生贄のエルフ

文字数 8,710文字

 魔王アレクは目を醒まさず、うわ言でロシファの名を繰り返している。
 真相は、分からないまま。スリザとアイセルが部屋を警護する中、医師らが席の温まる暇もない程動き回っていた。
 殺伐とした最中、騒ぎを聞き駆けつけたミラボーが顔を出し、一瞬水を打ったように静まり返る。

「何事かね? チュザーレに戻る前に挨拶に伺ったが、取り込み中のようで……」

 何食わぬ顔でそう告げたミラボーに、困惑しながらもスリザは手身近に人間の女を捜していることを伝えた。
 思案し、ミラボーは懐から水晶球を取り出す。罅が入っているが、苦笑しつつそれをスリザに見せた。

「しかし、人間の女とは。失礼じゃが、ハイも、ハイが連れてきた勇者も……人間では?」
「御二方をを疑われるのか!」
「いやいや、そうではなく。ただ、魔界に足を踏み入れることが出来る人間など……誰かの協力なしでは無理じゃろうて? まぁ、それはさておき、どれ」

 ミラボーは、しれっと二人に濡れ衣を着せるつもりで口にした。上手く事が運ぶとは思っていない、しかし、強固な絆で結ばれているらしい魔族達の疑心を誘う火種にはなる。判断力を鈍らせることが出来れば、上々だ。
 ミラボーを訝しげに見ていた一同だが、水晶に映ったエーアの姿にアイセルが悲鳴を上げた。

「この女だ! ミラボー様、何処に、この女は何処に!」
「あ、慌てるでない。……ふむぅ、何か強大な力に囲まれており、これ以上は詮索が出来ぬ。思いの外、やるようだの」

 嘘八百だが、ミラボーは迫真の演技をした。腹の中で、あまりの滑稽さに笑い転げながら。

「魔王の力を凌駕すると!?」
「……わしの力を凌駕できるのは、闇ではない。まっこと口惜しいが、光の軍勢ならば可能じゃろう」

 ぼそ、と告げたミラボーに、アイセルとスリザは互いに顔を見合わせ顔を顰めた。
 光を扱うことが出来る、人間と関与する者。現在、魔界で該当する者はアサギしかいない。トビィは騒動の後やって来たので、除外している。

「御助言、感謝します」

 アイセルは唇を噛締め深く礼をし、ミラボーを見送った。定まらぬ考えに当惑しているスリザの肩を揺する。

「スリザちゃん、惑わされないで」
「……解っている、だが、言われてみれば腑に落ちない」

 アサギは違うと解っている、信じている。それなのに、与えられた情報に飛びつきたい。切羽詰まっており、突破口が偽物だと解っていても心が揺れる。

「なんの相談をしているんだか。疑うのなら、オレはこのままアサギと共に魔界を出るが?」

 気づけば、トビィが来ていた。何時の間に入り込んだのか、壁にもたれて嫌悪感を露にしている。刃の様に鋭利な視線に二人はたじろぎ、視線を逸らした。

「それより、さっさと魔王を叩き起こせ。惚れた女が誘拐され、ぶっ倒れたままとはどういうことだ。真っ先に捜しに行くべきだろう。不甲斐ない」
「貴殿と違い、アレク様は繊細な御心の持ち主なのだ。それに」

 言いかけて、スリザは言葉を詰まらせた。トビィはアサギが魔王に攫われたので、単独で魔界へ乗り込んできた。今のはただの暴言ではないので、反論を躊躇する。

「ふん……まぁいい、最後に見たのはアレクなんだろ? 詳細を話せと伝えてくれ、寝ている間に恋人がどうなってもいいのかと、脅しを」
「すまないな、トビィ。君から見たら、私など軟弱な臆病者なのだろう」

 自虐気味のその声に、真っ先にスリザが駆け寄った。 
 アレクが静かに起き上がり、窓から外を見つめている。
 半泣きのスリザに駆け寄ったアイセルが慌てて跪き、鼻で笑ったトビィが悪びれた様子もなくアレクに近づいた。

「全て話せ、何があった?」
「……恐らく、ロシファはもう死んでいる」

 重苦しい声で告げたアレクに、スリザが悲鳴を上げ、流石にトビィも絶句した。

「生気が、なかった。一目で、解った。聖域であるあの小島から加護が失われ、全ての命が消え去った。それは、ロシファの死を意味する。彼女の亡骸を抱え、あの人間の女が何処かへ行ったのだが……全く見当がつかぬ」

 落胆し静かに涙を流し始めたアレクは、嗚咽しながら蹲った。

「あの時、無理やりにでもロシファを連れ魔界へ戻れば……こんなことには。私が殺したも同然だ」
「アレク様、お気を確かに」
「……恋人を失った時の苦痛感は察する。しかし、敵の情報があまりに少ない。何があったのか事細かに話せ、狙いは一体なんだ」

 トビィに掴みかかったスリザを、アイセルが無言で止めた。静かに首を振り、正論だと目で訴える。ロシファの殺害が目的ではないだろう、その先を見据えねば彼女の死は無駄になる。
 力なくアイセルにもたれこんだスリザは、今にも消えてしまいそうなアレクを見て涙したまま、それ以上何も言えなかった。

「ハイを、呼んでくれ。サイゴンも、ホーチミンも。……アサギは」
「アサギは、まだ目覚めていない」
「そうか。出来れば彼女にも聞いて欲しい、起きていたら連れて来てくれ」

 直様トビィは、踵を返した。乾いた音を立てて扉が閉まる。
 震えるスリザを抱くアイセルは、アレクに何か声をかけねばと思いつつも、何度も飲み込んだ。しかし、無理だった。恋人を失った人に、どんな言葉をかければよいのか。自分だったら放置して欲しい気がして、でも、誰かに傍にいて欲しい。項垂れて、肩を小刻みに揺らす。
 失意の魔王を前に、再び静寂が訪れる。

 アレクが白湯を口にしていると、皆が顔面蒼白で集まってきた。トビィに抱えられたアサギも来ている、目を醒ましたらしい。信頼している顔馴染みに、弱々しい笑みを見せる。一応リュウも来ており、扉の前で横を向いたまま何も言わないが、心配してくれているように思える。

「ロシファが殺されたことは聞いただろうか。あの島に、生存者はいなかった。乳母も動物らも、全ての者らが残酷無慈悲に惨たらしく命を奪われた。ハイ……気を悪くするだろうが、聞いてくれ。あの場に居たのは、そなたが惑星から連れてきた悪魔テンザだった」
「馬鹿な!?」

 弾かれて叫んだハイに、視線が集中する。
 疑惑の瞳を向けたスリザに、ハイは言葉を失った。自分に注がれる猜疑と非難の視線に、拳を強く握り締める。自分は無実だが、まさか部下がそのようなことをしでかすとは。どう謝罪してよいのか分からない。

「すまない……何故、テンザが……」
「そこには、例の人間の女もいた。いつから共謀していたのか……。ただ、テンザは正気を失っていたように見える。言葉を口にせず、ただ狂ったように嗤っていた。最終的に身体から触手が這い出し、最早異形。あまりのことに、彼の腹に呪文を幾つか叩き込んだので、生きてはいまい」
「い、異形? それは本当にテンザ、なのか?」

 ハイの身体を、床が受け止めた。
 トビィに抱かれていたアサギだが、よろめきながら地に足をつけるとハイに寄り添う。

「落ち着いてください、ハイ様。テンザ様は、私の書いた手紙を運ぶ途中で、何者かの罠にはまってしまい、それで」
「……そうであると、願いたい。だが、あのテンザがいとも容易く敵の手に落ちるなどとは」

 考えられない、とハイは青褪める。
 手紙は、どうなったのか。気にはなったが、恐らく仲間達に届いていない。アサギは唇を噛み締めると、今は手紙よりもハイの精神を支えねばと決意する。
 沈黙に包まれた部屋で、アイセルが切り出す。

「アレク様。ミラボー様が先程水晶球で、例の女を映し出しました。協力を仰ぎましょうか?」

 沈黙するアレクは、しかめっ面で窓から外を見ている。どうすべきか、悩んでいた。ここにいる者達とは違い、魔王ミラボーは掴めない。仲間は多いほうがよいが、かといって、手の内を多くの者に曝すことは危険だ。
 リュウも謎だが、アサギが絶大な信頼をしているので無下には出来ない。

「暫し、思案したい。……ともかく、警備を怠るな。魔界全てに緊急配備を」
「はっ!」
「オレは上空を一回りしてくる。アサギ、一緒においで」
「はい!」

 トビィに手を繋がれ、アサギはそのまま部屋を出ようとした。

「待ちなさい、アサギ!」

 慌てて止めに入った皆を、トビィが怪訝に睨み付けた。アサギを心配する気持ちは解るが、自分で護りたい。そのほうが安心できるし、何より自信もある。
 断固として譲らぬ強いトビィの瞳に、サイゴンが静かに頷き皆を説得した。
 アサギを護りたいのは誰しもが同じだが、その想いが一番強いのはトビィだ。

「魘されていたと聞いているが、身体は大丈夫か?」
「御心配をおかけしました。それが、とても怖い夢を見ていたようで……。恥ずかしいです、こんな時に。元気です」
「なら、よい。アサギ、エルフ族に伝わってきた銀で出来ている小剣をそなたに託す。ロシファの小屋に残されていた、これが机の上にあったのも、何かの縁だろう」

 懐からアレクが取り出したそれに、皆は息を飲んだ。もし本当にロシファが死んでいるとしたら、形見となる。それを手渡すのは、断腸の思いだろう。
 無論、アサギも躊躇した。

「そんな大事な物を? ですが」
「アサギ、君に加護を。ロシファも望んでいる」

 丁重に断ろうとしたが、アサギは大きく頷いていた。断ってはいけない気がして、アレクに近寄ると差し出された剣を素直に受け取る。ずしり、と重みがあるが、妙にしっくり来る。鞘から抜けば光が鈍く放たれ、顏が映った。

「大事に使います。有難う御座います、アレク様」

 丁重に鞘に仕舞うと、サイゴンが用意してくれた剣帯を装着し、そこに剣を収めた。皆に見送られ、部屋を出る。

「無理はするな、気分が悪くなったら必ず言うように」
「大丈夫です、私の体調を知っているからこそ、誘ってくださったのでしょう?」
「イイ子だ」

 トビィに連れられ、アサギは緊張した面持ちで中庭へ向かう。そこには竜のクレシダがおり、待っていたように翼を広げていた。
 アサギも共に乗ると知ると、クレシダは怪訝に吼えたが、トビィに睨まれ小さく頭を垂れる。
 その様子が可愛らしくて、アサギはクレシダの頭部をそっと撫でた。

「綺麗な瞳。こんにちは、初めまして、アサギです。お名前は?」
「クレシダ、と申しますゆえ。以後お見知りおきを」

 渋々飛び立ったクレシダは、すぐさま上昇する。
 上空に舞うクレシダに、アサギは歓声を上げた。飛行機に乗ったことは一度だけ、だがここまでの開放感はなかった。はしゃいでいたが、それどころではないと慌てて口をきつく結ぶ。浮かれている状況ではない、これは偵察だ。
 アサギを膝に乗せ、負荷がかからないように速度は遅めに進むトビィは、まずオフィーリアがいる海岸へと向かった。そこには当然デズデモーナも待機している。
 ニ体の竜は和やかな瞳で手を振っている主の姿を見つけると、嬉しそうに咆哮した。

「オフィ、デズ。魔王アレクの恋人が殺された、ここにも魔族達が警備の為配置されるかもしれないが……不審な者を見かけたら、即攻撃しろ」
「御意」

 トビィの前に乗っている少女に気づくと、「例のアサギか」とデズデモーナは小さく頭を垂れた。
 にこやかに微笑み深く礼をしたアサギに、慌ててオフィーリアも頭を下げる。

「宜しくお願い致します、アサギ様」
「アサギ、で良いですよ。よろしくおねがいします」

 丁重に言葉を述べたデズデモーナに、一瞬アサギは驚いた。だが、感心したように破顔すると、そっと手を伸ばす。
 その手に驚き、デズデモーナは抵抗するように首を横に振った。

「アサギ、デズは」
「ごめんなさい、馴れ馴れしいですね」

 クレシダもだが、人間に触れられることに慣れていない。これは当然の反応だが、アサギが悲しまないようにとトビィが口を出す。

「ごめんなさい、デズデモーナ」
「いえ、……こちらこそ」

 主の大事な人に、とってはならない態度だったと、デズデモーナは反省した。何故か顔が熱くなった気がして、瞳を伏せる。羞恥心、というものだろうかと、随分人間臭くなった自分を責める。
 そんな様子を、クレシダがじっと見つめていた。
 トビィがクレシダと共に飛び立った後、デズデモーナはオフィーリアと共に周辺の海を探索することとした。時折魔族を見かけたが、トビィの竜だと告げると納得し手を振ってくれた。

「やれやれ、まさかこんなことに巻き込まれるとは」
「それにしても、魔王の恋人を殺すなんて。目的は何かな」
「普通に考えれば、魔王が目障りな輩の愚行だろう」

 小さく溜息を吐くと、デズデモーナは大きく羽を広げる。

「話は替わるけど、さっきの女の子可愛いね。人間は主以外見たことがなかったけど、あの子は好きだなぁ」
「確かに……その、綺麗だったな。瞳が、美しかった」
「デズでも、そう思うんだ」

 小さく笑うと、オフィーリアは海へと潜る。瞬きしながら異変がないか、海中に視線を投げかける。海底は、月夜の浜辺のような微光が漂っていて星空のようだ。
 深く潜り、巨体を消したオフィ―リアを一瞥してから、デズデモーナは睨みつけるほど真剣な瞳で空を仰ぐ。心が、ざわめく。それは、トビィと初めて出会った時のような奇妙な感覚だった。

「遠い昔、私は彼女を背に乗せたような気がする」

 瞳を細めれば、脳裏で声が響く。

『よろしくね、デズデモーナ』

 あの少女をやはり知っている気がしたが、トビィ以外を背に乗せたことがない。けれども、どうしても頭から離れない。

『デズデモーナ、ごめんね。本当ならばあなたも置いて、一人で行かなければならないのでしょう。けれども、やはり怖いのです』

 気丈に振舞う彼女に必死になって寄り添った、何処までも共に行こうと誓った気がした。

「……誰だ。何故、私は知っている?」

 困惑するデズデモーナだが、瞳を閉じればアサギが微笑む姿が見えた。先程、触れられるのが嫌で避けたのではない。もっと別の感情が働いた為だ。心の奥底を、彼女に掻き乱された。

 自室に戻ったミラボーは、愉快そうに微笑むと声を押し殺して笑う。人を陥れ、互いに潰しあう様を見るのは大好きだ。蒔いた不安要素は、何れ花開くだろう。そう簡単に、植えつけられた不信感を拭い払えるものか。
 
「さぁて、そろそろ仕上げじゃな。エルフの姫君は手に入った。後は喰らうだけ、よ」

 魔王アレクは衰弱している、恋人の死が余程堪えたのだろう。

「予想以上に、脆い男よ。魔王を務める器ではない」

 ふんぞり返って、爆笑する。しかし、目障りなのは、魔王ハイと、魔王リュウ。せめてどちらかだけでも潰しておきたい。
 もしくは。

「こちらの仲間にならんかのぉ。どぉれ……ハイは無理じゃろうから、やはり白黒はっきりせぬリュウが妥当か」

 ミラボーは、水晶球に語りかけた。遅れて、微笑しているエーアが映る。魔界イヴァン周辺の、小島にいるらしかった。海しか見えない。

「守備は上々かね、エーア」
『はい、ミラボー様。悪魔テンザは最早使い物になりませんが、エルフの姫はここに』
「うむうむ、何時喰らうかの。大詰めじゃのう」
『腐敗せぬよう、冷凍してあります。岩陰の日陰を見つけ、そこへ運びますわ』
「任せたぞ、エーアよ。本当によく働くのぉ」

 エーアは、そっと冷たいロシファの亡骸に触れた。太陽の陽射しを眩しそうに見つめ、周辺に視線を投げかける。
 昨日、ロシファを奇襲し間一髪で連れ出すことが出来た。まさかアレクが早々に戻るとは思いもよらなかったが、上手くいった。

「うふふ、お姫様がいけないのよ。私が侵入した事を、大事な乳母に告げなかったのね?」

 ミラボーから魔王達が何処かへ出かける旨を伝えられていた為、エーアは機会を窺っていた。連絡通りロシファが出て行った後、エーアは海に飛び込み、用意していた木の破片に摑まり浮かんだ。
 そこへやってきたのが、ロシファの乳母。倒れているエーアを見つけ、躊躇し一旦は離れたものの、やはり気になって助けに来た。切り立った崖に囲まれているこの島であるが、一箇所だけ、海へ続く路がある。夕飯の海藻を採りに来て、彼女を見つけた。
 木に摑まっていたので、難破した船からの漂流者だと思った乳母は、焚き火を起こしエーアを暖める。見捨てるには不憫だった、まだ若い人間だ。それに、美しい顔立ちをしている。エルフは美しいものが好きだ。
 暫くして目が覚めたエーアは、号泣して乳母に礼を述べた。丁寧なこの人間に、すっかり乳母は心を許してしまった。何処となく気品も感じられ、育ちの良い娘だと思った乳母は、薬湯を飲ませる。
 有り難くそれを飲み、海を眺めるエーアは大粒の涙を溢した。「家族と船に乗っていた」と。哀れに思い背中を擦った乳母に、エーアは泣き崩れた。「お母さん……」泣きながら呟いた声に、乳母はほだされた。せめて心が落ち着くまでこの島に滞在してもらおうと決意し、一人海に潜る。
 魚や貝、海藻を採って海から上がると、エーアが湯を沸かしていた。冷えた身体を温める為、微笑みながら差し出された白湯を受け取り、飲む。
 そこに、毒が盛られているとは知らずに。
 数分後、焦点の合わぬ瞳で宙を見つめた乳母を見て、エーアは満足し嫣然と微笑んだ。そして、耳元で指示を囁き、海藻を手渡す。海の上で小屋に帰って行く乳母を見送ると、近くの小島で待機していたテンザのもとへ戻った。
 
「うふふふ、あとは宜しくね」

 夜になってロシファ達が帰って来た時、乳母は小屋の中にいた。
 アレクが立ち去ると、ロシファは乳母を捜す。普段ならば見送りに顔を出すので不思議に思ったが、自室で寝込んでいたので察した。

「大丈夫?」
「おかえりなさいませ、姫様。気分が悪かったので、横になっておりました」
「どうせまた、冷たい海に潜ったんでしょ? 駄目よ、もう歳なのだから」

 呆れつつも、ロシファは湯を沸かす為踵を返す。
 その瞬間。
 ロシファが背を向けると、乳母は目を大きく開き手に隠し持っていた海草を、肩目掛けて投げつけた。
 驚き、狼狽するロシファの視界が大きく揺れた。焦点が合っていない乳母が異常だと気付くのに遅れ、意識は遠退く。
 海草に混じって、鋭い棘の草が一本紛れ込んでいる。エーアがこっそりと忍ばせておいたものだ、暗闇でそれだけが禍々しい光を放っていた。棘には、即効性の麻痺する毒薬が塗りこまれている。
 そうして頃合を見計らい、エーアとテンザは悠々と島へ上陸した。ロシファの意識が途切れたので結界が弱まり、容易く侵入出来た。
 ミラボーの目的はエルフの血肉、格段に魔力が上がる禁断の手段。片方は老いており、魔力の断片すら掴み取る事ができない。しかし、本命はロシファ。エルフ族、王家の末裔。最後の一人。
 アレクとの間に子があればよかったが、奥手で真面目なアレクは、自分が魔王の任を降りてからロシファと家庭を育むつもりだった。
 小屋から二人のエルフを運び出すと、向かう先々で動物達がエーアに襲い掛かった。自分達の主を悠々と運ぶ様を、指を咥えて見ていられるわけが無い。
 とはいえ、所詮は非力な獣。
 それらを難なく撃退し、魔王の恋人を手中に入れた興奮からか、テンザが奇行に走り出すのをエーアは黙って見つめていた。動物達の血肉を食い散らかし、血塗れになりながら奇声を発する。瞳は邪悪に光り輝き、狂気に満ちていた。
 聖域は穢され、血塗られた地獄と化した。動物達の生命は息絶えて、植物達もテンザの口から吐き出される業火によって焼き尽くされていく。
 美しかったその島は、一晩で失われた。
 トビィに受けた傷を治す為使用した薬草は、麻薬に近い劇薬。その影響だろうと、狂ったテンザは気にせず、ロシファを冷凍しようとした矢先に悪寒が走る。顔を上げ、唇を軽く噛むとエーアは眉を顰めた。乳母の衣服を掴んで引き摺りながら、鹿を喰らっていたテンザに声をかける。
 時間がない。
 エーアは止むを得ず、テンザに乳母を差し出した。エルフの血肉がどのような効果をもたらすのか、などテンザは知らずとも目の前の肉を喰らうだろう。動物では足りない筈だ。
 思惑通りテンザは舌なめずりすると、腕を伸ばし乳母を掴む。引き摺り寄せ、大口開けて肩に噛み付いた。
 一人貴重なエルフを失ったが仕方がない、エーアは小さく溜息を吐くと貪るテンザから離れ、ロシファに氷の魔法を唱えた。新鮮なままミラボーに届けなければならない、氷の膜で身体を包み込む。
 そして、悪寒通りにアレクがやってきた。
 予想以上に到着が早いのは、エーアの計算違いである。真相を知れば、全力でかかって来るだろう。能力が未知数であるため、無事ロシファを運ぶ為には、どうしてもテンザに足止めをしてもらわねばならなかった。
 乳母を喰らうことで魔力を飛躍させたであろうテンザは、捨て駒。ロシファが手に入れば、面倒な存在でしかない。エルフを食らったテンザの能力も見ておきたかったが、エーアは早々に退散した。
 己もロシファが倒れこんだときについた顔の傷から、血液を舐めて体内に取り入れ、身体の底から打ち震える魔力に快楽に似た感覚を味わいながら、風の魔法を放った。
 
 エーアはロシファの遺体と共に、魔界の海域に浮かぶ小島に身を潜める。妙な気配を感じ、岩陰から様子を窺えば竜が飛行していた。通りすがりの竜ではないことなど、明らか。背に人間がニ人乗っている。
 勇者アサギ、そしてトビィ。

「あらあら、もう一人のミラボー様の生贄ね。うふふ、今ココで私を見つけ出せなければ、次は貴女がこうなる運命よ」
 
 表情は見えないが、エーアはアサギを見上げて小さく愉快そうに微笑んだ。そっと、冷たいロシファの身体を撫でながら。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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