秘密基地
文字数 5,102文字
一応、クレロの計らいで緊急の時は学校へ行かなくても“そこに居た”という記憶を、他の生徒や教師に植え付けることは出来るらしい。だが、当然勉強が遅れてしまう。
ミノルは休んででも勇者を優先したかったが、トモハルが断固としてそれを拒否した。
「ミノルが一番拙いだろ、勉強しないと」
「でも、学校にいたところで。結局、俺は真面目に受けてねーし」
そう言われて言葉を濁らせたトモハルだが、ケンイチの後押しでミノルを説得した。学校を休むことは、非常事態以外は禁止と皆で誓う。
不服なのはミノルだけ。世界を守りたいという熱意ではなく、ただ学校をサボリたいだけだ。
勇者たちの会話を聞いていたトビィは、全てを聞き終え収束したのを見計らい口を開く。
「朗報だ。アリナが、ディアスにオレたちの館を用意してくれた。勇者たちにも、個々の部屋が用意されている。自由に使って構わないと」
「え、何それ別荘!?」
突然の発言に、ミノルが好奇心に駆られて身を乗り出す。勇者たちは顔を見合わせ歓声を上げた。
自分の家以外に新たな部屋が出来るというのは嬉しいものだ。そこは、家族にも干渉されない隠れ家。しかも、勇者たちが揃うのでまるで秘密基地。多感期の子供達は、一気に食いついた。
「やべぇ。そこなら何時間ゲームやっててもいいんじゃねーの、これ!」
「……電気がないから無理じゃない?」
「馬鹿言え、充電していけばいいんだよ! 今から行こうぜ!」
瞳を恋した乙女のように輝かせ興奮しているミノルだが、周囲は引き気味だ。ここまで歓喜するとは思わなかったし、そもそも用途が勇者と全く関係ない。
トモハルがしかめっ面をして嗜める。
「駄目。ミノル、明日にしよう」
「えー!」
大声で反発するミノルに、げんなりとしつつも提案する。
「今から帰って、持ち込みたいものを用意しよう」
「あぁ、そうだな。荷造りか」
納得したらしく、けろりとして頷いたミノルにトモハルは胸を撫で下ろした。
「何を持ち込もうかなー。菓子と、ジュースと……」
瞳を輝かせたままのミノルは、すでに帰りたくて仕方がない。
苦笑するトモハルだが、アサギは微笑んで二人のやり取りを見ていた。見ていて、心から信頼し合っていると解る。
「ほら、アイツ勇者になった事を後悔してないよ。寧ろ、愉しんでる」
「うん……」
リョウが小声で告げ、アサギを励ますように肩を叩いた。
その場で足踏みをしつつ、ミノルはトビィに紅潮した頬で訊ねる。
「で、トビィ。ディアスの何処?」
「アリナの館の裏側だが……。案内する。明日はオレも同伴しよう」
「助かるぅー!」
「それから、転送陣を地球に設置したい。館の一室にすぐさま来られるようにすれば、便利だろ。わざわざ天界城を経由するのは面倒だろう」
「おー! いーね、いーね!」
いちいち反応して騒ぎ立てるミノルに疲れたらしく、トビィはアサギとトモハルにのみ詳細を語り出した。
「そういうわけで、考えておいてくれ」
自分の世界に入ってしまったミノルは放置された。当初の予定より長居することになった為、茶を出された勇者たちはそれを飲みながら寛ぐ。
「ユキは何を? ピアノが置けるといいね、こっちなら好きな時に弾けそうじゃない? 日本だと近所迷惑になるから、夜に弾いたら駄目なんだろ?」
「うん、一応防音効果のある部屋だけど控えてる。でも、こっちでも迷惑じゃ?」
「そんなことないよ。ユキはピアノが上手だから、子守唄になってみんな嬉しいんじゃないかな」
ケンイチに褒められ、ユキは心が蕩ける思いだった。胸がキュ、と甘く締め付けられる。
「けど……あんなに大きいの、どうやって運べばいいのかな。それにピアノが消えたら、流石にお母さんに不審に思われちゃう」
「あ、そっか。ユキは家族に勇者のことを話していないもんね」
「うん。こんなことをしているなんて、知らないから。驚いちゃう」
のんびりと話すケンイチとユキの会話を、ダイキは無言で聴いている。
話し合いの結果、地球から館への転送陣はアサギ宅の庭に設置されることになった。広大な庭を所持しており、かつ家族も勇者に関して理解がある。何より、位置的に勇者たちの中心地で集まりやすい。転送陣の設置に関しては、マダーニとアーサーが携わるという。
アサギは驚き、軽く瞳を開いた。
「アーサー様が? チュザーレの復興は落ち着いたのですか?」
「一通りは。ただ、頻繁には来られないものの、情報交換の為に合間をぬって来ると」
恩義に報いるため、彼らは積極的にこちらにも参加するらしい。
「みんなに会えるのですね! リュウ様たちの部屋も用意されていたりします?」
「あいつらは入っていなかったと思うが……。サマルトたちの部屋はあったな」
サマルトとムーンは相変わらず多忙だが、息抜きの場が欲しくてこちらに来るという。
仲間たちとの再会に、アサギは胸を躍らせた。
そこは、夢のような場所に思えた。ミノルだけでなく、勇者らの心も弾んでいる。
「天界城は居心地が悪いからな。今後の作戦会議は館で行おう。オレたちだけのほうが何かと安心だろ」
天界城で居心地の悪い空気を感じていたのは、事実だ。勇者達はややあって頷く。
勇者たちは、思いがけぬ出来事に興奮状態で地球へと戻った。
帰宅しベッドに寝転がったアサギは、急いでスマホを取り出した。
『今日はお疲れ様! お部屋、楽しみだね』
ユキにそう送る。宿題を片付け入浴し、寝る準備を整えていると返信がきた。
『そうだね。私は雑誌を持ち込もうかな、って。それから、真剣に勉強したい時に使うかも。ピアノは無理だから』
切り出すタイミングを逃さないように、すぐに返信する。
『そっか、勉強も集中できそうでいいね。あのね、ユキ。話がしたいから、明日、休み時間に教室へ行ってもいい?』
送信して、瞳を閉じる。
何故、こうも緊張してしまうのか。疚しいことがあったから、言えなかった。
親友のユキならば解ってくれると思ったが、もし彼女に否定されたら、自分の想いに自信が無くなってしまいそうだった。
いや、想いに自信はある。けれども、葛藤も続いていた。
ミノルが好きだったのに、何故すぐに他の人を好きになったのだろう。
それが、どうしても自分の中で許せない。しかし、間違いなくトランシスに惹かれている。
何故か、と訊かれても答えられない。
出逢って間もない、まだ詳しく知らない人。容姿端麗で、声も心地良い“イケメン”。見た目で選んだのか、と訊かれても大きく頷けない。
アサギは思っていた。誰にも解らなくて構わない、ずっと彼を探していた気がすると。
アサギは知っていた。妄想だと笑われても、彼に出逢えば恋に落ちるということを。
アサギは疑わなかった。都合がよすぎると蔑まれても、ミノルとああいった形で離別したのはこの為だったのだと。
アサギは信じていた。勇者になりたかったのは、異界に行かねば彼に逢えなかったからだと。
アサギは願っていた。願わくば、二人の関係がみんなに受け入れられますようにと。
……大丈夫、ユキは解ってくれる。何時も一緒だったから。
すぐに報告しなかったことを、怒られるかもしれない。けれど、それはある意味嬉しい事だ。アサギの胸は、否応なしに緊張し跳ね上がっている。
『どうしたの? 今から通話する? あぁ、でも私お母さんと来週のことで話があるんだ。メールしておいて』
アサギは、直に話をしたかった。だが、ユキも忙しいだろうと長文を覚悟し打ち込み始める。
『あのね、新しい彼氏が出来たの。でもね、地球の人じゃないの。私、天界城に行ったときに、クレロ様も知らない惑星を宇宙で見つけたの。その惑星はマクディ、っていう名前なんだけど……。多分、リョウはそこの勇者に選ばれたんだと思う。それで、そこにいたトランシスっていう年上の人がね、彼氏になってくれてね。とても素敵な人なの、すっごくかっこいいの』
アサギはここで一旦送信した。すぐにまた、送る。
『変かな、ミノルのことを好きだったのに。でも、その人の事を、今とても好きだと思ってる』
キィィィ、カトン。
お気に入りの桃の香りがする入浴剤に浸かり、愛用のシャンプーで髪を丁寧に洗い、トリートメントをつける。汚れた“何か”を落とすように、執拗にボディソープを泡立てる。
どこまで洗っても、身体が綺麗にならない気がする。真っ白い泡は、まっ黒に汚れて見えた。
目の前の鏡に映る、泡に包まれた自分を見つめる。
「彼氏が出来た? ハァァァ、バッカじゃないの!? 何それ、新しい彼氏ってなんなのよ! どういうことよ、ソレェェェェ!」
鏡の中のユキが、酷く歪む。濃密な泡を鏡に投げつけ塗りたくり、自分の姿を消した。
荒い呼吸を繰り返し、ユキは湯船に浮かんでいたひよこの玩具を掴み上げ壁に投げつける。ぽん、と弾かれたひよこは湯船に落下した。
暢気に浮いている姿に腹が立つ。
「新しい彼氏!? もう!? もう新しい彼氏が出来たっていうの!?」
浴室に、ユキの荒立った声が反響する。
アサギは特別な子だ。誰からも好かれる稀な存在だ。男子からも、女子からも人気がある絵に描いたような美少女。恵まれ過ぎていて、それこそ雲の上にいるような気もする。
そんなアサギだ、ミノルと別れたことでここぞとばかりに狙う男達もいた。そんなことは周知の事実。
けれども、アサギは誰とも付き合わないだろうと思っていた。ミノルのことを、未練がましく好きだと踏んでいたからだ。そうあって欲しかった、優越感に浸れる時間が欲しかった。
「なんでっ」
心の中で蠢く感情が、何か解らない。
地球の男が彼氏でなくてよかったとは思った。自分が知らない男が彼氏のほうが、気が楽だ。
だが、やはり何処へ行ってもモテるアサギを羨ましく思う。
ミノルが好きだといいながら、一度棄てられただけで諦め、さっさと別の男に乗り換えるアサギを嘲笑する。けれども、自分もそうするだろうと思い自己嫌悪に陥る。
「悔しいっ! 悔しいいいいいいいいいいいっ!」
浮いているひよこを掴み、水中に閉じ込めた。どれだけ沈めても、手を離せばひよこは浮いてくる。何度やっても、それは同じ事。
潰して沈めても、形を戻して必ず浮上する。それはまるで、アサギのようだと思った。
奇声を発し、ひよこを引き千切ろうと歯を食いしばって引っ張るが無理だった。
風呂から上がると、鬼のような形相でメールを打ち込む。
『えぇ、新しい彼氏ができたの? ミノル君はいいの? とても好きだったんでしょ? アサギちゃんって結構尻軽だったんだね、私、ショックだなぁ』
そう打ち込み、消した。
『おめでとう! どんな人かな、今度紹介してね!』
そう打ち込んで、送信を躊躇する。
アサギより優位に立っていると思ったのに違っていた。 悔しくて、情けなくて、泣けてくる。感情がグチャグチャに掻き混ぜられ、何に苛立っているのか分からない。
『違う惑星の人? 大丈夫なのかな、心配だな』
打ち込んで、消す。
「心配なんかしてないっつーの、バッカじゃないの!?」
舌打ちし、震えている手元の画面を睨み付ける。
直に言われなくてよかったと思った、メールならば考えて返答出来る。感情に任せて言葉を打ち込んでも、送信しなければ相手には届かない。
醜い顔をして血走った瞳で指を素早く動かす姿は、誰にも見られることはない。
『別れろ別れろ別れろ馬鹿馬鹿馬鹿死ね死ね死ね消えろ消えろ消えろ、お前なんかお前なんかお前なんか、大っ嫌いだ』
ユキは愉快そうに口元を歪ませ、親友へのメールを打ち込む。幾つも思いの丈を打ち込んでは、全部消す。
「ダメよ、ユキ。私は淑やかで健気な美少女なんだもの。親友を大事にしなくちゃ。そうそう、ダメダメ、駄目なんだから」
指が痛くなるほど強く押し続けていた。ピアノを弾く自慢の長く美しい指が、赤く腫れてしまう。我に返って、乾いた笑い声を出す。
「あぁ、思いついた。新しい部屋、人の悪口を思い切り言う場所にしよっ」
ユキは汗ばんだ髪をかき上げると、花でデコレーションされている自慢の鏡を覗き込む。形が崩れた自分の顔を、掌を使って正していく。
「お肌は大事、イライラは美容の敵」
何かに取りつかれたように、独り言をもらして懸命に取り繕う。
『学校でお話を聞かせてね。私は、アサギちゃんが幸せならそれでいいんじゃないかな、って思う』
翌朝、アサギが起きるとユキからそんな一文が届いていた。