不当な扱い
文字数 3,768文字
速度を緩め近寄ったアサギは、息を整えてから話かける。
「デズデモーナ、クレシダ」
その声に、デズデモーナは過剰に反応して首を上げた。アサギを捉え大きく開いた瞳が、宝石のように光り輝く。会釈をし、ゆっくりと起き上がる。
「出掛けますか、アサギ様。主は?」
「トビィお兄様は、まだお話中です。私は地球に帰るところなのですけど……あの、デズデモーナ、クレシダ? 身体が大きいから、みんなに怖がられているのですか?」
気にしない、と言うようにクレシダは微動だしなかった。眠りを妨げられたので、深く関わりたくなかったのだ。
しかし、デズデモーナは首を少し下げ肯定する。常々不当な扱いに多少の腹立たしさを感じていた。とって食う気も傷を負わせることもないが、未だに武器を構えられてしまう。鋭利なものを向けられ、気分良いものなどいないだろう。
「アサギ様が気になさることではありませんよ。所詮、我らは竜。得体の知れないものであれば、人間であれ、天界人であれ……恐れるが道理。そもそも慣れておりますし、機嫌気褄をとることもいたしません」
淡々と告げたデズデモーナに、アサギは首を傾げ歩み寄った。そっと強固な黒い皮膚に触れ、寄り添う。
「こんなに優しくて、温かいのに」
驚いて身動ぎしたデズデモーナだが、動いてはいけないと思いそのまま耐えた。アサギが触れている箇所が、妙に温かく、いや、熱く感じる。胸の鼓動が速くなり、急激に頭がのぼせる。
「全ての種族と同等に接するアサギ様が珍しいのです。私は、主と貴女様が必要としてくれるだけでこの上なき幸せ。御気遣いには感謝いたしますが、そう悩まずとも」
竜である自分を怖がることなく優しく接してくれるアサギに、いつしか癒されていたデズデモーナは照れながら返答した。自分に触れようとする人間など、トビィだけだと思っていた。それ以前に、接する事もないだろうと。
そもそも、馴れ馴れしく触れられることを嫌悪していた筈だ。
けれども、意外と心地良く、嬉しく思った。主であるトビィに対する尊敬や友情とはまた違った感情をデズデモーナは抱き始めている。自覚もあった。アサギの事を想うと、心臓が押し潰されそうで苦しい。
最初は、“トビィが愛する人間の娘”という認識だった。だが、心を許してしまうのに理由がある。アサギは、デズデモーナにとっても
「でも、不便でしょう? この姿だと、トビィお兄様が街へ行く時にはついていけないもの」
竜が街に降り立ったら、甚大な損害が発生する。その為、街から離れた場所に着陸する必要がある。また、人々を不用意に怯えさせないよう配慮もせねばならない。大抵の人間は、竜を敵と見なす。
クレシダは眠ったままだったが、デズデモーナは大きく頷いた。
「まぁ、確かにそれはありますね」
「待っていて、なんとかしてみせるから!」
張り上げたアサギの声に、クレシダが大きく瞳を開いた。
慌てふためいたデズデモーナが、首を横に振る。
「いえ、大丈夫でございますよ。そこまで気遣って戴かなくとも……」
控え目に告げたデズデモーナを、クレシダが横目で見つめる。表情は変えていないが、何処となく「面倒なことになった」と言いたげに口を開きかけた。
アサギは二体に挨拶をすると、晴れやかな笑顔を浮かべ走り出した。残された二体は戻ってきた静けさに再び瞳を閉じ、トビィが戻ってくるまで眠ることにする。
「何やら……嫌な予感がする」
クレシダがそう呟いたが、浮足立っていたデズデモーナはそれを聞き漏らした。アサギと会話をするだけで呼吸が乱れ、思考回路が薔薇色に染まる。
「アサギ様」
愛おしく、その名を呼んだ。
二体の竜と別れ、アサギは再びクレロのもとへと急ぐ。髪の件とは別に、訊きたいことが出来た。渋い顔して走るアサギを、天界人達が不思議そうに見つめる。
丁度その頃、地球へ戻るに戻れなくなっていたミノルが、走り去るアサギの姿を目撃した。
ミノルはアサギと別れた後、二人の天界人に無言で見つめられ狼狽しつつ、考えた末にクレロのもとへ行こうとした。「アサギが一人で行ってしまった」と伝える為に。しかし、拒否されたことがどうしても引っかかる。クレロに告げると、結局自分も送られることになるだろう。
アサギを困らせた挙句また跳ね除けられそうで、どうすべきか迷いながら天界を彷徨っていた。
「俺もトモハル達と一緒に帰ればよかった」
ミノルは庭の片隅の花壇に腰掛け、長い間呆けていた。時間だけが、刻一刻と過ぎる。アサギが危険な目に遭っているかもしれないのに、何故自分はクレロに伝えに行く事が出来ないのだろうと項垂れる。
「アサギなら、一人でも大丈夫だろうから」
幾度もそう呟いて、自分を肯定する。意地になっているのか、本心なのか。自分でも解らないが、何故か行かなくても無事な気はした。
彼女は、何か特別なものに護られている気がする。そんな言い訳をしたところで、結局自分が弱いだけ。可愛いのは自分であり、アサギではないのだと思い知らされる。
「昔から、何も変わっていない。……勇者に、なったのになぁ」
そう、ぼやいた。
ここに居ても仕方がないので、ようやく重たい腰を上げ地球へ帰ろうとした矢先にアサギを見かけた。怪我などしていない、そして元気そうだ。
「よかった、無事だった。俺の選択肢は正しい」
胸を撫で下ろし、心置きなく地球へと戻ることにする。親は不在なので特に心配されていないだろうが、空腹の為コンビニへ行きたくなった。菓子では腹が満たされない。走り去ったアサギの後姿をぼんやりと見つめ、美しい緑の髪に気づく。脳が勝手に納得していたが、今頃違和感を覚えた。
「え、緑!? なんで緑!?」
我に返った、目を何度も擦ってアサギを見つめる。遠くなっても、その髪色は若緑。ミノルは、唖然と美しい髪を凝視した。
黒髪だったアサギが、緑の髪に。そこも驚いたが、それよりも
以前も、自分の前から去っていく緑の髪のアサギを見た気がする。据えられた置物のように身体が怠くなったミノルは、壁にもたれて乾いた笑い声を出した。
クレロのもとへ戻ったアサギは、トビィが書面を受け取っているのを見つけ声をかけた。
「トビィお兄様、クレロ様」
どうやらトビィの用事も終わったらしい、良い時に来たと微笑む。
まだ滞在していたアサギの姿に軽く驚いたトビィだが、嬉しかったのですぐさま笑みを零した。
先程までの仏頂面とはうってかわった優しい笑みに、クレロが絶句する。
「どうしたアサギ、まだ帰っていなかったのか。なんなら帰らずにこのまま一緒に」
「早く帰りなさいアサギ、家の人が心配するよ」
トビィの言葉を、クレロは遮断した。恨みがましい視線に気付かぬ振りをしてアサギに近づくと、困ったように微笑む。
微妙な空気に困惑したアサギだが、一先ず髪の事を相談する。これを解決しなくては、家に帰れない。
「帰りたいのですけど……。あの、クレロ様。この髪の色どうにかなりませんか? 突然緑色になってしまって。このまま地球へ戻ったら、みんな驚きます。それから、もしかしなくても目も緑色ですか? そこもなんとかなりませんか」
「確かに」
弱り切ったアサギの表情に、クレロは大きく頷いた。なんとかしてやらねばと意気込む、名誉挽回だ。
「ふむ……よろしい。地球の者達には以前のように髪の色が黒く見えるよう、視覚魔法をかける。それなら問題なかろう?」
「お願いします! そんなことが出来るのですね、すごいです。流石、神様」
安堵し胸を撫で下ろしたアサギだが、何故色が変貌したのか原因が知りたいとも思った。出来れば戻りたいが、その一方でこの色で納得している自分がいる。
不気味というよりも“怖い”。
何か解らなくて怖いのではなく、
今までは、黒の髪と瞳が真実を隠してくれていたように思える。それは、地球の日本人である証。
指先で髪を摘み、視界に入れる。若葉色の髪が、サラサラと指の間から零れていった。
クレロに幻覚の魔法をかけてもらい安心して地球へ戻ることにしたアサギは、不服そうなトビィを宥める様に手を握り締める。
「またな、アサギ」
「はい、明日!」
駄々をこねても仕方がないので、アサギを見送ったトビィはその足で竜達のところへ向かう。
そこで、追って来たミノルと出くわした。
二人の視線が交差したものの、すぐに気まずそうにミノルが逸らす。疚しい事がある為だ、アサギを一人で行かせたこと、それが心に突き刺さっている。無事であると解っていても、大事だと思う人を一人で行かせるなんておかしい。
おかしいと自分でも思うのに、何故行動出来ないのか。
「おい」
明らかに激昂している声に、ミノルは恐る恐る視線を戻した。最も会いたくなかった人物はアサギだが、次がトビィだ。自分が隠したい部分を強引に引き摺り出す、鋭利な視線が恐ろしい。
挙動不審なミノルにトビィは大股で近づき、胸ぐらを掴む。