外伝4『月影の晩に』24:騎士の一つ、輝きを失う

文字数 11,258文字

 民達の身体を、深い疲労が海のように圧し包んでいた。

「あぁ、本当によかった……」

 アイラは喜びを額に湛え瞳を輝かし手を振ると、軽やかに馬から降りた。そのまま小走りでミノリへと歩み寄る。
 周囲の人々が反射的に後ずさると、綺麗にミノリまでの路が出来る。
 デズデモーナは、アイラの後をついてきた。非常に利巧な馬であり、また忠義心を持ち合わせているかのように見える。
 無責任で悪意に満ちた噂に踊らされ、人々は非難の視線をアイラに送る。
 しかし、アイラはそのような人を刺す視線に慣れてしまっていた。城内の人々となんら変わりのないそれゆえに、不信感すら抱くことは無かった。
 緑の髪に、煤だらけの顔、印象的な深緑の瞳。汚れていようとも、纏う布は光で煌く上等なもの。スカートの裾が大胆に切れているが、卑しさなど微塵もない。民達は、不気味な程静かにアイラの行く先を見ている。誰にだって分かった、騎士のミノリに会いに行くのだ。

「あれは、災厄」

 皆が口にしたくとも言えなかった言葉を、誰かがゴミを捨てるように零した。

「みどりの髪の姉は、破壊の子を」
「呪いの子を産む母親は、無論呪いの塊。災いの元」

 すると、剥き出しの敵意は波紋のようなひろがりを見せる。それはもう、誰にも止められない。

「この惨禍は、緑の姫によってもたらされたもの!」

 張り詰めていた空気が一気に膨張し、爆発を起こした。口々に怒涛の勢いで罵声を浴びせ、全ての不満をアイラに叩きつける。
 喧騒にアイラは足を止め、不思議そうに街の人々を眺めた。人々の憤怒を一身に受けねばならないとは、知る由もなかった。自分の国の民達を初めて見たアイラは、誠意をもって深く会釈をした。教えられた通り、身分など関係なく丁寧に。敬意を持って挨拶をしたものの、顔を上げたところで異様な雰囲気は変わらない。自分に対して畏怖の念を抱き、激怒しているようにとれるのだが、理由が全く解らない。
 見慣れない人物だから不審がられているのかと、アイラは再び深く会釈すると声を発した。

「あの、私はアイラと申します」

 戸惑い気味に微笑し、名乗ることは礼儀だと本で読んだのでそうした。
 しかし、人々の目じりは吊り上がるばかり。騒然となる人々にアイラは恐れ戦いてデズデモーナに寄り添うと、首を竦めて自分を指差す人々を見渡す。どうみても、怒りの矛先を向けられているようにしか見えなかった。
 王族でありながら民を護れなかったので、皆は当然怒っているのだろうと解釈した。弁解のし様子もなく、アイラは項垂れる。消えてしまったミノリとトモハラを捜し、森から出てここまで来たが、あまりの惨劇に目を覆いたくなるばかりだった。もはや、家と呼ぶ事が出来る建物はそうあらず。時折、鎮火していない箇所からパチリ、と爆ぜる音もした。無気力に蹲っている人々、死体にすがって泣いている少女、迷子の子供、瓦礫の下敷きになっている家族を救い出そうと懸命に作業している少年。
 目を逸らしたところで、これが現実だ。一夜にして、平穏な街は奈落へと沈んだ。
 アイラは心痛な面持ちでどう謝罪すべきか思案していたが、そうではない。

「呪いの姫君!」
「災いの姫君!」
「死を呼ぶ姫君!」
「地獄からの使者!」
「姫などでは、ない!」
「人間ではないもの、悪魔!」

 人間とは愚かなもので、人数が多い側につけば虚勢を張り態度が大きくなる。
 剥き出しの敵意に曝され縮こまるアイラを取り囲むように、人々は輪を縮めていった。今回の件だけではなく、今まで起こった不幸な事を怒鳴りながら人々は語る。これは、ただの八つ当たりだ。

「お前のせいだ!」
「恋人を返せ!」
「家族を返してよっ!」

 アイラは皆の話を懸命に聞き取ろうとした、民の言葉に耳にを傾けねばならないと教えられたからだ。しかし、幾らなんでも数が多過ぎる。狼狽し、ふるえる脚で懸命に大地に立つのが精一杯だった。
  誰かが、石を拾い上げ投げつけた。大きな石ではなかったが、右肩に当たったそれにアイラは小さな悲鳴を上げる。

「立ち去れ、悪魔めっ!」
「国から出て行け!」
「黒の姫君を返せ!」
「お前が攫われれば良かったのに!」
「どうしてお前は死んでいないのっ!」

 容赦なく、アイラに幾つもの飛礫を打つ。直接攻撃する者がいないのは、その呪いを穢れを身に寄せ付けたくないからだ。

「あ、あの、止めてください!」

 必死に懇願したが、聞き入れられる筈がない。アイラは両手で頭部を庇いながら、その場で耐えていた。しかし、馬の鳴声に我に返った。
 デズデモーナに石が当たり、痛がっている。後方にいたデズデモーナも、その被害を受けていた。

「止めてください!」

 唇を噛締め、アイラはデズデモーナを庇うように両手を広げた。叫んだところで、石での攻撃は止まらない。その声など、人々の声に掻き消されてしまう。届いたところで、そもそも彼らが止めるわけがないが。
 鋭く尖った石がデズデモーナの腹部に激突し、微かに流血している。
 アイラの瞳に、炎に似た決心が宿る。それを見ては、もう黙ってなどいられない。歯軋りし、右手を背に伸ばす。
 ガン!
 一つの石が、アイラのこめかみに当たった。そこから流血し、血が瞳へと流れ込む。それでも臆することは無く、右目を瞑りながら右手で剣を引き抜いた。そうして、不自由ながらも、気合と共に飛んで来た石を剣で地面へ叩き落す。
 雲の切れ目から差し込む光が、剣を輝かせる。至る所に痣を作り、血塗れなその華奢な身体で剣を構えたアイラは、低い声で告げた。その瞳には、怒気にも似た強い意思を灯している。

「止めて下さい、この子が痛がっています。この子に、何の非があるというのでしょう」

 真っ直ぐに人々を見つめ、先程までの怯えた様子など微塵もなく言葉を発した。
 その妙な威圧感に、石を投げる人々の手が止まった。一廉の人物、とはこういうことを指すのかもしれない。一瞬にして水を打ったように静まり返ったその場で、民達は唖然とアイラを見ていた。その立ち姿は悠然とし、威厳に満ち溢れていた。彼らはそれを、神々しいとさえ思った。
 アイラは、剣を構えたまま直向な態度で語り始める。

「住んでいる街が、家が……焼き払われ、破壊され。皆、苦しい思いで生き抜いているのですね。さぞお辛い体験をなされたのでしょう、私の数倍も。心から、お悔やみ申し上げます。妹のマローは私が責任を持って必ず連れ帰りますので、それまで力を合せて頑張っていただけないでしょうか」

 涙声でそう語ると、瞳を伏せる。剣を音を立てずに背に仕舞うと、首を動かして全体を見渡した。人々の顔に余裕はなく、笑顔など微塵も見られない。そんな民の姿に、胸を痛めた。本で読んだことがある、『民が心から笑顔の国は良い国である』と。
 ラファーガ国は、もはや亡国。それでも、民さえ笑顔なれば国など幾らでも立て直すことが出来ると、アイラはそう思った。国を創るのは、民だ。先導者として、王が居る。しかし、民の心の支えとして絶対不可欠な麗しの姫マローが拉致されてしまった。だからこそ、『マローを連れてくるから、それまで諦めずに生きていて欲しい』と悲壮な決意を皆に見せた。
 切実な願いを投げかけられ、民達はもはや何も言えなかった。ただ、緑の呪いの姫を見つめるだけだった。
 石が飛んでこなくなったので小さく安堵の溜息を漏らし、デズデモーナの背を撫でて落ち着かせると、アイラは波紋すら立てない静寂の中をミノリへと再び歩き始める。
 急に顔の力を緩め微笑したアイラ本人に意図はなくとも、一部の男にはその様子がひどく媚態に見えた。思わず、彼女から視線を逸らす。
 皆が見守る中、ようやくアイラはミノリへ歩み寄った。

「よかった、目が覚めたのですね。姿が見えなくなったので、心配していました。ミノリはもう、自分で歩く事が出来るのですか? トモハラは……」

 アイラは顔を喜びで輝かせながら、ゆっくりと手を差し伸べた。
 ミノリは、そんなアイラを微視的に見続けていた。程度に差はあるものの擦過傷は全身にあり、痛かろうに笑顔を浮かべている姫は、いつもの姫だった。
 ミノリは、先程からアイラを眺めていた。皆が彼女に理不尽な罵声を浴びせ、石を投げ続けていた時も傍観していた。
 ほんの数日前までならば、ミノリは真っ先にアイラの前に立ちはだかり、民に向かって剣を抜いただろう。アイラ付きの騎士として、身体を張って護ったであろう。そうでなくとも、大事な女の子であった筈なのだから。あの日、護ると誓ったのだから。
 けれども、ミノリは見ている光景が幻のように思えて動かなかった。それは、“次元の違う世界の出来事”であり、自分が動いたところでどうにもならないと悟っていた。今もそうだ、目の前でアイラが手を差し伸べてくれているのに動けない。数年前から焦がれ、傍に居て、命をかけて護るべきだと魂を揺さ振られた相手であるのに、差し伸べられた手を漠然と見つめるだけだった。
 数日前のミノリならば、恭しくマントで自分の手を包んで手を取っただろう。いや、取る前に跪いただろう。無事な姿を確認でき、涙を零す勢いで赤面しながら俯いただろう。それ以前に、先程民達からアイラを護っただろう。
 ミノリは、差し伸べられた手を反射的に叩き落した。パシィ、と乾いた音が静寂に響き渡った。
 アイラは、茫然としてミノリを見つめた。
 周囲でも、民達のどよめきが起こる。
 視線が交差した瞬間に顔を引き攣らせたアイラは、無意識に一歩後退した。今まで見たことがなかった、普段とは違う憎悪に満ちた瞳が捕えているのは自分である。先程民から向けられた視線よりも、たった一つの強大な、恐ろしい瞳だと心底震え上がった。ミノリを、心から信頼していた。まさか、そのような敵意を向けられるなどと、思ってもみなかった。動揺が走る。

「どうして無事なんだよ!? トモハラは起きないのに、アンタはどうしてそんなに元気なんだ!?」

 掴みかかる勢いで立ち上がったミノリがアイラに触れる事はなかったが、寸でのところまで詰め寄り、全身から殺気を放つ。

「今まで何処に居たんだよ! 城内は壊滅、運よく俺とトモハラはこうしてみんなに助けられたけど、アンタはそれまで何処に居たんだ!? マロー様が連れ去られた時、アンタは何をやってたんだ!?」

 ミノリと、トモハラを助けたのは他でもない、アイラである。
 マローが連れ去られた時、アイラはベルガーの放った槍で突かれ壁に激突し、ミノリ達の傍で意識を失っていた。
 けれども、ミノリは知らない。自分を助けたのが、アイラであることを。自分達が倒れた後、果敢にも一人でトレベレスに立ち向かっていたことなど、知る由もない。そして、普通姫ならばこのような状況下で何も出来ずに右往左往するだろうという先入観から、自分を顧みず二人を看病し続けていたアイラを、微塵も思い描かなかった。
 ほんの数日前のミノリならば、解ったろうに。本を読み漁り、目で見たことはなくとも知識は有った。薬草や怪我の手当ての仕方、草木に詳しく長けている事を傍に居て仕えていたならば、知っていた筈だ。アイラにならば、それが可能であると。
 いつかの二人は、忘却の彼方。幼き頃、庭から見たアイラの細く可憐な腕と麗しい歌声に魅せられたミノリだが、その甘酸っぱくて淡い記憶は消え失せる。
 アイラは豹変したミノリに驚き、声を出せずにいた。助けたのは自分で、今も森に食料を探しに出掛けていたのだと説明したくとも、刺すような視線が怖くて声が出なかった。
 口籠るアイラに、ミノリは引き攣った大声でひとしきり笑う。

「疚しい事があるから、黙っているんだろ!?」

 それは狂気だ、民達ですらミノリに怯え、一歩ずつ後退している。あの騎士は、怪我と状況で気がふれて頭がおかしくなってしまったのだと……皆、思った。
 ミノリが発する声は、そういった歪な哂い声だった。

「何処かに隠れてたんだな!? アンタ、城内の隠し通路や部屋にも詳しいもんな? だから無事だったんだろ、えぇ!?」

 一歩、ミノリが詰め寄る。
 一歩、アイラが後退する。
 ミノリは、青褪め震えているアイラを見て“肯定”と判断した。抑圧されていた感情が爆発し、ドス黒いモノが胸に広がる。それを体内から吐き出すために、大きく息を吸い込んで口を開く。

――そうとも、言っておやり。君は良いように操られる傀儡ではないよ、本心を伝えて何が悪い。

 誰かが耳元でそう囁き、後押ししてくれた。
 身体はまだ苦痛を伴う、意識があれば周囲は自分に期待の視線と言葉を投げかけ『マロー姫様を救出して来て』と懇願する。この他力本願な民達は、たった一人の騎士でどうにかなると思っているのだろうか。騎士団長でもない、ただ騎士という肩書きを貰った一般市民なのに。過去の手柄などないのに、大国二国に単独で挑めと願うほうが間違っている。名が大陸中に知れ渡っている“勇者”や英雄ならば可能なのかもしれないが、今の自分ではどう足掻いても無理だ。しかし、人は救いを求める。救いを求め、懇願し、期待をする。そうしないと、生きてゆくのが辛いから。自分達よりも優れていると思う者に、全てを託して願うのだ。
 普段期待など背負わなかったミノリは、重く圧し掛かる精神的苦痛に潰されそうだった。この不満を何かにぶつけないと、民達同様に、ミノリ自身が壊れてしまいそうだった。
 いや、もうすでに壊れていたのかもしれない。下手したら、“目覚めたくなかったのかもしれない”、この状況下では。あそこで息絶えていたら、騎士として殉死出来た筈だ。
 無理やり起こしたのは、誰だ。

「それで、どうして俺に会いに来た? まさかアンタもマロー様を救出してくれ、なんて馬鹿げた夢物語を言い出さないよな? 出来ないことくらい、分かるだろ? 騎士団は全滅してるんだ、下っ端の俺にどうこう出来るわけがないだろうがっ」

 ミノリの怒鳴り声に、空気が震える。
 アイラも民も、喉を鳴らしてミノリを見つめる。
 しらけた笑いを皮膚の上に浮かべ、ミノリは足元の石を地面に埋め込むように思い切り力任せに踏み潰す。石が、地面の中でパキリと綺麗に割れた。

「お高くて、優等生ぶって、自分が正しいと思って。もうたくさんだ、俺らはほっといてくれ! 家族は死んだし、トモハラは目覚めないし、騎士になんてならずに他国へ移住すればよかったんだ! アンタ方のお守りなんてしなければ、こんなことにはーっ!」

 絶叫がこだまする。涙を流しながら、空に向かって吼えるように叫び声を上げたミノリは、荒い呼吸で狂ったように笑い続ける。

「あぁ、まんまと、呪いの姫君に俺達騎士は騙されたんだ! 誘惑された、その代償がこれだよ! あー、ばっかみてぇ!」

 沸き上がる言葉を全て腹から吐き出せば、少しでも楽になれるとミノリは思った。だから、嘲笑を繰り返し、おどけるようにアイラを指差す。時折近づき突き飛ばし、仁王立ちで罵声を浴びせた。

「ご、ごめんなさい」

 その謝罪は、蚊の鳴くような声だった。しかし、そのか細い声が皆には異様に大きく聴こえた。
 ようやく、アイラが声を発した。先程ミノリに突き飛ばされ、誰にも助けてもらえなかったので地面に倒れこんだままそう告げた。両手を胸の前で握り締め、全身を大きく震わせている。唇は紫色にくすみ、潤んだ大きな瞳からは今にも涙が零れそうだった。
 そんな脆弱なアイラを睨み付け、擦れた声で哂いながらミノリは続ける。

「謝ってすむ問題じゃないだろう!? 見てるだろ!? 自分の目に、この惨状が映ってるんだろ!? どうやってアンタ、マロー姫を連れ戻すんだ? 色仕掛けも通用しない相手に、どうやって取り込んで返して貰うってんだ!? 居ても、何の役にも立たないだろ、アンタ!」
「ご、ごめんなさい!」

 喉が嗄れる程の、アイラの謝罪が響き渡る。
 瞬間、ミノリが我に返った。悲鳴に近い声を聞いて、ようやく瞳の焦点が合う。言いたい放題愚弄して気が晴れたのか、口を押さえて自分が今何を言ったのか思い出し、冷汗を流す。腹は、黒い澱を全て吐き出し爽快だった。代わりに、胸に杭が打ち込まれたかのように痛みという罪悪感が広がる。

「あ……」

 アイラに視線を合わせようとしたが、自分を見ていなかった。いや、正確には瞳ではなくミノリの腹部を見ているようで視線が交差しない。
 気まずい空気が流れた、民も誰も、二人の間に入れず、固唾を飲んで見守る。
 アイラは、ミノリに言われてたことを考えていた。自分が、最初に目覚めた。近くに居る二人を、なんとか助けたいと思った。だから必死で看病した。

 ……何の為に?

 アイラは腹を据えると、よろめきながら立ち上がった。一瞬身体を引きつらせたミノリに、ゆっくりと近づく。先程突き飛ばされて足首を捻ってしまったらしく、痛む右足を引き摺って進む。そして、ジリジリと後退しているミノリの腹部へと、恐る恐る両手を差し出した。
 無言で何かを念じているようにミノリには見えたが、微動だするどころか、声を出せずにアイラを見下ろしたままでいた。謝罪の言葉が、出せなかった。後悔の波は、幾度も押し寄せるのに。

「確かに、そうなんです」

 アイラの、気落ちした、初めて聞く失意の声が耳を通り抜けていく。腹部に暖かい何かがじんわりと流れ込んでくる感覚にミノリは安堵し、強張っていた身体を解く。心も身体も癒す温感に安寧として俯いたら、ようやく二人の視線が交差した。
 赤面し気まずそうに視線を逸らしたミノリに、アイラは寂しそうに笑うと両手を下げる。

「大丈夫、です。私、一人で出来ますから。ミノリは、ここに残って皆さんと復興に専念してください。まだ、本調子じゃないのでしょう? 私は、元気です、動けます。貴方達が懸命に護ってくださったから。……あの、トモハラが目覚めたら、『マローは連れ帰るので待っていてください』と、伝言お願いできますか? 彼はとても心配していると思います」

 言うなり、アイラはミノリの傍を離れ、眠っているトモハラへと歩き出す。
 ミノリは口を開きかけたが、ただ、目でアイラを追うことしか出来なかった。金縛りにあったように、動けない。
 寝息を立てているトモハラを確認し、アイラは優しく微笑する。ミノリにしたのと同じ様に、両の瞳へ両手を掲げると、乾ききった唇を舌で湿らす。震える手で、皆に気付かれないように言葉を発した。
 ポタリ。
 トモハラの頬に、アイラの瞳から溢れた涙が零れた。泣きながら、懸命に呟き続ける。
 それは、詠唱。

「いにしえの、ひかりを。
 とおきとおき、なつかしきばしょから。
 いま、このばしょへ。
 あたたかな、ひかりをわけあたえたまえ。
 かいきせよ、イノチ。
 やわらかであたたかなひかりは、ココに。
 全身全霊をかけて、召喚するは膨大な光の破片」

 言い終えた途端、閃光が走る。
 あまりの眩さに目が眩み、民達は悲鳴を上げた。しかし、それはすぐに慈愛に満ちたような柔らかな光へと変貌した。皆は穏やかな気持ちになり、力が抜けて地面に座り込む。それは柔らかな春の日差しの中、軽やかな小鳥の囀りを聞きながら親しい者達と転寝している時のようだった。
 アイラは誰にも気づかれぬように涙を指で拭い鼻をすすると、長居は無用とばかりに慌てて立ち上がった。トモハルを見下ろすと、静かに寝息を立てたままだ。胸を撫で下ろし、脚を引き摺ってミノリの脇を通り抜ける。
 それから一瞬立ち止まると、躊躇しながらも振り返った。
 アイラが大きく唾を飲み込んだ、それはミノリから見ても判る程、身体が痙攣するように震えている。痛々しく心底怯えたような表情に、キリリと胸が痛む。アイラにこのような表情を浮かべさせてしまったのは、他でもない自分なのだと気付いた。

「迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい! 今まで、ありがとうございました。お元気で」

 アイラは両目から涙をハラハラと流し、それでも笑顔を見せた。
 金縛りから解けたようにミノリは腕を伸ばしたが、直様アイラは踵を返し、デズデモーナに颯爽と跨った。痛む足に顔を歪めながらも堪え、痛みを消すように唇から血が出るほど噛締める。近くに居た者に早口で伝え何かを預けると、振り返ることなく駆け出す。
 デズデモーナはアイラを乗せて、躊躇することなく走り去った。

「ア、アイラ姫っ!? ま、待ってくれ!」

 ようやく名を呼んだミノリだが、声がアイラに届くことはなかった。呆然とその場に立ち尽くし、眩暈と混乱、そして羞恥心でふらふらと足元をよろつかせる。
 誰も、何も声をかけられなかった。ミノリの暴言を、民とて同じ様に吐いた。責める事も、慰める事も出来ず、ただ彼に多大な精神的苦痛を自分達も与えていたことを知って、恥じた。
 ミノリは、アイラを追うように人混みを掻き分けて進んだ。脚をもつれさせながら進んだ先には、林檎に茸、水の入った瓢箪、それに薬草と思われる多数の草や、自然薯があった。

「皆で食べてください、って……言ってました」

 アイラの言葉を受け取った女が、虚ろにそう呟く。結構な量だった、これを一人で探してきて集めたのだとしたら、なんと骨の折れる作業だったことだろう。
 薬草を瞳に入れたミノリは、弾かれたように自分の腹部に手を置き、傷を確認した。

「ないっ」

 思い出したのだ、腹部の傷を。確かに、衣服は槍で貫かれた為に破れている。だが、傷口が全くない。そもそも、今は痛みすらない。ミノリは茫然自失で地面に倒れこむように膝をついた。トモハラが、両目を剣で斬られた。自分は、槍で腹部を貫かれた。その後の記憶が全くない、死んだと思っていた。
 しかし、こうして生きている。一体あの後、何があったのか。
 薄々、気づいてはいた。このような芸当が出来るとしたら、一人しかいない。
 青ざめて立ち上がると、トモハラへと駆け寄って両目を確認する。確かに、傷はそこにあった。だが、うっすらと、だ。

「起きろ! 起きてくれ、トモハラ! 俺達、どうして生きてるんだ!?」

 焦燥感に駆られてトモハラを揺さ振るが、慌てて誰かに止められた。「怪我人はそっとしておくんだ」と宥められて歯を鳴らす。
 そう、怪我人だ。自分とて、瀕死の重傷を負っていた筈だ。
 荒い呼吸で我武者羅に暴れると、再び林檎が置かれている場所へ走る。頭と口を押え、内臓をぶちまけるほどに絶叫した。
 誰が助けたかなど、愚問である。一人しかいない、判ってはいたが認めたくはなかった。認めてしまえば、自分の愚行が圧し掛かる。真実は、一つ。あの状況下でそれが可能な人物は自分が愛して敬った、あの姫のみ。今し方、愚弄し突き飛ばし、騎士とは思えない行動をとってしまった、あの姫だけが彼らを救えた。

「城の付近に、二人とも寝かされていて。近くには人工的な食器やらがあったから、てっきり二人でどうにか生き延びていたのだと……」

 二人を見つけてここまで運んでくれた人が、青褪めながら真実を告げた。それは、一番最初にアイラへ石を投げつけた男だった。
 ミノリは震える手で包むように林檎を掴むと、思い切り齧った。おぼろげながら、つい最近食べた記憶がある。自分達が倒れている間、誰かが何かを食べさせ、護っていてくれた気がしてきた。甲斐甲斐しく林檎を細かく切り刻んで口元へ運び、水や暖かなスープも啜らせてくれていた気がする。
 それは、夢ではない。
 アイラでしか、有り得ない。虚無の瞳の先に見えたのは、アイラが胸を撫で下ろして微笑んだ姿だった。気高い姫君は看護に身を挺し、不眠不休だったろう。

「無能な手負いの騎士など捨てて、安全な場所へ逃げればよかったのに」

 ミノリは、乾いた声で嗤った。林檎を齧りながら、自分があまりにもみすぼらしくて情けなくて嗤うしかなかった。姫でありながら皆に優しくしていたその姿に惹かれ、尊敬し羨望し、恋をした。疎まれながらも臆せず、皆を連れて必死に逃げようとしていたアイラを思い出した。道中、怪我を気遣い、傷の手当に薬湯を用意してくれたことが走馬灯のように甦る。自分が囮になるからと前に進み出てくれた人を、どうして身を潜めていただのと罵ってしまったのか。それを制して自分が出たのに、何故。

「はは……どうして俺、あんな事酷い事を言ったんだっけ」

 ミノリは、狂ったように泣き叫んだ。誰も近寄れず、皆が遠巻きに見ている中で、一人大声で泣き喚いた。

「俺か! 俺が穢すんだ。俺から、アイラ姫を護らないといけなかったんだ。俺は、騎士になってはいけなかったんだ! 傍に、いなければよかったっ。そうしたら、あんな、あんなにも優しい人を傷つけずに済んだのにっ」

 大きな緑の瞳には、悲涙が浮かんでいた。可憐な桃色だったはずの小さな唇は、艶を失くし恐怖から青褪めていた。自分に非があると受け入れたように、謝罪の言葉を紡いでいた。
 もし、自分がアイラ姫の様に皆を先導出来たら堂々としていられただろうか。このように、皆が絶望の縁に立たされている中で自分が動いていたら、自信を持ってアイラ姫に寄り添っていられただろうか。
 そうしたら、彼女は希望の色を湛える様な笑みを浮かべたままだったろうか。

「俺が、強ければよかったのに。勇者みたく……自信を持っていられたらっ」

 何をするにも機敏なアイラは、自分の憧れだ。その隣に立つには、誇る自分がなければ無理である。彼女の光が強ければ強い程、抱くのは己の劣等感。浮き彫りにされてしまう人間性に、恐れをなす。
 彼女と、対等でいられるのかと。
 ミノリは、何度も何度も先程のアイラ姫の表情を思い出していた。忘れたくとも、忘れられるわけがない。ベルガーに刺された腹の傷の痛みなど、もう忘れた。アイラにあのような絶望の表情を浮かべさせてしまった先程の愚行に、身を引き千切られる痛みを感じる。耐えがたい苦痛である、自分を信じ助けてくれたアイラを、最悪の形で裏切ってしまった。
 地面の土をひっかきながら、不甲斐無さに泣き叫ぶ。爪がはがれても、地面に額を擦り付けて太陽に届きそうな程に悲鳴を上げる。

「追えない! また追って、会って、俺が、俺がアイラ姫をっ」

 街の復旧作業に使っている、無事な馬が何頭かはいる。今なら、まだ間に合うかもしれない。しかし、ミノリには追えなかった。供をする勇気もなければ自信もない。足手纏いになるかもしれない、上手く立ち回れなくてまた傷つけてしまうかもしれない。
 何より。

「会わせる顔が、ないんだ」

 ミノリは、皆に抱き起こされてトモハラの隣に再び寝かされた。精神安定の為にと、薬師が薬湯を調合した。けれども、そんなもの効く筈がない。
 
 ……もう、起きられなくてもいいんだ。このまま、死を迎えても構わない。自分の役目は、あの日、あの城で終わったんだ。

 姫を庇い、猛々しく敵の前に立ちはだかった、騎士らしい最期。それがミノリにとっての誇らしい一生であったと。
 抜け殻となったミノリが、数日間起き上がることはなかった。
 一人の騎士が、この日、敬愛する姫に助けられながらも、自ら命を放棄した。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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