外伝7『埋もれた伝承』5:運命のいたずら
文字数 5,381文字
着飾った十五を超えた者たちが集まり、祈祷師から祝福を受ける知らせである。
成人の儀を迎える娘は、『これからも精進いたします』の意味を籠め、自らが縫った衣装で参加せねばならない。神にここまで成長できたという技術を披露するのだ。
アミィは草木染も得意だったので、華やかな色で布を染め上げ、好きな花の刺繍を施した。
「あら、素敵なお洋服ね」
「ありがとう、オルヴィス。貴女もとっても綺麗」
会場に出向くと、勝ち誇ったような笑みで告げられ尻込みする。アミィは控え目に頭を下げ、いつでも自信に満ち溢れて眩い彼女を見つめた。紫の布地は妖艶で、ひどく大人びた雰囲気だ。昨日までの彼女とは違った魅力に感嘆する。
「愉しみね。私、この日を待っていたの」
鼻を鳴らし、トリュフェと同じことを言った。アミィは口元を引きつらせ、無理に笑顔を作る。
「そ、そっか。私は……少し怖い」
「まぁっ、本当に子供なのねっ。貴女、
見下すように笑われ、アミィは羞恥心から頬を赤く染める。こうして隣に立つと、オルヴィスは大人びていて美しいので自分が子供に見えるだろう。
恥ずかしいやら情けないやらで衣服を握り締めると、目に入った刺繍すら子供っぽく思えてきた。
「綺麗な色の服だね、明るくて僕は好きだな」
顔に憂鬱な影を浮かべて突っ立っていると、肩を叩かれた。
「リアン、おはよう! ありがとう、でも、成人の儀だから、もっと大人っぽい色合いにしないと駄目だったかなって」
男は、母親が衣装をこさえる。いつもと違い、
「気にするなよ、今の自分を神に見てもらうために作るんだろ? それは個性さ」
オルヴィスを睨み付け告げたリアンは、アミィの手を引いて席に座らせた。先程の会話が聞こえていたので、腹が立っている。友達を悪く言われるのは、大嫌いだ。
そもそも、昔からオルヴィスはアミィに冷たい。理由は皆知っている、ただの嫉妬だ。
「華やかで美しいと思う。春の花に似ているから、神様もきっと喜ぶよ」
励ましてくれたリアンに頭を下げ、アミィは少しだけ元気を取り戻した。だが、トリュフェの件も含め、どうしてもオルヴィスを意識してしまう。
心が乱れたままでは神に失礼だと分かっていたが、胸が詰まるほどに苦しい。
「これより成人の儀を始める。静粛に」
祈祷師の祝詞が、太鼓の音と共に始まった。
瞳を閉じ、アミィらは頭を垂れて聞き入る。その間も、心が激しく波立つのを感じていた。
その後、朝餉会へ移動する。これも神事の一環であり、祈祷師と成人を迎えた者たちだけで戴く厳かなものだ。
黙々と食べる同年代を見つめ、アミィは驚いた。自分だけが、緊張している。他の皆は、堂々として精悍な顔つきをしていた。無駄な焦燥感に駆られ俯く。
何より、今後はトリュフェとトロワと共に愉しく食事をする事が出来ないことを悟り、意気消沈した。何気ない日々が大事だったことを、改めて痛感する。
この世は
食事会が終わると、村人から祝福を受ける。次々に祝辞を述べられ、これでようやく式から解放となる。
「ふぅ……」
気づけば陽が傾きかけている。あっという間に一日が終わってしまった。
アミィは木陰で休みながら、続く祭りを眺めていた。
オルヴィスは篝火の下で楽しそうに踊っている。子供らが花弁をまき散らし、草笛を吹いていた。真紅の髪を揺らしながら身軽に飛び跳ねる彼女は、やはり美しい。
皆と同じように残り僅かとなった祭りを愉しむ事が出来るが、気分が優れないのでアミィは帰ることにした。
「大丈夫か、顔色が悪いな」
「……慣れなくて、緊張しちゃったみたい。折角のお祭りなのに。去年は、笛を吹いて楽しく過ごしていたのだけれど」
ふらついて立ち上がると、トロワが手を差し伸べてくれた。そっと掴まると、力なく笑う。
「無理もない、儀式は息が詰まる。そもそも祝詞が異様に長い」
瞳を細め、数年前を思い出し告げたトロワにアミィは吹き出した。
「ふふっ。でも、生涯一度の祝詞だから、特別だよね」
「オレは無駄だと思うがな……。そもそも神なんているわけがない、祟りだなんて馬鹿らしい」
「ちょ、ちょっとトロワッ!」
いけしゃあしゃあと告げるトロワの口を、アミィは慌てて塞いだ。
「なんてことを言うのっ。よりによって、こんな時にっ」
「口にしないだけで、訝る者も多い。ベッカーのもとで外の世界について聞いたアミィなら分かるだろう? 奴がいた街には、神も掟もないそうだ」
「それは知ってるけれど……。この土地はもともと神様のもので、人間が借りているから、しきたりがあるって」
山に一礼し、トロワの代わりに非礼を詫びる。
「信心深いな。アミィは少し疑うことを覚えたほうがいい」
軽い溜息を吐き、トロワはアミィの手を握って歩き出した。
「芋煮をもらってこようか。温まるぞ」
「美味しそうだけれど、朝餉が多くて……」
昨日もこうして歩いた。だが、明日はどうだろう。
そう考えるだけで、気が滅入る。
「もう休むか?」
「うん。トロワも帰るの? それとも、戻ってお酒を呑む?」
「何を言ってるんだ、祈祷師の館へ行くに決まっているだろう」
夕陽が山に隠れようとしている。指で示し、トロワは肩を竦めた。
「アミィはオレを何だと思っているんだ……」
ブルブルと震えている太陽を背に、トロワは眉間に皺を寄せる。アミィの額を小突き、頬に複雑な笑いを浮かべた。
「夜這いに立候補した者は、日没に祈祷師の館へ集まる。そこで最後の儀式が行われる」
「トロワ、行くんだ」
何気なく吐露したアミィに、トロワは頭を抱え蹲りたい衝動に駆られた。
「当たり前だろう。オレが行かなくてどうするんだ」
「オルヴィスは美しいから、競争率が高そうだなって思ってたけど。そっか、トロワも」
平然と告げるので、流石のトロワも絶句する。鈍感な目の前の娘に、少しだけ怒りが沸いた。
「あのな。……オレが立候補したのはアミィだ。どうしてそこでアイツの名が出る」
危うく思考が止まりかけたが、冷静になって一言一句を重々しく告げる。
アミィは幾度か瞬きを繰り返してから、驚いて口元を押さえた。
「私?」
「当然」
「……妹分だから、違うと思ってた」
「はぁ」
今朝方、オルヴィスに言われた“妹のように可愛がられている”の筆頭は、トロワのことだと思っていた。しっくりきたので、アミィは信じて疑わなかった。
だから、夢にも思わなかったのだ。
「アミィは一度、自分を見つめ直すべきだな……。何も分かっていない」
呆れ果て深い溜息を吐いたトロワは、当惑しているアミィの髪を撫でた。
「で、でも、その、ありがとう」
はにかみながら見上げたアミィに、トロワは喉を鳴らす。瞳が涙で滲み、艶めいている。普段は幼い雰囲気だが、時折妙な色香が漂うので恐ろしい。
「ありがとう?」
湧き上がった劣情を抑え、トロワは冷静を装って聞き返す。
翳っていた心が晴れ渡り、アミィは笑顔を見せた。
「うんっ。神様は意地悪だな、なんて思ってしまったの。夜這いは、一人しか選べないでしょう? みんながオルヴィスに立候補したら、私はどうなるのかな、って。でも、よかった。トロワが来てくれるんだね」
トロワは鈍器で頭を殴られたように地面に蹲った。
「どうしたの、トロワ」
「……なんでもない。そうであればよかったが、現実は違うぞアミィ」
苦悶の声を絞り出し、トロワは大きく息を吐く。目の前の娘は、本当に何も分かっていない。計算ではないのかと思う程に。
足に力を入れて立ち上がると、アミィの頬を摘まんだ。
「ふみゃ」
「ただ、
思いつめたような表情で告げたトロワは、首を傾げているアミィの手を握り家へ送り届けた。
「ありがとう、おやすみなさい。……あれ?」
玄関に白い花が置いてあるのを見つけたアミィは、それを優しく持ち上げた。
「珍しいだろう? 今日も見つけたから、摘んできた」
「わぁ、ありがとう。なんだか鐘みたいで可愛いね。昨日のお花と生けると素敵」
白い小粒の花が、稲穂のように垂れて咲いている。
「そうしてくれると嬉しい。じゃあな、アミィ。
額に甘く口づけ、トロワは片手を上げて去っていった。向かう先は、祈祷師の家。
「おやすみなさい」
手を振って見送っているアミィを振り返り、にこやかに笑う。
だが、前を向くと険しい表情を浮かべた。
普段より五倍にも膨れ上がっているような祈祷師の館を睨み付け、唇を噛む。あの場には、魑魅魍魎がひしめき合っているだろう。
日没。
夜這いの立候補者が集う時間だ。
トロワは知っていた、アミィへの夜這いを申請した男たちを。その人数が、十を超えることも。
女の数が未だに少ないこの村は、独身の男が多い。別の村から花嫁を連れてくる者もいるが、それには相応の支度金が必要である。そもそも、農業が忙しく嫁探しをする暇もほぼない。
よって、この成人の儀は彼らにも重要なものだった。
「やぁ。遅かったね」
到着して早々、ベッカーが声をかけてきた。舌打ちしたものの、渋々頭を下げる。
「アンタも参加するのか」
「あぁ、勿論。“村に住まう独身男性”という条件に当てはまっているからね」
「儀式に参加し嫁を娶ると、村から出ることは許されない。……知っているか?」
「当然。祈祷師にも散々忠告されたよ。本当は数年で村を出る予定だった、しかし、
意味深な視線を投げ、口元に笑みを浮かべる。『君も分かっているだろう?』そう問われた気がしたトロワは、唇を噛み横を向いた。
すると、柱にもたれ腕を組み、こちらを見据えていたトリュフェと視線が交差した。二人の間に火花が散る。
「日没を過ぎている、お前は駄目だ。帰れ」
「やかましい」
緊迫した空気の中に、リアンがやって来る。
「まぁ、こうなるよねぇ」
神聖な場で喧嘩はしないだろうが、心配になるほど彼らは恐ろしい雰囲気を醸していた。
「なんだ、リアンもか」
「うん。……僕だって、アミィのことが好きだから」
声はか細いが、リアンは明確に言い切った。威圧を感じつつも、三人の男たちを見据える。
「集まったな。では、浄めを」
人数を数え終った祈祷師が鈴を鳴らす。
促され、用意されていた酒と塩で手と口を洗い、緊張した面持ちで床に座る。
静まった彼らを見て、祈祷師は神妙に頷いた。
「以後、死語は禁止とする。静粛に。これは、託宣でもあるのだ」
頭を下げた男たちの中から、祈祷師が一人の男の名を呼んだ。
「カッツェ。……オルヴィスとの縁があるように」
言いながら、用意されていた亀を取り上げるとその甲羅を宝刀で突きさす。
「神託である。夜這いは……四日後」
割れた甲羅を見て、祈祷師は日取りを言い渡した。
カッツェという男は喜色満面で顔を上げ大きく頷くと、床に平伏しすすり泣いた。
言い渡された男は、静かにその場を去る。彼はオルヴィスの幼馴染であり、この日を待ち望んでいたのだろう。
ただ、オルヴィスは彼を軽視している。どうなることかと、トロワは鼻で嗤った。
彼女の想い人は、トリュフェだ。それは周知の事実であり、
いや、
「では、次に。アミィに夜這いを申請した者らよ」
祈祷師の館には、十一人の男が残っている。
現祈祷師が知る中で、最大の人数だ。大体は分散するが、今回は差が歴然としている。競争率が高くなろうとも、アミィが魅力的な娘だという証拠だろう。
「ここに、十一本の縄がある。好きなものを選ぶがよい」
縄には真紅の布がかけられ、先端だけが露出している。
男たちは互いを鋭く睨み付け威嚇し、徐に立ち上がった。
「これらの縄は、長さが全て異なる。最も短い縄を選択した者が、最初に夜這いをする権利を与えられる」
早い話、くじ引きだ。
つまり、運。
固唾を飲む音が響く中、それぞれが一本の縄を指で押さえた。祈祷師がそっと布を取り払う。
「ッ……やったっ!」
瞳に飛びこんできた瞬間、トリュフェが大声で叫んだ。
綺麗に並べられた縄は、長さが一目瞭然。最も短い縄を引き当てたのは、トリュフェだった。
「ッしゃあっ!」
感極まって叫び続けるトリュフェの隣で、トロワが神妙に自分が選んだ縄を見つめる。
それは、最も長い縄だった。
諸手を挙げて喜ぶ興奮冷めやらぬトリュフェを遠目に見て、ベッカーがトロワに耳打ちをする。
「皮肉なものだな、兄が最初で弟が最後とは」
抑揚のない声からは、感情が読み取れない。小馬鹿にしているようにも聞こえたし、楽しんでいるようにも思えた。全くの無関心であるようにも思える。
トロワはそれに返事をしなかった。押さえていた短い藁から指を外し、冷めた瞳でそれを見つめる。
「僕は、ええっと……」
「七番目。私の前だな」
リアンとベッカーが確認しているのを、何処か遠くで聞いている。トロワは上機嫌で踊り狂っている双子の兄を、忌々しく睨み付けた。