花園の幻蝶~マドリード~
文字数 4,977文字
「オレはトビィ」
臆することなく平然と自分の名を呟き、真っ直ぐに見返してきたトビィに、マドリードは軽く瞳を開く。
「トビィ……素敵な名前ね」
優しく抱き締めたまま羽根を広げて宙に浮くと、先程指した方角へと飛び立つ。
若干九歳、歳に不釣合いなほど堂々とした様子のトビィに、マドリードは関心が耐えない。他を圧倒する麗しさよりも、気になる事がある。単に怖いもの知らず、というわけでもないようで、瞳の奥に潜む“違和感”の正体を突き止めたくなった。
「疲れたでしょう、中でゆっくりおやすみなさいトビィ」
辿り着いた先の小じんまりとした家を見て、トビィは隣のマドリードと見比べた。
それは、まるで山小屋のような質素な外観だった。庭には大きすぎず控え目な花達が、百貨絢爛咲き誇っている。よく手入れされている庭の中に、ぽつん、と立つ小屋は存外可愛らしく思える。容姿から判断するともっと派手で豪華な家を好みそうだが、これはこれで彼女に合っているな、と思った。
「この花達は、マドリードが?」
「えぇ、趣味なの。変かしら、人間を虐殺する魔族の女が花を愛でるのは?」
「いや、そういう意味じゃない。あぁ、あの白い小さな花がマドリードには似合っている」
トビィは庭を見渡し歩きながら、さらり、と感想を述べた。
笑いを零しながら、マドリードは玄関のドアを開く。かけてあった薔薇のドライフラワーが揺れて、ほのかに甘い香りを漂わせる。
「それにしても、警戒心がないのね」
普通、村を消滅した人物と共にいるだろうか。もしや、村で不遇を受けていたのだろうか、と杞憂してしまう。トビィのマドリードに対する感情や行動は、真逆でも良いだろうに。
しかし、トビィは無言を貫き、慣れた様子で椅子に座る。脚を組み、テーブルに頬杖をついた。
こちらの思いを全て見透かしているような瞳と、感情が読み取れない大人びているその様子に、マドリードのほうが戸惑いを感じてしまう。
マドリードは簡単に夕飯を作った、テーブルに出すと、早速トビィが手を付ける。
「……美味しいな」
「口に合ってよかったわ、こういった田舎料理しか出来ないけど」
「いや、温かみがあって好きだ」
オリーブを入れた焼きたてのパンに、トマトの牛肉煮込み、ワインと庭のハーブ達を使用した野菜の盛り合わせ。味に煩いトビィも、大満足だ。引き取ってくれた老夫婦は家庭料理が得意で、時折街に出向いた時は外食をしたが、どの店で食べても美味いと感じないほどだった。
トビィは、ワインを味わいながら飲んでいるマドリードに視線を走らせる。長く麗しい金髪に、豊満な身体、一見こういった家事とは無縁な女性に見えたが、家庭的なようだ。手入れされた庭といい、片付けられた部屋といい、品の良い壁の絵といい。
……とても、人間を抹殺した女性には見えない。
魔族の真意が分からず、トビィは暫し考え込んだ。村では寝る前にワインを一杯飲む習慣があったので、アルコールには耐性がある。ワインを勧められ数口飲んだものの、思考が定まらなくなりそうだったので、途中から遠慮をした。
すっかり寛いでいるトビィを、マドリードは部屋へと誘う。
ベッドに二人して転がると、ようやくトビィは疑問を口にした。
「で? オレを魔界へ連れて来た理由は? 人間の村を消滅させ、その生き残りのオレに何か意味が?」
トビィは、髪をかき上げながら挑戦的にマドリードに視線を流した。
その問い質すような凄みの有る視線に知らず固唾を飲み込んだマドリードは、そっと身体を寄せて髪を撫でる。隠し事は不要と判断した、真実を告げねば納得しないだろうとも思った。
口角を持ち上げ、嫣然とした笑みを放つ。
「私、美しいものが好きなの」
「……それだけ?」
「まぁ、それだけね。トビィが余りにも私好みだったから、つい連れて帰ってきてしまった。もちろん初めてじゃないわ、綺麗だ、と思えば過去にも何人か人間を連れて来た」
「へぇ、それはまた酔狂で」
「そうかしら? 美しいものを愛でてはいけない?」
「良い趣味だと思うけど。では、何故あの村を?」
大人しく撫でられながら、質問の続きをするトビィには、隙がない。
言い辛そうに苦笑したものの、躊躇いがちにマドリードは口を開いた。
微かに表情に陰りが見え、一瞬目が宙を泳いだのをトビィは見逃さなかった。
「魔界には、様々な魔族が居るの。人間達は自分達と違う容姿の者を一括りに“魔族”と呼ぶのでしょうけれど……。魔族はね、常に魔王が中心よ。彼こそが神であり、忠誠を誓うべき存在。過去から、魔王様を守護すべく、産まれながらに魔力が高い人物は、両親から離されて英才教育を受けてきた。私は、魔王アレク様を守護する役目を担った。魔族に敵対するのは天空の神々だけれど、人間とて侮れない存在。稀に特異な魔力を持つ人間が現れる、それは魔族にとって脅威となる場合もある。数だけでいえば人間のほうが上よね。絶対的存在を醸し出す、影響力の高い人間の下で、完璧な軍師、統率力の高い人間達が揃い立ち上がれば魔族とて危険だわ。近年、徐々に人間も魔力を高めているし、人口は相変わらず増加する一方。私は、人間の数を一定に保たせるように指示を受けているの、稀にあぁして人間界へ赴き、村を滅ぼすのよ。山奥の小さな村を狙うのは、そのほうがね、秀でた人間が現れる確率が高いから。環境が整っていない場所のほうが、優秀な子が産まれる確率が高いのよ。生への執着かしら。魔族達が生き残るために、淘汰しているの。トビィは、酷いと思うのかしら? 信じてくれなくても良いけど人間が目障りで抹殺しているわけではないの、課せられた使命を全うしているだけよ。断れば、私が反逆罪で処刑だもの」
「ふぅん、魔族ってのは意外に小心者なのかな? どうしたって魔族のほうが人間より勝るだろうに。大体は解ったけどさ、いいわけ? 人間を連れて帰ってきて。オレが脅威になったらどうするの、殺すの?」
静かな水が流れるように、時には愛らしくさえ聞こえるような旋律で語るので、殺伐とした話には聞こえなかった。まさか、“仕事”で人間を殺害しているとは思いもよらなかった。例え、人間達に敵意がなくとも。トビィとて、襲って来ずとも山で出くわしたり村の周辺をうろつく熊や狼は、先手を打って大人と協力し倒してきた。自己防衛の一環だ、似たようなものだろうか。マドリードが趣味で人間を殺す人物ではないことは、トビィとて解った。容姿とは裏腹に、繊細な心の持ち主であるようにも思えた。
現状を、少なからず憂いているのではないか、と。
街へ出向いた際、夜になると酔狂な女達で溢れ返っていた。痴態と醜態を晒す彼女らには目も当てられず、嫌悪感を抱いたものだ。それに比べれば、マドリードが女神にすら思えてくる。
「殺さないわよ、無論、離反するのであれば即抹殺だけれど。魔界で、魔族と共に生活する人間なら高い能力の持ち主のほうが大歓迎よ。監視していられるもの」
「くわばら、くわばら」
「人間と共存を望む魔族も、少なくはないの。ただ、やはり古株の魔族や血の気の多い魔族は人間を敵視しているのよね」
「へぇ。大変だね、魔族も。それにしても、何故いがみ合うんだろう。話せば分かるだろうに」
「種族が違う、というだけで、嫌悪感を抱くのが道理。人も魔族も同じよ、人間だって人間同士で愚かな争いをするでしょう? 同種族でも手を取り合えぬのに、他種族と親密になる勇気と柔軟さを持ち合わせているのかしら。他人同士が、それこそ愛情を持って誰とでも接する事が出来ないから、私達は生きているのかも。結局古来より根本は変わらないの、子孫繁栄の為に弱肉強食、それが根本に存在する」
トビィは村人から一通りの知識と学問、剣術などは教わっていたが魔族に関してはある程度しか聞いていない。というよりも、人間で魔族に詳しい者など一握りだ、今し方聞かされている内容は人間は誰も知らない。機密的内容だ。
「人間に行為や興味を持つ魔族はね、私のように人間界から好みの人間を攫ってきて、共に暮らすのよ」
「何させるわけ? つまり、愛玩だろ?」
「……まぁそうね、魔族によって、色々ね」
「だろうね」
喉の奥で愉快そうに笑ったトビィは挑発的にマドリードを見やると、不意にその金髪を優しく手に取り口づける。
威圧感のある鋭い上目遣いにマドリードの背筋がゾクン、と引き攣り、下腹部が熱を帯びる。十にも満たない幼子、しかし、この自信と色気は天性のものだ、自分はとんでもない拾物をしたのではないだろうか、と心から打ち震えた。
固唾を飲み込み、香りを嗅いでいるトビィを見つめる。女慣れしている男ですら発するのが難しい色香を放ちながら、明らかに誘うように時折肌に指を滑らせる。
それだけで、マドリードの身体は熱を持った。
「マドリードは、それでも極力人間を殺したくはない」
「え?」
問い質すように、しかし断定しているように告げる言葉には、差し迫った雰囲気があった。
「……近くの街で祭りがあったから、村の住人は半分以上が出払っていた。マドリード、そこを狙っただろ?」
笑いながら言うトビィに、愕然とした。
「知ってたんだろ、計画的犯行だ。マドリードは、数日前から偵察に来ていたんじゃ? 村一つを壊滅させれば、堂々と報告出来る。けれど、人数までは申告しないんだろ? 他の魔族が真実かどうか村を確かめに行くかもしれないけど、焼け落ちていれば信じるだろうし、仮に人間が住んでいたとしても、新たな住人の可能性だってあるから全滅させなかった証拠などない。忠実に任務を遂行出来たとしても、結局心までは変わらない、罪悪感を抱いてる」
トビィの言う通りで、言葉に詰まる。
確かにあの村に目星をつけた理由はそこだ。山奥でも、極力人数が少ない村を選択したものの、様子を見ていれば数日後に人数が減る、とのこと。待機し、その日を待っていた。トビィの言う通りだった。
絶句しているマドリードに、トビィは勝ち誇ったように笑う。無邪気に、そして完全に掌握したような笑みを。それは、女を屈服させる男の笑みに似ていた。
数分後、堪らずトビィを抱き締めベッドに押し倒し馬乗りになる。暫くトビィの心音を聞いていたが、深い溜息を吐き出した後にマドリードに笑みが戻る。当惑し、眉が寄っているが。
「賢い子ね、トビィ。ますます気に入ったわ。……それにしても、私ってそんなに解りやすい?」
「見た目より、従順には見える。強がっているだけにも」
鼻で笑ったトビィに唇を尖らせ、マドリードはそのまま五月蠅い口を塞ぐ。それから、瞼や鼻、頬に口付けの雨を降らせた。自分よりも小さな相手を組み敷くと、背徳感から余計に身体が火照ってくる。
トビィは驚きもせず、ただ、挑戦的な瞳でこちらを見ている。
小生意気だと、首筋に歯を立てた。そこから、舌をゆるゆると動かし、耳朶へと移動する。
「で? オレのことは何、夜の玩具扱いなわけ?」
多少乱れた呼吸で、それでも優位に立っているような意地悪な口調でトビィは告げる。マドリードの髪を指先に絡ませて遊びながら、余裕とばかりに口元を歪めて笑う。
欲望に火が灯ったのは自分のほうだけなのだろうか、と赤面したマドリードだが、トビィの瞳にも似たような光を見つけ、知らず安堵の溜息を零す。
「……先ほども言ったように、私は綺麗な者が好きなの」
「あぁそうだね、オレも綺麗なのが好きだ」
マドリードは、顔を顰めた。油断した、相手はただの子供のはずだ。しかし、違和感を覚えていたその内に秘めている“何か”が、牙を向く。催眠術にかけられたように、トビィの思うがまま動いている自分。これでは、どちらが組み敷かれているのか分からない。
「いけない子ね、トビィ」
「何が?」
笑いながら二人は、そのまま、自然に身体を重ねた。
トビィにとっては、初めての相手だった。