呼び声に応えよ
文字数 4,500文字
船長の監視の元、緊急脱出用を一艘、海へと下ろす準備が始まる。
颯爽とそれにトビィが飛び乗ると、不安そうに眉を寄せたアリナが声をかけた。
「大丈夫か?」
「あぁ、気にするな。万が一奇襲があったとしても、どうにかなる」
「自信があるんだか、楽観視してるんだか。そもそも、何するのさ?」
「……野暮用」
慎重に、トビィを乗せた小船は海面へと下ろされていった。
「海は、未知の領域。得体の知れない魔物が、多種存在しますからね」」
固唾を飲んで見守っているアリナの隣で、船長が片手を上げた。
同時に、一発の大砲が船から放たれた。海に落下し水飛沫が上がる、と虹が浮かぶ。騒ぎを聞きつけて集まって来ていた子供らは、歓声を上げた。
しかし、大人達は極度の緊張感に包まれている。今のは、威嚇だ。何事も起こらぬ様、祈りも籠めて。
船上の人々とは違い、トビィは臆することもなく小船の中で水平線を見つめている。
微かに眉を吊り上げしかめっ面のアリナの隣では、クラフトが沈黙したまま非常事態に備え魔法の詠唱に入った。
サマルトとダイキは身を乗り出し覗き込んで、トビィが下りていくのをじっと見つめている。
「今のところ、妙な感じはしないのか?」
徐にアリナが口を開いた、視線は水平線を睨みつけている。
「私の事を信用してくださるのでしたら、大丈夫です。が、先程の船長殿の言葉通りトビィ殿が戻られるまで気が抜けません」
「魔物が出たらボクも飛び出す、クラフト、援護しろ」
「えぇ。ダイキ殿、サマルト殿、詠唱を始めて貰えますか? 念には念を」
クラフトに突然名を呼ばれ、二人は慌てて大きく頷くと顔を見合わせ戸惑いがちに詠唱に入る。
見届け、深く頷いたクラフトは一歩、前に進み出た。
「万が一魔物の襲撃を受けた場合、彼が甲板へ戻ることを最優先とします。それまで、攻撃の手を休めぬ様に。トビィ殿の事ですからそう簡単には負傷しないでしょうが、私はこれより彼の防御に徹し、最悪回復に回ります。攻撃は、サマルト殿、ダイキ殿にお任せしましたよ。貴方方が頼りです」
そう言われ、サマルトとダイキは喉を大きく鳴らした。頼られているから踏ん張らねば、という意欲もあるが、責任も重大だ。
甲板で四人が攻撃態勢を整えている頃、トビィはようやく海面へ辿り着いた。船体に波が触れる、チャプチャプと心地良い音に、耳を傾ける。日光が反射して眩しい海面を瞳を細め見つめると、しゃがみ込んで海を覗き込んだ。
美しい、青。透き通り、綺麗過ぎて引きずり込まれそうな程の魔性の青。小さな影が動いている、魚だろうが距離感が掴めない。
気配を確かめる為、左手に神経を集中させた。魔物の気配は今のところない、トビィは左手をそっと海の中へと入れた、日光のお陰で暖まった海水は少し温い。
「……呼び声に応えろ、オフィーリア」
小さく呟く。
オフィーリアとは、トビィの相棒である水竜の名だ。まだ幼く、行動意欲が盛んで無鉄砲な竜である。飛行が出来ない水竜は世界各国の岩肌が露出した海岸に住み着くことが多く、トビィは数年前に入り江の洞窟で水竜達に出逢った。大概は集団生活で、一族同士の絆を最も大事にする竜であり、結束が固いのが特徴だ。
「オフィーリア、応えろ。何処に居る?」
何度も呼びかける。
トビィとオフィーリアの絆は、易々と作られたものではない、それを信じて懸命に呼びかけた。広大な海面だ、見当違いの場所で呼びかけているかもしれないし、すぐ傍に居るのかもしれない。
トビィは静かに右手で背の剣を引き抜くとそっと海面にそれを半分ほど浸した。ぼんやりと淡く光る剣を見つつ、再度呼びかける。
この剣はオフィーリアの従兄弟であるジュリエッタという水竜の角から出来ている、その内に秘めた魔力を海へと流し、気づかせようとした。オフィーリアがトビィの位置を把握しさえすれば、当然共に行動していると思われる黒竜デズデモーナに風竜クレシダもこちらへ向ってくるだろう。
前例がない為有り得ないと思われがちだが、トビィの相棒である種族が異なる三体の竜は常に行動を共にしていた。個々にトビィに忠誠を誓っている為共に行動しているが、性格も習性も相違している三体を纏められるのは、その力量ゆえ。
数十分、トビィは懸命に呼びかけた。けれども、日差しが刺すように肌を刺激するだけで、何の変化もない。小さく溜息を吐くと、剣を海面から引き抜き立ち上がる。上手くいくとは思っていなかったが、可能性に賭けてみただけだ。
一振りして水を払うと、マントで丁重に水滴を拭き取る。しかし、どうしても諦めきれずにもう一度屈んで、左手を海面へと入れた。手首まで浸し、念じる。
と。
「っ!?」
殺気を感じ、手を引き抜くと直様右手で剣を構える。左手でロープに掴まり、甲板目掛けて怒鳴る。
「上げてくれ! 何かが来る」
只ならぬ雰囲気の声に、欠伸を零していた船員は我に返ると慌てて小船を上げるために歯車を回し始めた。
船長は身を乗り出し、瞳を細め威嚇の砲撃を数発打たせた。
「来ます! 早く小船を引き上げてくださいっ」
クラフトが自身の銀の杖を前方に構え、ダイキとサマルトも武器を持って覗き込む。
小船がゆっくりと軋みながら海面から浮かび上がった、その瞬間。
轟音と共に小船は下からの攻撃により斜めに傾いた、衝撃で破片が飛び散り、海面に木材が浮かぶ。
甲板で悲鳴が上がった、心配そうにトビィを覗きこむ者もいれば、船内へと逃げる者もいた。
舌打ちしたトビィは、固くロープを握り締める。
何度か攻撃を受ければ小船は跡形もなく吹き飛ぶ、姿は見えないが、水面下に何かが潜んでいる。
「火炎か雷電の魔法を! 威嚇で追い払いましょう」
「解った! ダイキ、行くぞ!」
クラフトの指示に、準備を整えていた二人は颯爽と魔法を放った。トビィの左右を通り抜けてサマルトとダイキの詠唱した魔法は、海面へと突っ込む。
鋭利な瞳で睨みを利かせ、トビィは態勢を引くくし身構える。余計なものを引き寄せてしまう事は、百も承知だった。
張り詰めた空気の中で、威嚇が効いたのか、海は平常の穏やかな状態へと戻っていった。
安堵の溜息を洩らす客達だが、アリナは手すりに足をかけて何時でも出られるように待機をしている。油断は禁物である。あれで諦めるような相手であればよいが。
クラフトも、一刻も早く小船を引き上げるように指示を出し、気配を探る為瞳を閉じた。
トビィは体勢を崩すことなく、波の音を聴いている。僅かな音の違いを聞き分ける為、全神経を耳に集中させる。
……来た。
トビィは、ロープをばねに小船から脚を離して上空に跳躍した。次の瞬間、バキバキと音を立てて船を破壊し、魔物が姿を現した。飛んでくる破片を避けながら、トビィは剣を振り下ろす。
「これはまた……けったいな」
姿を現した魔物を見てトビィは苦笑いである、見覚えある姿にダイキが叫んだ。
「でかいタツノオトシゴ!?」
トビィは知らなかったが、ダイキは知っていた。図鑑でも水族館で見たことがある、タツノオトシゴである。大きさは全く違うが、形は同じである。ケンイチの親戚が経営する飲食店に、名物ペットとしてこれが飼われていた気もした。
全長五メートル程、身体が細いとはいえ、やはり迫力がある。
「カマウェト、ですね。高度な魔法使いはアレを飼いならして乗り、海上を旅をするのだそうですが」
「うへぇ、ボクは嫌だなぁ」
茶色い強固な皮膚に、鮫のような瞳は、明らかに凶悪だ。
「攻撃は体当たりのみ、です。しかし、水中では屈指の速度を誇るので、勢いをつけてからの突撃はかなり危険です」
それは先程の小船の無残な姿を見れば解る、アリナはロープを一本手に取ると腰に巻きつけ、その瞬間を見極める為鋭く睨みつけた。
巨大な身体が海へと潜った、静まり返っているが、再度浮上してくるだろう。
前方から吹き上がる水飛沫にトビィは剣を構えた、風圧で身体が船体に叩きつけられそうになるが逆に反動を利用して蹴り上げ、勢いをつけて現れたカマウェトへ斬りかかる。
同時に上空からアリナが飛び降りた、カマウェトの頭部目掛けて蹴りを食らわし、待機していたダイキとサマルトが魔法で応戦する。
「ちっ、想像以上に硬い皮膚だなっ」
甲殻類に匹敵するだろう、蹴り上げたアリナの右足がジンと痺れる。唯一柔らかそうな瞳を狙うしかないようだ。
「オレは大丈夫だと言ったろう?」
「まぁ、退屈だからー」
微かに怒気の籠もったトビィの声に、あっけらかんとアリナは笑った。互いにロープにぶら下がり、引き上げてもらうのを待つ。
「で、どーすんの、あのみょうちきりんな生物」
「命は奪わなくてもいいと思う。が、船に攻撃を仕掛けられてはやっかいだ」
「だよねー、どう出てくるかなぁ?」
水面下で泳ぎまわっているところを見ると、諦めてはいないらしい。
「来る。逆上していないとイイが」
「まあ餌みたいなボクらがぶら下がってるんだから、諦めはしないだろーね、っと」
勢いつけて飛び出してきたカマウェトを、二人は振り子の原理で身体を大きく動かし、避ける。護るべきは命だが、そもそも船体に体当たりされないように応戦せねばならない。
必死でダイキとサマルトも魔法で援護しているが、攻撃が上手く当たらない。早過ぎて、翻弄されてしまう。
「アリナ、目を狙う」
「りょーかいっ」
トビィとアリナの二人は、再度海に潜ったカマウェトの次の攻撃に備えた。もうすぐ甲板へと辿り着く、ロープに掴まる腕も痛くなってきた。決めるのなら、次が最後の機会だ。
相手がワンパターンの攻撃で助かった、二人は敵が海から姿を現した瞬間、左右についている眼球目掛けて攻撃を食らわした。トビィが剣を突き刺す、アリナが蹴り破る、同時に頭部目掛けてダイキとサマルトが魔法を放ち、そのまま海へと押し戻す。
最後にクラフトが船員に指示を出し、死んだのか、気絶しているだけなのか解らず浮遊しているカマウェトへ、大砲を発射した。その細長い身体を、遠くへと吹き飛ばす。
ようやくトビィとアリナが甲板へと戻った、迫っていた眉根を開いて安堵する。痺れた腕に顔を顰めたものの、全員無事で船体にも損傷はない。
「いやー、一体だけで助かった!」
アリナは上機嫌でトビィの背中を強引に叩いた。不謹慎だが、退屈凌ぎになったので楽しかったようだ。
「で、トビィは何がしたかったわけ?」
「さぁ、な。気にするな」
穏やかさを取り戻した海を眺めつつ、トビィは手すりに凭れ、一息ついた。
日差しは高い、本日も午後から船員達の指導だ。
……オフィーリア、受け取れよ?
トビィは囁く、今はただ相棒達が駆けつけてくれることを祈り、自身の鍛錬に励みながらも指導をするしかない。
この、海の上で。
***
2021.01.14
白雪様から頂いたアリナのイラストを挿入しました(*´▽`*)
かわわわわ!
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