勇者を志望していた騎士の独り言
文字数 3,539文字
母親が血相を変え駆け付けてくれたので、力なく謝罪する。職場は常に人手不足だとぼやいているので、申し訳なく思った。同時に、優先してくれたことが嬉しくて涙腺が緩む。
「あり、がと」
「え、本当に異常なし!? アンタ、変よ!?」
素直に謝られたので面食らった母親は、やはり何処か悪いのではないかと疑った。
訝る母が可笑しくて、ミノルは吹き出す。家族の有り難味をしみじみと実感し、少し元気が出た。
「もう、大丈夫。ただの立ちくらみ」
「そう? 今までそんなことなかったから……」
「昨日、遅くまでゲームやってたせいかも。寝たの、朝方だったし」
適当な言いわけで、母を安心させる。本当の事など、言えるはずがない。
ねっとりとした妙な声は、もう聞こえなかった。胸を撫で下ろし、院内を見渡す。磨かれたタイルに映るタイルで自分の姿を確認し、ぎこちなく微笑んだ。
すっかり回復したので、帰宅する。念の為、頓服として頭痛薬と吐気止めが処方された。
「安静にね。気分が悪くなったら、呼ぶのよ」
「はいはい」
部屋に戻ると、蹲ってアサギの写真を眺めた。情けなく笑って涙を零し、悔しくて唇を噛む。
今後、近づかないほうがよいのだろうかと考えると涙が止まらない。
けれども、一応は互いに勇者。どうしても顔を合わせてしまうので、恋人でなくとも友達の状態に戻りたい。
「ゆ、許して貰えたら、また……。今度は、俺が告白するから」
トモハルの部屋を見つめ、気配がないことに溜息を吐く。母親が林檎を持って来てくれたので、ゆっくりと食べながら彼の帰宅を待っていた。
数時間後、待ち焦がれた部屋に明かりが灯る。慌てて立ち上がると涙の痕を拭き、窓を開けて鼻声で話かけた。
「トモハル!」
視線を流したトモハルは、目が充血していたミノルに言葉を詰まらせ、何も言えなかった。
「明日の釣り、俺も行く。よろしく」
「……あ、そ」
素っ気無い態度に胸が締め付けられたミノルだが、悪いのは自分だと言い聞かせ素直に尋ねる。
「何時に、何処に集合?」
「六時に、アサギの家。おやすみ」
トモハルはそれだけ告げると、カーテンを閉めた。
過敏になっているせいか、トモハルにまで嫌われてしまった気がして憂鬱になった。アサギの事で相談に乗ってほしいとは思ったが、虫のよい話だ。ミノルは堪え、時間と場所を教えてもらえただけで十分だと頷く。
「母さん、腹へったー!」
たくさん食べて、いつもより早く眠る。そして明日に備えねばと意気込んだ。
下へ降りて行ったミノルを、カーテンの隙間からトモハルは見つめていた。その表情は心痛で、どう接するべきか答えが出ない。先日、アサギから『ミノルが何故か誘ってくれたので、お家に遊びに行きました。でも、なんだか怖かったので、逃げてしまいました』と連絡がきている。大体事情を察していたので、対応に困った。二人共大事な友達で、出来れば仲良くして欲しい。
カーテンを閉める前に、夜空を見上げる。幾多の星々が輝く中で、そっと溜息を吐いた。
「上手くいかないね」
肩を竦めると、トモハルも早めに寝るべく風呂へと急ぐ。
翌朝。
なかなか寝付けなかった為寝坊したミノルだが、どうにか身支度を整えると家を飛び出す。急いでアサギの家へ向かうべく自転車に跨ったが、気を利かせたトモハルが家の前で待っていてくれた。
「おはよう、急ごう」
それだけ告げて走り出したトモハルに、胸が熱くなった。言葉にはしないが、彼なりの優しい気遣いに感謝する。
「俺が。お前みたいにさ、気を利かせられる奴だったらよかったのにな」
ミノルは自嘲気味に呟くと、自分とは違って眩しく輝いている親友を追った。唇を噛み締め、気を入れ直す。今度こそ、アサギに謝罪する為に。
言わなければ、想いなど伝わらない。
自転車で早朝の風を切りながら、ミノルは真っ直ぐ前を向いていた。もう、耳元で聞こえる闇の声に囚われない、今後も聞こえるかもしれないが、惑わされないと決意した。
本当に欲しいものを、失くさない為に。
あれはきっと自分の弱い心だと思い込んだミノルは、打ち勝つべく気を引き締める。
「負けるもんかっ」
今日もまた、灼熱の日差しが降り注ぐだろう。そんな中で、彼らは確かに前を向いていた。
しかし、違うのだよミノル。そうではないのだ。
集合場所に到着すると、アサギは泣き腫らした真っ赤な瞳を隠すように帽子を深く被っていた。
ミノルはそれを見て、途端に怖気づく。また泣かせたらどうしようかと、参加を躊躇った。しかし、こちらに気づいたアサギに動揺は見られなかった。黄色のスキニーに、ぴたりとした白いTシャツ、食べ物が入っているのか大きなリュックを背負い、元気よく挨拶をする。
「みんな、おはよう!」
「おはよ、アサギ。すらっとしてるから余計に脚が長く見えるなぁ、いいね、黄色」
「えへへ、ありがとう。今日はたくさん釣ろうね、頑張ろう。ダイキ、宜しくお願いします!」
何事もなかったかのように、アサギは爽やかだ。
二人の視線が交差したが、アサギは狼狽することも怯えることもなく、軽い会釈をする。釣られてぎこちなく頷いたミノルは、そっと近寄った。
しかし、気がつけばリョウがその場にいる。ミノルの行く手を阻む様に割り込むと、アサギから離れず遠くへ誘導していった。
あからさまな態度に、ミノルは唖然とした。思いたくはないが、アサギが護衛を頼んだのだろうかと勘ぐってしまう。悪い方向へ考えてしまうほどに、心は脆くなっていた。しかし、彼女に限ってそれはないと言い聞かせる。
「あ、おい……」
勇気を振り絞り追いかけてアサギに話しかけたが、それをリョウが故意に遮る。近寄るな、と言わんばかりに睨まれ、牽制された。
「そりゃ、そうだよなぁ。大事な友達を傷つける悪い奴を近寄らせないように、阻むよな」
項垂れ、仕方なく釣竿を用意した。
ミノルとアサギの距離は縮まることはなく、陽が高く昇り始め温度が上昇する。
「疲れた」
自嘲気味に笑ったミノルは、輪から外れた。疎外感を感じていた、自分で作ってしまっただけなのだが、気分的に入ることが出来ない。
木陰に移動し、持ってきたジュースを飲みながら楽しそうに釣りをしている仲間達を見つめる。
笑顔で弟達や友達と釣りを楽しんでいるアサギの邪魔をしてはいけない気がした。その表情が好きだから、見ていられるだけで十分だと思った。近寄ったら、それが壊れてしまうから。
「なんで、だろうな。あの時、誓ったのに。『貴女に守護を。穢されない様に、守護を』汚したのは中途半端な騎士の俺、勇者になっても同じだった。馬鹿みてぇ、俺。ホント、ごめん」
微睡みながら、そんなことを口走って眠りにつく。激しい睡魔に襲われ、抗えなかった。心地良い気温と極度の緊張で、一気に沈む。耳元で木の葉が揺れている気がした。穏やかな空気に包まれて、泣きたくなった。それくらい、優しい雰囲気に満ちていた。
不意に眠りから覚め、懐かしい香りに隣を見上げればアサギが立っている。
「あ……」
思いもよらぬ事態に言葉も出ず、ミノルは凝視する。
アサギは、遠くを見つめていた。美し過ぎる横顔は、確かに人間ではないような気がした。何処かの姫君というよりも、もっと神秘的なものに思えた。
「本当に、ごめんなさい。あの、出来れば。その、少しでいいので、普通に接してくれると嬉しいです。私、その、もう、その、必要以上に、近づきませんから。その、本当に、無理を言っていると」
「ち、違うんだ、話を」
手を伸ばしたミノルだが、すでにアサギの姿はそこにはなかった。
風で、木の葉だけが揺れる音だけが響いている。鳥の、そして蝉の鳴声が一気に始まった、先程までは聞こえなかったのに。
何度か瞬きし、低く呻いたミノルは「夢か」と情けなく笑った。遠くから聞えた歓声に首を曲げれば、アサギが大きな魚を釣り上げたところだった。
「はは、流石だな」
アサギはあそこにいた、近くに来るわけがない。やはり自分に都合の良い夢を見てしまっただけだったと、ミノルは肩を竦める。
はにかんだ笑みで魚を掲げるアサギを、ダイキが優しく見つめ、トモハルが口笛を鳴らし、リョウが拍手をしている。自分がいなくとも、優しく男らしい誰かが彼女を護ることは明白だった。
「俺よりも、その中の誰かが似合ってる。そいつらは、決してアサギを傷つけない。俺と、違って」
ミノルは、草むらに寝転がると再び瞳を閉じた。冷たいものが頬を伝う。
キィィィ、カトン。