ぎくしゃく
文字数 5,780文字
校内一の美少女を射止めた問題児という噂は、瞬く間に広がった。廊下で気楽にアサギと会話することもままならない、周囲にはすぐに輪が出来て、聞き耳を立てている。
『アサギは、ミノルに脅されて嫌々ながらに付き合っているのでは』
そんな根も葉もない噂も飛び交っており、ミノルの眼つきは余計に鋭くなっていった。他人にとやかく言われる筋合いはない、気分が悪い。“噂”が大嫌いなミノルは、こちらを見ている者達に睨みを利かせ威嚇する。
「そ、そりゃ、俺とアサギは……不釣合いだし」
噂が真実な気がして、焦燥感に駆られていたのかもしれない。二人は、校内で恋人らしい振る舞いをしていなかった。
「アホらしっ。恋人らしいってなんだよ」
唾を吐き捨て嫌悪感を露わにしたミノルは机に戻ると、乱暴にシャーペンを机に突き立てる。このままではいけないことは、解っていた。噂など気にしなければよいのに、どうにも心がざわめく。アサギに会えないことが、こんなに辛いとは思わなかった。
『二人の仲は悪い。やはり上手くいかなかったのだ』
そんな真実味のない噂すら、笑って聞き流すことが出来ない。聞きたくないのに、聞こえてくる。
「あー、もうっ! どーしてこの時代にすれ違いなんざ起きるんだよっ」
スマホがあれば、いつでも何処でも連絡がつくはずなのに。
痺れを切らしたミノルは、校内でアサギを呼びつけた。このままだと、噂が真実になりそうなので、親しいところを見せつけねばならないと思った。
「そもそも、なんでっ」
一体、何をしているのか。何故、教えてくれないのか。余所余所しいアサギの態度に、腹の底が黒く蠢く。
「お、俺は勇気を出した……」
震える手で電話をかけ、出ないと落胆し滅多に使わないスタンプ付きのメッセージを送った。アサギが喜ぶように、可愛いキャラもののスタンプをトモハルに教えて貰って落としたのに。自分の気持ちを汲み取ってくれないことに、腹が立つ。
そもそも、地球に戻ればアサギが頻繁に連絡をくれそうだと、勝手に思い込んでいたことが拍車をかけている。
「どうして、ないがしろにするんだよ! 女子はいつもスタンプ送りあってるんだろ!?」
メールが大量に届いたところで、「面倒くせぇ」と苦笑するのは解っていたが、それは照れ隠しだ。全てに返事をすることはしないだろう、既読してもそのままだったかもしれない。アサギから「ねぇねぇ」と心配そうに訊いてもらえたら、「忙しーんだよ」なんて、ぶっきらぼうに言ってみたかった。
というか、恋人というのはそういうものだと思っていた。硬派な少年と天然で世間知らずの少女が、ぎこちなくやり取りをする。それは、少年漫画にもよくある光景。ミノルは、少し、いや、かなり、期待していたのだ。「アイツ、メール大好きなんだよなー。全く、ウザいなぁー」なんて、自慢してみたかったりもした。
「チッ」
申し訳なさそうに縮こまっているアサギの前にしかめっ面で立ったミノルは、腕を組んで軽く睨みつける。
「あのさ、いつも何してんの」
不愛想な声に、一呼吸置いてからアサギはか細い声で告げた。
「話してなくてごめんなさい、実は、その。……クレロ様のお城にいるの。だから、電波が届かなくて」
ミノルは唖然とした。想像もつかない返答だった。
「はぁ!? どういうことだよ、なんでお前だけ?」
何故、アサギだけ異界にいるのだろうか。他のメンバーは、自分含め誰一人として呼ばれていない。そんなことが、有り得るのか。
「そ、それがね。トビィお兄様がこの間まで瀕死の状態で運ばれて。それで、私は看病しているの」
「……は? トビィが死にそう? アイツが? んな馬鹿な。アイツ、何があっても死なないだろ」
アサギが嘘をつくとは思えなかったが、嘘のような話にミノルは訝る。
「え、えっとね。今のトビィお兄様じゃなくて、過去のトビィお兄様なの。今助けないと、過去で私達の前に姿を現すことが出来なくて」
アサギは地面に落ちていた木の枝で時系列を簡単に書き説明をしたが、ミノルには理解不能である。混乱して頭を抱え、低く呻いた。
「……悪い、少し考えさせろ」
「う、うん」
ミノルは必死になって考えた。
異世界へ旅立ってからある程度のことには驚かないと思っていたが、流石に斜め上だった。というより、いつでもアサギが起こすことに驚愕する。
「アサギが今助けているのは、過去のトビィ、過去のトビィ、過去のトビィ? ……って、なんだそりゃ」
校舎から体育館へ行く通路脇にいた二人は、人目を気にしながら話を続けた。教室から近いと誰かが聞き耳を立ててそうだったのでここへ来たものの、風が舞うたび木の葉が揺れて心臓に悪い。
他に適切な場所があっただろうに、ミノルはここを指定した。体育館付近、人気のない場所、二人きりというワードが、ロマンティックな場所だと認識したまで。
ただこの場所は、教室の窓から丸見えである。
上から興味本位で覗いていた知り合いに、ミノルは大袈裟にしかめっ面をして舌を出す。しかし、気分は良い。圧倒的な優越感に浸っていた。
「えーっとつまり、今、トビィが二人いるってこと? 過去のトビィと、今のトビィ。過去のトビィは、俺達がまだ会う前のトビィ、ってことだよな?」
「そういうことです……。その過去のトビィお兄様を毎日看病してて、それで電話が繋がらないの。まだ完治してないから、今日も行く。だから、学校を出たらもう、電話は繋がらなくて」
理解は出来たが、釈然としない。
ミノルは、冷めた瞳でアサギを見つめた。彼氏を
トビィに会いに行っている。その事実が、ミノルの心に深く根付いた。自分以外の男に、会いに行っている。毎日、会いに行っている。彼氏に連絡はせず、毎日、毎日、毎日。
徐々に気分が悪くなる、吐気がする。
『つーか、その報告をすぐに俺達にするべきなんじゃね? 知っていたら、俺は毎日電話してないだろ』
言おうか迷い、ミノルは飲み込んだ。たじろぎ動揺しているアサギを、どうしても疑心の目で見てしまう。違うとは思っている、信じたいとも思っている。それなのに、どうしても心の奥底で何かが引っかかってざわめく。
『結局さぁ、お前は俺よりも、トビィを選んだ。俺よりも、トビィを優先してるんだろ』
苦い薬を飲み込むように、泣きそうになってその言葉を封印する。
『俺よりも、トビィの事が好きなんだろ。アイツ、かっこいいもんな。テレビに出てる芸能人よりも、お洒落な雑誌のモデルよりも、イケメンだもんな。脚も長いし、強いし、気障だし。そりゃ俺より断然……』
ミノルは、情けなくて俯く。しかし、被害者は自分だと思い直して拳を握り締めると顔を上げた。困惑し俯いているアサギに苛立つ。
「ふーん、あっそ。勝手にしな、じゃ」
ミノルは冷ややかにそう告げて、立ち去った。腹の中で、黒いものが暴れている。転げまわって、身体の内側から殴打してくる。だが、唇を噛み締めて激痛に耐えた。その場に居たらアサギを怒鳴りそうだったので、早々に切り上げる。この場から逃げることが、その腹の虫を抑え込む最適な方法だと確信していた。
アサギは悪くはない、優しいアサギは誰でも助けることを知っている。そこが、好きだ。だが、もう少し彼氏である自分に気を遣ってくれてよいのではないか。
「そんなこと、言えるわけがない」
伝えたら、アサギが泣くだろう。泣かせたいわけではない、出来れば泣き顔は見たくない。
「俺、アサギの泣き顔は見たくない……」
早足で歩き出すと、後方から慌てて追いかけてくるアサギの足音が聞こえた。
荒れた気分で、複雑な心境だった。追いかけて来てくれて嬉しい反面、媚びているようで気に入らない。かといって、その場で立ちつくしていたとしても、それはそれで癪に障る。現状から逃げた自分にも苛立っているのかもしれない、上手く物事が進まないので何もかも全てが欲求不満に繋がる。
ここまでくると、何をしてもされても、結果的に憤りが胸の奥に湧く。
どうしたらよい方向へ向かうのか、今のミノルには解らなかった。大人のフリをして我慢し、笑顔で受け入れればよいのか。それとも、駄々っ子の真似をして、俺の傍にいてくれと言えばよいのか。
「んなこと、どっちも出来るわけねーだろ」
小さく吐き捨て、癇癪を起す。トビィやトモハルのように、上手く立ち回れない自分が嫌いだ。そして、それを察してくれないアサギも不満だ。人一倍注意深く鋭い癖に、何故気づかないのか不思議で仕方がない。
わざとではないかと、思ってしまう。
「気づいてくれよ。俺、トモハルみたいに上手くやれないんだ。アサギ、お前なら気づくだろ? 俺、不器用なんだってば。頼むから、頼むから、俺を怒らせないでくれ、お前を泣かせたくないんだって」
――我慢する必要なんて、あるのかなーぁ? 色んな感情があるのが、ニンゲン、でーしょ? どうして我慢するーの。……思うように行動すればいい、彼女はそうしてる。
耳元で誰かがそう囁いた気がした。
ミノルは立ち止まると、空を仰ぐ。太陽の光が瞳に飛び込んで来て、眩暈がした。一瞬真っ暗になり、反射的に項垂れて地面を見つめると、校舎の隅に澱んだ水たまりが一つあった。何気なく見やったが、その水たまりからもう一人の自分が不思議そうにこちらを見ている気がした。腰に手をあてて、肩を竦めている。
双眸がその姿を捕える。
水たまりの自分は、妙に爽やかで楽しそうだった。そう思った瞬間に「だって、我慢してないから」と、微笑まれる。ゆっくりと額を拭いながら立ち上がったミノルは、唇を結んだ。
「俺は彼氏だ。アサギの彼氏は、トビィじゃない。俺だ」
――そうだよ。
告白してきたのは、アサギなのに。
――変だと思うだろう? 純粋な君を弄んでいるんだよ、もっと積極的に近寄って来てもいいだろうに、全く行動を起こさない。
「それは、どういうことだろ。好きだったのはトビィだけど、住む世界が違うから、俺を選んだのかな」
ついに。ミノルは本音を吐露した。
言いたくなかった事だった、それは思いたくなかった。誰かの代わりだなんて、まっぴらごめんだ。けれども、それなら自分が選ばれたことが納得出来た。告白され、どうしても解らなかったのは、何故あの優等生で誰からも好かれる人気者のアサギが、自分を好きになってくれたのかということ。接点はあっただろうか、いや、ない。
嬉しいのに、嬉し過ぎて、自信がない。解らな過ぎて、怖い。実感がなくて、不安になる。疑心の心が産まれ出てしまう。
「俺は、トビィの代わり。あの時、一番近くにいたのが俺だったから、選ばれただけかな」
――多分ね。
否定して欲しいのに、肯定するもう一人の自分がそこにいる。
「校内で話しかけろよ、ウザいと思うくらいにメールも欲しいんだよ、電話だって俺が出なくても何度もかけろよ。俺……待ってたんだ」
――無理だよ、解ってるだーろ?
水たまりの自分が、慰めるように憐れみの瞳で見つめてくる。
ミノルは、泣きたくなって視線を逸らした。これ以上、そんな言葉を聞きたくなかった。
しかし、水たまりの自分は地面を伝ってミノルの周囲を取り囲み圧をかける。声を聞け、目を逸らすなと忠告してくる。おぞましい空気が、鼻と口から、侵入してくるようだった。
「あ、あの、ミノル。今度の日曜日、何処かに行きませんかっ」
途端、その不気味で陰鬱な気配が飛散した。
妙な汗をかいたミノルは荒い息で地面を見つめ、恐る恐る校舎の水たまりを見つめる。だが、そこには水たまりなどなかった。眩しい太陽を直視して、見えてしまった幻覚だったのだろうか。そこには、晴れ晴れしいくらいの熱い熱を含んだ空気しかない。
ミノルは、安堵した。額の汗を拭い、小刻みに震えている手を握り締める。追いかけてきたアサギは、そう叫んでくれた。息が上がっていることくらい解る、自分の為に必死になってくれた。
嬉しかった。その一言で、全てが救われた気がした。
ミノルは赤面しながら瞳を泳がせ咳をし、どうにか顔を正常に保つと軽く振り返る。照れ隠しで、ぶっきらぼうに告げる。それが、精一杯だった。
「……みんなで行ったプールに行こうぜ、そろそろ外の流水プールは終わりらしーし。見納めにな、まだアチーしさ。うん、そうだ、二人でプール行こう」
すぐに、他の場所が思いつかなかった。だから、直近で楽しかった思い出を振り返ったら、プールになった。映画はそこまで記憶にない、やはり水着という刺激的なものが原因だろう。
「うん! そうだね、この間はあまり一緒に泳げなかったから」
プールに行くだなんて、水着が見たいだけの変態じゃないかとミノルは内心焦ったが、アサギは嬉しそうに微笑んで飛び跳ねた。
「なんだそれ。子供じゃあるまいし、はしゃぐなよ」
嫌がられてないと解り安堵したが、水着で二人きりという幸せな光景に、だらしなく顔を緩める。しかし、慌てて背筋を伸ばして気を引き締めると、面倒そうに手を振った。
「そういうことで、じゃ」
「時間は?」
「後でメールしとく。看病頑張れよ、無理すんな」
「うん!」
顔が知らず緩んだ。余裕のある彼氏を上手く演じる事が出来たと、ミノルはにやつきながら焦点の合わない瞳で教室へ戻り、不気味なくらいに笑顔で一日を過ごした。
いよいよ、一般的な恋人同士だ。夢見ていた会話と、デートの約束。二人きりで出かけることは、これが初めてである。
素直に、浮かれていた。
何より、プールに誘った時のアサギの笑顔が眩しくて、偽りなく愉しそうだと、喜んでくれたのだと分かったことが嬉しかった。
「アサギも楽しみにしてくれていたんだな、俺との時間を」
ぼそりと呟くと、自然と先程までの嫉妬や憎悪が消えていく。
「そうだよな、こういう時は男の俺がリードするもんだよな!」