ワイバーンの卵
文字数 2,895文字
グランディーナは、駆け寄ってきた友人らと無事であったことを感謝した。しかし、ただの裕福な娘ではないようで、次に為すべきことを分かっている。卵を返すべく、アサギのもとへ歩み寄った。
「…………」
しかし、ガーベラと数名の少女らは翳った表情で俯いていた。
彼女らは、捨て子であったり、実の親に
「大事な子供を盗まれて、親が怒るのは当然……?」
反芻したガーベラは、皮肉めいた笑みを浮かべる。盗まれるどころか、捨てられていた自分は“粗末”な子供だったのだろう。
親など知らない、逢いたいとも思わない。そして、親になりたいとも思えない。何故ならば、子が出来たところで接し方が分からない。ならば家族など不要だ、仲間で十分。“恵まれた家庭に産まれた”娘らには、想像も出来ない感情をガーベラたちは抱いている。
同じ街に生きているのに、まざまざと差異を見せつけられた。見えない壁が、彼女らを囲っている。金を稼ぎ、彼女たちと同じ様に高級な衣装に身を包んでも、根本が違う。
恵まれた娘たちと、娼婦である自分たち。
ガーベラは仲間らと共に唇を噛んだ。
「屋敷までは遠いわ」
九死に一生を得たことで、緊張の糸が切れた。疲労感に襲われ、グランディーナが弱音を吐く。懸命に逃げ回ったせいで、脚が気怠いのを思い出した。
「大丈夫です、デズデモーナで向かいますから」
「デズデモー……キャアアアアアアアアアアアア!」
笑顔が引き攣り、盛大な悲鳴が響き渡る。上空に、ワイバーンより巨体で見るからに凶暴そうな黒い竜が浮かんでいたためだ。
アサギの意図を汲み取り、人型から竜の姿に戻って待機していたデズデモーナは、少女ら特有の甲高い声に顔を顰めた。
「大丈夫です、この竜は私の友達です。とても優しく勇敢で、強い竜ですよ」
「そ、そそそそそそんなことを言われても」
竜と友達など聞いたことがない。一連の騒動は、やはりこの少女の陰謀ではないかと疑ってしまう。
「先程まで私と一緒にいた、黒髪の男性が竜に戻った姿です」
「あぁ、そういえばあの端正な顔立ちの殿方がいないわね……。ってよくわからないんだけど、どういうことなの……」
流石年頃の娘、生命の危機に直面していようとも異性への興味は怠らなかったらしい。人型のデズデモーナの容姿には、零れるほどに雄々しい精悍さがあり人目を惹く。
「詳細は省きますが、安全安心の護衛竜だと思ってください」
「う、うぅん……」
納得出来ぬ様子のグランディーナだが、のんびり対話している余裕はない。アサギは彼女の腕を優しく掴んで宙に浮くと、デズデモーナ目がけて飛んだ。
「ギ、ギャアアアアアアアアアア!」
ワイバーンの叫び声よりも濁った声で悲鳴を上げたグランディーナを、地上で友人たちが不安げに見上げている。先程の心弛びはどこへやら、再び地獄に突き落とされた気分だ。
「ホ、ホワ……。う、浮いてるっ、怖いっ、怖すぎるっ」
「いきましょう、デズデモーナ」
「御意に、アサギ様」
「ひぃ、喋ったっ」
アサギは丁重にグランディーナをデズデモーナの背に乗せたが、ゴツゴツとした強固な鱗に触れ、ついに彼女は気を失った。様々なことが立て続けに起こり、脳内で処理が出来なかったらしい。
落下しないようにグランディーナを抱き留めたアサギは、顔を覗かせてガーベラたちに会釈をする。
「もう、大丈夫ですから! 安心して、怪我の手当てをしてください」
その明るい声に、ガーベラたち娼婦と、何事かと顔を出した逃げ遅れた人々は、唖然と竜の背に乗って舞い上がったアサギを追って瞳を動かす。
「な、なんなの、あの子……。すっごく可愛い子だけど……。あんな綺麗な子、見たことある!? 本当に人間なの!?」
「悪い子ではないと思うけど……今は彼女を信じましょう」
キィィィィ、カトン。
ガーベラは、不意に何かの音を聞いた。アサギと名乗った美少女が脳裏から離れず、大空に舞って立ち去った方角を一心不乱に見つめる。
「あの子は、一体……」
気さくで天真爛漫、しかし物怖じしない度胸がある。声色は澄んでいて、容姿は非の打ち所がない。甘やかされた、引っ掛かりのない美しさで輝いていた。
「眩し過ぎる。……私とは雲泥の差ね」
金髪をかきあげ、ガーベラは自重するように口角を上げた。
空に一陣の風が舞い踊る。
微塵も恐ろしさを感じないワイバーンらは群れを成し、幾つもの羽音が曲を奏でる。彼らに人間を襲う気などない、アサギを絶対的に信頼し、大人しくデズデモーナについて飛んだ。
奪われた大事な我が子を取り戻したいだけで、他意はない。確かに、盗んだ人間に対しては憎悪を抱いているだろうが。
「グランディーナさん、起きてください! 家はどちらの方角ですか?」
館、と言っていたので大きいに違いない。しかし、見渡しても検討がつかないかった。失神しているところ申し訳ないが、彼女の協力が必要だ。
「う、うぅん……」
無理やり起こされたグランディーナは、少しでも態勢を崩したら地上に真っ逆さまに落下する状況に喉が潰れるほど悲鳴を上げた。
デズデモーナがやかましそうに瞳を伏せ、眉を寄せる。女性の高音は超音波のように耳を刺激し、脳を揺さぶる。耳元で叫ばれたので、余計に辛い。
「落ち着いてください、私はアサギと申します。大丈夫です、絶対に落ちませんから。一刻も早く卵の場所へ案内してください」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアア……そ、そうね、そうだった」
アサギが抱き締め背を撫でると、ようやくグランディーナが悲鳴を止める。しゃがれた声で開き直ったように呟くと、恐る恐る下を見た。音が聞こえるほど唾を飲み込み、震える手で一点を指す。
「あそこが私の館。ただ、お父様が避難する際に持ち出していたらごめんなさい。あの人、がめついもの」
有り得る。高額な物を担いで逃げていることが目に見えた。心痛な溜息を吐いたグランディーナは「守銭奴で強欲、でも身内には甘い。うわべだけの付き合いが多く、市長とはいえ嫌われ者。その肩書きがなければ見向きもされない」と身内に毒を吐く。それは、どこか自身を責めるような口調でもあった。
しんみりしている彼女に返答せず、アサギは聞かなかったフリをする。
「もしなかったら、その時はお父様を捜し出すだけです」
アサギはワイバーンたちに目配せし、指示された方角へ悠然と向かった。トビィに報告したいと空を見渡すと、違和感に気づき眉を顰める。
「あれは……!」
首を傾げたアサギの表情が、すぐに険しくなった。トビィは何かと戦っている。それは、ワイバーンではない。海から這い出た何かが、街を攻撃している。
狼狽するアサギに、デズデモーナが励ますように口を開いた。
「ご安心ください、アサギ様。主とクレシダです、心配せずともすぐに合流しましょう」
「そう……ですよね。私よりも強いし」
言い聞かせるるようにゆったりと呟く。気丈に前を見据え、こちらを優先することにした。