疑問の音
文字数 4,269文字
太陽が昇り始めると、寝ぼけ眼の一行はそれでも朝食を慌ただしく済ませる。山羊のミルクに、胡桃入りの焼き立てパン、牛肉をじっくり煮込んだスープが宿の朝食だった。スープには野菜がたっぷり入っていたので、栄養も良い。
早朝だが、マダーニに連れられて直様近くの酒場を回ることになった。
「早く寝ろと言ったのに」
完全に寝不足のマダーニとアリナの姿を見るなり、ライアンは落胆して頭を抱える。二人が眠りに就いたのは二時間ほど前だった、寝ていないに等しい。
けれども足元ふらつかせつつマダーニは歩く、一応責任感はあるらしい。アリナは駄々をこねて、クラフトにおぶられながら寝ていた。
早朝なので街は静まり返っている、酔い潰れた客が店先で眠っていたりはするが、歩く人の姿はまばらだ。
マダーニは、ジェノヴァへ約三週間ぶりに戻ってきた。これから、馴染みの店で最新情報を聞き出すつもりだ。客の多く滞在する夜より、早朝ひっそりと聞くことを選んだ。昨夜もアリナと二人で何軒か梯子し、呑みながら様々な話に耳を済ませていた。決して、自己の為だけに酒を呑んでいたわけではない。
多分。
マダーニは“最後の夢”と書かれた看板がぶら下がっている、綺麗とは言えない店へと入っていく。薄暗い店内は、奥にマスターと思しき人物と、屈強な男達が数人で何か顰めき合っている。入ってきた一行に一瞥をくれ、その屈強な男達は脇をすり抜けて店から出て行く。
異様な雰囲気に、ユキはアサギにしがみ付く。確かに、子供には恐怖だ。
酒の香りが店内にまだ残っているその場所で、マダーニは手身近な椅子を引くと腰掛けた。それを見て一行たちもなるべく音を立てずに、椅子に座る。
全員が座ったところで、マスターが一言。
「あいつらに警護は任せた、安心してくれ」
その声には、妙な安心感があった。余程マダーニとの信頼関係が厚いようだ。
「ありがとう。さて本題に入ろうか? 何か情報があるってことだよね」
マスターが神妙に頷く、マダーニの表情から笑みが消え失せ緊張が走り、皆も固唾を飲んだ。
「シポラの情報だ。あそこは、邪教徒の本部だそうだ」
「……いきなりそんな確信めいた情報なわけ? 何処が出元?」
酔いが一気に冷めた。嘲る様に吹き出し、微かにマスターを睨みつけるマダーニ、その情報はにわかに信じ難い。
しかしマスターは喉の奥で笑うと、机に突っ伏して頭を抱えているマダーニに自信を持って話を続ける。
「逃げてきた教徒が居るんだよ。……ほら、出ておいで」
店の奥に声をかけるマスターの声に導かれ、中年の男がよろめきながらゆっくりと歩いてきた。血色が悪く、立っているのがやっとな風貌のその男は、窶れ細っている。出てきてもらったのが、申し訳ない状態だ。
「この男、まだ二十六歳だそうだ」
「にじゅうろく!」
とてもそうは見えない、驚いて声を口々に上げる一行、どう見ても五十代前半だろう。白髪まみれで痩せこけた頬、目は落くぼんでいる。
顔を上げ、マダーニは瞳を細めると疑り深くその男に視線を投げかけた。
「教祖は魔族、崇めているのは“破壊の姫君”。姫君だから、女性だな。その姫君とやらは今この世界に実在するそうだ」
「ちょっと待って、何でそんなこと解るわけ? 作り話ではなく?」
マスターの口から飛び出る言葉に、マダーニは乾いた笑い声を出す。
マダーニはジェノヴァを訪れてから、情報をマスターに求めていた。母の事を知っていたこの男を信用し、シポラ関連の情報を探って貰うように頼んでいたのだ。だが、こうもあっさりと解るものなのか。都合よく行き過ぎではないかと、どうしても邪推してしまう。
「この男ザークという名らしいのだが、シポラへ行ったところまでの記憶はあるそうだ、だが中で何をしていたのかが欠けている。それでも、何度も繰り返される“破壊の姫君”という単語と、像に向かって平伏していた様な感覚、そしてその像の左右に立っていた魔族二人だけが不意に甦るらしい」
マダーニは低く唸り続ける、罠の可能性はないのだろうか。よく逃げ出すことが出来たな、この男……そう思ってしまうのだ。
「催眠、でしょうか? 記憶がないというのは、誰かに操作されているからでは」
後ろで控えめにアサギが発言する、弾かれた様にマダーニは振り返った。
「忘れてた。昨日逢った魔族が『邪教徒から護ってください』とかなんとか言ってた。邪教徒の存在はあながち嘘じゃないかもね。不思議な男でオークスって名乗ったけど……関係あるのかしら?」
「あー、オークスならボクも昨日逢った。魔族だろ」
アリナが寝ぼけながらそう発言する、ぎょっとして一斉に二人を交互に見る一行。アサギとユキだけが、軽く頷いてアリナに同意している。
「何故大事な事を言わないんだ!」
立ち上がって怒鳴るライアンに、しれっと二人は声を揃える。
「え、忘れてたから」
全く悪びれている様子がない二人、項垂れて机に倒れこんだライアンに代わって、マスターが戸惑い気味に声をかけてくる。この人も苦労が耐えないのだろうなぁ、と哀れみを浮かべつつ。
「その魔族は他になんと?」
「味方だけど、今は動けない。予測と食い違いがあった。えっと、魔族やら邪教徒やらから“あの方”を護って下さい」
「勇者の様子を観に来てた……とかなんとか」
マダーニとアリナが首を捻って、たどたどしく思い出した事を口走る。
血相を変えたライアンが跳ね起き詰め寄るが、生憎これが二人の知り得る全ての事である。一行は顔を見合わせ首を傾げ、眉を顰める他なかった。目の前にいる男もだが、あまりにも謎めいているその魔族の言葉を、どこまで信用して良いのか検討がつかない。
「その魔族を信用するのなら“勇者の所在が見つかってしまった”ということじゃな。……何処で知り得たのじゃろう」
ブジャタが静かに言葉を紡ぐ、皆は顔を引きつらせて俯いた。静まり返った室内の空気は、徐々に重くなっていく。
「クリストヴァルに勇者が現れたのならば、次に行く場所は確かにここ、ジェノヴァの確率が高いということなら、大概の情報を集めれば解るわ。でも、時期が一致しているのが、ね」
「味方なら何も問題はないでしょうね、勇者が知られても。ただ、魔族が勇者の味方をしますか? 魔王アレクに報告は? むしろ、魔王アレクからの指示で観に来たのでは?」
「一概に信用は出来ないけれど、嘘でもないと思うんだボク。殺そうと思えば何時でも殺せただろうに」
「敵なら……『護れ』とは言わないわよね」
口々に意見を出し始め、鉛色をしていた空気の中でも、室内は急に騒がしくなった。
困惑気味に顔を見合わせて肩を竦めていた勇者達は、敵としか思えない魔族に知られたという時点で恐怖を覚えてしまった。だがそれは、仕方の無いことだ。
ただ、アサギとユキにはどうしても出会った二人の魔族が、敵とは思えなかった。
「あの。あの二人、オークスさんとラキちゃんは大丈夫だと思います、悪い人じゃないです、絶対」
控え目だが、アサギが立ち上がって叫ぶように発言した。一斉に皆がアサギを見る。
「根拠はないです、でも、断言してもいいです、敵じゃないです」
「ええと……君が勇者かな? 物凄く可愛らしい勇者さんだなぁ」
「あ、はい。アサギと申します、一応、勇者です」
マスターは瞳を丸くしてアサギを見つめる、勇者がまさか女だとは思いもしなかった。ついでに、こんな幼く美しいとは。これではどこぞの姫君のようだ。言葉が出てこず、狼狽しつつマダーニに視線を投げる。
「大凡、私もアサギちゃんに同意見かな、私は一人しか見てないけど。邪悪な感じはしなかったね」
「あぁ、敵意が全く感じられなかった。不可解な点は残るけどさ」
マスターの視線は苦笑いで返し、アリナと深く頷いたマダーニは髪をかき上げる。
「つまり、普通なら勇者とは思えない人物を魔族のその二人は、見抜いたと」
マスターがようやく口にする、客観的に見ればそういう判断が的確だ。軽く首を振るマダーニ。
「彼女達の腕に、勇者の石が昨日まであったの。魔力を探れて、勇者の石の波動を掴む事ができればそれで判別出来るわ。彼に忠告されて、今は隠してもらっている」
「ほぉ? 隠せ、と忠告してくれたのならば本当に味方やもしれませんなぁ……」
ブジャタが髭を撫でつつそう言えば、再度静まり返る一行。意を決したのか、ザークが一歩前へ進み出ると、震えるか細い声で口から恐る恐る吐き出す。
「その姫君はとてつもない魔力と、類稀なる美貌の持ち主だそうです。誰しもが魅了されてしまうと。その姫君が本気を出せば、すぐにでも世界が破滅へと追いやられるとか」
「何でそんな危ないのを崇めてるのかしらね? 世界の再編でもしようっていうの? 魔王軍とは別物、ってことだものね」
それきり口を開かないザークは、疲労困憊で机に寄りかかった。
マダーニは軽い溜息一つ零し、数分思案していた。だが、これ以上の長居は無用と悟り、マスターに礼を述べると先頭切って店を後にする。
不安と疑問が増した一行の最後尾、黙って聞いていたトビィが、マスターに歩み寄る。
「竜が航路に出現したと聞いたが、知っているか?」
「あぁ、その話」
「何時からだ?」
「んー、一月前くらいじゃないかなぁ?」
「三体で間違いないのか?」
「あぁ、そう聞いてるね。黒竜、風竜、水竜の三体だと。あくまで『噂』だが」
「有難う」
顔色一つ変えず、質問を手短にするとトビィは何事もなかったかのように店を出る。アサギに追いつき、手を握って歩きながらトビィは軽く空を見上げた。
「間違いないな。クレシダ達だ」
……オレを探している。大事な相棒達、オレを待って、その近辺を動かないのだろう。
考えつつトビィは軽く唇を噛み締める、直ぐにでも再会したいところだが大海原に居ては簡単に辿り着けない。
「早いとこ迎えに行かないと」
小さく零すと手に知らず力が篭ったらしく、アサギが微動だした。“ドラゴンナイト・トビィ”、一行が知らない、本当の姿である。
一行は市場で食料を買い漁ると、そのまま太陽が天頂を通過する前に、街を後にした。