明日のほうが都合が良いだろう。今夜も眠れない可能性が高いが。
了承したハイと、始終考え込んでいるアサギ。
二人を見て喉の奥で笑ったリュウは、椅子から立ち上がり軽く指を鳴らした。視線を集めたところで、両手を大袈裟に掲げその場で一回転する。
「さぁさ、よぉく御覧あれ!」
「ふぇっ!」
「んなっ!?」
リュウの声に布を押し退けて、数人が部屋に雪崩れ込んできた。
その数、七名。アサギと同じ歳頃の少年やら、中年の男性やら、年齢も性別も様々だ。小さく浮いている少女もいる。
「な、何だ貴様ら!?」
慌てるハイと、唖然と見ているアサギの前で、七人は騒々しい音を立てて引っ張ってきた移動式の試着室を部屋の中央に用意した。
「我ら!」
「リュウ様七人衆!」
びしぃっ!
意味不明なポージングをする。中央に浮き足立って歩いていったリュウが揃えば、完璧である。
思わず、アサギは拍手をした。
人数が多いが、戦隊モノのノリに感動し拍手したアサギと、脱力感丸出しで項垂れたハイを他所に、愉快そうにリュウは再び指を鳴らす。
アサギの前に大きな箱が置かれる、デパートにある試着室に似た大きさのものだ。
「直感で決めたのだぐ、見立てに狂いはないと思うのだぐ」
パチン、と再び指が鳴る。
部屋から出て行くリュウと擦れ違い、女性三人が狼狽するアサギを取り囲んだ。
「失礼致します」
「え? え?」
ワンピースに手をかける女性に、一気に頭に血が上ったハイが、怒涛の勢いでそれを止めさせるべく立ち上がった。
「あぁっ、何してんだ貴様らぁっ!」
激怒するのも当然だ、アサギを救出すべく顔を真っ赤にして進むハイを、残りの者が懸命に押さえ込み部屋の外へ連れ出す。死に物狂いだった、魔王を羽交い絞めにする行為など自殺行為だ。
絨毯に踏ん張った跡をつけながら、引き摺られていくハイはひたすら喚く。無残にも部屋の外へと連れ出され、強行手段で魔法の詠唱を開始した。
両腕から電撃が迸る、流石に顔を引き攣らせ喉の奥で悲鳴を上げるリュウ七人衆の一部だが、余裕の笑みでリュウがハイの前に立ちはだかった。
「心配しなくていいのだぐ、きっとアサギもハイも喜ぶのだぐーよ」
爽やかな笑顔、そして声。
しかし。
「ええいぃ、やかまし、ゴフゥ!」
リュウは暴れるハイの鳩尾に、目にもとまらぬ速さで二、三度拳を叩き込んだ。憂いを帯びた表情で、困ったように天井を見上げながら芝居めいた口調で語り出す。
「やだなぁ、大人しくしてれば痛い目合わずに済んだのだぐー。物理的には私のほうが断然上、ともかく悪いようにはしないから、見ているぐ」
大袈裟な溜息を一つ零し、無邪気に笑う。
ハイは苦し紛れに悲鳴を上げた。アサギの名を切なく呼ぶ、廊下に響き渡った悲痛な声は虚しく周囲に響き渡る。
それから、暫くして。
部屋から騒がしく走り回る音がしていたが、それが急に止まり、徐に布が開かれた。出て来た女性達は、跪くと優雅に頭を垂れる。
苦悶の表情を浮かべ、脂汗を額に浮かべて部屋を見たハイの呼吸が止まる。
悪戯っぽい目つきで、子供のように胸を躍らせたリュウも部屋を見た。
「……えーっと」
漆黒の髪に、大きな純白の花を。可憐な花柄の光沢ある薄紫の生地をベースに、幾重にもレースが重なったセミロングのドレスを着用したアサギが、照れながら姿を現す。
歓喜の雄叫びを上げ続けるハイの傍らで、勝ち誇ったようにふんぞり返っているリュウは、拍手でアサギを出迎えた。
「はははのはーっ、どぉだぁぐー、ハイ。私の見立ては」
「見事だ、リュウ! 素晴らしい、素晴らしいぞぉっ! お前、イイ奴だったんだな。美しすぎて眩暈が。なんかもう、神々しすぎて直視出来ない、ごふぅ」
先程の苦悶の表情など何処へやら、羽交い絞めにされていた身体を解放されて、ハイは一目散にアサギに駆け寄った。
髪を撫でると、赤面しながら当惑しているアサギにそっと、耳打ちをした。
「とても似合う。先程の服も良いがこうした正装もとても、良い」
「えと、ありがとうございま……す」
そんな二人を見ながらリュウも、満足そうに頷いて七人衆に労いの言葉をかけた。
「では、会議にはその衣装で出席すること、なのだぐー。うん、私からも一言。『とても、似合っているよアサギ』」
照れ笑いを浮かべたアサギは、控え目に会釈をした。
しかし、何故会議にこのようなドレスで出席しなければならないのか。正装が基本の会議なのだろうか。アサギは、脳内で乱舞する疑問符と共に、ハイの手を取る。