その一方で、再会を
文字数 6,910文字
時間は、少し前。
アサギ達を追うべくして、魔物に遭遇してしまった一行。増加する羽音に、馬車を護るように円を組むと勇者同士を隣にせずに皆構える。
「この洞窟狭いから、派手な呪文が使えないのよね。あぁ、面倒！ 武器を大きく振り回す事も危なくて出来ないし。あー、もぉ、ホント面倒っ！」
マダーニが文句を言いながら小剣を引き抜いた、呆れた様に吐き捨てたその言葉を待っていたかのように、ようやく敵の姿が見える。
予想はしていたが、蝙蝠だ。洞窟に住み着く羽音の持ち主など、限定される。数が多く、標的が小さい為苦戦を強いられるであろうことは必須、まして、戦闘初参加の勇者が三人居る。
「無理だと判断したら、迷わず馬車に乗り込んでくれ！」
隣のダイキに叫びながら、ライアンが大剣を振り数匹の蝙蝠を風圧で叩き落す。それでも耳障りな羽音をたてながら、圧し掛かる勢いで蝙蝠達は迫ってきた。
目晦まし程度で、マダーニ、ブジャタ、アーサーが火炎の呪文を唱えた。周囲を明るく照らし、蝙蝠の行動を鈍らせる。流石に火には近づきたくないのか、突進してきた蝙蝠に若干の乱れが生じた。
真似て、ケンイチ以外の勇者も必死に火炎の呪文を唱え始める。傍に寄って来ないのなら、それに越した事はない、皆必死だ。
「血吸うよ、こいつらっ！」
唯一呪文が使えないケンイチが悲鳴に近い声を発して、右腕に噛み付いてきた蝙蝠を無我夢中で振り払っていた。標的になっているケンイチの護衛の為、左右のクラフトとブジャタが庇うように前に出る。その血液の香りが空気中に混じり、他の蝙蝠達を誘き寄せている様子だ。しかし、ブジャタ一人の火炎の呪文では追いつかない、守りきれない。
舌打ちして駆け寄ってきたサマルトは、中級の火炎の呪文を詠唱し、巨大な火球を蝙蝠の大群へと投げつけた。焦げ落ちた蝙蝠もいたのだが、何匹かは燃えたまま宙を飛び交っている。
「ぎゃー！ あっつーっ！」
しかし、ミノルの叫び声がこだまする。火達磨になった蝙蝠に突進され、軽い火傷を負ったようだ。
地面に落ちるまで飛び続ける火達磨蝙蝠、これは厄介である。興奮して馬が暴れているのも、また輪をかけて危険極まりない。
目を吊り上げたマダーニが火達磨蝙蝠を叩き落していく。
「これだから洞窟はっ」
苛立ちを隠さず、剣を振るった。上手い具合に事が運べず、焦りばかりが募る。
そんな中で、不意に、マダーニの耳元に何やら男の声が届いた……気がした。
『若くて可愛いお嬢さん方』
若くて可愛いお嬢さん方。唇を動かし、復唱してみる。
マダーニに誰かがそう呟いたわけではない、今の台詞は複数形だ。言われた対象は誰かと考えると、脳裏には消えた五人の少女達が浮かび、硬直する。わなわなと身体を小刻みに震わし、知らず歯軋りをした。ギリギリ、と擦れる音が異様に大きく聞こえる。歯が折れるのではないか、というほどの力を込めて歯同士を擦り合わせていた。幸いにも歯は折れなかったが、一部欠けた。
消えたのは五人共女、マダーニより若い女の子達である。
つまりは、若くて可愛いお嬢さん方だ。
「ちょっとまてぇぇぇいっ！ 私は若くも可愛くもないっていうのかーっ！ 私はまだ二十前だーっ！」
絶叫するマダーニに、皆は一斉に注目する。
「え、異様に派手やかだから二十代後半だとばかり」
アーサーが本音を吐露したが、不幸中の幸いでそれはマダーにの耳に入らなかった。入っていたら二次災害を起こすところである。
何処かで誰かに侮辱された気がしてならないマダーニは、青筋立てながら両手に意識を集中させた。空中に火花が散り始める、アーサーとブジャタが血相変えて止めに走るのだが、どうも間に合わなかった。マダーニは両手を掲げると、大声で魔法を発動させた。怒りに任せて、何も考える事無く勢いで。早い話、自暴自棄である。
「巡る鼓動、照らす紅き火、闇夜を切り裂き、灼熱の炎を絶える事無く。我の敵は目の前に、奈落の業火を呼び起こせ！」
「な、バカな！？ 火炎魔法の最上級！？ そんなものこの場で唱えたらっ」
アーサーがマダーニに飛び掛り背後から飛びついたが、豪快に振り払われてしまった。地面に叩きつけられ、低く呻く。
他の皆には何故マダーニがこうも激怒しているのか、さっぱり解らない。マダーニの逆鱗に触れたのは、何処かで誰かが呟いた言葉だった。『若くて可愛いお嬢さん方』消えた五人の共通点は“若くて可愛い女の子”。取り残された自分がその中に当然含まれていない事こそ、マダーニにとって最大の屈辱だった。
クックックック……、と有り触れた悪役染みた乾いた声で笑いながら、狂気の瞳でマダーニは魔法を完成させる。髪を振り乱して悠然と立っている姿は、まさに恐怖。
皆は絶句し、揺らめくマダーニに戦慄を覚えながら見つめる。
「……全てを灰に、跡形もなく燃え尽くせっ！」
洞窟内に迸る眩しい閃光は、巨大に膨れ上がってマダーニの両手から洞窟内へと暴走するように飛び出した。
「うわっ、本当に唱えたのですか！？」
珍しく慌てふためくアーサーは、喉を鳴らす。しかし、機転を利かせ、怯えて嘶く馬達の興奮を抑えるように近くにいたクラフトに指示を出すと、自分はマダーニを止めに入った。
「あーっはっはっはっ！ 燃えてしまえ、燃えてしまえっ！ 私はまだ十九歳だ、可愛い部類に入れると訂正しろーっ」
何を言っているのか理解し難い、とアーサーは頭を抱えた、が、止めなければこちらの命が危ない。洞窟内の温度が上昇している、酸素の確保が厳しくなる。
蝙蝠は瞬時に灰になっていったが、敵を一掃出来ても全滅しては意味がない。焦燥感に駆られるアーサーの横に、涼しい顔をしたライアンが立った。
「俺に任せろ、アーサー」
「ライアン殿。マダーニ殿に何があったのです？」
「よくわからないが、彼女の場合は」
ライアンはマダーニに近寄ると和やかにぽんぽん、と肩を叩く。
見境なく魔法を放ちそうな勢いで振り向き、ギラついた瞳で睨むマダーニに、ライアンは怯む事無く笑顔で話しかけた。
「マダーニは若くて可愛いし、何より綺麗だから安心しろ」
それだけ。
その言葉を聞いた瞬間にマダーニは嬉しそうに悲鳴に近い歓声を上げると、ライアンに飛びついて猫が甘える様に擦り寄る。
唖然。
燃えてしまった蝙蝠達の灰を背に、潤んだ瞳でマダーニはライアンを見上げている。
「私、若くて可愛くて綺麗？」
「あぁ、誰よりも若くて可愛くて綺麗だよ」
「まっ！ 嬉しいっ」
誰よりも若くて……というのには無理があると思いますがっ、とアーサーは心の中で突っ込みをしたが、あえて口には出さなかった。顎が外れる程、大口を開けて二人を見ている。
ライアンの言葉は本心なのだろう、純朴そうな青年だが、そういった言葉は素直に口に出来る様だ。意外だった。
このような解決に納得はいかないが、蝙蝠達も一掃出来たので気を取り直し、消えた五人を捜す。
余程嬉しかったのだろう、マダーには先程と打って変わって上機嫌だ。しかし、発狂の原因はなんだったのか、と尋ねられるとと、ムスっ、と不貞腐れながら口を閉じる。もうこれ以上触れるな、ということらしい。
軽い火傷を負ったミノルと、蝙蝠に噛まれたケンイチの手当てをしてから、五人が消えた箇所を隈なく調べる。特にこれといって不可解な様子は、ない。よって、洞窟内部に妙な仕掛けがあるわけではないようだ。アサギとユキは壁で光っていた物体に近寄っていたが、今は何処も光ってなどいない。
「気を緩めず、慎重に行きましょう」
アーサーの言葉に一同は深く頷き、ゆっくりと洞窟内を進んでいった。足音だけが、不気味に響く。
未だ心拍数が上がったままのミノルは、耳に届いた見知らぬ声に立ち止まる。
『男の趣味が悪いなぁ。どうせ化けるなら美形な男に化けたいよな』
その言葉が妙に引っかかり、途端頭に血が上った。
「悪かったなっ、美形じゃなくて！」
突如大声で叫んだミノルに、皆は怪訝に振り返った。
マダーニの次はミノルが、何かしらの幻聴によって精神に支障をきたしているのだろうと判断したライアンが、眉間に皺を寄せて近づく。
「だ、大丈夫かミノル？」
ダイキに声をかけられ、ミノルは苛立ちながら壁を叩いた。
「なんか、何処かで誰かに自分の悪口を言われた気がした」
「悪口？」
「美形じゃない俺を選ぶと、趣味が悪いんだとよ」
ぶはっ、と吹き出したダイキの隣でトモハルが「本当の事じゃないか」と淡々と呟く。それにミノルは更に激怒し、その場で取っ組み合いを始めた。「そんなことしてる場合じゃないよっ」と必死で仲裁に入るケンイチだが、二人は止める気配がない。地面に転がりながら、上を取ろうと必死に攻防戦を繰り広げる。
情けないとばかりに大袈裟に肩を竦めるアーサーと、苦笑してつっ立っているクラフトは、やはり見た目通りの子供なのだと落胆する。今は口論している場合ではないというのに。
「ぎゃーっ！？ やめてくれーっ！」
急にミノルが顔面蒼白でそう叫び、顔を両手で覆い隠した。
しかし、勢い余ってトモハルは一発殴ってしまう。
「いきなりやめてくれ、って言われても」
と苦笑いするトモハル。
右のストレートが容赦なくミノルの頬にヒットしたわけだが、ミノルは低く呻いただけでトモハルに構う事無く、両手を覆い隠したまま何やら喚いている。
「今度は何だ」
ライアンが苦笑いをしながら歩み寄り、ミノルを片手で引っ張り起こすと、無理やり両手をこじ開けた。茹で蛸のように真っ赤な顔、上手く言葉が出ないらしく、小刻みに身体を震わせて口を鯉のようにぱくぱくさせている。
「落ち着け、一体どうした」
肩を揺すられても、返答がない。ライアンは困り果て、首を竦める。
「トモハルに殴られて反撃しないなんて尋常じゃないっ」
と、駆け寄ったケンイチにもミノルは反応しなかった。
やがてミノルは荒い呼吸を繰り返しながら、咳き込み始めてしまった。
「だ、え、わ」
「は？」
ミノルがようやく声にならない声を発し、半泣きで縋る様にケンイチに助けを求める。慌てて駆け寄るケンイチにダイキ、そしてトモハル。三人は口元に耳を寄せ、懸命に言葉を聞き取ろうとした。
「俺が、アサギを」
途切れ途切れの言葉の断片を、懸命に拾い上げる。
「ミノルが、アサギを！？」
「俺が、アサギを、押し倒してるっ」
「ミノルが、アサギを、押し倒してる！？ ……えー！？」
聞き取った言葉をケンイチが発してから、絶叫。聴き終えたミノルもダイキもトモハルも、絶叫。
「解りやすく説明しろっ、どうしたんだ！？」
「な、なんか今、俺の偽者が、アサギを押し倒してるんだよっ」
「えー！？ えー！？ ……えっ、どこから突っ込めばいいの？」
ミノルの脳内には、アサギとクーバーの映像が流れ込んできている。この映像を秘めておくことは出来なかった、けれども、口にしてから、恥ずかしさのあまり大声で喚く。
ミノルの様子を注意深く見つめていたアーサーとクラフトは、冷静に分析を始めた。
「どういうことだと思います？」
「理解不能、と言いたいところですが。彼の言う事が真実ならば、アサギが危ないということで間違いないかと。敵に捕まっている可能性が。急ぎましょう、こんなところでくだらない事に時間を割いている余裕はありません」
馬車を連れて先を急ぐアーサーの後を、慌てて皆が追った。ミノルだけが、悶絶を繰り返しながら遅れて歩く。
彼らは知らなかった、現在この真下に造られた部屋に、アサギとクーバーとトビィが居たのだ。
その頃、アサギが消えてしまった故に慌てていた“若くて可愛い女の子”チームは。
純白の部屋を隅から隅まで走り回り、手がかりを捜した。吸血鬼と名乗った敵に攫われたアサギが心配だ、正直屈強には見えなかったが、得体が知れない。
泣きじゃくるユキの手を引いてムーンは目で見えるものではなく、微かな空気の乱れ、魔力の鼓動を探す。
「ミシアさん！ この位置を！」
和らいだ喜びが湧き、ムーンは自分と同等の魔力所持者であるミシアを呼んだ。駆け寄ったミシアに、何の変哲もない壁を指し示す。手を壁に当て、継ぎ目がないか探してみるが、もちろん何もない。けれども両手を壁につけて瞳を閉じ、魔力を注ぎ込むと確かに何かを感じる。ただの壁ではない、誰かしらが術をかけている。
「ムーンさん、一緒に魔力を」
「はいっ」
ユキをアリナに任せ、二人は同時に瞳を閉じると壁に手を当てて神経を集中させる。冷たい壁の向こう側に、光が見える。額に汗を浮かべながら、懸命に二人は念じ続けた。パキン、と何かが割れたような音が何処かで聞こえ、それまで見えなかった扉が浮かび上がる。
歓声を上げる二人と、拍手喝采のアリナ。
魔力で幻覚を見せられていたのだろう、純白だった部屋は、その姿を徐々に現す。
「アサギちゃんは、アサギちゃんは！？」
「大丈夫、さ、捜しに行こう！」
岩肌目立つただの洞窟に四人はいた、暗くて見えなくなる前に、ミシアが魔法で周囲を照らす。現れた扉だが、ノブが自分達の頭よりも高い位置にあった為、アリナがムーンを肩車し扉を開けさせた。宙に浮かぶドアへと、アリナが皆を肩車で運ぶ。
異性もいないことであるし、この際スカートがどうとか、足を広げてよじ登ろうが関係ない。無我夢中で宙に浮いているようなドアから、皆必死に脱出した。ムーンが進み、ミシアが進み、ユキが進み終えるとアリナは徐々に後退しながら、軽くジャンプを繰り返す。
ドアからムーンが顔を覗かせ、こちらは大丈夫です、と叫んでいる。
小気味良いリズミカルな音が響き、アリナは息を大きく吸い込むとそのまま全力で駆け出し、扉目掛けて大きく跳躍した。地面を力強く踏み込んで、扉の中へと転がり込む。「脱出成功！」にっこりと余裕の笑みを浮かべるアリナに、ユキが手を差し伸べて安堵の溜息を漏らした。
扉の先は階段があった、四人は大きく頷くとアリナを先頭にして階段を上る。行き止まりだったが、それもムーンとミシアが二人掛りで魔力を注ぎ込み、再び幻覚を打ち破った。
先はあの敵の住処か、それとも別の場所なのか。勢いよくドアを蹴り上げてアリナが飛び出ると、そこは。
「ありゃ？」
微かな炎の揺らめき、何処かで見たような風景。どうやら通常の道へと戻ってきたようだ。地面に焦げたものが大量に転がっている、何かの死骸らしいのでここで交戦したことが解る。四人は、右へ行くべきか左へ行くべきか解らず、その場で立ち止まった。
「一方通行ですから、どちらかに行けばジェノヴァ、どちらががクリストヴァル。考えている暇などありませんし、進みましょう」
「そうだね、クリストバヴァルに出れば引き返せばいい。でも、アサギが心配だから道は間違えたくないな。ボクは右だと思うんだ」
「根拠は？」
「地面に落ちてる焦げた死骸、これが右側のほうが多い。右から敵が来た可能性の方が高いだろ？」
「なるほど、進む先から敵が来たのほうが、しっくりきますね。右へ行きましょう」
四人は迷うことなく右を選び、早足で進んだ。何が現れてもいいように、逸れないように、速度は落ちるが手を繋いで横一列で歩く。
やがて、別の足音が聞こえ始めたのでアリナが焦って皆を引き摺り、駆け出した。迷惑そうに全力疾走する三人を完全に忘れて、アリナは満面の笑みを浮かべた。
「あ、みんなだ！」
「あぁっ、お嬢！ そして皆さんっ！ よくぞご無事でっ」
離れ離れになっていた一行は、洞窟内で再会した。
一人、アサギを除いて。
「あとは、アサギだけですね」
アーサーの投げかけに、皆が神妙に頷く。もうすぐ出口だ、前方から新鮮な空気が流れてきている。
「この洞窟は、幻覚で造られています。魔力で探り当てていけば、別の空間を発見できます。アサギはそこにいるのでしょう、やってみましょう」
ムーンの意見に魔力を使える者達が賛同し、洞窟内に散って行った。
勇者が一人行方不明、彼女が居ないと意味がない。一人欠けた五人の勇者は、揃って見様見真似で魔力を集中させて何かを探してみた。上手く出来なくとも、もどかしくて何かしたかった。
アサギが、いない。アサギを、捜さねば。
「アイツ、貧弱そうだったけど……」
「この規模の洞窟内部に幻覚を仕掛けられるのです、腕力はなくとも相当高等な魔力の持ち主だと判断いたします。急ぎましょう！」
アリナとムーンは、唇を噛み締めて嘲笑うかのような洞窟を睨み据える。
アサギ達を追うべくして、魔物に遭遇してしまった一行。増加する羽音に、馬車を護るように円を組むと勇者同士を隣にせずに皆構える。
「この洞窟狭いから、派手な呪文が使えないのよね。あぁ、面倒！ 武器を大きく振り回す事も危なくて出来ないし。あー、もぉ、ホント面倒っ！」
マダーニが文句を言いながら小剣を引き抜いた、呆れた様に吐き捨てたその言葉を待っていたかのように、ようやく敵の姿が見える。
予想はしていたが、蝙蝠だ。洞窟に住み着く羽音の持ち主など、限定される。数が多く、標的が小さい為苦戦を強いられるであろうことは必須、まして、戦闘初参加の勇者が三人居る。
「無理だと判断したら、迷わず馬車に乗り込んでくれ！」
隣のダイキに叫びながら、ライアンが大剣を振り数匹の蝙蝠を風圧で叩き落す。それでも耳障りな羽音をたてながら、圧し掛かる勢いで蝙蝠達は迫ってきた。
目晦まし程度で、マダーニ、ブジャタ、アーサーが火炎の呪文を唱えた。周囲を明るく照らし、蝙蝠の行動を鈍らせる。流石に火には近づきたくないのか、突進してきた蝙蝠に若干の乱れが生じた。
真似て、ケンイチ以外の勇者も必死に火炎の呪文を唱え始める。傍に寄って来ないのなら、それに越した事はない、皆必死だ。
「血吸うよ、こいつらっ！」
唯一呪文が使えないケンイチが悲鳴に近い声を発して、右腕に噛み付いてきた蝙蝠を無我夢中で振り払っていた。標的になっているケンイチの護衛の為、左右のクラフトとブジャタが庇うように前に出る。その血液の香りが空気中に混じり、他の蝙蝠達を誘き寄せている様子だ。しかし、ブジャタ一人の火炎の呪文では追いつかない、守りきれない。
舌打ちして駆け寄ってきたサマルトは、中級の火炎の呪文を詠唱し、巨大な火球を蝙蝠の大群へと投げつけた。焦げ落ちた蝙蝠もいたのだが、何匹かは燃えたまま宙を飛び交っている。
「ぎゃー！ あっつーっ！」
しかし、ミノルの叫び声がこだまする。火達磨になった蝙蝠に突進され、軽い火傷を負ったようだ。
地面に落ちるまで飛び続ける火達磨蝙蝠、これは厄介である。興奮して馬が暴れているのも、また輪をかけて危険極まりない。
目を吊り上げたマダーニが火達磨蝙蝠を叩き落していく。
「これだから洞窟はっ」
苛立ちを隠さず、剣を振るった。上手い具合に事が運べず、焦りばかりが募る。
そんな中で、不意に、マダーニの耳元に何やら男の声が届いた……気がした。
『若くて可愛いお嬢さん方』
若くて可愛いお嬢さん方。唇を動かし、復唱してみる。
マダーニに誰かがそう呟いたわけではない、今の台詞は複数形だ。言われた対象は誰かと考えると、脳裏には消えた五人の少女達が浮かび、硬直する。わなわなと身体を小刻みに震わし、知らず歯軋りをした。ギリギリ、と擦れる音が異様に大きく聞こえる。歯が折れるのではないか、というほどの力を込めて歯同士を擦り合わせていた。幸いにも歯は折れなかったが、一部欠けた。
消えたのは五人共女、マダーニより若い女の子達である。
つまりは、若くて可愛いお嬢さん方だ。
「ちょっとまてぇぇぇいっ！ 私は若くも可愛くもないっていうのかーっ！ 私はまだ二十前だーっ！」
絶叫するマダーニに、皆は一斉に注目する。
「え、異様に派手やかだから二十代後半だとばかり」
アーサーが本音を吐露したが、不幸中の幸いでそれはマダーにの耳に入らなかった。入っていたら二次災害を起こすところである。
何処かで誰かに侮辱された気がしてならないマダーニは、青筋立てながら両手に意識を集中させた。空中に火花が散り始める、アーサーとブジャタが血相変えて止めに走るのだが、どうも間に合わなかった。マダーニは両手を掲げると、大声で魔法を発動させた。怒りに任せて、何も考える事無く勢いで。早い話、自暴自棄である。
「巡る鼓動、照らす紅き火、闇夜を切り裂き、灼熱の炎を絶える事無く。我の敵は目の前に、奈落の業火を呼び起こせ！」
「な、バカな！？ 火炎魔法の最上級！？ そんなものこの場で唱えたらっ」
アーサーがマダーニに飛び掛り背後から飛びついたが、豪快に振り払われてしまった。地面に叩きつけられ、低く呻く。
他の皆には何故マダーニがこうも激怒しているのか、さっぱり解らない。マダーニの逆鱗に触れたのは、何処かで誰かが呟いた言葉だった。『若くて可愛いお嬢さん方』消えた五人の共通点は“若くて可愛い女の子”。取り残された自分がその中に当然含まれていない事こそ、マダーニにとって最大の屈辱だった。
クックックック……、と有り触れた悪役染みた乾いた声で笑いながら、狂気の瞳でマダーニは魔法を完成させる。髪を振り乱して悠然と立っている姿は、まさに恐怖。
皆は絶句し、揺らめくマダーニに戦慄を覚えながら見つめる。
「……全てを灰に、跡形もなく燃え尽くせっ！」
洞窟内に迸る眩しい閃光は、巨大に膨れ上がってマダーニの両手から洞窟内へと暴走するように飛び出した。
「うわっ、本当に唱えたのですか！？」
珍しく慌てふためくアーサーは、喉を鳴らす。しかし、機転を利かせ、怯えて嘶く馬達の興奮を抑えるように近くにいたクラフトに指示を出すと、自分はマダーニを止めに入った。
「あーっはっはっはっ！ 燃えてしまえ、燃えてしまえっ！ 私はまだ十九歳だ、可愛い部類に入れると訂正しろーっ」
何を言っているのか理解し難い、とアーサーは頭を抱えた、が、止めなければこちらの命が危ない。洞窟内の温度が上昇している、酸素の確保が厳しくなる。
蝙蝠は瞬時に灰になっていったが、敵を一掃出来ても全滅しては意味がない。焦燥感に駆られるアーサーの横に、涼しい顔をしたライアンが立った。
「俺に任せろ、アーサー」
「ライアン殿。マダーニ殿に何があったのです？」
「よくわからないが、彼女の場合は」
ライアンはマダーニに近寄ると和やかにぽんぽん、と肩を叩く。
見境なく魔法を放ちそうな勢いで振り向き、ギラついた瞳で睨むマダーニに、ライアンは怯む事無く笑顔で話しかけた。
「マダーニは若くて可愛いし、何より綺麗だから安心しろ」
それだけ。
その言葉を聞いた瞬間にマダーニは嬉しそうに悲鳴に近い歓声を上げると、ライアンに飛びついて猫が甘える様に擦り寄る。
唖然。
燃えてしまった蝙蝠達の灰を背に、潤んだ瞳でマダーニはライアンを見上げている。
「私、若くて可愛くて綺麗？」
「あぁ、誰よりも若くて可愛くて綺麗だよ」
「まっ！ 嬉しいっ」
誰よりも若くて……というのには無理があると思いますがっ、とアーサーは心の中で突っ込みをしたが、あえて口には出さなかった。顎が外れる程、大口を開けて二人を見ている。
ライアンの言葉は本心なのだろう、純朴そうな青年だが、そういった言葉は素直に口に出来る様だ。意外だった。
このような解決に納得はいかないが、蝙蝠達も一掃出来たので気を取り直し、消えた五人を捜す。
余程嬉しかったのだろう、マダーには先程と打って変わって上機嫌だ。しかし、発狂の原因はなんだったのか、と尋ねられるとと、ムスっ、と不貞腐れながら口を閉じる。もうこれ以上触れるな、ということらしい。
軽い火傷を負ったミノルと、蝙蝠に噛まれたケンイチの手当てをしてから、五人が消えた箇所を隈なく調べる。特にこれといって不可解な様子は、ない。よって、洞窟内部に妙な仕掛けがあるわけではないようだ。アサギとユキは壁で光っていた物体に近寄っていたが、今は何処も光ってなどいない。
「気を緩めず、慎重に行きましょう」
アーサーの言葉に一同は深く頷き、ゆっくりと洞窟内を進んでいった。足音だけが、不気味に響く。
未だ心拍数が上がったままのミノルは、耳に届いた見知らぬ声に立ち止まる。
『男の趣味が悪いなぁ。どうせ化けるなら美形な男に化けたいよな』
その言葉が妙に引っかかり、途端頭に血が上った。
「悪かったなっ、美形じゃなくて！」
突如大声で叫んだミノルに、皆は怪訝に振り返った。
マダーニの次はミノルが、何かしらの幻聴によって精神に支障をきたしているのだろうと判断したライアンが、眉間に皺を寄せて近づく。
「だ、大丈夫かミノル？」
ダイキに声をかけられ、ミノルは苛立ちながら壁を叩いた。
「なんか、何処かで誰かに自分の悪口を言われた気がした」
「悪口？」
「美形じゃない俺を選ぶと、趣味が悪いんだとよ」
ぶはっ、と吹き出したダイキの隣でトモハルが「本当の事じゃないか」と淡々と呟く。それにミノルは更に激怒し、その場で取っ組み合いを始めた。「そんなことしてる場合じゃないよっ」と必死で仲裁に入るケンイチだが、二人は止める気配がない。地面に転がりながら、上を取ろうと必死に攻防戦を繰り広げる。
情けないとばかりに大袈裟に肩を竦めるアーサーと、苦笑してつっ立っているクラフトは、やはり見た目通りの子供なのだと落胆する。今は口論している場合ではないというのに。
「ぎゃーっ！？ やめてくれーっ！」
急にミノルが顔面蒼白でそう叫び、顔を両手で覆い隠した。
しかし、勢い余ってトモハルは一発殴ってしまう。
「いきなりやめてくれ、って言われても」
と苦笑いするトモハル。
右のストレートが容赦なくミノルの頬にヒットしたわけだが、ミノルは低く呻いただけでトモハルに構う事無く、両手を覆い隠したまま何やら喚いている。
「今度は何だ」
ライアンが苦笑いをしながら歩み寄り、ミノルを片手で引っ張り起こすと、無理やり両手をこじ開けた。茹で蛸のように真っ赤な顔、上手く言葉が出ないらしく、小刻みに身体を震わせて口を鯉のようにぱくぱくさせている。
「落ち着け、一体どうした」
肩を揺すられても、返答がない。ライアンは困り果て、首を竦める。
「トモハルに殴られて反撃しないなんて尋常じゃないっ」
と、駆け寄ったケンイチにもミノルは反応しなかった。
やがてミノルは荒い呼吸を繰り返しながら、咳き込み始めてしまった。
「だ、え、わ」
「は？」
ミノルがようやく声にならない声を発し、半泣きで縋る様にケンイチに助けを求める。慌てて駆け寄るケンイチにダイキ、そしてトモハル。三人は口元に耳を寄せ、懸命に言葉を聞き取ろうとした。
「俺が、アサギを」
途切れ途切れの言葉の断片を、懸命に拾い上げる。
「ミノルが、アサギを！？」
「俺が、アサギを、押し倒してるっ」
「ミノルが、アサギを、押し倒してる！？ ……えー！？」
聞き取った言葉をケンイチが発してから、絶叫。聴き終えたミノルもダイキもトモハルも、絶叫。
「解りやすく説明しろっ、どうしたんだ！？」
「な、なんか今、俺の偽者が、アサギを押し倒してるんだよっ」
「えー！？ えー！？ ……えっ、どこから突っ込めばいいの？」
ミノルの脳内には、アサギとクーバーの映像が流れ込んできている。この映像を秘めておくことは出来なかった、けれども、口にしてから、恥ずかしさのあまり大声で喚く。
ミノルの様子を注意深く見つめていたアーサーとクラフトは、冷静に分析を始めた。
「どういうことだと思います？」
「理解不能、と言いたいところですが。彼の言う事が真実ならば、アサギが危ないということで間違いないかと。敵に捕まっている可能性が。急ぎましょう、こんなところでくだらない事に時間を割いている余裕はありません」
馬車を連れて先を急ぐアーサーの後を、慌てて皆が追った。ミノルだけが、悶絶を繰り返しながら遅れて歩く。
彼らは知らなかった、現在この真下に造られた部屋に、アサギとクーバーとトビィが居たのだ。
その頃、アサギが消えてしまった故に慌てていた“若くて可愛い女の子”チームは。
純白の部屋を隅から隅まで走り回り、手がかりを捜した。吸血鬼と名乗った敵に攫われたアサギが心配だ、正直屈強には見えなかったが、得体が知れない。
泣きじゃくるユキの手を引いてムーンは目で見えるものではなく、微かな空気の乱れ、魔力の鼓動を探す。
「ミシアさん！ この位置を！」
和らいだ喜びが湧き、ムーンは自分と同等の魔力所持者であるミシアを呼んだ。駆け寄ったミシアに、何の変哲もない壁を指し示す。手を壁に当て、継ぎ目がないか探してみるが、もちろん何もない。けれども両手を壁につけて瞳を閉じ、魔力を注ぎ込むと確かに何かを感じる。ただの壁ではない、誰かしらが術をかけている。
「ムーンさん、一緒に魔力を」
「はいっ」
ユキをアリナに任せ、二人は同時に瞳を閉じると壁に手を当てて神経を集中させる。冷たい壁の向こう側に、光が見える。額に汗を浮かべながら、懸命に二人は念じ続けた。パキン、と何かが割れたような音が何処かで聞こえ、それまで見えなかった扉が浮かび上がる。
歓声を上げる二人と、拍手喝采のアリナ。
魔力で幻覚を見せられていたのだろう、純白だった部屋は、その姿を徐々に現す。
「アサギちゃんは、アサギちゃんは！？」
「大丈夫、さ、捜しに行こう！」
岩肌目立つただの洞窟に四人はいた、暗くて見えなくなる前に、ミシアが魔法で周囲を照らす。現れた扉だが、ノブが自分達の頭よりも高い位置にあった為、アリナがムーンを肩車し扉を開けさせた。宙に浮かぶドアへと、アリナが皆を肩車で運ぶ。
異性もいないことであるし、この際スカートがどうとか、足を広げてよじ登ろうが関係ない。無我夢中で宙に浮いているようなドアから、皆必死に脱出した。ムーンが進み、ミシアが進み、ユキが進み終えるとアリナは徐々に後退しながら、軽くジャンプを繰り返す。
ドアからムーンが顔を覗かせ、こちらは大丈夫です、と叫んでいる。
小気味良いリズミカルな音が響き、アリナは息を大きく吸い込むとそのまま全力で駆け出し、扉目掛けて大きく跳躍した。地面を力強く踏み込んで、扉の中へと転がり込む。「脱出成功！」にっこりと余裕の笑みを浮かべるアリナに、ユキが手を差し伸べて安堵の溜息を漏らした。
扉の先は階段があった、四人は大きく頷くとアリナを先頭にして階段を上る。行き止まりだったが、それもムーンとミシアが二人掛りで魔力を注ぎ込み、再び幻覚を打ち破った。
先はあの敵の住処か、それとも別の場所なのか。勢いよくドアを蹴り上げてアリナが飛び出ると、そこは。
「ありゃ？」
微かな炎の揺らめき、何処かで見たような風景。どうやら通常の道へと戻ってきたようだ。地面に焦げたものが大量に転がっている、何かの死骸らしいのでここで交戦したことが解る。四人は、右へ行くべきか左へ行くべきか解らず、その場で立ち止まった。
「一方通行ですから、どちらかに行けばジェノヴァ、どちらががクリストヴァル。考えている暇などありませんし、進みましょう」
「そうだね、クリストバヴァルに出れば引き返せばいい。でも、アサギが心配だから道は間違えたくないな。ボクは右だと思うんだ」
「根拠は？」
「地面に落ちてる焦げた死骸、これが右側のほうが多い。右から敵が来た可能性の方が高いだろ？」
「なるほど、進む先から敵が来たのほうが、しっくりきますね。右へ行きましょう」
四人は迷うことなく右を選び、早足で進んだ。何が現れてもいいように、逸れないように、速度は落ちるが手を繋いで横一列で歩く。
やがて、別の足音が聞こえ始めたのでアリナが焦って皆を引き摺り、駆け出した。迷惑そうに全力疾走する三人を完全に忘れて、アリナは満面の笑みを浮かべた。
「あ、みんなだ！」
「あぁっ、お嬢！ そして皆さんっ！ よくぞご無事でっ」
離れ離れになっていた一行は、洞窟内で再会した。
一人、アサギを除いて。
「あとは、アサギだけですね」
アーサーの投げかけに、皆が神妙に頷く。もうすぐ出口だ、前方から新鮮な空気が流れてきている。
「この洞窟は、幻覚で造られています。魔力で探り当てていけば、別の空間を発見できます。アサギはそこにいるのでしょう、やってみましょう」
ムーンの意見に魔力を使える者達が賛同し、洞窟内に散って行った。
勇者が一人行方不明、彼女が居ないと意味がない。一人欠けた五人の勇者は、揃って見様見真似で魔力を集中させて何かを探してみた。上手く出来なくとも、もどかしくて何かしたかった。
アサギが、いない。アサギを、捜さねば。
「アイツ、貧弱そうだったけど……」
「この規模の洞窟内部に幻覚を仕掛けられるのです、腕力はなくとも相当高等な魔力の持ち主だと判断いたします。急ぎましょう！」
アリナとムーンは、唇を噛み締めて嘲笑うかのような洞窟を睨み据える。
