静かで緩慢な予感
文字数 6,255文字
自分よりも劣るくせに、欲するものを何もかも持っている。陽の光を浴びて楽しそうにはしゃいでいる姿を、大勢が優しく見守っている。
マビルは、自分がみすぼらしくて仕方がなかった。地面を見つめ、肩を落とす。地面に映っている影が、泣いているように思えた。
何故、ここにいるのだろう。
何故、あそこにいられないのだろう。
「あそこへ行きたい」
マビルは静かに歩き出した、アサギ達が何をする為にここへ来たのか確認する為に。結界の為、どれだけ近づこうとも魔王アレクですら気配を察知出来ない。
傷心しているマビルの存在に気づかず、一同は手頃な場所で座り込むと弁当を広げた。アサギが恥ずかしそうに先程作ったものを差し出すと、皆が一斉に群がる。
「美味い、これは美味い! 地上の宝! アサギは料理が上手だなー、はっはっはっ!」
ハイが涙を流しながら食していたので、マビルは理解した。あれは、アサギの手作りらしい。指を咥え、羨ましそうに眺める。
おにぎりを食べている姿に、マビルは首を傾げた。あのような食べ物は初めて見たが、見た目が可愛いのと、皆が笑顔だったので気になってしまう。
「いいな……美味しそう、楽しそう。あたしも、食べたいな」
次から次へと魔法の様に出てくる料理に、喉を鳴らす。
マビルは大勢で食事をしたことがない。和気藹々と食事している様は、こちら側から見ても楽しそうだった。最近は、ずっと一人。せめてアイセルが毎日帰宅してくれたら気も紛れるだろうに。
「どうして、あたしは一人ぼっちなの」
混ざる権利がある、と考えて首を横に振った。
……違う違う、あの場所は、本来あたしのもの。蹴落として、あそこに居座ってやる!
『そうだよ、自ら動かなければ全て持っていかれてしまうよ。生きる権利は誰にでもある、幸せになる権利もある。お人好しな君が動かなければ、
脳内で聴こえた声は、自身のものか。
「そうよ、あたしは混ざりたいなんて思わない! 奪い取るの!」
『そうだよ、その意気だ。理不尽な世界を壊してしまいなさい、君なら出来る』
その不思議な声を拒絶することなく、大きく頷いて同意する。願望を正直に声に出し、誰かに肯定されて再度目の前の光景を見つめた。なんて腹立たしい光景だろう、歯を食いしばって睨みつける。
誰からも愛され、不幸など知らずに育ってきた温室の姫君。幸福なアサギを見ているだけで腸が煮えくり返り、マビルは両手を突き出した。
「天より来たれ我の手中に、その裁きの雷で我の敵を貫きたまえ。眩き光と帯びる炎、互いに呼応し進化を遂げよっ! 我の前に汝は消えゆく定めなり、その身を持って我が魔力の贄となれっ」
大きく振り被って、稲妻が迸る魔力を放出させる。憎々しげにアサギを睨みつけ、大嫌いだと叫びながら魔法を発動した。しかし、森の結界は容易く魔法を通さない。見えない壁に跳ね返され、逃げ遅れたマビルの身体に最大級の雷の魔法が直撃する。
「ぎゃんっ!」
身体中が痺れ、肉が焦げる匂いがする。衝撃で遠くへ転がったマビルは、悲鳴を上げた。まさか、自慢の魔力を自身で味わう羽目になるとは思わなかった。泣き喚きながら死に物狂いで地面を転がり、治癒の魔法を詠唱する。痛みで上手く詠唱できないが、自慢の肌に傷が残ったら大変だ。身体中を砂だらけにしながら、意識が朦朧とする中で苦し紛れに唱え続ける。
発動した回復魔法に安堵し、涙を流しながら見上げた空は、腹が立つくらいに美しい青色だった。
「えへ、流石あたしの魔法ー……めっちゃ痛い、痛い」
空では、黒と金の竜が軽やかに舞っていた。
アイセルから聞いている、ドラゴンナイトであるトビィの相棒なのだろう。ぼんやりとその光景を見ていたら、不意に滲む。再び、涙が溢れてきた。一体、自分は何をやっているのか。情けなくて、心がしんどい。
「痛い」
傷が癒えたので、マビルは意気消沈しながらもアサギ達を見に行った。魔法は完璧に唱え傷は何処にもないのに、身体中が痛い気がする。脚を引き摺って歩いた。
治癒に時間を費やしたらしく、アサギ達はすでに食事を終え不思議な遊びをしている。
「何をしているの?」
人の頭ほどの球体が、ポーン、と宙に浮かんでいる。初めて見たマビルは、結界に手をあててその様子を食い入る様に見つめた。
円陣を組み、球を受け返して遊んでいる。流石にバレーボールはなかったが、毬のような物を城内で見つけたアサギが持ってきた。そして遊び方を説明し、皆で実践している。
運動能力が高いトビィは何をしてもソツがなく、誰かが外したボールを全速力で取りに行くと、地面擦れ擦れで受け見事に上げる。
その都度、アサギは手を叩いて喜んでいた。
「バレーボール選手も真っ青な、見事なレシーブ……!」
感動するアサギも、運動神経抜群なので巧い。
器用なリュウも一通りこなし、活発なロシファもエルフの姫ながら華麗に送球を行う。アレクも意外と馴染んでいた。
ハイのみ、身体を動かすことが苦手なのですぐに音を上げた。大きく肩で呼吸しながら、飛んでくるボールに悲鳴を上げている。
「ハイ、へったくそだぐー。ばかーまぬけーとんまー」
「や、喧しいっ! ぐふぅ、ごふぅっ、げほんげほん……むぅ、意外と難しいなこれ」
これでは長続きしないので、ハイの両隣をアサギとトビィが固めた。すると、支え合ってどうにか送球が続く。皆の顔に、笑顔が浮かんだ。
「こうして皆で汗をかくのは、良いものだ。隣人と協力し愉しむことが、ここまで有意義とは。積極的に今後開催していきたい」
アレクが爽やかに告げると、アサギが飛び上がって喜ぶ。
「楽しそうですね! 運動会みたい」
「うんどうかい? 運動会とは……?」
「えっとですね」
アサギは不思議がるアレクに応じ、運動会について皆に聞かせた。組に分かれ対抗するが、一人では勝てない難しさ、他人と協力して共に勝利を得る充実感を話す。無論、ハイのように運動が苦手な人もいるので、その辺りは考慮すべきだが。
「借り物競争は運動神経が関与しません、きっと面白いですよ」
「アサギ、そなたの居た惑星には愉快なことが多々あるのだな。参考になる、もっと聞かせておくれ」
マビルも見ていた、聞いていた。
知らないことばかりが目の前で繰り広げられる。何でも知っているアサギが羨ましい、皆に可愛がられているアサギが妬ましい。
『ほらごらん、あれのせいで
頭の中で、声がする。
最初は抵抗し、首を横に振った。孤独だと解っていても、他人に指摘されたくない。心をかき乱されたくないから、耳を塞ぐ。
しかし、これは現実だ。
「うん、そう。……確かに、そう。あたしは、一人ぼっちなの」
ギリリ、と結界に爪を立てる。傷一つつかないそれが、疎ましくて仕方がない。
「あ、ごめんだぐー」
「大丈夫ですよ、今とってきます」
我に返れば、転がった球体がマビルの足元に近づいてきた。
アサギが、こちらに向かって走ってくる。
心臓が跳ね上がり、一歩後ずさったマビルは喉を鳴らす。アサギから視線を逸らさず、間近にせまった自分に似て非なる少女を見つめる。
コン。
結界に触れ、ボールが跳ね返った。
「……え?」
アサギは瞳を丸くした。今、ボールがあり得ない動きをした。不思議に思いつつも、怖々そっと拾い上げる。軽く動かして確認するが、特に異常はない。
首を傾げながら、正面を見つめる。
アサギとマビルの、視線が交差した。全く同じ身長なので、正面に立てばそうなる。
間近でアサギを見たマビルは、皮肉めいて笑った。確かに似ている、似ているが可愛いのは自分だと、踏ん反り返る。
アサギは視線を逸らさないまま、手を伸ばした。ぺたり、と結界に手を添える。それに驚いた様子はなく、ただ、マビルを見つめている。
驚愕したのはマビルだ。結界の存在に気づきながら動揺しないアサギに、何度も瞬きを繰り返す。背筋が、凍った。見えているのか、それとも偶然か。反射的に手を伸ばし、控え目に差し出された掌に重ねる。結界は冷たい筈なのに、温もりが感じられた。
じんわりと広がるものに、涙が込み上げそうになる。
「待ってて、必ずソコから出すから」
心が揺さぶられていたマビルに、アサギは一切の曖昧さを残さぬ声でそう断言した。
「え……?」
マビルの身体が引き攣る、今のは聞き間違いではない。
「み、見えてるの……?」
流石に狼狽した、震えながら大きく息を飲み込む。耳元で焦った声が何か叫んでいたが、アサギの瞳を見ていると聞こえなくなった。
「た、すけ、て」
救いを求め、震える声を出す。
「待ってて、必ずソコから出すから。大丈夫」
一筋の涙を溢して訴えたマビルと同じ様に、アサギも涙を零す。
救いを求めるつもりはなかった、けれど、唇から言葉が滑り落ちた。ニ人を隔てる冷たい壁は、徐々に熱を帯びる。懐かしい温もりが、マビルの身体中を包んでいた。
アサギの瞳を、マビルは知っている。脳裏に、何か映像が流れる。
『地上に根を張り巡らす、堂々たる大樹。生命の源、全ての万物の恩恵。緑の髪がふわりと揺れ、臆することなく微笑した。
「私は貴女が思っているよりも我儘で、強欲なのです。だから、みんなみんな、助けないと気が済まないです。選択など、出来ません。おいで、貴女の居場所はここですから」』
マビルの身体が硬直する、アサギの瞳を知っている。遠い昔に見た気がする、傍にあった気がする。
「たす、たすけ」
震える声で、必死に訴えた。助けてくれる、きっと助けてくれる。
何故ならば、目前にいるのは愛しい双子の
『誰も助けてくれないよ、自分で前を向いて歩かなければ、また惨めな境遇が待っているだけだよ』
耳元で、そう叫ばれた。
身体を仰け反らせ、マビルは結界から離れる。
二人の掌が、離れてしまった。
大きく肩で息をしながら、吹き出た汗を拭うと忌々しそうにアサギを見つめた。急に心が冷めた、目の前で切なそうに哀しそうに泣いている女に腹が立つ。小馬鹿にしたように唾を吐き捨て、マビルは口を開く。
「なら、さっさと助けてなさいよ! 何も、出来ないくせに。……あんたの居場所はあたしのモノ。いつかきっと、奪ってみせる」
『そう、そうすれば幸せが待っているよ……。君にはその権利がある、幸せになりなさい』
吼える様にそう叫んだマビルは、長居は無用と森の奥へと走り去った。あの場所に居たら、何か得体の知れない力の前に屈服しそうだった。アサギの雰囲気に飲まれかけていたことに気づき、眩暈がする。あれは人心掌握の潜在能力だろうか、口元を拭うと池に飛び込み、身体を冷やす。
「耳元で囁く不思議な声がなかったら、今頃……」
マビルは身体を震わせ、水に沈む。
さわさわと、森の木の葉が揺れている。哀しそうに、泣いていた。必死に必死に泣いていた。
その裏で、『ウフフフ……』と恐悦至極とばかりに嗤い続ける何かがいる。
全くもって、邪魔な奴らだこと。
キィィ、カトン。
「アサギ? どうした」
硬直したまま微動だしないので心配になったトビィが、迎えに来た。泣いていたアサギは、慌てて涙を拭い振り返る。
その泣き顔に驚いたトビィは、反射的に抱き寄せ周囲を窺った。特に異常はないように思える。
「森が綺麗だからでしょうか、泣けてきてしまったのです」
慌てて首を横に振るアサギは、申し訳なさそうに苦笑した。
「……そうか。さぁ、戻ろう。陽も傾いてきた」
名残惜しそうに微笑んだアサギは、トビィと手を繋ぐ。温もりを確かめながら、そっと振り返ると静かに瞳を閉じた。そして、瞳を大きく開く。
森の木々たちが一斉にざわめいて、大きな風を巻き起こす。開かれたアサギの大きな瞳は、まごうことなき深緑色。
「どうかどうか、あの子を護って。すぐに迎えに行くので、あの子をどうか。私の声が、親愛なる貴方に届きますように。精一杯の敬意を籠めて」
再び瞳を閉じると、黒い瞳のアサギは心配そうに顔を覗きこんだトビィにゆっくりと微笑んだ。胸がざわめく、鳥肌が立つ。唇を噛締め、大きな手を力強く握り返す。
さわさわさわ……木々が揺れる。懸命に揺れる。
充実した時間は、終わってしまった。心には、空虚な空気が吹き荒れる。
先程城に戻ってからは、夕食を中庭で戴いた。その場には職務を終えたアイセルらも招き、大賑わいだった。
ホーチミンは、アサギに甘い卵焼きの礼を告げた。余程気に入ったらしく、また食べたいと興奮していた。皆も同意し、褒められ照れているアサギが可愛らしかった。
そんな中で一見浮いているようなリュウが異質だった。それでも、一人な事に気づいたアサギが駆け寄り、親しそうに談笑していた。皆の心中は穏やかではないものの、アサギがリュウを好いているので強引に引き離すわけにもいかない。
「愉しかった、とても。それなのに、心の底から悦ぶことが出来ない」
リュウの真意が見出せない、他にも不気味な人間の女が脳裏を掠める。
ロシファを送ったアレクは、妙な胸騒ぎに帰り際思わず抱き締めた。楽しかったと言い合いながらも、二人は戸惑う。突然訪れた幸福な時間に恐れをなしているのだろうか。
強い力で抱き締められ、ロシファは苦笑した。
「あらどうしたの、アレク? 泊まっていく? そろそろ子作りして、次期魔王候補のアサギに全てを委ねる?」
冗談交じりに告げたロシファだが、アレクは普段の様に照れて狼狽もせず、ただ強く抱き締めるばかりだった。流石に不審に思い、そっと腕を背中に回す。子に聞かせるように優しく撫でながら、あやすように告げる。
「大丈夫よ、アレク。何がそんなに怖いの? 身体を震わして、こんなにも怯えて」
「……嫌な予感がする。ロシファ、今すぐに城で暮らそう。勿論、乳母殿も一緒だ」
唐突にそんなことを言うので、唖然とアレクを見上げた。だが、冗談を言う男ではない事は、ロシファが一番よく知っている。顔面蒼白の彼は、一体、何を恐れているのだろう。
「無茶を言わないで、性急だわ」
ロシファは宥めた、引っ越す準備も必要だし、森の動物達はどうしろと。それでも頑なに拒むアレクに手を焼いて、折れた。
「解ったわ、じゃあ、数日後に迎えに来て。荷物をまとめたいし、このまま無人にするわけにはいかないの。森の友達に話してまわらないといけないし、準備がどうしても必要なの。解るでしょう、アレク」
「……なら、明日だ。明日の昼に迎えに来る」
「せめて明後日に」
「駄目だ、明日の昼だ」
「もぅ……じゃあ、明日の夕方ね、これは引き下がれない。ただ、頻繁に戻らせて頂戴」
「私と一緒ならば、戻る事を許可する」
「一体どうしちゃったの、アレク。貴方、そんな強引だった?」
渋々了承したアレクに、ロシファは悪戯っぽく髪を引っ張ると唇に口付ける。
手を振って、離れた恋人達。
魔界の平和主義者である魔王と、その嫁となるべき魔族とエルフの混血の姫君。
まさか、これが最期の口付けになるなどと、二人は思っていなかった。
動悸が激しく鳴り、アレクは幾度も振り返った。小さな島の小屋の光が今にも、消えてしまいそうで。
そんなアレクを、いつまでもロシファは平素通りに見送っていた。柔らかに微笑み、多少困惑して。
遠まわしな死の気配が、その島に漂い始めていた。