魔王様の“淫”謀
文字数 2,854文字
この時期になると、湖水浴を愉しむ魔族達が大勢押しかけてきた。魔界は海に囲まれているが、穏やかで美しい湖なので海水浴より人気があった。
今日は長閑に愉しむ魔族達に混ざり、魔王リュウが一角を陣取っている。気付いた魔族達は慌てて敬礼をし離れていく為、混雑しているものの、そこだけは閑散としている。魔王の為遠巻きになるのも当然だが、「そう気兼ねしなくてもよいのにー」とリュウは小さく零し、溜息混じりに離れていった魔族達を見やる。手の中のグラスに入っている白濁した桃色の液体を、一気に飲み干す。
「リュウ様、苺牛乳のお替りは如何致しましょう?」
空になったグラスをリュウが差し出せば、にっこりと微笑んだ傍らの女性は並々と液体を注いだ。
「さぁさ、どうぞ召し上がってくださいまし。本日の苺は朝露を浴びて、価値ある宝石の様に皆輝いておりましたから、美味で御座いましょう」
ん、と軽い返事をしたリュウは再びグラスを空けると、直様同じ様に所望する。グラスを片手に、賑わう湖を眩しそうに見つめていた。
光の加減で反射する水は、痛い程眩い。風によって起こる波は、心地良い音を奏でる。
小さな欠伸をして、リュウは重たい瞼を閉じ始めた。
注がれた苺牛乳には口をつけず、傍らのテーブルにそれを置くと静かに背を倒す。
傍らに控えていた男が、日陰を作る為にそっと傘を差し出した。
リュウは水浴びを愉しむ為に、足を運んだわけではない。リュウ七人衆を引き連れて、大掛かりな日光浴兼昼寝に来ていた。暖かな陽射しと心地良い耳音に、自然と瞼も閉じていく。脳の活動も停止する、考えなければいけないことが多々あるのに。
寝息を立て始めたリュウに胸を撫で下ろした七人衆は、寝顔を覗き込み互いに微笑んだ。安堵し、その場に腰を下ろして和やかに空を見上げる。
「リュウ様の寝顔。 変わってらっしゃらないなぁ、昔と」
「えぇ、本当に可愛らしい事。昔はよく、木の上で眠ってらっしゃったわよね。ヴァジル様に怒られていたわ、ふふふ。それが、こんなにも大きく逞しく立派に成長され、……私達を救ってくださった」
七人同時に、言葉が途切れた。
黙り込んだまま、遠くから聞こえてくる魔族達の声に耳を傾ける。懐かしい情景を呼び起こされ、皆は思い出に耽っていた。
故郷を離れようとも、主は常に傍らに。必ず恩を返そうと、助けようと支えになろうと皆で誓った“あの日”。
ここは、安息の地惑星クレオの魔界イヴァン。彼らにとって、第二の故郷になりつつある。
七人衆は、魔族ではない。しかし、この場所では迫害されることもなく、疎まれることもなく生活していた。
暫しの沈黙が続いたが、突如立ち上がった男に六人は怪訝な瞳を投げかけた。視線を気にすることもなく、男は語り出す。
「リュウ様は思い出してはおられぬ、過去に捕らわれてもいない。故郷を捨てたわけではないが、今を大切にしてらっしゃるのだ。ならば我らもそれに従おう、この御方を全力で護らねば」
六人は俯いた。
故郷へは“二度と戻れない”と承知している。何故ならば、故郷への扉はリュウ自身の手によって閉ざされているからだ。リュウが自ら扉を開くことはないことも、彼らは了承している。
誰しも故郷へは帰る事が出来ない。家族が、恋人がその地で待っているが、無理だ。それでも皆は理解していた、これが最善であると。
男は、陽射しに歩み出た。
全身を茶羽に覆われた亜種である男の両の脚には、幾つもの深い傷がある。鋭い瞳は猛禽類を彷彿とさせ、がっしりとした体格は頑丈そうだ。
郷愁に駆られている六人を励ますように、男は明るい声を出す。
「そういえば、今日はリュウ様はハイ様にお会いしていないが。どうしたのだろうな?」
話題を変えてくれたので、躊躇しつつも皆は沈んだ顔を上げる。
慌てて同じ位の歳の男が立ち上がると、嬉しそうに語り出した。
「そうだよな、どうなされたのだろう。ハイ様には豁然として御心を開かれていらっしゃるようだが……」
「アサギ様が来られて、拗ねてらっしゃるのでは? ハイ様、付きっ切りでリュウ様には見向きもしない」
尽きる事のない、憶測が始まる。
「ハイ様の存在が、リュウ様に生きる希望を与えたのだ。それを途中から現れた“人間の勇者”に奪われてしまっては。当然、面白くなかろう」
一瞬、空気が淀む。
「で、でも、リュウ様もアサギ様の事は気に入ってらっしゃるみたいよ? 確かにあの子はふわふわで、可愛らしいわ」
「でも、“人間の勇者”でしょう?」
「ゆ、勇者には到底見えないし!」
皆は、夢中だった。誰も、リュウが薄っすらと瞳を開いた事になど気付いていなかった。
目が覚めたリュウは気配を悟られまいとして、微動だせずに耳を傾ける。七人の愉快そうな会話と弾む声が聴こえてきて、軽く口元に笑みを浮かべた。ずっと起きていた。皆の会話を聞き、答えが出ぬと解っていても始終考えていた。
これまでの自分の愚行、そして、今後何をすれば“救える”のか。
……故郷の安全は確保した。封印は完璧だ、私以外に解除が出来る者などいない。問題は、散らばっている仲間達の安否。
リュウは唇を噛み締め、眩しい日差しを忌々しく睨みつける。
「辛うじて七人は救出し、こうして共に居るが、こんな人数であるはずがない。同胞が普通に暮らしていているならば問題はないが、万が一何処かで戦いの道具になってしまっていたらどうすれば。……冗談ではない、一刻も早く救出しなければ」
惑星ネロ、惑星ハンニバル、そして惑星クレオ。三つの惑星でリュウは文献を読み漁った、しかし自分が知りたい情報は何処にも載っていなかった。
竜族のリュウは、“不当な待遇”を受けている仲間の身を案じている。
横目で七人を一瞥するが、誰もまだ自分が起きた事に気付いていないようだ。陰鬱になった心を払うように、澄み切った青空を見つめる。場所は違えど、空の美しい青はそのままだ。
それだけは、故郷となんら変わりがない。安心して、見ていられる。この空の向こうが、故郷に繋がっている気がする。
……泣いてはいけない、求めてはいけない、帰りたいとは思わない。否、思ってはいけない。自分が弱気でどうする、あぁして七人は信じてついてきてくれている。愛情に飢えてはいけない、甘えてはいけない、自分は慕われ、頼らているのだから。
ぎゅ、と硬く瞳を閉じ、寝言の様にリュウは呟いた。
その声を、ようやく七人は聞き取った。
「ハイにはね、朝食の西瓜に薬を仕込んでおいたのだぐ。奥手な彼が僅かに大胆になっちゃう薬を、ね。早い話……媚薬だぐ!」
「ええええええええええええええええええ!」
七人の素っ頓狂な叫び声が、盛大に響き渡った。